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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
2 猫とすれ違う夏
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5 愛想も尽きて

 夏休みももうすぐ終わる。というか、もう終わってしまったようなものである。

 八月の最終週からは、午前中に課外授業が行われる。しかし、課外授業とは名ばかりで、実際は生徒全員強制参加で教科書通り進められる普通授業である。夏休みボケしている生徒を速やかに通常授業モードにシフトさせるための準備期間のようなものだ。これが始まると、半日で放課になってくれるとはいってもやはり、「夏、終わったな……」という気分にさせられるのだ。

 四限目までの授業を憂鬱な気分で終える。奈緒は用事があると言うので、桜子は一人、帰路につく。今月の小遣いはほぼ使い果たしてしまったため、今の桜子には、喫茶・砂時計で優雅なカフェランチをする余裕はない。ゆえに、駅へ向かう道すがら、コンビニで一番安いおにぎりを買って昼食を済ませた。

 駅の方へとぞろぞろ歩いていく生徒たちの波から外れて、桜子は例の、椙浦モール沿いの細道に入って行く。そして、一通り見回して誰もいないことを確認して溜息をついた。

 時間が経つにつれて、クロにもう一度会おうというモチベーションはぐんぐん下がっていった。それでも、鞄の中には未練がましく母の日記帳が入っている。もう何がしたいのか、桜子はいよいよ解らなくなっていた。

 今の桜子は、ただなんとなく、惰性で動いているようなものだった。ここで何もしないで終わりにしてしまったら、今までの四か月間の苦労はなんだったんだ、ということになる。それはいくらなんでもあんまりだから、もっとはっきりとした、区切りのようなものがほしいのだ。引くにしても進むにしても、何か特別な切欠がないと、今までの時間があまりにも報われないから。

 何かないかな、と特別な切欠を求めて覗きまわった路地には、しかし何もない。仕方なく、桜子はモール前の道を引き返し、細道の入り口部分に当たる高架下スペースまで戻った。駅前へと続く目抜き通りに面しているスペースは歩行者専用の空間であり、八月の頭には祭の会場として出店が多数並んでいた場所だ。祭が終わった今は駅へと向かう高校生が歩いていく通路でもあり、噴水とベンチがある休憩場所でもある。上を走る高架道のおかげで、車が通るたびにごうごうとアスファルトが鳴って少々騒がしくはあるものの、夏のじりじり焼き付けるような日差しは遮られるし、噴水のおかげで涼やかな風が吹く。歩き疲れた足を休めるのには、まあ悪くない場所だ。

 桜子は、噴水前のベンチに座って息を大きく吸い込む。そしてすぐに、溜息として吐き出した。

 直後、

「不景気なツラだね」

 と声を掛けられた。「よっこらせ」と一人ごちながら隣に腰を下ろす人物を見て、桜子はあっと声を上げる。

「老婆!」

「その呼び方はないだろっ」

 そこにいたのは、桜子が頼みごとをした、例の妖怪おばばだった。いつものように上品なワンピースを着た老婆は、あまり上品ではない苦々しい表情をして言う。

「そういえば名乗った覚えがないから今言うけれどね、あたしは蓬郷とまごうってんだ。『老婆!』なんて、猫に『猫』って名づけるもんだよ、小娘」

「ごめんなさい。じゃあ、蓬郷って呼ぶわ。だから、私のことも小娘じゃなくて、桜子って呼んでよ」

「ひっひっ、いいのかい、あたしなんかに名前を教えて」

「あなただって教えてくれたじゃない」

「人間に名前を教えたところで問題はないがね、逆は話が違う。名前は呪術なんかに使われることもある。悪ーい妖怪に名前を掴まれるのは命を掴まれるに等しい。誰彼かまわず、おいそれと名を明かすもんじゃないよ、悪用されるからね」

「そういうものなの?」

 確かに、よくよく考えてみれば、信用のおけない相手に個人情報を明かさないのは人間だって同じだ。たとえば、道端で会っただけのよく知らない人に、仮に相手に名乗られたとしても、自分の名を明かすことなどないだろう。相手が人間ではなく妖怪だから、プライバシー的な問題などないと思って無意識のうちにハードルが下がっていたようだ。桜子は自分の迂闊さを戒める。

「次は気を付けるわ。でも、まあ、あなたに教えるのは、問題ないでしょう?」

「どういう根拠があってだい」

「私の頼みごと、聞いてくれたじゃない」

「あれは頼みごとというより脅迫と言うんじゃないかい」

「出会い方は最悪だったけれど、まあ、そんなに悪い人じゃなさそうかなって」

「あたしゃ妖だよ」

「揚げ足を取らないで。……ところで、今日は私に会いに来てくれたの? もしかして……」

「ああ、そうさ、ご推察の通り、気が進まなかったが、渋々、渋々! 化け猫に会ってきてやったよ」

 どうやら今日は結果報告に来てくれたらしい。桜子の顔は、少しだけ景気が上がった。

「ほんと? ありがとう、蓬郷。クロは元気にしてた?」

 桜子が尋ねると、蓬郷はなぜか盛大に溜息をついた。

「あたしゃあんたに同情するよ」

「は?」

「あんたが会いたがってると、確かに伝えた。その返事を、一言一句違わず伝えるよ」

「はあ」

「『知るか馬鹿』」

「……………………」

 カチンときた。

 蓬郷が大爆発を恐れて一歩引く。

「……蓬郷。これは強制でもなんでもないけど。もしうっかり、あいつにまた会うようなことがあったら、伝えてくれるとうれしいのだけれど」

「……聞こうじゃないか」

 恐る恐るといったふうに問う蓬郷。桜子はすっと息を吸い込んで、一気にまくしたてた。

「このクソ薄情者あんたなんかには金輪際関わるもんかタンスの角に小指ぶつけちまえばかばかばーか!」

 突然叫んだ桜子に、通りがかりの高校生がぎょっとした。蓬郷は片手で顔を覆いやれやれと首を振る。

「年頃の女子がまったく……じゃあ、あたしはそろそろ行くよ。約束は果たしたからね。あばよ」

 蓬郷は軽く手を挙げて歩き出した。桜子に気を遣ってくれたのかもしれない。

 もしかしたら奈緒が言っていたように、何か事情があって会えないのかもしれない、と微かに思っていた。だが、それは違うと解った。彼は会う気がない、それだけだ。

 そうと解ると、怒りが爆発した。顔を真っ赤にして罵倒の文句を叫んだ。しかし、気は晴れない。

 以前も、椙浦モール前で、届くはずのない文句を叫んだ。だが、あの時と、今とでは、随分と心の持ちようが違っていた。

 あの時は、クロを攻撃する言葉は、結局誰にも届かず終わった。

 今、クロを詰る言葉は自分の心を抉った。

 晴れることのない怒りを、哀しみが強引に押しのけていく。

 爪の痕が残るほどに拳を握りしめた。悔しさと哀しさで顔を真っ赤にして、油断すると涙腺が反乱を起こしそうだ。こんな顔、人に見せられたものじゃない。

 何か切欠が欲しかった。その望みどおりに、しかし望まぬ切欠が訪れた。

 この場所に未練はもうない。

 桜子はさっと立ち上がり、早足で家路についた。



 ――向こうがそのつもりなら、こっちだって。

 もう金輪際、妖には関わることはない。そう思って、家まで帰ってきた。が、早速その決意を翻さざるを得ない事態が待ち構えていた。

 家の前に、見知らぬ者が立っていた。普通なら、「お客さんかな?」とでも思うところだ。しかし、その者は一目見ておかしいと解る格好をしていた。

 般若の面をかぶっていたのだ。

 羽織袴姿で、顔は般若面で隠している。どう見ても普通じゃない。怪しい奴だ。不審者だ。妖怪の存在を知らなければ間違いなく即座に百十番通報しているところだ。

 最近自分の前に現れるのは、地面から腕を生やす奴だったり猫耳が生えた奴だったり、ロクでもない連中ばかりだな、と桜子は溜息をついた。

「あの、うちに何かご用ですか」

 警戒心を丸出しにして問うと、般若の面が振り返った。

「桜鬼様……桜子様ですね?」

 低い男の声が尋ねた。

「はぁ」

「お迎えに上がりました、桜子様」

 そう言って、男は桜子の前に跪く。突然の予想外の行動に桜子はぎょっと目を剥く。

「ちょ、ちょっといったい何! 何なのあなた!」

「早速で申し訳ありませんが、桜子様には妖の世界においでいただきたく存じます。今、鬼の郷では可及的速やかに解決しなければならない問題が発生しております。どうか、桜子様のお力をお貸しください」

 男は真摯に頭を下げた。

 桜子は突然飛び込んできた事態に、頭に疑問符を浮かべまくるしかなかった。

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