3 思いがけない再会
こうなったらやけ食いだ、とラスト三十分で本気を出した桜子。吐きそう。
「あーあー、なにやってんのよ。バテないように食べましょうって言ってんのに、なんで食べ過ぎグロッキーになってるの」
確実に桜子の三倍は食べたはずの奈緒はけろりとしていて、この後どこでデザートを食べるかで悩んでいる。
「げ、解せぬ……」
「次はどこいく? 『ラブリーカフェ』でクリームたっぷりパンケーキなんてどう?」
「うぷ」
聞いただけで気持ち悪くなるようなメニューを提案するのはやめてほしい。恨みがましく睨んでやると奈緒は「冗談だって」とからから笑う。
当分ピザは見たくないな、とげんなりしながら、桜子は店を出る。どこかで休憩したい気分だが、このままここで休んだら可処分カロリーが腹へ貯まるだけだ。エネルギー消費のために動く必要に駆られ、桜子は歩き出す。
「歩きたいならウィンドウショッピングよねー」
という奈緒の提案で、二人の次の行先は近くのショッピングセンターに決まった。椙浦駅西口前バスターミナルからはショッピングセンターまでの直通バスが出ている。時刻表を確認すると、あと五分ほどでバスが来ると解る。バス停にはすでに、高校生らしき少女が数人並んでいた。その後ろに並んでバスを待つ。
「とりあえず、着いたら『ラッキーセブン』の夏季限定トロピカル冷やしぜんざいを……」
「うぷっ……ねえ、解っててやってるでしょ、からかってるでしょ」
「いやいや、夏にあそこ行ってトロピカル冷やしぜんざい食べずに帰るなんてありえないでしょ」
「マジ詐欺だわ……そんだけ食べて太らないなんて……神は不平等だ」
「私は頭脳労働担当なのさ、頭使ってるから太らないのさ」
「私が頭使わない考えなしだと?」
「おっとこれは失言だったか」
ぺろりと可愛らしく舌を出しても騙されないぞ。
不貞腐れた気分でバスを待ちながら、桜子は駅前を適当に眺める。平日昼間ではあるが、夏休みを満喫中の小中高生のおかげで駅前は賑わっている。他にも、就学前らしき小さな子供と母親が手をつないで連れ立って散歩しているし、遅い昼食を終えたばかりのようなサラリーマン風の男性も早足で歩いているし、杖をついた老婆は通りがかりの人に道を訊いている風だし――
「んっ!?」
なんだか見覚えのある人がいた気がして、首を傾げる。
桜子は今見た光景の中にある既視感を探してじっと目を凝らす。
そして見つけた。
――あのばばあ!
道を訊いている様子の老婆、それは四月に桜子が遭遇した妖怪ばばあに相違なかった。
「奈緒、ごめんちょっと急用!」
「え? 桜子? グロッキーはどうした!」
三秒前までのグロッキーをさくっと忘れて、桜子は全力疾走した。
そして、駅前案内板の近くで通りすがりの若い女性に「ええと、ここに行きたいのですが……」などと白々しく尋ねている老婆の首根っこを引っ掴んだ。
「ぎゃあ! いったい何をするん……げぇ!」
文句を言いかけた老婆は、桜子の顔を見るなり顔色を変えた。向こうも覚えていたらしい、これは好都合だ。桜子はにっこり笑って、猫撫で声を出す。
「道なら私が教えて差し上げますから、ちょっとツラ貸していただけます?」
戸惑っている通りすがりの女性を置き去りにし、桜子は老婆を引きずって歩き出した。
ペデストリアンデッキのブロンズ像前で、待ち合わせのリア充共を横目に、ベンチに腰掛ける女子高生と老婆。場違いな組み合わせに周囲がちらりちらりと窺うような視線を寄越すが、今はそんなことを気にはしない。
老婆は桜子による突然の奇襲に、ぷんすかと頬を膨らませた。
「まったく、いきなりこんな乱暴するなんて! 高齢者は大事にするもんだよ?」
「顔面ドロップキックされた後で平然と立ち上がる人を高齢者とは言いません」
「で、いったい何の用だい? まさかこの前の仕返しってわけでもないんだろう? 結局あの時は化け猫に邪魔されて何もできなかったんだ、いつまでも恨まれてちゃ割に合わないよ」
「私、妖怪の世界に行きたいんだけど」
「はぁ?」
単刀直入に用件を伝えると、老婆は素っ頓狂な声をあげて驚いた。それから、呆れかえって笑う。
「馬鹿言っちゃいけないよ。確かにあたしゃ、二つの世界を行き来できるけどね、誰かを連れて行くなんてできやしない」
「そうなの? 役にしないわね」
「酷い言い草だね。言っとくがね、世界を渡ることができるのは妖力が強い一部の妖怪だけなんだよ。行き来できるだけでも有能な証拠さ。誰にでもできるってわけじゃない。あたしゃ優秀なんだよ」
その秀でた能力を使ってわざわざ人間の世界にやってきてまでやってることが、若い女性からちびちび精気を奪ってお肌の潤いを取り戻そうとする不毛な行為なのか、と桜子は呆れる。
「自分一人だって精一杯なのに、他の誰かを一緒にだなんて、普通はできない。たとえばだよ、ものすごく重い扉を、一人が通れる分だけちょっと開くのと、二人が通れる分広く開くのとじゃ、必要な労力が違うだろう?」
「縦一列に並んで通ればいいじゃない」
「そういう話じゃないよ、人のたとえ話の揚げ足を取るんじゃない」
「すみません冗談です」
つまり、桜子を連れて平然と妖の世界に渡ったクロは、彼自身がドヤ顔で自慢していた通り、本当に有能だったということだ。
「じゃあ、あなたは来なくていいから私だけ送ってちょうだいよ」
「馬鹿言いなさんな、そっちはもっと大変だよ。自分でやんのと、何も解ってない素人の手を取ってやらせてあげるのと、どっちが難しいかくらい解るだろう」
「むぅ」
「丙あたりなら何とかしそうな気もするが、あたしじゃ到底……いったい、なんだって妖怪の世界なんかに」
「クロと話がしたいの」
「あの化け猫と? あたしの顔面を容赦なく蹴飛ばした高齢者虐待猫と? そりゃまた酔狂な。普通の奴だったら関わりたくないと思う厄病猫だってのにさ」
理解できないね、と老婆は肩を竦める。
老婆に解らないのも無理はない。いかんせん、桜子自身にも、どうしてここまでして会わなければいけないのか、よく解っていないのだから。
ただ、あのいい加減な別れを最後にしたまま縁を切ってしまったら、なんだか後悔しそうな気がするのは、事実である。
妖怪である老婆の姿を見つけた時には、上手くするとまた向こうの世界に行けるかもしれないと期待して、素晴らしい僥倖だと感激したのだが、残念ながらそう簡単にはいかなかった。ならば、次善の策だ。
「じゃあさ、クロに伝えてくれない? 私が会いたがってるって」
「人の話を聞いていたのかい? 普通は関わりたくない相手なんだよ。どうしてあたしがそんな面倒なことをしなけりゃならんのだい」
老婆は心底嫌そうに眉をひそめた。どうやらクロは半端でなく嫌われているらしい。まあ、自分の顔面を蹴り飛ばした奴と仲良くなんて、できるはずもないのは理解できるが。
しかし、ようやく掴んだ、妖の世界との糸だ。そう簡単には諦められない。桜子は両手を合わせて懇願する。
「そこを何とかお願い。せめて連絡くらいは取りたいのよ、なんとしても」
「そいつを引き受けて、あたしに何の得があるってんだい」
桜子は少し考えてみる。まったく引き受ける気がないなら、こんなことは言わないだろう。損得勘定を始めたということは、交渉の余地がある。考えて、名案を思いついて桜子は横手を打つ。
「引き受けてくれたら、私をまな板呼ばわりしたことは許してあげます」
「まだ根に持ってたんかい!」
「あなたがやったことは侮辱罪といって立派な犯罪なんだからね、私が受けた精神的苦痛を鑑みれば慰謝料として百万くらいふんだくってやったっていいんだからね、それをお使い一つで水に流すって言ってるのよ、まあなんて寛大」
どこが寛大なんだろう、と桜子は内心自分で自分にツッコミを入れた。
「さあ、どうする? お願い聞いてくれるの、くれないの? あなた百万円の重要さちゃんと解ってる? こんなつまんないところで払いたくないでしょう。お願い一つきいてくれるだけでいいのよ、慈悲深さに定評のある桜子さんですからね、ここできいてくれたら金輪際このことは蒸し返さないわ。こんな破格の条件今だけよ、出血大サービスよ」
「ぐぬぬ……」
老婆は言い返すこともできず、悔しそうに唇を噛む。
やがて盛大な溜息をつくと、「わかったわかった」と投げやりに返事をした。
「今回だけだよ、あの化け猫に、あんたが会いたがってると伝えるだけでいいんだね?」
桜子はぱっと笑顔を咲かせる。
「そうよ、ありがとう! 感謝するわ!」
「まったく……」
喜色満面の桜子とは対照的に、老婆は疲れ切った顔で言う。
「あんた、昔会った奴にそっくりだよ」
「え」
「人間のあんたは知らないだろうけどね、妖の世界には桜鬼っていう奴がいたんだがね」
「……」
「誰より美しく誰より強い素晴らしい奴で、悪事を働く奴には容赦がなかったし、えげつない奴だった。あたしがからかって『うしちち女』って言ってやったとき――」
『あなた、今「うしちち」っておっしゃいました? まあなんてこと、わたくし、とても傷つきました。こんな侮辱を受けるなんて、あんまりですわ。ですが、わたくしは寛大ですから、このことを百年先までねちねちねちねちと根に持って会うたびに話を蒸し返してあなたを責めたてたりなんて、そんなひどいことはいたしませんわ。ところで、ちょっとわたくし今困っているのですけれど、お願い聞いてくださいます?』
老婆は苦虫を噛み潰したような顔で苦い思い出を語ってくれた。
「敵の多い女だったけどね、あれだけ力があっておまけに言葉が巧みなんだ、負けナシだったろうね。ん? そういや、あんた、人間にしては変わった気配……というかどことなくあの女に似てるような……あたしも目が悪くなったかね。まあいいや、依頼は果たしてやるよ、あばよ」
そう言って、老婆はすたすたと歩いて行った。
思いがけず母の話を聞くことになった桜子は、老婆の思い出話を噛みしめるとともに、一人ごちた。
「なんかイメージ違うんだけど!?」




