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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
1 猫に出会う春
12/104

12 自分の世界でないとしても

 腰まで伸びた茶色い髪はぼさぼさで、橙の瞳は獰猛さを秘めている。あまりお近づきになりたくない感じの目つきの悪さだ。

 違うだろうな、と半ば確信しつつも一応安曇に尋ねてみる。

「友達?」

「友達じゃないけど、知ってる。昔っからこのあたりを縄張りに好き勝手やってた狼兄弟の一人……あのセンスのない迷彩服は兄の方だね。名前は千草。最近は大人しくしていたみたいだけれど……」

 どうやら相手は有名な問題児らしい。

 目の前の狼が、どうやら安曇を探していたらしいということは、彼の先の発言からも明らかである。友達でもない問題児な狼が安曇を探していた理由は解らないが、どうにも不穏な気配がする。問題児らしく問題を運んできたと考えるのが自然だ。

 千草は今気づいたように桜子を見ると、「こいつは僥倖」と笑った。

「ついでに鬼も発見。都合がいいな」

「ついで!」

 桜子はオマケ扱いされたことにそこはかとないショックを受けた。しかし、そんなことにいちいちショックを受けている場合では、どうやらなさそうである。

「私たちに、何か用かしら」

 尋ねつつ、ロクな用事ではないに違いないと直感していた桜子はじりじりと後退る。

「困るんだよなぁ、余計なことを嗅ぎ回られると。折角目障りな狗と猫が潰しあってくれそうなのに。俺がここまでセッティングするのにどれだけ苦労したと思ってるんだ」

「その口ぶり……」

 狼の言い様は、自白と捉えてよさそうである。ただ、追い詰められたわけでもない奴が自白するとたいていロクでもないことが起こる、というのが桜子の持論である。

「まさか犯人の方からノコノコ出てきてくれるなんてね。黒幕なら黒幕らしく舞台裏にすっこんでるべきだったんじゃないの?」

 桜子は強気に嘯いてみせる。が、内心では「こんなとこで出てくんなよ絶対これヤバいパターンじゃん」と危険を察知していた。

 安曇は真相に辿り着く手掛かりを持っている。桜子は真相を追いかけている。どう考えても真犯人にとっては邪魔以外の何者でもない。

 ――コレ完全に口封じにきた!

「……逃げた方がいい」

 低い声で安曇が囁いた。

「でも、コイツ……」

 口封じは怖いが、犯人を目の前にして逃げていいものかと、桜子は逡巡する。桜子の目的は真犯人を捕まえることだ。いつかは対峙しなければならない相手が、今、眼前にいる。ここで捕えることができれば事件は解決だ。桜子の言わんとすることを理解しているだろう安曇は、しかし、依然固い表情だ。

「僕たちで太刀打ちできるとは思えない」

「了解」

 その言葉で桜子はあっさり決断した。三十六計逃げるに如かず。

 しかし、走り出そうとした体に急ブレーキをかける。いつの間にか後ろにも誰かが立ちはだかっているではないか。

「敵が一人だけだと、誰か言ったか?」

 見なくても解る、後ろで千草がドヤ顔でそう言っている。最初から敵は挟み撃ちにしてきていたのだ。センスのない縞模様の服を着た、千草と似た顔立ちの狼男が通せんぼしている。

「そうか……虎央様と竜厳様の襲撃はほぼ同時刻に起きてる。犯人は二人いたのね、大発見。……いらん発見だったわ」

「あいつは弟の方の千歳だ。兄弟そろって問題児」

 前門の虎、後門の狼――いや、両方とも狼なのだが。いつだったかこの言葉を類語辞典でひいたことがあったのだが、その時見た、とてつもなく端的で救いのない言い換えを桜子は未だに覚えている――曰く、どちらに転んでも死ぬ。

「ちなみに安曇、あなた、実はものすごく強いとかそういう設定はある?」

「ない」

「だよね」

「桜子こそ、秘められた鬼の力が覚醒する予定はないの」

「ない」

「だよね」

 実に生産性のない作戦会議である。

 勝てそうにないし逃げ道もない。だったら助けを呼べばいい。こういう時に便利な携帯電話は残念ながら妖の世では役立たずだ。ならば大声で助けを求めるほかない。

 と思ったのだが、その思考を先回りするように、千草は言う。

「助けを呼ぼうと思っても無駄なことだ。ここには人払いの結界を張ってある。声は届かないし、誰もここへ近づこうとしない」

 妖なのに人払い……いや、今はこんなつまらない揚げ足を取ってる場合ではない。

 ほぼ万策尽きている感があるが、ここで諦めてみすみす口封じされるわけにはいかない。

 逃亡も救援要請も駄目なら、残るは説得だ。

「あなたたち、どうしてこんなことするの。猫と狗に恨みでもあるわけ? 文句があるならちゃんと言葉で伝えなさいよ、こんなふうに裏でこそこそ動いて潰し合わせるなんて卑怯だわ」

「恨み? そんなもんねえよ」

 千草は桜子の見当違いの意見を嘲笑った。

「俺たち狼は強い。猫や狗なんかの弱い妖とは違う。なのに、この郷は弱い妖で溢れているし、統治しているのも弱い連中。俺たちは弱者に従わなければならない。そんな屈辱が許されるものか。桜鬼の奴が余計なことをしたせいで、妖の世は窮屈になっちまった。だが、今は奴もいない。なら、恐れることはない。昔みたいに好き勝手してやる。まずは、弱い連中が我が物顔で跋扈しているのを変えなきゃならない」

「そんな、勝手な! 力が強いとか弱いとか、そんなの関係ないじゃない」

「関係あるさ。妖は人間とは違う。妖の世界は弱肉強食であるべきだ。弱い奴に権利なんかない、それが妖の世の理だ」

「そんなの、自分が好き勝手やりたいだけの自己中野郎のエゴだわ。力の強さなんかに関係なく、どの妖怪も平等でいられる世界……それを望んだ妖がたくさんいたから……桜鬼の示した秩序に賛同した妖がたくさんいたから、今の世界があるんじゃないの?」

「知るかよ、そんなこと!」

 千草が苛立たしげに吠えた。

 直後、桜子の体が持ち上げられ、宙に浮く。

「兄貴、こいつぴーぴー煩いよ、とっとと始末しちまおうぜ」

 千歳が制服の襟を引っ掴んで桜子を宙吊りにしたのだ。首が締まってほんのり苦しい。桜子は雑な扱いに抗議してじたばたしてみるが、無駄に背が高く腕力もある弟狼はびくともしない。

「放せ! 放しなさい! はーなーせー!!」

「煩いなー」

 放してやるよ――そう言われた瞬間、桜子の視界がぐるりと一回転した。

 それは放す、というよりも、投げる、と言った方が正しかった。無造作に放り投げられた桜子は、千歳の手から逃れた代わりに、地面に叩きつけられた。まるで空き缶をポイ捨てするかの如く、何の感慨もなさそうにあっさりと、投げ捨てられたのだ。

 全身を強かに打って、桜子は地面を転がる。痛みに涙が出てきて、起き上がれなかった。

 ――痛い。

 今までたくさんの妖に出会った。優しい奴、面倒な奴、いけ好かない奴……いろいろな奴がいた。尻尾が生えていたり獣耳が生えていたり角が生えていたり……人間とは違う外見の、初めて会う妖たち。最初こそその異形に戸惑うこともあったが、不思議と彼らを恐れる感情はすぐになくなった。姿は人と違うが、心は人とそうは違わないと解ったからだ。優しい奴、面倒な奴、いけ好かない奴……そういう奴は人にだっている。彼らとの付き合いは、人とのそれと変わらないと思った。

 今までの桜子は、出会う妖怪に恵まれていたのだ。

 そして今、初めて、桜子は本当に恐ろしい妖怪に出遭ってしまった。

 他者よりもはるかに強い力を持っていて、他者を傷つけることを全く厭わない、歩く暴力。

「やめろ、狼共!」

 倒れた桜子を庇うように安曇が千歳の前に立った。だが、千歳は、まるでハエでも払うように、無造作に手を振って安曇の華奢な体を吹き飛ばした。

「黙ってろよ、狗っころ。お前もすぐに始末してやるから」

 安曇が地面に転がり呻く。半妖である桜子よりも体は多少丈夫なのかもしれないが、それでも彼は立ち上がれず蹲ったままだ。

 狼たちは同じ妖怪を傷つけることさえも厭わない。否、彼らにとっては、弱い妖怪は「同じ」妖怪ではないのだろう。だから、平気で傷つける。それが悪いことだとすらも感じることなく、無慈悲なことができる。

 ――そんなのって、酷い。

 そんな酷いことは、あってはならない。そう考えたからこそ、桜鬼は妖の世を変えた。今また、愚かな行為を繰り返そうとしている妖怪がいる。それを放っておくわけにはいかない。

 ぐっと拳を握りしめる。

 本当は怖い。とても怖い。だが、弱い者が守られない世界になってしまうとしたら、その方が怖い。

 たとえそれが、自分の生きる世界ではないとしても。

 歯を食いしばって体を起こす。

 そして言ってやるのだ、愚かな狼たちに向かって。

「この、クソ野郎共!」

 ぴたり、と二人のにやけ笑いが引っ込んだ。四つの目がぎょろりと桜子を睨みつける。その凶暴な目に射竦められそうになるが、爪が食い込むほどに拳を強く握りしめて恐怖を打ち払い、叫び続ける。

「あんたたちさ、自分たちが一番強くて他の妖怪はみんな弱いって思ってるんでしょ!? とんだ大馬鹿ね、ほんとに弱いのあんたたちの方よ! 人を傷つけて平気な顔して、そんな腐った根性の奴が強いわけないでしょ! ちょっと腕っぷしが強いだけで調子に乗んな! 腕力に物を言わせて好き勝手やって、自分の思い通りにいかないからって癇癪起こして駄々こねて暴れるなんて馬鹿じゃないの、いい年した大人が小学生並みの思考回路してんじゃないわよこの童貞野郎共!!」

 言った、言ってやった、ぶちまけてやった。

 一気にまくしたてたらぜえぜえと息切れした。対する狼たちは呼吸も忘れたかのように固まった。

 だが、止まっていたのもほんの数秒。先に千草の方が我に返って、怒りに満ちた形相で桜子を睨みつけた。

「生意気な口を、小娘が……!」

 次いで千歳が憤慨して叫ぶ。

「調子に乗るな、小娘! 兄貴は童貞じゃないぞ、この前卒業したんだ!」

「弁解するとこそれかよ!」

 しかもこの前って、それ早いの、遅いの?

 そんなどうでもいい疑問はさっさと振り払い、桜子はよろよろと立ち上がる。二匹の狼が怒り狂っている。思いがけず地雷を踏んだようだが、桜子にとっては好都合だ。

 プライドの高い奴は手玉に取りやすい――いつかのブーメランがこんなところまで飛び火する。言いたいことを言ってやるというのは目的の半分であり、もう半分は当然ながら挑発だ。めいっぱい煽ってやって、二人の注意が桜子に向いている間に安曇を逃がす作戦だ。

 問題があるとすれば、狼二匹相手に桜子がどこまで時間稼ぎをできるかということだが。

 ――なんとかするしかない。

 残念ながら具体的にどうするかはノープランだ。

 だが、予定通り短気な狼は安い挑発に食いついた。

「クソが、叩き潰してやる!」

「上等よ、かかってきなさい!」

 兄の千草が飛び出した。ナイフのようにぎらぎら光る爪を振りかざして突進してくる。

 避けなければ。だが、相手は驚くほど速い。そして、スピードがどうこうという以前に、肝心なところで桜子の体は恐怖に竦んで震えていた。

 動けない。

 容赦なく自分を抉ろうと襲い掛かってくる凶器を前に、呆然と立ち尽くすしかできない。

 千草の爪は、止まったままの桜子の体を抉る――

「どけ生ゴミ」

 ――かと思われた瞬間、上から降ってきた脚にぐしゃりと踏み潰されて地面にうずめられた。

「っ!?」

 この容赦のないドロップキックには覚えがある。

 隕石の如く降ってきたそれに煽られ、砂塵が舞う。翻りそうになるスカートを桜子は慌てて押さえる。

 見ると、千草の体は地面に叩きつけられていて、頭の上には当たり前のように土足が乗っている。

 老若男女問わず踏み潰す無慈悲さを、桜子は知っている。

 桜子はそっと名前を呼んだ。

「……クロ」

 土煙が晴れると、そこには黒猫の不遜な笑みがあった。

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