11 事件解決?
まだそこにいてくれればいい、と一縷の望みを懸けて、桜子は先刻の茶屋に戻った。だが、クロはすでに店を出た後だった。桜子をあからさまに不審な目で見てくる店員に尋ねたところ、桜子が出て行って五分もしないうちに、クロは店を出て行ったらしい。その後どこへ向かったかは、勿論店員が知るはずもない。
桜子が次に向かったのはクロの家だった。しかし、クロはまだ帰っていなかった。
「どこ行っちゃったんだろう……」
あちこちを探し回るには、桜子は妖の世界に不慣れだった。クロが行きそうな場所の心当たりが全くない。家で待っていればいつかはクロが帰ってくるのだろうが、今の桜子に「待つ」という選択肢はなかった。自分から彼を探しに行って見つけ出したい、そういう気分だった。
おそらくは非効率的だとは思いながらも、桜子はクロの家を後にし、小走りで再び商店街の方へ向かった。大通りをざっと見渡してクロの姿がないと判断すると、小道を入って裏通りの方まで足を延ばしてみた。
書店、文房具店、駄菓子屋と、目につく限りの店を覗いて回ったが、どこにもクロはいなかった。かれこれ小一時間くらい、桜子は街を走り回った。ここまで探しても見つからないとなると、もしかするとクロは自分から逃げているのかもしれない、とまで思ってしまう。もしそうだとすると、相当クロを怒らせたことになる。
「もうっ……どこにいるのよ」
謝るために探しているはずなのだが、自分勝手とは思いつつも苛立ってしまう。しかし、そんな苛立ちも、
「ま、まさか、傷心のあまり身投げとかしてないよね!?」
というような想像の前に掻き消えた。
まさかまさか、とは思いつつも、絶対大丈夫とまでは断言できないので、桜子の想像は悪い方へ悪い方へと流れていく。不安に顔色を悪くながら、桜子は足を動かし続けた。
だが、嫌な想像を膨らませて上の空のままで歩き出したのがいけなかった。桜子は、前からやってきた妖とぶつかった。
「わっ、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる。と、地面にぽとりと何かが落ちるのが目に入った。相手が何か荷物を落としたのだろうと思い、それを拾い上げる。
ほとんど何も考えず、反射で拾ってしまってから、桜子は手の中にあるものを見て唖然とした。
耳である。
桜子が拾ったのは猫の耳だった。
「……????」
サーっと血の気が失せる。
「み、耳! 耳取れた!!」
傷害罪。15年以下の懲役又は50万円以下の罰金。いや、この場合は過失傷害?
スカートが汚れるのも気にせず地面に跪いて、日本人の最終手段土下座である。
「ごめんなさいぃぃ!! よ、妖怪の耳がこんなあっさり取れるほど脆いなんて知らなかったんです!!」
涙目になりながら平謝りしていると、相手が戸惑う気配があった。
「……あの、よく見て」
声変わり前の、あどけなさを残す少年の声がそう言った。桜子は恐る恐る顔を上げて相手の顔を見る。そこにいたのは、中学生くらいの容貌の少年だ。髪は栗色で、頭の上でひょこひょこ揺れる狗耳も同じ色。
「……??」
頭の上に狗耳がついている。桜子は手の中の猫耳と、動いている狗耳とを交互に見遣る。
「それ、作り物だよ」
「えっ」
そう言われてよくよく見てみる。もふもふの猫耳。手触りはまさしく本物、しかし、感触がやたらとへにゃへにゃしている。どうも、中が空洞になっているらしい。つまり、耳というより耳カバーになっているわけだ。
「最近流行の耳当て? 防寒具?」
「まさか。変装用だよ」
少年は呆れたように言う。それから、周りを見回して人気がないのを確認すると、声を潜めて教えてくれる。
「狗の僕が化け猫と会おうと思ったら、猫のフリするしかないんだよ」
「あ、そういう……」
妖怪の耳を千切ってしまったのかと思って戦慄していた桜子だが、そうではないと解ると、思考が冷静さを取り戻してきた。猫の一族と狗の一族が冷戦状態にある現在、種族を越えた交流をおおっぴらにすることができない空気である。ゆえに、狗は猫に化け、猫は狗に化ける必要がある。要するに、この少年はこれから猫と密会するわけだ。
「こんな変装でなんとかなるものなの?」
変装というにはあまりにお粗末ではないだろうか、と思いながら、桜子は付け耳を返す。
「大丈夫、狗と猫の区別はみんな耳でやってるから。耳さえ誤魔化せばいいんだ。みんなの目はだいたい節穴だから」
少年は、どこぞの黒猫と同じようなことを言った。
「そういうもの……ん、ちょっと待って」
今なんか嫌な、というか、ものすごく馬鹿げた予感が脳裏を掠めた。
――あれ、これ事件解決したかも!?
この耳があれば、誰でも他の妖怪に成りすますことができるのではないか。今回の長老襲撃事件の犯人も、これを使ったのではないか。
普通だったら、こんなので罪を擦り付けるなんて、そう上手くは行かないだろう。しかし、耳さえ誤魔化してしまえば大丈夫だと少年は言うし、妖怪の目は節穴だとも言うし、案外上手くいくのかもしれない。
もしそうだとしたら……こんな簡単な策略に引っかかるなんて、なんと馬鹿げた話なのか!
事件解決の糸口が見えたことを喜ぶべきか、妖怪たちの間抜けっぷりを嘆くべきか、桜子は判断に迷いながら眉根を揉んだ。頭が痛い。
「その変装って、みんなやってるの?」
「まさか。みんなが知ってることなら、流石に騙せないよ。これを売ってる店は裏通りにひっそり建ってるし、常連しか知らない裏商品さ。あの店主もさ、解ってるんだよ」
「何を?」
「狗と猫を区別は耳でやってるって言っただろ? つまりさ、僕たちにとってはこの耳が、種族としての象徴なわけさ。妖は種族の結束が強い。この象徴は結束の証だから、耳が同じであることが信頼の根拠なんだ。要するに、種族性に対して盲目なんだよ」
少年の口ぶりは、それがあまりにも馬鹿馬鹿しい、と思っているようなものだった。
「おかしな話だよね。それって裏を返せば、耳以外の違いなんかどうでもいいってことなんだ。試しにみんなで耳を隠してみたら、疑心暗鬼になっちゃうんじゃないかな。変な話だよ、僕たちの本質がまるで耳にあるみたい。月並みなことを言うけれど、大事なのは中身のはずなのに」
「……どうしてそんなこと、私に話してくれるの」
今語ったことは彼の本心なのだろう。他の仲間たちと上手くやっていくためには、隠していなければならないはずの本音。仲間との「結束」を抉る真実だ。それを、出会ったばかりの桜子に、なぜ教えてくれるのか。
少年は頬をかき苦笑する。
「君はたぶん覚えてないだろうけど、僕、あの会議の末席にいたんだよ、桜子」
「あの場所に? ……ごめん、気づかなかったわ」
「随分緊張してたみたいだし、無理もないよ。僕は安曇。よろしくね」
狗耳少年・安曇はにこりと微笑み、付け耳で一瞬にして「猫耳少年」に化けた。
「一つ、訊いてもいい?」
「何?」
「私は今回の襲撃事件、一つの可能性を思いついたわ。けれど、私が気づいたくらいだもの、あなたはもっと早くに気づいていたはずよ」
「うん、そうだね。僕は気づいていた。きっと犯人は、僕らを陥れるために、僕たちに化けたんだ」
「どうして……」
「それを話さなかったかって? 僕はね、このことを真っ先に長老様に話したよ。当然じゃないか」
安曇は哀しそうな微笑みを浮かべる。
安曇には、恋人がいる。意中の相手は化け猫である。事件が起きるまでは、二人は人目を忍ぶこともなく堂々と逢瀬を重ねていた。ただ、他種族との交際が、あまり歓迎されていない空気は、最初からあったという。同じ種族同士で血を濃くすることは歓迎されるが、他種族と血が交じることは避けるべき、という風潮があった。しかし、そんな意味もない風潮など知ったこっちゃないとばかりに、安曇と化け猫の少女は互いを愛した。
そんな時、起きたのが長老襲撃事件。猫は狗を、狗は猫を嫌悪するようになった。互いに仲良くすることは許されないという空気が郷に満ちた。当然のように、安曇は猫の少女と縁を切るよう命じられた。長老を傷つけた罪人を擁する種族と接触するなど汚らわしい、とまで言われた。
だが、安曇の恋人が何かをしたわけではない。彼女に罪はない。長老が傷つけられたのは嘆かわしいが、それだけで、少女との関係が汚らわしいものになってしまうなんて、そんなのは馬鹿げた話だ。安曇は命令を無視し、少女と逢瀬を重ねることを決意した。そのための方法を模索しているうちに、行きついたのが、作り物の猫耳である。
安曇は、自分がそれを付けて少女と密会をしていることには触れず、長老に進言した。今回の犯行は猫の仕業ではない可能性がある、と。しかし、長老は聞く耳を持たず、「猫がやったに決まっている」の一点張りだったという。
「狗と猫の争いの原因はね、長老の襲撃事件なんかじゃないんだよ。自分の種族が一番だと思い込んでる狭量さや、何かにかこつけて相手より優位に立とうとする狡猾さが一番いけないんだ」
「もしそうなら……事件の真相が明らかになっても、狗と猫は仲良くなれないのかな」
「そうかもしれない。でも、先に進むためのステップであることは間違いないよ。だから、桜子が僕たちのために頑張ってくれてるのは、嬉しいんだ。そう思っているのは僕だけじゃないはず……」
先に進むためのステップ。
事件の解決が、狗と猫の和解に直結するわけではない。だが、そこに至るために、必要なプロセスではある。縺れた誤解を解くことができたなら、もしかしたら、安曇の言葉が届くかもしれない。
「うん……そうだね。ありがとう、安曇」
安曇は優しく微笑んだ。それから、ふと思い出したような顔をして、首を傾げた。
「そういえば、急いでいるんじゃなかった?」
「あー!」
言われて思い出した。事件解決の糸口が見えたせいで、最初の目的を忘れかけていた。桜子は、喧嘩別れしたクロを探していたのだった。
クロとの仲直りと、真相の解明。重要な目的が二つ並んでしまった。さて、どちらを優先すべきか。
立ち止まったまま悩んでいると、不意に、誰かの足音が近づいてくるのが聞こえた。
もしかして、クロ? そう期待して振り返り、すぐに違うと解って、桜子は落胆する。
歩いてきたのは、迷彩柄の服を着た、背の高い男だった。見覚えのない妖怪だ。頭に生えている耳は、猫とも狗とも少し違うように見える。
「……狼」
安曇がぽつりと呟いた。
男は桜子たちの前で立ち止まり、白い牙を見せて笑った。
「狗、見っけ」




