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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
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29 似た者同士は交わらない

 勝利を確信し、油断しきっていた朽葉は、その凶刃を避けられない。

 まっすぐに振り上げられた刃は、鈴を鳴らす朽葉の右腕を肩口からばっさりと斬り落とす。

「くっ……!」

 傷口を押さえる朽葉の左手の指の間から血が流れていく。胴体から切り離された腕がどさりと地面に落ち、鈴がしゃらりと転がる。朽葉がそれを拾い上げる前に、立ち上がったクロが鈴を踏み潰す。

「このっ……クソ猫がっ……!!」

 朽葉が顔を歪め、苛立ちを露わにに吐き捨てる。クロの方はいたって涼やかに、強気に笑って告げる。

「お前の負けだ、朽葉」

 再び閃いた白刃は、朽葉の胸を真一文字に切り裂く。苦痛に歪んだ朽葉の顔、それが、ゆっくりと諦めの表情に変わり、地面に崩れ落ちていった。

 仰向けに倒れた朽葉は、それきり動かず、足掻こうとはしない。

 ふう、とクロが深く溜息をつき、手の中の妖刀が霧消する。戦いが決着した合図だった。

「クロ……」

 桜子が呟くと、クロは振り返り、きらきらと煌く綺麗な瞳を見せてくれる。

「クロ、大丈夫なの……?」

 桜子が不安そうにしているのが面白くないのか、少しだけ不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「そうそう同じ手にはかからねえよ。てか、超絶下手なキスのせいでハイになってる時に呑気に催眠にかかるわけがない」

「蒸し返すなああッ!」

 奇しくも似たような理由で朽葉の術から逃れた桜子は恥ずかしくて仕方がない。

 桜子をからかって気が済んだのか、クロは少しだけ真面目な顔をして言う。

「……『魔宵猫』には、鈴を聞いた者を操る催眠暗示の力がある。例の大虐殺も、結局はあの妖刀が引き起こした惨劇だった、ってとこまでは、知ってた」

 ふと、丙が言っていた意味深な言葉が思い出される。

『けどね、私、思うの。もしかしてあれは、朽葉が殺したのだけれど、朽葉が殺したのではないのかもしれないって』

『きっと、クロも気づいているんじゃないかしら。朽葉の、本当の怖さを』

 あれはそういう意味だったのか、と桜子はようやく理解する。どうせならもっと解りやすく説明しておいてほしかったところだが、丙の説明が不親切なのは今に始まったことではないので仕方がない。

 つまるところ、朽葉の恐ろしさは、彼のすべてが、他者を操ることに徹底していることにあるのだろう。正々堂々、正面切って自分が戦う、というようなことは、朽葉の専門ではない。彼自身もそう宣言していた。彼が放った炎の呪符が、あっさりとクロに斬り裂かれたことからもそれは想像できる。朽葉はとにかく、人を操り、手駒にする術だけに特化している。それは、とても歪んだ恐ろしさだ。

 朽葉が引き起こした大虐殺、彼が『裏切りの猫』の二つ名を冠することとなった、史上最悪の裏切りの事件――それは、彼が大勢の妖を殺したのではなく、彼自身は手を下さず、妖たちを操り、殺し合わせたというのが真相なのだろう。

 自分で手を下すのだってとうてい許されることではないのに、自分の手は汚さずに、高みの見物を決め込んで、傷つけあわせる。その、なんと卑劣で、忌まわしいことか。

「だが……当時に比べりゃ、妖刀の力は弱くなっているんだと思う」

「そうなの?」

「お前に破れる程度なんだからたかが知れてるだろ」

「さりげなく傷つくんですけど!?」

「それに、俺にも効かなかった……俺に宵音の蛇を使ってきたのは、妖刀単体の力じゃ俺には効かないと薄々予想していたからだろ。朽葉の妖力は全盛期から大幅に減衰してる。おそらく、緋桜との戦いが原因だな」

「……ははっ、お見通しのようだね」

 倒れたままの朽葉が掠れた声で呟く。諦念と疲労が滲んだ乾いた笑みを浮かべ、朽葉は語る。

「その通りだ……緋桜と戦って、俺は緋桜に傷を負わせたけれど、俺も同じくらい、いや、それ以上に手酷くやられた。組織は壊滅的なダメージを負ったし、俺は妖力を半分以上失った。おかげでこのざまだ。だから俺はお前を求めたんだよ、クロ。俺の代わりに、郷をぶっ潰す力としてね。俺がやり損ねたことを、お前にやらせるために……」

「なんでそこまでして、郷を潰したがる」

「つまらない理由さ。俺は元々、妖力が強かった。しかも、その力は特に、他者を操ることに長けていた。あんまりありがたくない才能さ。この才能は人から疎まれたよ。ま、そりゃそうだね、うっかりしたら洗脳されるかもしれない、なんて思ったら、怖くて近寄りたくないよね。……なあ、クロ、俺たちはとてもよく似ているね?」

「…………」

 二人はとても、よく似ている。

 先天的な才能と、受け継いだ遺伝子。

 自分にはどうしようもなかった理由のため、不確実な可能性のために、恐れられ、疎まれ、迫害された二人の黒猫。だが、どれだけ似ていても、二人は決定的に違う。一線を越えるか越えないかは、それだけ大きな隔たりなのだ。

 朽葉は己を否定した世界を殺す道を選び、クロは己を否定した世界に、それでも生き続ける道を選んだ。

 まるで鏡合わせだ。だが、鏡であるがゆえに、二人は真逆であり、決して交わらない。

「聞いても面白くない理由だっただろ? 実は可哀相な奴だった、なんて言ってくれるなよ。所詮はちっぽけで、身勝手な理由で、我がままで独りよがりな破壊衝動のなれの果てというだけの話なんだからさ」

「可哀相だなんて思わねえよ。同情もしない。お前は最低のクソ野郎だ。ただ、それだけのことだ」

「ふふ……さすがに、お前は容赦がないね。さて、そろそろおしゃべりも疲れてきたな。クロ、さくっととどめを刺しておくれよ」

 まるで他人事のように軽い調子で朽葉は言う。もう未練などなく、この世に興味もないとでも言いたげだ。

 クロは不機嫌そうに舌打ちすると、倒れている朽葉に歩み寄り身を屈めると、荒々しい手つきで朽葉の胸ぐらを掴み上げる。

「俺がお前を、楽に死なせてやるとでも思ってんのか?」

「……ま、そうだよね。お前はそう言うと思ってた」

 朽葉は興ざめというような顔をする。

「俺に罪を償えって? 人殺しは嫌か? とんだ甘ちゃんだ。優しすぎるところは、俺には全然似てないね。……まあいいさ、そう言われるのは、想定内だ」

 朽葉が小さく手を揺らす。と、袖の中からしゅるりと白い呪符が幾枚も飛び出して、ひらりと舞い上がると壁や天井に張り付き、どん、と爆音を響かせた。

「!」

 朽葉の放った呪符が爆発したのだ。当然、呪符が貼り付いた場所は爆破されて、がらがらと崩れ始める。地下でそんなことをすればどうなるか――地下空間を支える部分が破壊されれば、全体が崩れ出すのも時間の問題ということだ。

 地下に突入するときから嫌な予感はしていたのだが、と桜子は頭が痛くなるのを感じた。

 やがてどこからともなく、ごうごうと地響きがし始める。どう考えても、この場所に留まるのは危険だと解った。

 朽葉がクロの手を振り払い笑う。

「生きて償うなんて面倒くさくてヤダね。だが、お前は楽には死なせてくれないという。じゃ、妥協案で、苦しみながら死んでやるよ。生き埋めってのもなかなか乙だ」

「お前……」

「さあ、行けよ。猫ってのは、死に際を人に見せないって相場が決まってるんだ。お前も、俺なんかより、大事なご主人様をちゃんと守ってやった方がいいぜ」

「……」

 クロの判断は迅速だった。さっと踵を返すと、もう朽葉のことは振り返らなかった。がらがらと崩れていく瓦礫を見てあたふたするばかりの桜子は、クロに素早く抱き上げられた。

 クロの肩越しに、桜子はちらりと朽葉を見遣った。朽葉はもう動こうともしなかった。朽葉の周りには、容赦なく瓦礫が落ちていった。

 朽葉という男は、最初から最後まで、最低だった。道を踏み外し、他者を巻き込み、傷つけ、暴走を続け、償うことすら放棄した。身勝手に生きて、好き勝手に死を選んだ。きっと誰もが、彼を赦すことはできないだろう。

 やがて桜子はクロに抱えられて、高々と跳び上がる。天井に開いた穴から地下空間を脱出すると、まもなくその場所は完全に崩れ去って行き、朽葉の姿は見えなくなった。

 地上には、静寂の星空が広がっていた。


★★★


 狭く、暗く、息苦しくなっていく地下室で、崩れてくる天井を見上げながら、朽葉は笑っていた。これから自分は死ぬ、それは解っている、だが、気分はそう悪くない。少なくとも、恐怖したり、絶望したり、悲観したりはしていない。

 基本的に楽観的に、いい加減に生きてきた男である。死ぬときもまた、いい加減な気分なのだ。それが自分らしいのだという自覚があるし、自分に相応しいとも思う。

「――あなたは死ぬ時も笑っているんですね」

 と、心底呆れたような声が降ってきた。自分の他に誰かがいるとは思わなかったので、朽葉は、彼にしては珍しく驚いて目を瞬かせた。視線を巡らせると、いつの間にか傍らには宵音の姿があった。片目を失った彼女はそれだけで痛々しかったのだが、今の彼女は、さらにぼろぼろになっている。ここまでも、おそらく這う這うの体で来たのではなかろうかと、朽葉は想像する。

「まだこんなところでちんたらしてたのか? さっさと逃げろ」

「負け犬、いえ、負け猫の命令をきく義理などありません。私は勝手にさせてもらいます」

 そして宵音は宣言通り、勝手に朽葉の隣に腰を下ろした。

「私、知ってます。従者は主人と運命を共にするものです。最低で最悪なクソ猫でしたが、私にとってはそこそこいい主でした」

「最期くらい素直に褒めろよ」

 朽葉は苦笑する。だが、今の台詞が、宵音にとっての最上級の褒め言葉であることは理解していた。彼女も最期にサービスする気になったのだろう。

「あなたは少なくとも、私を独りにはしませんでした。ですから私も、あなたを独りで死なせはしません」

「……」

 宵音を拾ったのは十年ほど前、ほんの気まぐれでのことだった。禍々しい妖力を持つ、不気味な蛇の妖である宵音は、他の妖から疎まれていた。そんな現実に嫌気が差して、全部ぶち壊してやりたいという衝動を、その瞳に密かに秘めていた。自分と同じだ、と思った。ゆえに、傍に置くことにした。

 自分と同じ苦しみを背負い、自分と同じように道を踏み間違えた者と共にいるのは、心地よいことだった。他にも何人かの妖を仲間に引き入れたが、お互いの感情を理解しあえたのは宵音だけだった。

 ――ああ、そうか。

 朽葉は自嘲気味に笑う。

 ただ一人だけ、自分を理解してくれる者がいれば、それでよかったのだ。

 クロが緋桜、そして桜子に出会ったように、朽葉もまた宵音に出会った。

 クロは大切な存在を手に入れて、己の牙を矯めることになった。

 そして朽葉は、大切な存在を手に入れて、互いの牙を磨き合った。

 決して同じではありえなかったけれど、朽葉とクロは、自分を理解してくれる者を求めた、その根底のところでは、同じだったのだ。

「……まあ、一応親子なんだし、それくらい似てるところがあってもいいよな」

「? 何を一人でぶつぶつ言っているのです? いよいよ気が狂いましたか?」

 宵音は相変わらず口が悪い。だが、その毒舌も可愛らしく感じられる。

「なんでもねーよ」

「最初から最期まで、朽葉というアホ猫はおかしな方ですね」

 心底呆れたように言う宵音に、朽葉は微笑みながら囁く。

「最期くらい、他人行儀な呼び方はやめろよ。ここにはもう、俺たち二人しかいないぜ」

 宵音の瞳が朽葉を見下ろした。そして、彼女にしては珍しく、いや、もしかしたら初めて、ふっと口元を緩めた。

「地獄の底まで御機嫌よう、我が主、銀杏イチョウ

「ああ、仲良く地獄に行くとしようぜ、暁音アカネ

 二人の世界は、やがて闇に閉ざされていった。

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