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ゴキブリの祟り  作者: ひゅーっと
3/3

ゴキブリの祟り

「・・・。ふーん。読みましたよ。福田さん」


 女は、さもつまらなそうな表情を浮かべながら、福田と呼ばれた男の手元に「5キブリ」の原稿を返した。


「おい、どうだ!これ、面白い話だろ。まだまだ続き書こうと思ってるんだけどさ。今度は売れるよな」

 福田は身を乗り出して、女に尋ねた。この作品にはよほどの自信と思い入れがあるらしい。目が輝きに満ちている。


「え、どこがですか?ただ単に妄想癖でチキンな男がゴキブリを倒したってだけの話じゃないですか。」

 女は福田の期待をぶち壊すように、彼の態度を無碍にし、素っ気なく答えた。

「そんなことはない。これだけ、ユーモアに溢れた作品は近年まれに見るぞ。それにゴキブリほど、人間の生活に密着した動物はいない。この本が出れば、みんな手にとって読むに決まってる」


 ここは、福田葉芽助ふくだはめすけという作家の自室兼執筆部屋である。

 ぼろぼろの畳がしかれた6畳一間の部屋。部屋の真中にちゃぶ台があり、福田と女はそれを挟んで座っていた。床には、ビニール袋やら、菓子パンの袋やら、カップラーメンの食べ終わったあとのカップやらが散乱している。汚く、荒れ放題といった様態だ。


 女は田中麻里たなかまりという。

 大手出版社で編集者をやっている。まだ、24歳と駆け出しである。福田葉芽助は、もともとは、中野孝次というペンネームで社会派小説を書き、人気を博していたものの、世界観の不明な作品書くようになってからここ数年、鳴かず飛ばずであった。

 であるから、若い編集者がついている。しかし、彼女も福田のことは好きではない。というよりも、担当を外れたがっていた。



「読むわけないじゃないですか。だいたい、ゴキブリと、密着した生活をしているのは先生だけですよ。」

 そう言って、田中は自分の前に落ちていた、炭酸飲料の入っていたアルミ缶を忌々しげに指で転がした。

「こんなに汚いから、先生の生活はゴキブリと密着してるんですよ。」


「お前知らないだろうけどな。ゴキブリっていうのは、西欧社会では大事にされてるんだぞ。引越しするときは、新しい家にゴキブリを連れて行くという話だ。」

 福田は懸命にゴキブリを擁護しようとする。

「へぇ~。ヨーロッパの人って、意外と気持ち悪いんですね。」

「それにだ。日本の昔の歌でも、『コガネムシは金持ちだ~ 金蔵建てた 蔵建てた♪』って曲あるだろ?」

 福田は音程を外しながらも、田中に歌って聞かせた。

「それが、どうしたんですか?」田中はどうでもよさそうに尋ねた。

「そのコガネムシってのはな、ゴキブリのことなんだ。ゴキブリってのは、豊かさの象徴。家に食べ物がないと、ゴキブリなんて繁殖しないからな。ゴキブリはすごいんだ」


「それはゴキブリがすごいんじゃなくて、昔の人が家の掃除をちゃんとやってなかったから、ゴキブリが繁殖しちゃったって話でしょ。もう、そんな、蘊蓄はどうでもいいですから。」

「どうでもよくない!ゴキブリはすごいんだ。」福田はちゃぶ台をにぎり拳でドンと叩いて、ゴキブリの凄さを主張した。

「わかりました。じゃ、先生は一生、この汚い6畳一間でゴキブリと添い遂げてください。私、帰りますから。また、他のよさげな作品が出来たら、連絡してくれればいいですから。」

 田中はイライラした表情でそう言って、シャネルのバッグを肩からかけて立ち上がった。


「ちょっと、待て。」

 福田も立ち上がって、田中を懸命に止めようとする。しかし、追いかけようとした時、ちゃぶ台に脛をぶつけてしまった。

「いって。ちょっ」

 福田は脛を抱え込んで、ゴミだらけの部屋に倒れた。


「では、失礼します。」田中は福田を無視し、玄関ドアを開けて、今にも福田の部屋を出ようとしている。


「おい。お前!!」福田は精一杯の力を振り絞って叫んだ。


「はい・・・。」面倒な性格とはいえ、自分よりも10歳近く年上の男に冷徹な態度をとり続けたことが、悪いこととは認識しているらしく、田中も福田の怒鳴り声に反応して、思わず後ろを振り返った。


 脛を抱えて寝転んだままの福田は顔だけ、玄関にいる田中に向けて、こう叫んだ。

「お前、ゴキブリを馬鹿にすると、痛い目に合うからな。ゴキブリの祟りってやつだ!今日家に帰ったら・・・」


 ゴキブリの祟りって、何だそれ


 田中は馬鹿らしくなり、福田の絶叫を聞き終わる前にバタンと玄関ドアを閉め、福田宅を後にした。

「私の態度を怒るのなら分かるけど、ゴキブリの祟りって、馬鹿じゃない?」

 田中は会社に戻ってから、同僚の間美奈子はざまみなこに福田の話をした。

「でもさ。意外とあるかもよ。ゴキブリの祟りって。家に帰って、電気を点けたら、大量のゴキブリが部屋を埋め尽くしてるの。キャー!!」

 間は自分で言って、自分で勝手に驚いた。

「ちょっと、やめてよ~。そんなことあるわけ、ないじゃん。」田中は茶化して、そう答えた。


 しかしだ。家に帰る段になると、田中は間の言葉が妙に気になって仕方なかった。

 ゴキブリの祟りなんて、あるわけがない。福田がいつも通り、口から出任せを言っただけである。そのようには田中も思っているのではあるが、万に一つ、億に一つくらいは、あるかもしれないという思いが消えなかった。何しろ、「ゴキブリほど、人間の生活に密着している動物はいない」のだ。少なくとも、宇宙人が地球征服にやってくる確率よりは、田中の部屋でゴキブリが大量繁殖する可能性の方が高いというものだ。



「まあ、部屋に帰ってみれば、わかることよ。」

 田中はマンションの自分の部屋の鍵穴に鍵を差し込んだ。

 鍵を回して、開ける。

 そして、玄関ドアを開ける。

 その中は電気が点いていないため、漆黒の闇だ。


 ざわざわ ざわざわ


 田中の背中を嫌悪感が走る。もしかして、電気を点けたらいるかもしれない。

 よくよく考えてみると、この状況は「5キブリ」冒頭の田中泰治が家に帰ってきて、ゴキブリを見つけてしまう場面と酷似しているかもしれない。 とさえ、彼女は思った。


いや、それこそ、福田に精神を侵されている証拠。自分をしっかり持たなくちゃ


 田中は目を閉じた。そして、意を決して玄関の電気を点けた。

 閉じた瞼の外の世界が暗闇から、明るい暖色を帯びる。


 ゴキブリなんて、いないよね。


 恐る恐る田中が目を開くと、そこには・・・。

 いつもと同じように、ワックスがけされたように綺麗なフローリングの廊下が広がっていた。


 よかった。ゴキブリなんて、私の家にいる訳がないんだ。


 田中は深い安堵に胸を撫でおろした。

と同時に、いい加減なことを言ってきた福田に対する怒りが込上げてきた。

「くっそ。あいつ、ほんと、いい加減なこと言いやがって。何が、ゴキブリの祟りだ」

 そう田中は毒づいたものの、今日も深夜に帰ってから見るために、録画しておいたドラマがあった。気持ちはすぐにそちらに向く。

 何のお菓子を食べながら、ドラマを見ようか。彼女が自由な一時をどのようにして、満喫しようか思案していた時、玄関のベルがおもむろに鳴った。


ピンポーン


 もう、夜の10時を回っているのに誰なのだろう。迷惑なことだ。

 そう彼女は思ったのではあるが、とりあえずの礼儀として、インターフォンに出た。

「はい。どちら様でしょうか?」


 そうすると、相手は少し間を置き、

「夜分遅くにすいません。平子出版のものですが、田中さんですよね。取り急ぎ、目を通していただきたい書類が有りまして。窺った次第なんですけれど」と言った。


 こんな遅くに、しかも,自宅に直接訪ねてくるなんて、オカシイに決まっている。

 そう彼女は思ったが、インターフォンの相手が、彼女の務めている平子出版の用で来ていると言っている手前、出なければいけない気がした。

「すいません。今、出ます。」


 彼女はインターフォンを戻し、玄関に向かった。そして、ドアを開ける。


 すると、そこに立っていたのは、人間ではなく・・・人間ほどの背丈のある、大きなゴキブリだった。


「 キャーーー!!! 」


 彼女はあまりの驚きのあまり、夜遅いというのに大声で叫んだ。

 そして、腰を抜かして、玄関にヘタリこんでしまった。

「きゃ。ゴキブリ。来ないで。」

 彼女の瞳には、うっすらと涙が滲んでいる。あまりの恐怖のためだ。

これが、福田の言っていたゴキブリの祟りなのか?


少しずつ、少しずつではあるが、彼女は後ろずさりしていく。この、人間ほどの大きさの二本足でずんと、立ち上がっているゴキブリから離れるためだ。


 二本足で立ち上がっている?


 少し冷静になり始めた彼女の思考が、その事実に疑問を呈した時、そのゴキブリはこう言った。


「ゴキブリの祟りじゃ~」

 そして、ゴキブリは触覚のようにも見えるビラビラ付の腕を二本、上に上げて、彼女を驚かせようとした。


 それは、どこかで聞いたことがある声だった。

 この一言が彼女の疑問を解決させた。

 彼女の思考は完全にクリアになった。

 彼女は、自分を恐怖のどん底に陥れたこのゴキブリに復讐を果たすため、次に自分はどのような行動を取るべきかということを即座に理解した。そして、彼女は涙を拭き、すっくと立ち上がり、玄関から急いで台所へ向かった。


「おい。どこに行く?」

 ゴキブリはあわてて尋ねたが、彼女は答えない。

 

 彼女は台所の下の、調味料や料理器具を片付けるスペースをがさごそと探した。

 そして、彼女が玄関に戻ってきたときに、その手にあったのは、まごう事無き「ゴキジェット」だった。そう、「5キブリ」作中で田中泰治がゴキ太(仮)に対して、使ったごとく、彼女もゴキジェットという文明の利器を持ち出したのだ。


「おい。ちょっと、やめろよ。びっくりさせて悪かったって。」

 ゴキブリは自らの命の危険を感じたのか、慌てて弁解の弁を述べたが、怒りの感情に支配された田中は聞く耳を持たなかった。

「ゴキブリはね。ゴキジェットで倒さないとね。」

 そう言って、田中はゴキブリの顔にノズルを向けて、薬剤を噴射し始めた。

「いやいや、俺、ホント言うとさ。ゴキブリじゃないんだよね。君の期待に添えず、実に申し訳ないんだが。」

 ゴキブリは、そう言って、お面のようなものを外して、素顔を田中に見せようとしたが、彼女は表情も変えずに薬剤を噴射し続けた。

「いや、だって、あんた、さっき、『自分ゴキブリだよ』って言ってたじゃん。」

「いや。『自分、ゴキブリだよ』とは言ってないし。まず、『自分、ゴキブリだよ』っていう人語を話す時点で、ゴキブリじゃないじゃんって話だよね。」

 ゴキブリは必死に、自分はゴキブリでないとの釈明を行った。

「ゴキブリは喋らないという、その幻想を私はぶち壊します。」

 しかし、ゴキブリの釈明は逆効果だったのか、田中は意味不明なセリフを曰い、さらに強くゴキジェットのノズルを握りしめた。


「ちょっと、死ぬって。死ぬ。」

 ゴキブリは、大声を上げた。そして、薬剤を抑えようと懸命に顔を手で隠そうとした。

 しかし、彼女は冷徹で、憎しみに満ちた笑みを湛え、薬剤の噴射を止めようとはしなかった。

「ゴキブリは偉いんだから、自分で何とかしなさいよ」

 彼女の笑みは恐ろしいまでに、血が通っていなかった。ある種の、哀れみと憎しみと蔑みと様々な感情が入り交じって、傍目から見ると実に気持ち悪いものとなっていた。


「死・・・ぬ。」

 ゴキブリは最後の叫びとともに口から泡を吹いて、倒れ込んだ。

田中はゴキジェットの噴射をようやくやめた。そして、少しの間、ゴキブリのその哀れな姿を満足気な表情をたたえて見下ろした後、「さて、『メリーさんの執事』見るか」と言って、何事もなかったかのように、玄関のドアをバタムと閉めた。


そこに独り残されたゴキブリ、いや、作家の福田葉芽助は其後長い間、動くことはなかった。

投げっぱなしジャーマン

福田葉芽助先生の次回作に御期待下さい。


ここまで読んで下さった方、有難うございます。

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