7
今日も雪。昨日も雪。一昨日も雪。
きっと明日も雪だろう。
雪で喜ぶ童心なんてとっくの昔に失くしてしまったと思っていたけれど、際限なく巨大化していくその白い城壁に、少しだけ気分が高揚していた。
お城の主は、雪女。だったら俺は……なんだろうか。
「なに、また外を見てるの」
部屋に入ってきた雪女が、呆れたように呟く。窓ガラス(窓ゴオリ?)に映って見える雪女の顔も、概ね想像通りの表情をしていた。
「これだけ降るのは珍しいからな。見ておく価値はあるだろ」
「あのくらい、あたしが本気出せばすぐに作れるわよ」
「こうやって、ゆっくりと大きくなっていくのがいいんじゃないか」
「あなたって、本当にバ……子供っぽいわよね」
「そうか?」
言いかけた言葉については言及しないようにする。この家で生活する上で、物事を円滑に進めるために身に着けた技術だ。
「……そんな子供っぽいあなたに、プレゼントをあげましょう」
「プレゼント?」
「クリスマス……はもう過ぎちゃったわね。少し早いお年玉ってところでどうかしら?子供みたいなあなたなら、きっと受け取る権利があるわ」
早く来なさい、と言い残して、雪女は部屋を出て行ってしまった。あんまり遅いと気が変わってプレゼントとやらが貰えなくなる可能性があるので、即座に立ち上がり後を追う。
「うわぉ……」
知らないうちに、だらしなく開いた口から声が漏れていた。それほどこれは衝撃的で、それ以上に感動的なものでもあった。
雪女を追って行くと、そこはいつもと変わらない居間だった。毎日食事をし、暇なときは一日中だらだらと過ごす場所である。
いつものように食器がちゃぶ台の上に置かれているのだが、今置かれているのは小鉢一つと箸一膳のみだった。そして、その小鉢に乗せられていたものは――――
「栗きんとん……」
俺の大好物であり、俺の死ぬ前に食べたかった食べ物でもある。その栗きんとんが、俺の目の前に存在していたのだった。
まさか、夢じゃあなかろうか。頬を軽くつねってみても、視界には一片の変化もない。目の前まで近づいて匂いを嗅ぐ。栗特有の微かな甘い匂いが鼻腔に侵入し、一瞬にして至福の時間を与えてくれる。
「これ、どうしたんだ……?」
「さあね。あたしの溢れんばかりの母性が、大好物を食べたそうにしていた子供のために栗きんとんを作らせたんじゃないかしら?子供なのは中身だけだけど」
腕を組み、そっぽを向いてそんなことを言う雪女。今回ばかりは、その母性とやらに感謝しなくてはならない。
「じゃあ、いただきます」
小鉢の中にある栗きんとんを、箸で一気に半分すくってそのまま口の中に突っ込んだ。およそ二年ぶりに食べたその大好物に、舌が驚いて味覚がまだ追い付いていない。しばらくして、ようやくそのとろけるような甘さが口の中に広がっていく。
「どうかしら?失敗したつもりはないけれど」
「ああ。すっげー旨いぞ」
少しずつ口の中から逃げて行ってしまう栗きんとんを、舌を左右に動かして必死に追いかけつつ雪女に答える。
「そう?お世辞でも少しは嬉しいわね」
「お世辞じゃないって。…………ほら」
俺は少し考えてから、小鉢に残ったもう半分をもう一度箸ですくって雪女に向けた。
「え?あたしはいいわよ。別に好物ってわけじゃないし」
雪女が、向けていた箸を押し返す。
「いやいや、これは食べないともったいないって」
もう一度、今度は雪女の鼻先にまで持っていく。
「あなた大好物なんでしょ?あなたが食べればいいじゃない」
また押し返された。そんなやり取りを何度か繰り返した後、唇に擦りつけるように押し付けたところで雪女が折れた。
半分の栗きんとんを一気に食べる。唇にくっついている分も忘れずに。舌の上で舐めるように味わった後、静かに飲み込んだ。
「おいしいわね。これ」
「だろ?」
まるで、俺が作ったみたいな言い方になってしまったが。
「「ごちそうさまでした」」
今日の「ごちそうさま」は、雪女へ向けたものだった。
「ねえ、少し話を聞いてもらってもいかしら?」
食器を片づけて居間に戻ってきた雪女が話しかけてきた。雪女にしては珍しく、下手からの物言いだ。
「ん、何の話だ?」
首だけ向けて応えると、雪女は居住まいを正していた。それに合わせるように、俺も慌てて向かい合う位置に正座する。
「ええと、あたしがあなたを殺して、あなたがこの家に住み始めてからそろそろ一年でしょう?」
雪女は言った。「殺して」の部分を強調するように。
「初めに、雪女になるかどうかあなたに決めてもらうって言ったけれど、この一年を通してどう思ったのかしら?」
「どう、ねえ……」
正直に言うと「すっかり忘れていた」が答えだ。初めの頃はそんなことも頭の片隅で考えてはいたが、知らないうちにどこかに落っことしてしまっていた。たくさんのことを一度に考えられるような性分ではないのだ。
それをそのまま言ったら、案の定「バカみたい」と笑われてしまった。
「じゃあ、今考えなさい。いくらでも待っていてあげるから」
その言葉を信じ、俺は今までのことを思い出す。前の冬にここへ来て、それからずっと見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと。
一つ一つを思い出すのには随分の時間が掛かった。日がどっぷりと暮れてしまう程に。それでも、雪女は動くこともせずにじっと待ち続けてくれていた。
「俺、雪女になってもいいぞ」
それが、俺が一年を通して導き出した答えだった。
「……………………」
雪女は何も答えず、ただ目を瞑って静かに頷くだけだった。
「って、寝てんじゃねえよ」
雪女の頭を軽く小突く。「わちゃっ!」という訳の分からない悲鳴と共に、ゼンマイの壊れたおもちゃみたいな駆動をした。
「あ、決まった?」
雪女は乱れた髪を両手で整えつつ、締まらない軽い調子で話を進める。珍しく真剣に考えた俺の時間を返せ。
「ああ。俺、雪女になるよ。なんだかんだ言っても、この一年楽しかったしな」
その答えは雪女にとって理想であった筈なのに、表情は何故か哀しげだった。
そして、次に出た言葉は
「ありがとう。そして――――ごめんなさい」
だった。
「本当のことを言うと、今のあなたならきっとあたしの望む答えを言ってくれると確信していたわ。だって、絵にかいたようなお人好しなんだもん」
「……そりゃどうも」
素直に褒め言葉として受け取っておく。
「でも、やっぱりこれは公平じゃないわ。あなたが真剣に答えてくれるのなら、あたしも真剣に応えないといけない。隠し事はしたくない」
その表情は、今まで見たどんな時よりも決意に満ち溢れていた。
ゴゴゴゴゴ、と壮大な効果音と共に現れたのは、地下へと続く隠し階段だった。まるで、冒険映画の世界にでも迷い込んだみたいに思えてくる。
そんなものがまさか、毎日歩き回っていた居間のすぐ真下にあったとは。全く気づきもしなかった。
「付いてきて」
どこからか持ってきたロウソクに明かりを点けると、雪女が先導して地下へ進んで行った。暗がりに取り残されないよう、ぴったりとくっついて行く。
階段を下りた先にあった地下室は、思ったよりも狭かった。壁の穴から毒矢が飛び出したり、急に落とし穴が開いたり、後ろから巨大な球体が転がってくるようなトラップがない代わりに、大人を三、四人ほど詰め込んだらいっぱいになってしまうほどの広さだった。天井も、腕を伸ばせば簡単に付いてしまいそうだ。修学旅行で行った、歴史資料館に展示されていた防空壕が思い出される。
そしてその奥には、財宝……ではなく、天井に着くほど巨大な直方体の氷塊が置かれていた。この氷のせいで、部屋全体が狭っ苦しくなっているとも言える。
「ほら、これ見てみなさい」
暗がりなので、よく見えるようロウソクを受け取って氷塊に近づく。氷の中を覗くと、何かが閉じ込められているようだった。
「なんだ、これ?」
ロウソクの明かりだけでは結局分からずじまいなので、早めに正解を聞き出す。
「『あなた』よ」
雪女が、ロウソクを持った俺の手をぐい、と押し上げた。俺の顔ほどの位置が明かりに照らされ、氷の中が映し出される。
その中には、一年前この山に登り、そして絶命した――俺自身が収められていた。
「…………これ、どうしたんだ?」
「取っておいたのよ。いつか必要な時が来ると思っていたから」
「あの、救助隊が死体を持って行くって話は?」
「あれは嘘よ。あなた、ちっとも浮遊が上手くならないから、ああでも言えば少しは上達するかと思って」
「ああ、確かに」
あのおかげで、練習のモチベーションがかなり上がったのは事実だ。技術に結びつかなかったのは残念だけど。
「それで、どう思う?」
「うーんと、俺みたいな男が氷に閉じ込められていても絵にならないな」
素直な感想を述べたら、また呆れられた。「どうせなら、お前の方が様になりそうだ」と付け加えたらこめかみをグーで打ち抜かれた。しばし悶絶。
「そうじゃなくて!この体に戻れば、生き返れるってことよ!」
「ああ、そうか」
そう言えばそんな話だったっけ。なんだか遠い昔のようで、すっかり忘れていた。
「でも、なんでこれを取っておいたんだ?無ければ成仏か雪女かの二択で済むのに、これがあれば成仏、雪女、蘇生の三択で雪女になる確率が下がるだろ?」
「それは、あなたがどうしても家に帰りたいって言い出したらいつでも帰せるようによ。それなのに、あなたは幽霊であることも、雪女である私と同居することも気にせず、むしろ楽しんで不満の一つも言わないんだから。良く言えばバカ、悪く言えば順応ね」
「それ、逆じゃないか?」
「とにかく、この状況であなたはどうするの?人間に戻る?成仏する?それとも――」
雪女が険しい顔で一歩詰め寄る。肌寒い風が、部屋全体を取り囲むように弱々しく吹いた。
「いや、俺は雪女でいいよ。お前との暮らしも結構楽しいし」
今更元の家に戻ってもなあ、というのもある。山暮らしが長すぎて、世の中の流れにもう一度乗れるかどうかなんて、不安でしかない。
「……あなた、何か勘違いしてないかしら?」
「え?」
「あなたが雪女になったら、あなた一人で生きていくのよ?一種族に一個体。それが決まりって言ったでしょう」
「あ……」
すっかり忘れていた。初めて会った時に、そう言えばそんな事を言っていたっけ。あの辺の難しい話は、ほとんど聞き流していたからな。
「うーん、一度決めたことをひっくり返すってのは、男らしくないしなあ……」
そう言いながら、雪女から視線を外して俺の死体をちらりと見た。全体を隈なく調べたわけではないけれど、損傷は少なくて欠損している部位も見当たらない。雪女の保存能力を信じるなら、この体に戻って人間として復帰すれば、いくらかのリハビリで体の方はすぐに元の生活に戻れるだろう。
雪女に視線を戻す。未だ表情は険しいままで、初めて会った頃を思い出すような鋭い目つきで俺を睨みつけていた。
一度目を閉じ、そして深呼吸。すってー、はいてー。
目を開ける。雪女と、目が、合う。
「なあ、このままの暮らしを続けるってのは駄目なのか?」
喉から絞るように出した答えは、男らしさの欠片もないような案だった。
「それは無理ね。あたしがこのまま生きていられるのも、精々あと半年ってところだし」
彼女の、重要な事ほどあっさりと伝える性分にはもう慣れた。直そうにも、これはもう死んでも直らなそうだし。いや、もう死んでいるんだっけ。
そして二度目の死も、もうすぐ迎えようとしている。
「そっか、無理か」
あっさりと却下されてしまったことが恥ずかしくて、照れ隠しに軽く笑っておいた。空気を読んで笑い返してくれることを期待したが、望み通りにはいかなかった。まあ、元々笑ったりする方じゃないしな。
「で、どうするの?」
消えかかったロウソクが、ジジジ、ジジジと急かしてくる。真夏の太陽を、そしてあの時感じた彼女の心地良さを思い出す。
「やっぱり、俺は雪女がいいや」
「…………ありがとう」
視界が塞がれる。
ロウソクが仕事を終え、その命が尽きたのだ。寸前まで見えていた彼女の顔が、暗闇に紛れる。
彼女の右手の平が、俺の胸に当てられた、感覚。冬でも、その心地良さは変わらなかった。
そして、そこから彼女が俺の中に流れ込んでくるような錯覚に陥る。少しずつ、少しずつ、彼女が流れ込む度に、目の前に感じていた彼女の気配が消えていく。
そうして、俺は
一人でも多くの方に、最後まで読んでいただけたら幸いです。




