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「ほら、もっと下半身に力入れて!あ、それは入れ過ぎよバカ!」
次の日から、俺は早速雪女の活動に付き合わされることになった。
その初日。俺が最初にやらされたのは、『空中に浮く』ということだった。死んでからはすっかり幽霊になってしまったので、足がなく歩くことができない。それは雪女も同じで、その問題を解消するために、浮いて移動するらしい。
「ああもう、飲込みが悪いんだから!」
俺は外に出て、雪女に両腕を掴まれて先導されながら、空中に浮く訓練をさせられていた。まるで、泳げない子供が先生に掴まってバタ足の練習をしているようだ。
しかし、こんな鬼コーチさながらの熱血指導をして大丈夫なのだろうか。雪女なのに。
「ちょ……っと……、待てよ……。少し休ませ…………ろって」
「何言ってるの?まだ始まったばかりじゃない」
まさか、世の中にいる幽霊たちがこんな涙ぐましい努力の末に空中に浮いているなんて思いもしなかった。これからは、恨めしく皿を数えているあの人や、顔のないあの人に対しても、もっと敬意を持たないといけないのかもしれない。
「ほらほら、腰が引けてる引けてる!」
というか、生活を見るってだけの話じゃなかったのか?
「だって仕方ないじゃない。浮いて移動することができなきゃ、あなた一人で何もできないのよ?いちいちあなたの事をおぶって移動するなんて、あたしは嫌だからね。これは例外よ」
そう言うと雪女は、腕を引く力を一層強めた。
「あれ?なんだか向こうの方が騒がしいわね……」
空中浮遊の訓練が始まって五時間ほどが経っただろうか。雪女は急に足を止めて(正確には浮遊をだけど)右手の人差し指をピンと立て、閉じた口の前に持っていき『静かに』のジェスチャー。それに倣い、俺も玉のような汗を拭いながら口を閉じる。
雪の積もった木の陰から顔を出して様子を窺うと、そこには四人ほどの男たちが重装備で山を登っていた。
「なんだ、俺以外にもこんな雪山を登る人間がいるんだな」
バカ仲間はどこでもいるもんだなあ、と安心していたら、雪女は呼び止める間もなくふわりと浮いていき、その集団に近づいて行ってしまった。俺も追って行きたかったが、なにせまだ浮遊の『ふ』の字も習得できていない身なので、木にしがみついて雪女の帰りを待つしかなかった。
雪女が男たちに一言二言話すと、彼らは元来た道を引き返していった。その背中を、雪女は小さく手を振って見送る。
雪女なのに、何も危害を加えずに帰すのか…………。
雪女は返ってくると、さっきのように俺の腕も掴み、何事も無かったかのように浮遊訓練を始めようとした。その手を振り払い、なんとか話を聞き出す体制を作る。
「さっきの集団って何だったんだ?」
「ああ、あれは救助隊の人たちよ。この山に時々来るから、道案内したりして顔見知りなのよね」
なんだ。バカ仲間かと思ったら、立派なお仕事の最中だったのか。失礼しました。……いや、そんな事よりも。
「え?何?救助隊の手伝いしてるの?雪女なのに?」
「ええ。先代の雪女があまりに悪さして、評判が悪かったのよ。それで、あたしの代になってすぐに、ふもとの人間が凄腕の呪術師を呼んで、退治されそうになったの」
「雪女も、なかなか大変な事情があるんだな」
「でも、退治される直前に事情を話して『人間に協力します』って約束したら許してもらったわ。それ以来、必要ならば人間に力を貸して危害を加えないようにしているの」
俺を殺したのはカウントに入っていないらしい。
「で、今回は何の用だったんだ?雪崩か何かでも起きたのか?」
そう言うと、雪女は信じられないものを見るようにして、目を丸くしていた。その視線の先には――――俺がいる。
「…………あなたって、なんであたしに腕を引かれて必死に練習しているんだっけ?」
「そりゃ、空中浮遊を身に着けるためだろ」
「いえ、もっと大前提の話で」
「雪女になるため」
「もう少し過去に戻って」
「この山に来たから?」
「戻り過ぎ」
「俺が死んだからか」
「ボール一個分外れたわね」
「あ、遭難したから?」
「当たり」
なぜだか雪女はぐったりとしていた。疲れてるのは、さっきから練習している俺の方なんだが。
「あの人たちは、あなたの捜索に来てたのよ。あなたの友達からの依頼でね」
「なんだ。あいつら、生きて下山できたのか」
俺みたいに死んでやしないかと、あの四人のことは栗きんとん以外で少しだけ気にかかっていたことだった。
「先に言ってくれてれば、遺言でも伝えてもらおうかと思ったのに」
家族に見られたくないものとか、できればあいつらにこっそり処分してもらいたいものが、アパートにたくさん放置したままになっているのだ。
「遺言どころか、うまくいけば生き返ることもできるけどね」
「は?」
こいつ、重要な事ほどさらりと言いやがる。
「幽霊の状態のあなたが体の中に戻れば、生き返る可能性もあるわ。まあ、成功率は高くはないけど」
「本当か?」
「ええ。あなたの死体は雪がクッションになって、損傷が少なかったから可能性は高いかもね」
だったら、試す価値は十分にある。
「で、俺の死体はどこにあるんだ?」
「あたしが言うわけないじゃない。自分で探せば?」
そう言うと、雪女は俺の手を離してかまくら――もとい家の方角へ飛んで行ってしまった。
自力で探せということか……。
「ちなみに、死体の場所をさっきの救助隊の人たちに教えたから、二、三日も経てば火葬されて骨だけになっちゃうわよー」
遠くから、冷たい風に乗ってそんな声が聞こえてくる。
「よし、絶対に生き返ってやる!」




