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人が死ぬとそこで終わりだと思っていたが、その認識は改めなければいけないらしい。
気が付くと、そこは天国だった。暗い谷底へ落ちたと思っていたのに、辺りは真昼のように明るく、白い世界が広がっている。それに、さっきまで凍えていた手足の感覚も戻っていて、優しい温かさに包まれているようだった。
そして何より、天使と呼ぶのにふさわしいであろう絶世の美女が、俺の事を迎えてくれたのだ。人の世ではなくあの世なのだから、絶世の美女というのもうなずける。
更に天使は、倒れていた俺に膝枕のサービスまでしてくれていたのだ。天使が、全裸に羽の生えた赤ん坊タイプでなくて本当によかった。
これを天国と呼ばずになんと呼べばいいのだろうか。
「あ、やっと気が付いた」
横になったままその美貌に見惚れていると、俯いた天使と目が合った。ガラスのようなその瞳に、締まりのない俺の顔が映っている。
「ほらほら、目が覚めたならさっさと起きなさい!……あー疲れた」
天使は俺の両肩を掴むと、無理やり体を起こした。こんなことなら、もう少し眠ったふりをしていればよかった。名残惜しみつつ、俺は促されるまま天使から離れ、その真向かいに座った。
「えーっと……天使、さん」
とりあえず、膝枕で痺れたのであろう両足を、渋い顔でさすっている天使に話しかけた。天使が俺より年上なのか、そもそも年齢なんてあるのか迷った結果、中途半端なさん付けになってしまったが。
「はあ?」
睨みつけられた。それも、背筋も凍るような鋭い目つきで。さすがに神の使いには、さま付けくらいしないと無礼だったのだろうか。
というか、天使にしてはさっきから言動が荒っぽすぎやしないか?なんというか、もっと聖母的なイメージを持っていたんだが。俺の中では、聖母も天使も、ついでに女神もごっちゃになってしまっていて判断が難しい。
「あなたねえ、あたしのどのあたりが天使に見えるのよ?」
そう言うと、天使(?)は立ち上がり、体全体を俺に見せつけるようにくるりと一回転した。まだ足が痺れているのか、膝のあたりが小刻みに震えている。
「ほら、どこからどう見ても天使じゃないでしょう?」
「羽が無い……?」
「いや、そこもだけど!どう見ても和風でしょうが!」
そう怒鳴る天使(ではないらしい)の服装は、確かに日本的なものだった。透けるような白い肌に、それと同じくらい真っ白な着物を着て、腰には淡い水色の帯を締めている。その帯まで届くような長い髪は、一本一本が精巧な氷細工のようだ。
「新ジャンル『和天使』とか狙えそうだな」
「そんな話は今してない」
「じゃあ、天使じゃないあんたはいったい何者なんだ?」
「鈍いなあ……人選失敗したかなあ……」
そう言って、彼女は頭を掻きながら小さくため息を吐いた。すると、座っていた俺の膝の上に小指の先ほどの大きさの白い玉が現れた。それに指先で軽く触れると、冷たい感覚と共に一瞬にして消滅してしまった。
「あ、手品師?」
「わざとやってるんじゃなかったら、あなた相当のバカね」
「うーん、仲間内では出来がいい方だったけど」
落ちこぼれ集団みたいな仲間だったが。
「雪女よ!ゆ・き・お・ん・な!聞いたことくらいはあるでしょう?」
痺れを切らして、向こうから正解を発表してきた。別に、クイズ大会をしていたわけではないけれど。
「雪女?」
頭の中にある、フリーペーパーほどの厚さの辞書から雪女の項目を探す。検索結果は、昔遊んだゲームの敵キャラが一件だけヒットした。
「ああ、アレね」
改めて見ると、確かに炎属性に弱そうな見た目をしている。
「じゃあ、ここは天国じゃない?」
「当たり前よ。今時天国なんて信じてる人間なんているの?」
雪女に天国の存在を否定されてしまった。
「それじゃあ、ここはどこなんだ?」
「あたしの家よ。正確にはかまくらだけど」
「かまくら?」
俺の登った山は、鎌倉とは縁も所縁もない場所に位置している。ならば、谷底に落下している間にその速度が光速を超え、超現象が発生し鎌倉までワープしたという可能性を除くと、豪雪地帯で冬の風物詩になっている、雪をドーム状に固めて内側をくり抜いたものを言っているのだろう。
後で全体を見せてもらったが、さすが雪女と言うべきか、確かに家と呼ぶのに相応しい立派なかまくらだった。まさかの二階建てで、部屋は全部和室で合計五部屋。玄関の扉には鍵も付いていて施錠も可能。そして建物以外にも、家具や寝具、生活雑貨などが家中に置かれていた。しかも、それが全て雪と氷で作られているというのだから恐れ入る。モデルハウスの見学にでも来たような気分だった。
「やっと理解した?」
やれやれ、といった表情で肩をすくめる雪女。
「で、雪女が俺に何の用があるんだ?」
まさか、勇者になって世界を救えなんて言うわけでもないだろう。それは王様か村の長老の役目だ。
「あなたには、雪女になってもらおうと思って」
主人公ではなく敵キャラだった。
いや、それよりも。
「俺は男だぞ」
「そんなの、見れば分かるわよ」
また睨まれた。名付けるなら『こごえるまなざし』といったところか。敵の行動を一ターン妨げそうだ。
「えっと、あなたみたいなバカにも分かりやすく説明すると、あたしみたいな人間が決めた分類では決めかねるような種族は全世界に存在しているんだけど、それらのほとんどは繁殖能力を持たないの」
「何でだ?」
「一種族につき一個体しかいないからよ。人間だって一人じゃ増えないでしょう?」
「そりゃそうか」
「増えることはできなくても、寿命は決まっている。だから、別の生き物に自分の種族としての力を与えて改造することで、種族の繋がりを絶えないようにしているのよ。雪女の造形は人間に近いから、人間を改造してるってわけ」
「で、俺がその標的にされたってことだな」
なんだか、凄く理不尽な話のような気がするが。
「でも、その改造とやらを男の俺にしたところで、それは雪男になるんじゃないか?それは全くの別物だろ」
雪女は、いいえ、と言って首を横に振った。
「元の人間は男でも女でも関係ないわ。正確には雪女と呼べないのかもしれないけれど、同じ種族であることには変わりないから」
「いいのか、そんな適当で……」
「仕方ないじゃない。こんな雪の日に山に登るバカなんて、あなたくらいしかいなかったんだから」
しかしこの雪女、初対面の男に対して少しバカバカ言い過ぎじゃないだろうか。一瞬でも天使だなんて思った俺がバカみたいだ。
「遭難者が歩いてる!って、夢かと思ったわ。冬にこの山に来た人間は久しぶりだったから。サービスして、雪の量を三倍に増やしてあげたわよ」
「いるかそんなサービス!」
「そして、ウキウキしながら崖におびき出したの」
「おびき出した?」
ほら、と言って雪女が懐から取り出したのは、でんでん太鼓だった。手に持てるくらいの柄の付いた小さな太鼓で、紐で二つの玉が繋がれている。柄を持って回転させることで、玉が太鼓に当たり音が鳴る仕組みだ。
雪女が太鼓を回すと、聞き覚えのあるタン、タンという音が鳴った。確かに、吹雪の中で聞いた音と同じだ。なるほど、俺はこんなおもちゃでまんまとおびき出されていたというわけか。
ということは、崖で感じた背中を押された感覚も、風ではなく雪女によるものだったのだろう。運悪く谷底に落ちたものだと思っていたが、最初から全て雪女に仕組まれていたらしい。
天使どころか悪魔の所業だった。
「一度雪の中で死んでもらわないと、あたしと同じ種族にはなれないからね」
あまりにもあっさりと、そう言ってのける雪女。
「あ、やっぱり俺死んでるの?」
「ええ」
そう言って、雪女は俺の足を指差した。俺の両足は足首から下が存在せず、ズボンの裾の辺りが陽炎のように揺らめいていた。雪女の方を見ると、同じように着物の裾から下は何も生えていない。あまりにも分かりやすく漫画的なその幽霊の表現に、驚きや恐怖を通り越して笑ってしまった。
「こんな冗談みたいなこと、あるんだな」
初めに死んでしまったものだと思っていたから、今更悲壮感なんてものは感じられなかった。『死ぬ』ということを真剣に考えたことはなかったけれど、死んだら死んだで結構あっさりとしたものだ。死んでもなお、雪女相手といえども普通に会話していることが、死んでいるということに対して鈍感にさせているのかもしれない。
「とにかく、あなたには雪女になってもらうからね」
「そんなこと急に言われてもなあ…………嫌だと言ったら?」
「よっぽど拒絶するなら、改造に影響も出るし無理強いは出来ないけど……」
「その場合はどうなるんだ?」
「邪魔だから、成仏させるわ」
勝手に殺しておいて、邪魔とは……。いくら雪女といえども、さすがに身勝手すぎやしないだろうか。
「まあ、栗きんとんを食べずして、成仏する気もないけどな」
あの混じりっ気のない、栗の旨味を最大限利用した、とろけるような甘さの栗きんとんを、もう一度口にしたいものだ。
「知らないわよ、そんなこと」
俺の栗きんとんへの情熱も、雪女の冷気によって一蹴されてしまった。足無いけど。
「それに、雪女だって悪いことばかりじゃないのよ?」
「例えば?」
「例えば、ほら…………」
腕を組み、うんうん唸りながら考え込む雪女。そしてしばしの間フリーズ。
「じゃあ、こうしましょう。今すぐ雪女になれとは言わないから、あたしの雪女としての生活を見てなさい。そうすれば、雪女も悪くないってことを分かってもらえると思うから」
「あ、誤魔化した」
そうして俺の『雪女お試しコース』が始まったのだった。




