三題噺:ローファー、つり革、バンパー
その日の電車は嫌に空いていた。
平日の真昼間だからだろうか。どの車両も人はまばらで、この車両に至っては私とあいつしか存在していなかった。
ふと気になってもう一人の乗客の方に目をやる。頭の悪そうな奴だった。あの制服は確か……隣町高校か。スカートをギリギリまで詰めてボンレスハムみたいな足を馬鹿みたいに晒していた。
隣町高校といえば名前を書けば幼稚園児でも入れると有名なバカ学校。その知能の低さに比例して誰彼かわまず喧嘩をふっかけるような馬鹿が多い。馬鹿だから馬鹿なのは当たり前か……。
しばらく見ていると、馬鹿は鞄から道具を取り出し化粧をし始めた。これからデートにでも行くのだろうか。学校サボってデートとは、頭のなかはさぞかし幸せなんだろう。まあ、私もこの時間帯の電車に制服姿でいる時点で人のことは言えないが……。それはアレだ、目覚まし時計が一回止められただけで止まるから悪い。
そうやって熱い視線を送っていると向こうも気づいたのか、こちらを睨み返してくる。多分私の馬鹿に対する嫌悪感が顔からにじみ出ていたのだろう。すごい形相だ。しかし、できれば関わり合いになりたくないので目を伏せさせてもらう。
だが、馬鹿にはそんなことは無関係で、ズシ、ズシ、と音を立てて寄ってきた。
「アニミッテンダコラア!スッゾコラア!!」
私の眼の前に立った肉塊は、地球上の言語とも思えないような言葉でまくしたててきた。
こんなところで無駄な労力を使いたくない。日本語が通じる相手だといいが……。
「いや、すいません。聞き取れなかったのでもう一度言ってもらっていいですか?」
瞬間、拳が飛んできた。結局こうなってしまうのか。ため息混じりに横に飛び、攻撃をかわして距離をとった。
「いやあ。そういう暴力的なのはやめましょうって。謝りますから。ほら。ごめんなさい」
「アニヨケッテンダコラア!ヤンゾコラア!!」
どうやら日本語の通じない相手だったみたいだ。もう一度座席につくためにはこいつを黙らせるしかないらしい。要するに正当防衛だ。
先手必勝。電車の減速を利用して一気に詰め寄り、みぞおちに拳を三発ほど叩きこむ。男子高校生くらいなら三日三晩うなされるくらいの特製のやつだ。
が、目の前の肉達磨はよろけもしなかった。全て肉の鎧に防がれていたのだ。まさか相手が重装兵だったとは……。
もう少し威力のあるものでないと駄目か。
考えているところにまたも拳が飛んでくる。ふむ、と思いこちらも鞄でガードする。私特性鉄板入り鞄だ。いくらデブとて、全力で鋼鉄を殴れば肉の薄い拳は無事では済むまい。
苦痛に歪んでいるだろう奴の顔を見る。だがその醜悪な顔は笑んでいた。そんな馬鹿な。ほんの一瞬思考が止まっている間に、もう一つの拳を受け吹っ飛んでしまう。
「がっ……!」
硬い感触。奴は武器を持っていなかったはず。体勢を整え、わけもわからず相手を見ると拳には白い輪っかが装着されていた。
その手に武器はあった。電車の中ならどこにでも、何個でもある、つり革だ。そいつを引きちぎり手にはめていたのだ。
さっきの鉄板への攻撃も、つり革がバンパーの役割を果たして拳を守ったのだ。
「一筋縄じゃいかねえな……」
「フハハ、普通の攻撃じゃ私は倒せんぞ」
「だろうな……」
日本語喋れるじゃねえか。そろそろ次の駅につく。面倒なので一発で終わらせてもらおう。
思い立ったが吉日。足に力を込め、奴の背後まで飛ぶ。流石に首筋に蹴りをお見舞いされたら無事ではないだろう。
だが、首だけ反応したデブはニイと微笑んだ。
だろうな。ただの蹴りでは致命傷には至るまい。受けきって、隙の出来たところに反撃という算段であろう。だが、私は構わず全力の蹴りを入れる。
次の瞬間、デブは倒れていた。完全に受けきれると思っていた馬鹿は、何が起きたのかわからず、這いつくばってこちらに理由を求めていた。
私はゆっくりと座席についた後、地面に吐き捨てるように説明してやった。
「私のローファーはな、鋼鉄製なんだよ」