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致死的幻想  作者: イングリッシュパーラー
第1章 児童公園の事件と観月小夜に関する報告
8/21

8. 二重存在

 早めに仕事を終わらせ、十九時頃マンションに戻ると、既に小夜がドアの前で待っていた。

 鍵が掛かっていようと幽体には関係ないだろうに、彼女は俺がドアを開けてからでないと中へ入らなかった。そういった律儀さは観月本体と同じだ。


「じゃ、そこにあるバーベルを持ち上げて」

「バーベル?」

「イメージで作り出すってこと」


 俺は上着をハンガーに掛けながら、小夜の足元を顎でしゃくった。本物のバーベルなど必要ないし、あっても役に立たない。

 小夜にやってもらうのは、破魔の力を視覚化して、持ち上げるイメージトレーニング。意識の底にある破魔の力は、ヘビー級のバーベルのようなもの。


「ウエイト・リフティングだと思えばいい。意識を集中させてゆっくり持ち上げて、一気に引き上げる」


 四苦八苦する小夜に、俺はスポーツジムのインストラクターよろしく指導する。

 別にバーベルに限らず、石に刺さったエクスカリバーを引き抜くビジョンでも構わないけれど、武道家の彼女には重量挙げの方がイメージし易いだろうと思ってのこと。


「マンションの床、抜けたりしない?」

「これで床が抜けたら、相当な安普請だな」


 真面目な顔で心配され、吹き出してしまう。可視化された幻影のバーベルに重量があるわけはなく、重く感じるのは破魔の力を扱えていないゆえ。力を使いこなせないうちは、簡単には持ち上がらない。


「今日はこれで終わり。観月の中へ戻れ」

「もう少し、いていい? 自分で練習したい」

「ご自由に」


 精神集中できるのは、一日三十分から一時間。もっとも自主トレをしたいなら、それはそれで構わない。適当に帰れと告げ、俺は夕食の準備に取り掛かった。

 夕食はもちろん自分用。鍋にごま油を引いて挽き肉を炒めていると、食欲をそそる匂いがキッチンに立ち込め、小夜が横から手元を覗き込んで来た。興味津々で物欲しそうな顔をされても、生憎実体がない以上、飲み食いはできない。


「麻婆豆腐?」

「そう。簡単だし、エイによく作ってやってた」

「エイって」

「俺の弟」


 言うつもりのなかったことが口から滑り出て、俺ははっと豆腐を混ぜる手を止めた。幽体相手だと、ついガードが甘くなる。


 出来立ての麻婆豆腐を皿に取りテーブルに着けば、彼女は正面に座ってあれこれ話し掛けて来る。帰れと言っても聞かないので、勝手にさせることにした。

 エイがいなくなってからは一人で過ごすのが普通で、こんな風に他愛ない会話をしながら食事するのは久しぶりだった。他の誰かが傍にいることがひどく奇妙に感じられるものの、存外悪くない。


(何やってるんだか)


 折々に、観月本人がそこにいるのかと錯覚してしまう。馴染んでいる自分に呆れ、ふと顔を上げた時、小夜と目が合った。


「……何?」

「あ、ごめん! 綺麗な髪だなって」


 弾かれたように、小夜は慌てて目を逸らす。この白い髪はやたら人目を引く。色素の抜けた髪は、綺麗どころか、犯した罪の証。

 無言で食事を続ける俺に何かを感じ取ったのか、彼女はそこで口を閉ざした。


 観月と小夜は、司門とナイの関係に似て非なるもの。司門たちが完全に別人格なのに対し、彼女らはほぼ同一。一時的に分離しているだけで、やがて幽体は本体の中に溶けて消える。

 いなくなるのが確定している以上、無駄に関わらないほうが互いの為だ。






 数日ぶりに晴れた平日の午後、司門と高神が不在だと知った上で、司門の事務所へ車を走らせた。

 ちょうど観月がマンションから出て来るのが見え、呼び止めずに目的地へ先回りする。勤務時間内に出掛けるのであれば、夕食の買い出しに違いない。

 スーパーの駐車場に車を停めて待っていると、思った通り、観月が店内に入って行った。


「マーマレードにするなら、甘夏かな。柚子でもいい」


 青果売り場でオレンジを手にした彼女に、そう声を掛ける。

 小夜は今、観月の中に戻っているはず。俺は買い物かごをさり気なく自分の手に移してから、半ば強引に彼女をカフェ・オーガストへ誘った。警戒されずに話をするには、人の目がある公の場所がいい。


 店の奥まったテーブルに着き、観月は落ち着かない様子で周囲を見回していた。俺と会ったことを、保護者たち二人にどう言われるか気にしているようだ。


「司門には、俺が無理に連れ出したと報告しておく」


 司門も高神も漆戸良公園に行っている。逐一知らせなくとも黙っていれば済むと思うのだが、観月は納得しない。俺に対する距離感が、観月と小夜では面白い程違う。


「この前、俺のターゲットが事務所へお邪魔したんだって?」


 オーダーを聞きに来た店員が離れてから、俺は軽い調子で尋ねた。すると案の定、観月は分かりやすく体を強張らせる。

 事務所に人の姿をした従者が現れた件は、司門から報告を受けた。しかし従者が俺のターゲットだという事実は、TFCの内部データを覗いていない限り、外部の人間は知り得ない。それを敢えて口にし、不正アクセスの疑惑を突き付けた。


「あの小生意気な水の従者。名前は名乗らなかった?」

「……シャドウ、って言ってた」


 観月は言葉を選びながら一言一言口にする。どう答えればよいか考えを巡らせているのだろう。ハッキングがTFCにバレれば、事務所はただでは済まない。

 若干胸が痛まなくもないものの、罠を張ったのはこちら側。TFCとしてではなく、“俺” が事務所の弱みを握っているのだと認識させる必要がある。


 自称『シャドウ』は、以前から観月のアパート近辺に現れたり、司門や高神の周囲をうろついたりしていた。そのうち姿を見せると予想はついたけれど、まさか正面から事務所を訪問するとは。


 何にせよ、困惑する観月をこの場で問い詰めるつもりはない。そろそろか、と腕時計に目を落とした時、十五時の時報が鳴った。


「お客様。お写真、撮らせていただいてよろしいですか?」

「あ、ごめんなさい…!」


 店の奥から出て来たスタッフにカメラを向けられ、観月は申し訳なさそうに辞退する。俺はといえば、単独でもいいからという店員の言葉に押され、苦笑しているうちにカメラにおさめられた。


 オーガストには、毎月15日の十五時に、店内にいる男女二人連れの客の写真を撮る『カップルデー』なるイベントがある。今や写真を断る客の方が多いとはいえ、長年続いている店の名物だ。


(試してみるか)


 観月がどこまで理解しているのか。もしここでエイの写真を見せたら、どんな反応をするだろう。

 俺は店員に頼んで一冊のアルバムを持って来てもらい、テーブルの上で目当てのページを開いた。カップルデーの写真は、希望すれば過去の物から現在の物まで好きに閲覧できる。


「四年前だ。俺が、二十三の時」


 そこには、まだ黒髪の俺と弟のエイが写っていた。男同士の客だというのに、エイが女に間違われ、否定しなかったという馬鹿な経緯。四年前、偶然このイベントの日時に当たり、エイにせがまれて仕方なく一緒に写真を撮った。


 さすがに照れがあったのか、エイは笑いながら両手で目を隠している。興味深げにアルバムに見つめる観月は、その人物が誰かまでは気付いていないらしい。

 無論、悟られない方がいい。なのにほっとする反面、心のどこかに少しばかりの失望もあった。

 

 ともあれ観月の態度でハッキングの裏は取れた。本来の目的は、これから。

 もう少しオーガストでのんびりしたいところだが、そうもいかない。慌ただしく彼女を事務所まで送り届けた後、すぐさま司門たちがいる漆戸良公園へと向かう。


 従者は蒼の湖周辺を中心に、公園の至る所に現れる。広い敷地内を網羅するにはいかんせん手が足りない現状。

 司門と高神には遊歩道の一区画を割り当てたのに、高神は指示を無視し、別の区域の加勢をしていた。やれやれと俺は肩を竦め、遊歩道の警戒に当たる司門の方へ歩いて行った。 


「何の用だ、ソウ」


 珍しく気が立った様子で、司門が睨む。毎日何体もの従者を葬っているのだから、心身共に疲弊するのも当然か。


「お疲れのところ悪いが、話がある。うちのシステムに、何者かが不正アクセスした件で」

「私たちには関係ないだろう」

「へえ、本当に?」


 軽く揶揄してみても、司門は表情を変えない。もともとこの男は無表情だ。観月や高神と違い、遠回しの揺さぶりぐらいで動じないのは承知している。


「犯人は特定した。で、交換条件がある」

「意味が分からない」

「観月に、破魔の力を引き出すトレーニングを施したい。それが、口止めの条件」


 あくまでシラを切る司門に、俺は単刀直入に脅迫めいた要求を突き付けた。実際、条件を飲もうと飲むまいと、事務所をTFC上層に告発する気は毛頭なかった。データ流出の原因を本格的に調べられたら、俺の首も危うくなってしまう。

 ただ連中には、断れない理由がある。


「力を使えないと、観月は自分の身を守れない。この先、お前たちだけで彼女を守り通せるとでも思ってる?」

「……小夜のためだと言うのか」


 俺の言葉を受け、司門はあからさまに眉根を寄せた。『観月のため』は、事務所の連中にとって絶対的な力を持つ。司門もこちらの言い分が正当だと分かっているに違いなく、彼女が大事なら、提案を受け入れざるを得ない。


 幽体と並行して、観月本体に破魔の力の鍛錬を行う。邪神に対抗できる唯一の希望。眠っている破魔の力を、一刻も早く開花してもらいたかった。

 いずれ避けられない嵐の日が来る。その時に間に合うか否かは、まさに神のみぞ知るところだが。

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