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致死的幻想  作者: イングリッシュパーラー
第1章 児童公園の事件と観月小夜に関する報告
7/21

7. 生霊

 脇道に停めておいた車に戻り、深く息を吐く。従者の始末に力を使ったのが堪えた。腕の痛みは治まっても、体が軋みを上げている。


 俺は運転席のリクライニングシートを後ろへ倒し、背もたれに倒れ込んだ。荒い呼吸を鎮めようと、目を閉じて瞑想に入る。

 やや激しくなったみぞれは、外からの視線を遮るブラインドになる。もともと行き交う人も車も少ない小道だ。


 そうして十五分程経った頃、人が近付く気配を感じた。駐車許可証があるので、駐禁切符を切られる心配はない。人影は一向に立ち去らず、車の周りをうろうろしている。気配は一人、けれど普通の人間のものとは少し違う。


 仕方なく、外の様子を窺うべく助手席の窓を少し開けた。流れ込む外気と共に、ドアも開けずにその人物は車に乗り込んでくる。


「……中に入れとは言ってないんだが」

「だって、雨降ってる」

「濡れるような体はないくせに」


 すげなく呟くと、失礼だよ、と先程アパートの前で別れた女が唇を尖らせた。

 姿も声も、何もかもが観月と瓜二つ。大きく違うのは、現在俺の車の助手席に座るのは、肉体を伴わない幽体だということ。


「お前、どうして話せる」

「私に聞かれても、分からない」


(まいったな)


 掌で目元を覆い、俺は眉根を寄せた。術者が潜在意識にアクセスする際、アストラル体が肉体から離れやすくなる。観月のように潜在的に力が強い者なら尚の事。幽体が分離する可能性は想定していた。

 しかし、どうやら「彼女」は自我を持つ。通常、幽体は意識や感情を持たない鏡像にすぎないのだが。


「おま……いや、きみは実体じゃない」

「分かってる。でも、私も『観月』だよ」


 はっきりした口調で、幽体が答える。アストラル体は、世に言うドッペルゲンガーや生霊の類。本体の方に害はないし、おそらく観月本人はこの現象に気付いていない。

とはいえ同じ姿でウロウロされては、混乱を招くだけだ。


「悪いけど」


 軽く詫びを入れ、俺は彼女の頭上で掌を広げた。

 分離した幽体はその場で消す。それが術者の義務。どのみち、物質世界でアストラル体は長く姿を保てず、やがて自然消滅する。


「あ、待って。破魔の力を鍛えたいんでしょ? なら、このままでいた方が便利だと思う。私と観月本体と両方でトレーニングできるから」


 何のつもりか、伸ばしたぎゅっと手を掴まれ、そんな提案をされた。もちろん実体ではないので、あえて言えば空気の塊に包まれたような感覚があるのみ。

 命乞いをしたところで、せいぜい姿が保てるのは一ヵ月。「彼女」自身、それは知っているだろうに。


(一ヵ月、か)


 ふと手を止めて思案する。確かに、アストラル体を直接鍛える方が効率的で、トレーニングを加速できる。この状況下、時間短縮できるのは実際有難い。観月自身を含め、事務所の連中に知られなければ事は済む。ここは乗ってみるのも悪くない。


「……分かった。俺はこれからTFCへ行く。観月の中に戻ってろ」

「トレーニングは?」

「仕事が終わった後」


 幽体相手なら場所も時間も選ぶ必要はなく、マンションだけでいい。一時的に観月の身体に戻っても、消滅させない限り好きな時に分離できるはず。


「夜、俺のマンションに来て。場所は分かるな」

「え、でも、ソウさん、一人暮らしだよね……?」

「……だから、体はないだろ」


 一瞬意味が分からなかったが、つまりは夜に男の家に行くことを警戒しているらしい。本物の観月のような反応に脱力してしまう。幽体を襲う馬鹿がどこにいるのか。


「また後で、『小夜』」


 束の間でも関わる以上、呼び名がないと不便だ。観月本体と区別するため、致し方なく下の名前を呼ぶ。小夜ははにかんだ笑みを浮かべてから、音もなく消えた。助手席のシートに人がいた痕跡はわずかもない。

 静かになった車内で、俺は再び目を閉じる。不思議と、酷かった体の疲労は癒えていた。






 TFC内で常時オフィスにいるのは加我主任を含め、ほんの数名。ほとんどは外に出払っている。

 受け持ちの案件次第では、実戦要員も内勤に就く。風の邪神ハスターの監視を担当するシンもその一人。


「頼まれてた件、メールで送っておきました」

「ありがとう、助かる」


 オフィスの自販機の横で壁に寄り掛かり、俺とシンはコーヒーを飲みながら立ち話をした。


「瘴気はひどくなる一方です。早くなんとかしないと」

「今できることをするだけだ。焦ってもしょうがない」


 苛立たし気にコーヒーを一気飲みする後輩の胸を拳で軽く打つ。最近、シンは事務所の高神と組んで外回りをしている。熱血漢の後輩は、たまの内勤の日はもどかしいようだ。


 漆戸良公園に開いた鬼門から瘴気が溢れ、同時に水の信者たちも動き始めた。邪神との血の契約が次々交わされ、あちこちで従者が生まれる。TFCも司門の事務所と連携を取って警戒に当たっているが、瘴気の流出は既に危機的状況。

 そして、鬼門を閉じる術は今のところ、ない。 


「あ、そうだ。主任が呼んでましたよ。手が空いたら、執務室に来て欲しいって。なんだか主任、えらくご機嫌で」

「ご機嫌ね」


 俺はシンの言葉に苦笑し、コーヒの空き缶を回収ボックスに投げ入れた。あの狸親父は何か企んでいる時に上機嫌になる。

 良からぬ用事だと予想はついても、仮にも上司の呼び出しを無視できない。俺は取るべき対応をシミュレーションしつつ加我主任の執務室へ向かった。


(不正アクセスの件だろうな)


 呼び出される理由に心当たりはあった。先日TFCのデータがハッキングされ、内部情報が外に漏れた。もっとも漏洩したのはとある一部分のみで、組織全体を脅かす類のものじゃない。知られていい情報かどうかは選別したつもりだ。


「おや、早かったね」


 執務室に入ると、デスクで加我がのんびり茶を啜っていた。

 NPO法人としてのこの男の地位は、当たり障りのない中間管理職。その実、政府組織上層の一角を担う権力者なのだが、そんな事実は表のNPOスタッフの前ではおくびにも出さない。


「……遅くなってすみません。それで、ご用件は?」


 あからさまな嫌味を聞き流し、話を促す。主任は椅子をくるりと回して腰を上げた。


「例の不正アクセスだけどね。システム管理者のきみにも犯人が分からないなんて、珍しいんじゃないかな」

「セキュリティの間隙を突かれました」

「まあ、他の者にはそういうことにしてあるよ」


 すべてを知っているかのようなしたり顔を前に、俺は平然とした態度を保ち続けた。

 加我お得意の誘導尋問で、あちらも推測の域を出ず、俺から決定的な答えを引き出そうとしている。


「盗まれた情報は、俺のターゲットに関するものです。おそらく、信者の中にハッカーがいるんでしょう」

「そうかな。信者ではないと思うのだが」


(……お見通しか)


 見事に言い当てられ、内心焦りを覚える。下手な嘘は通用しそうにない。

 主任の言葉通り、俺が間接的にTFCのデータを流した。もちろん相手は信者ではなく、司門の事務所。わざとハッキングするよう仕向け、司門に情報を掴ませた。


「俺をお疑いでしたら、上層部に告発したらどうです」

「まさか。私は自分の部下の味方だよ」


 胡散臭い笑顔を向けられ、よく言う、と俺はつい顔をしかめた。

 どうやら今回の不正アクセスについては追及しないつもりらしい。この男を全面的には信用できないとしても、俺を他の幹部連中に差し出す真似はしまい。


 部下が不祥事を起こせば、加我も直属の上司として責任を問われる。直々の有難い呼び出しは、あまり大っぴらに動くなという俺への忠告か、あるいは俺に貸しを作らせる策略か。

 何であれ、ろくでもないことに違いないという予想は当たった。

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