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致死的幻想  作者: イングリッシュパーラー
第1章 児童公園の事件と観月小夜に関する報告
5/21

5. 葛藤

 身を切るような寒風が吹き付ける冬の午後、のんびり公園を散策する物好きはほとんどいない。

 漆戸良公園の蒼の湖は暮れかけた夕日を湖面に受け、きらきらと輝いていた。湖の汚染状態はレベル1。現在のところ、水は清らかさを保っている。


 この場所に、あいつの気配は感じられなかった。周囲を探ってみても残留思念さえなく、しばらくここに来ていないのだと分かる。


(鬼門を開いておいて、後は放置か)


 水属性の従者の力が増したのは、あいつが裏で動いているに違いない。あちら側とこちら側をつなぐ通路を作り、クトゥルフを復活へと導くつもりだろう。


 封印を破りさえすれば、自然と瘴気が漏れ出し、鬼門は時間と共に大きく口を開けていく。瘴気が新たな従者を作り、深きものどもを招き寄せる。鬼門を閉じない限り、湧き出る異形をいくら始末してもいたちごっこだ。


 しばらく澄んだ湖水を眺めた後、俺は踵を返して湖を離れた。すると待ち構えていたかのように、公園の遊歩道で顔見知りの男が声を掛けてきた。


「お勤め、ご苦労なこって」


 木刀を脇に抱えたその男は、むすりとした顔で街灯に背を預けて立っている。せっかく別の場所の警戒に当たらせたのに、わざわざ最大の危険区域にやって来るとは恐れ入る。


「高神、C地区の警戒はどうした」

「シンに頼まれたんだよ。お前の手伝いをしてやって欲しいって」


 俺が問うと、高神は心外だと言いたげに眉を吊り上げた。どうやらシンが俺の体調を心配して、高神を助っ人として差し向けたらしい。余計な世話だとしても、気遣ってくれる後輩の思いやりを無下にはできない。


「ここにはお前自身で来るのな、ソウ。何か企んでんのか」

「水恐怖症の誰かのために、仕方なく」

「恐怖症じゃねえ! 嫌いなだけだ」


 憎まれ口は健在ながら、食ってかかる口調にいつもの威勢はなかった。やはり、ここではまだ水場に近すぎる。


「場所を移すぞ」

「……スルーかよ」


 歩き出した俺の後から、高神はふらつきながら付いて来た。肩を貸してやってもいいが、どうせ拒否するに決まっている。自力で歩けるなら、問題ない。


 本来従者は夜しか行動しないため、俺も夕暮れの時間帯に公園を見て回ることはほぼなかった。思ったほど人がいないのは何より。厳寒の今の季節に感謝すべきか。

 従者の気配があったのは、公園の奥の方。鬼門の瘴気が水の従者を活性化させている。眷属ならともかく、人間の成れの果てにすぎない従者なら、さほど手間取るまい。


(高神に任せるか)


 来た以上は、役に立ってもらった方がいい。湖から遠ざかるにつれ、本調子に戻った高神は、気配に気付いて、俺を追い越さんばかりの勢いで遊歩道沿いの林へ踏み込んで行く。

 歩道を逸れて五、六メートル程のところで、悪臭が鼻をつき、薄暗い樹木の陰にうぞうぞと蠢く黒い塊が目に映った。従者の相貌はおぞましいものの、力は深きものどもと比べて格段に劣る。


 異形の姿を前にし、高神は携えた木刀を円を描くように回した。結界を張り、従者が外部に出るのを防ぐ。一気に始末すればよいものを、倒さずに済ませたいという甘い考えが透けて見えた。


「ビヤを呼ばないのか」

「こいつが人を襲うかどうか、まだ分かんねえ」

「本気で言ってる? だったら、下がってろ」 


 無意味な同情に付き合う程、俺は酔狂じゃない。従者となった人間を元に戻せないことは高神も承知のはず。魔に堕ちて生き永らえるより、消滅させた方が従者のためでもある。

 躊躇する高神を脇へ押しやり、俺は引導を渡すべく従者に向けて左手を翳した。


「ちょ、待て! お前がやるくらいなら、俺のがマシだ」

「やるかやらないか、どっちだ」

「……やる」


 高神は俺の腕を下ろさせ、腹を決めて召喚呪文を唱える。

 風の神性ハスターの眷属であるビヤーキー、巨鳥とも昆虫ともつかない有翼生物が命令に従い高神の傍らに降り立った。

 ビヤーキーの発する気を受け、全身が総毛立つ。何度対面しても、凄まじい威圧感に震えが走った。大した力を持たない脆弱な従者は尚更、ハスターの眷属に対し萎縮しないわけがない。


「三秒待つ。消滅か深淵か、どちらがいい」


 問いを投げ掛けると同時に、高神の瞳から感情の灯が消えた。それは儀式的に繰り返される決まり事で、相手の返事は実質不要の茶番だ。

 次第に奴の木刀を取り巻いて、暗黒の靄が集まり出す。靄は異空間へ続く扉となり、ビヤーキーが従者を深淵へと導いた。


 俺と違い、高神は従者を殺さず深淵へ送り込む。魂を永遠に抜け出せない牢獄に閉じ込め、消滅さえ許さない、その行いもなかなか業が深い。

 非情に徹するため自らに暗示を掛けた高神は、俺が声を掛けてもしばらく呆けたままだった。強めに背を叩くと、ようやくのろのろとこちらを振り向いた。


「殺せないのは昔と同じか。進歩しないな」

「……うるせえ」


 公園内に、他の異質な気は感じられなかった。

 鬼門がどうなろうと、もうあいつの知ったことではないのかもしれない。今のあいつの関心は、観月と彼女を取り巻く事務所の男ども。高神も、事務所の周囲を窺っている水の従者に気付いているだろう。


「最近、人間の姿をした従者がうろついてると聞いた。そいつには手を出すな」

「クトゥルフと直に契約したって奴か。お前が従者をかばうなんて、雪降るわ」


 俺の言葉を、高神はそんな風に揶揄する。


「お前では敵わない、って意味だ」


 能天気な言い分に俺は軽く肩を落とした。クトゥルフの従者と見れば、高神は目の色を変えて向かっていく。敵意むき出しで挑んでくる相手に、あいつは手心を加えない。痛い目を見ないと実力差を認められないなら、忠告するだけ無駄か。


 日が落ちてさらに気温が下がり、冷たい水の気配が空一面を覆っていた。高神の言葉通り、今夜は雪が舞う。氷の結晶となった水が地表に降り落ちるのも間もなくだ。

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