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致死的幻想  作者: イングリッシュパーラー
第1章 児童公園の事件と観月小夜に関する報告
3/21

3. 調査

 翌朝、俺は爽快とは程遠い気分で自室のベッドの中で目を覚ました。

 どうやってマンションまで帰り着いたのか、記憶がはっきりしない。途中行き倒れずに済んだのは幸運だった。たとえ、汚れた服のままベッドに倒れ込んでしまったとしても。


(……シーツから替えないとダメだな)


 ぼろ布同然の衣服を脱ぎ捨てると、スキッパーシャツとデニムパンツに着替え、厚手のジャケットを羽織る。

 TFCは一般企業と異なり、時間通りの出勤が義務付けられているわけではないが、復帰直後から欠勤するわけにはいかない。それにオフィスで調べたい事もあった。


 オフィスへ行かずとも、TFCのアーカイブは自宅のPCからアクセスできる。これまでも何度か、穴だらけのセキュリティをかいくぐって情報を入手した。とはいえ、あえて面倒事はしたくない。


 だるい体を叱咤し、シーツを洗濯機に突っ込んだ後、メールを確認。簡単にトーストとスクランブルエッグを作り、胃に詰め込む。シャワーを浴びてからレザーグローブをはめ、俺は改めて自らの手に視線を落とした。


(よく生きてるもんだ)


 呆れとも満足ともつかない笑みが自然と口元に浮かんだ。どんな酷い状態の朝も、一日はいつも通りに始まる。


「おや、出勤してたんだね」


 TFCに着いてすぐ端末でデータをチェックする俺の上から、のんびりした加我主任の声が降ってきた。背後に近寄られて気付かなかったのは、こちらの体調が芳しくないせいか、あるいは加我の特技か。


「駐車場に車がなかったから、休みかと思ったよ」

「今日はバイクで来たので」


 嫌味なのか何なのか判断できない上司の言葉を淡々と受け流し、キーボードを叩き続ける。加我に、俺が見ていた画面を悟らせないために。


「昨夜、やったんだろう。メンテナンスの必要はあるかな」

「ありません」


 俺の状態を一目で見抜く主任は、有難くもあり迷惑でもあった。正直放っておいて欲しい時に必要以上に構われるのは、鬱陶しい。

 そんな中、ちょうどシンが外の仕事から戻り、オフィスに入って来た。


「おはようございます。ソウさん、来てたんですね」


 主任と同じようなことを言って、シンは明るく笑う。もっとも素直過ぎる後輩は、主任と違い、言葉にも態度にも裏表がない。 


「昨夜は、随分激しかったらしい。まあ、ソウも若いし、するなとは言わないけどね」


 妙な言い回しをした上、この上司はわざとらしくニヤついた笑みを俺に向けた。案の定シンは、焦って頭を下げ、またそそくさと外へ出て行った。

 純真な部下をからかうとは、いい趣味をしている。シンの後姿を眺め、俺は溜息を吐いた。


「体よく追い払ってやったんだよ」

「別に、文句は言ってません」


 恩着せがましく告げる上司にそれだけ答え、画面に映し出された信者リストの情報を追う。すると加我が目を細めて覗き込んできた。


「九流弥生か。きみも面食いと見える」

「……あそこにあるのは、何です?」


 俺はくいと顎を振り、オフィスの壁に掲げられた社内訓示を指し示した。


「TFCの『信条クレド』だが。クレドとは、企業の信条や行動指針を定めたもので……」

「そうじゃなく、その内容です」


 こちらの皮肉を分かっているくせに、加我は白々しくとぼけたことを言う。脱力感を覚えた俺は、クレドを読み上げ、はっきりと指摘した。


「『自分の仕事のみに専念する』、ですよね?」

「無論。私の仕事は、部下の仕事を見守ることだからね」


 加我は当然と言わんばかりに俺の背をぽんと叩いた。口出しして欲しくないという遠回しの部下の訴えを、これまた遠回しに却下する。


(狸親父が)


 俺は胸の内で悪態をつき、主任の視線に耐えつつ、九流弥生に関する必要なデータを頭の中に入れた。


 弥生は炎の邪神クトゥグァの信者、児童公園の事件の際に司門たちと関わった人物だ。十代の頃に母親が大手企業社長と再婚し、現在二十三歳。金持ちの令嬢という申し分ない身分でありながら、邪神信仰に身を落とした。

 潜在的に資質があり、高神の血を触媒として、クトゥグアの眷属『炎の精』を操るようになった。それゆえ、TFCは彼女を第一級の危険人物とみなしている。


 出掛けてきます、とだけ伝え、さっさとオフィスを出る俺を加我主任は咎めない。鷹揚な態度は、俺の行動など把握済みという自信の表れだろう。






 車を走らせ、郊外の住宅地へ向かえば、弥生の住居はすぐ見つかった。広い敷地の結構な豪邸は、いかにも金がありますという風情。これでは防犯対策が大変に違いない。

 もっと疑われるかと思いきや、弥生の友人だと偽って突然訪問した俺を、使用人らしき黒服の男は何も聞かず中へ招き入れた。家の連中は、奥方の連れ子を腫れ物のように扱っている。


 通された客間でカッシーナのソファに深々と座り、俺は弥生が来るのを待った。こちらの名は告げたので、向こうも俺がTFCだということは気付いたはず。

 しばらくして弥生は居留守を使うこともなく、堂々とした振舞いで俺の前に姿を見せた。使用人たちの前では決して令嬢の顔を崩さない。


「今日は、どんなご用件でいらしたの?」


 上品そうに一礼した後、弥生は俺の向かいに腰を下ろし、人払いをした。実際会うのは初めてだが、写真で見るより妖しい色気がある。


「単刀直入に言う。きみは、幻術を操るんだろう」

「あら、よくご存じで」


 信仰の自由が保障されている社会で、人として暮らす者を制限する権利はない。信者とTFCは互いに警戒し合い、互いに踏み込めない微妙な距離を保っている。時と場合によっては、TFCが信者と手を組むこともあった。いわゆるギブ・アンド・テイク。


 弥生はそういった事情に通じているため、特に身構えた様子はなかったし、俺としても彼女をどうこうしようという目的で訪問したわけじゃない。


「幻影を使えるようになったのは、信者になってから?」

「ええ。それが何か」


 質問の意図を測りかね、弥生は首を傾げた。

 彼女には、炎の精が今は亡き家族の姿として映っている。幻覚を見せる力を持つ信者は他にもいるものの、己自身に術を施すケースは珍しい。


 実父が邪神の信奉者であっても、児童公園の事件が起こるまで、弥生は邪神の信者ではなかった。ところがあの事件を契機に信者となり、高神の血を取り込んで炎の精を召喚できる程に力を高めた。

 どうして、そのタイミングだったのか。まさに、クトゥグアの住処フォーマルハウトが空に輝く時期に。


「私の件は、調査済みなんでしょう? 他に聞きたいことがあるのかしら」

「別に。きみと直接会って話したかっただけ」

「なぜ?」

「美人だと聞いたから」


 戯れの言葉に、お上手ね、と返す弥生は、掛け値なしで美女の部類に入る。


「高神さんたちは、観月さんにご執心だけど。あなたも?」

「さあ」


 からかい交じりの問い掛けに、俺は否定も肯定もしなかった。

 弥生は高神の力を欲している。観月は聖なる巫女の生まれ変わりであり、邪神の信者からすれば好ましくない存在だ。色仕掛けで高神を篭絡しようにも、観月が障害となる。


「分かってるだろうが、一般人に手を出せばTFCが動く」

「脅しかしら」

「ただの忠告」


 この女が観月に危害を加えないとも限らない。念の為に釘を刺すと、弥生は軽く肩を竦めて見せた。


「もう一つ余計な忠告をすると、高神と寝た女はもれなくバケモノになってる。欲をかかない方がいい」

「本当、余計な忠告ね。私は彼と体の相性が良いの」

「……炎の精にそう言われた?」

「ご明察」


 形の良い唇の端を上げ、艶めかしく笑う。炎の精を身内と信じる哀れな女。現状のまま満足していればいいものを。そそのかされて、自滅の道を辿っていることに気付かないらしい。

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