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致死的幻想  作者: イングリッシュパーラー
第2章 邪神の動向及び今後の予測
19/21

19. 闇

 観月の深層意識へ入っている間、肉体は完全に無防備だ。TFCに援護を任せるしかないが、従者の数次第で際どい攻防戦になる。


 精神世界は個にして全であり、自分と他者の区別がない。長く留まれば、自我を保てず溶け込んでしまう。上下の感覚すらない不確かな空間の中、俺は自分が幽体として形を成していることにひとまず安堵した。


「ソウさん、探し物はここだよ」


 どこからか声が掛けられ、そちらの方を振り向く。しかしここでは距離も方角もない。半透明の体の声の主はすぐ横で微笑んでいた。


「久しぶりだな」

「“私” だって、分かるの?」

「分からないとでも?」


 意外そうな小夜に、俺は肩を竦めて問い返す。導師を何だと思っているのやら。

 現実世界で俺と観月は蒼の湖の側にいる。けれど小夜とは先週末に会って以来。


「これ、昔セレナがシモンに渡したタリスマンなんだって」

「成程ね」


 差し出された掌の上で、観月の握っていたペンダントが光を放っている。

 ペンダントを受け取ると、そこから強く温かい力が流れ込んできた。タリスマンは巫女であるセレナの神力が宿る依代に似たものだろう。


 確かな質感を持つそれとは逆に、朧げな小夜の体は風の一吹きで霧散しそうに見えた。おそらく消滅の時が迫っている。

 薄れていく彼女の手首を俺は思わず掴んでいた。互いに幽体のため体温や感触は伝わるものの、あくまで疑似感覚にすぎない。


「早く戻って。ソウさんまで消えちゃうよ」


 困惑ぎみに小夜は眉尻を下げた。

 引き止めても無意味だと分かっているのに、幽体のうちは、己の感情を誤魔化すスキルが下がるらしい。


(一緒に溶けるのも、悪くないな)


 このまま俺という個体がなくなったとしても、全体意識と同化して観月をバックアップすればいいのではないか。そんな脆弱な思考が脳裏を掠める。


「だめ。まだソウさんには、やらなきゃならないことがあるでしょ」

「え?」


 穏やかに諭すような声音で言われ、はっと手を放した。深層意識において、記憶や心の奥に秘めた願望も容赦なく曝け出される。

 小夜はエイに関する俺の記憶を見たのだろう。

 犯した罪を償わない限り、死は許されない。俺に課せられた戒めを小夜は改めて突き付けた。


「誕生日のケーキ、おいしかったよ。ありがとう」

「今言うか、それ」

「ふふ。……じゃあね」


 彼女は笑顔で別れを告げる。クランセカーケは小夜のために用意した贈り物だった。

 幽体は粒子となって空間に溶けて広がる。その様子を俺はただ呆然と見つめていた。


(何が、『じゃあね』だ……)


 姿がすっかり消えた後、手の中に残ったペンダントに目を落とし力なく笑った。周りの人間はいつもあっけなく俺の前からいなくなる。


 あえて普段通りの態度を貫いてみせた彼女の強さを思い、己の弱さを噛み締めた。

 観月の中に小夜という存在は残っている。強引にそう結論付け、ペンダントに気を送り光を増幅させた。観月をサポートすることが果たすべき務めだ。


 現在の緊迫した状況は、感傷に浸る余裕など与えてくれない。精神世界を抜け出て自らの肉体へ戻った俺は、途端に押し寄せる瘴気に不覚にもむせてしまった。急いで傍らに倒れている観月を抱きかかえ、結界を張り直す。

 彼女の口から洩れる規則的な呼吸音にほっとし、祈りを込めて呼び掛けた。


(鬼門を塞いでくれ、観月)


 破魔の力を顕在意識へと引き上げるのは彼女自身。瞑想状態で観月はどんな夢を見ているのか。

 現実は目を覆いたくなる凄惨な様相を呈していた。深きものどもや従者はまだ前哨戦の相手。大きく口を開けた鬼門の向こうにはさらに忌まわしい存在が控えている。


「近寄るな!」


 襲い掛かってきた従者を結界を強化して弾き飛ばす。ここで俺がアジフの力を使って倒れては元も子もない。


 呼び掛けを繰り返すうち、観月のペンダントが輝きを強めた。目映い光が鬼門の扉を塵と化し、異界とこの世をつなぐ通路を断つ。見る間に瘴気が追いやられ、波が異物を沖へ流すように空気が浄化されていった。


 観月の瞼は閉じられたまま、無自覚に力を行使している。奇跡的な光景に俺は息を飲んだ。彼女の力の根源は紛れもなく聖なる巫女であり、俺たちと真逆の性質だと思い知らされる。


 やがて冷たい大気が枯草を揺らし始めた。あれ程濃かった瘴気はもうわずかもない。

 ナイからの連絡で司門と高神の生存を確認するも、やはり犠牲は避けられなかった。TFCの精鋭部隊といえど、眷属相手では分が悪すぎる。


(……すまない)


 流れた血と失われた命を人知れず葬り、胸の内で詫びた。怪我人を搬送した後は、慰謝料の手続きが待っている。TFCはそういった組織だ。


 ちょうど周辺の後始末が済んだ頃、観月が目を覚ました。今日の立役者はいまだ現実と夢の区別が曖昧なのか、強張った面持ちで辺りを見回している。


「鬼門は……、どうなったの」

「閉じた。きみのおかげで」


 木漏れ日を受けて蒼の湖がきらめく。本人が覚えていようといまいと、鬼門を閉じたのは事実。事務所の連中は無事だと伝えると、観月はようやく表情を和らげた。

 起き上がってからずっと彼女はこちらを見なかった。意図的に目を合わせない。その理由に思い当たり、意地悪く鎌をかけてみる。


「俺の記憶を覗いたろ、観月」


 案の定ぎくりとした反応を返され、俺は溜息を吐いた。幽体となって観月の精神に入る際、こちらのガードも甘くなる。小夜に心を読まれていたので、あるいは観月も、と予想はしていた。

 望んでもいないのに他人の記憶が流れ込んできたのだから、彼女もさぞ困惑したろう。


「……ソウさんの身内、だったんだね」

「不肖の弟でね」


 クトゥルフの従者として度々騒動を起こしているのは弟のエイ。これまでその事実はナイと加我主任だけが知るところだった。


「事情を聞かないのか」

「……無理に聞かないよ」


 あれこれ尋ねられるかと思いきや、彼女は何も詮索しなかった。問い詰めれば情報を引き出せるものを、優しい彼女は俺に気を遣う。


「観月を見てると、昔のあいつを思い出すよ」


 表に出すつもりのなかった言葉が口をついて出る。

 仕事の相棒でもあったエイはいつも俺の後を付いて来た。エイも小夜も、どちらも今はもういない過去の幻影だ。


 観月は小夜という幽体に気付かないまま、危惧していた後遺症もなく、上手く融合して破魔の力を高めるのに役立った。

 上々の結果と言えるのに、心には虚無感が広がる。


 まだこれから、公園内の片付けが残っている。俺は高神たちを心配する観月を宥め、先に遠隔移動で事務所へ送り届けた。

 観月には『かすり傷』と伝えたが、事務所の連中の状態は死なずに済んだというだけのこと。

 従者や眷属たちの無残な遺骸が転がる中、ナイは木にもたれ掛かり、高神は地面にへたばっていた。俺が近付くと、高神は朱に染まった腹を押さえ呻きつつ立ち上がる。


「観月はどうした! 無事なんだろうな!?」


 傷を負いながらも、わめく元気があるなら問題ない。シャドウにやられた時と比べれば、物の数ではなかろう。


「事務所へ戻ってる。彼女が見事にやってくれた」

「有望な救世主だね」


 俺の心を読んで、ナイは口の端を上げた。元邪神は無傷とはいえ、極度の疲労のせいか語気がかなり弱弱しい。


(俺にとっての救世主だ)


 従者化した人間を救う術がないという定説は、以前起きた児童公園の事件で覆された。強い破魔の力なら、きっと邪神との契約を断ち切れる。


 人類のためという御大層な目的ではなく、観月の力は俺自身のために使わせてもらう。

 魔に堕ちたエイを人間に戻す。俺の唯一の存在意義はそこにあるのだから。

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