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致死的幻想  作者: イングリッシュパーラー
第1章 児童公園の事件と観月小夜に関する報告
1/21

1. 遭遇

 誰かの為に死ぬことと

 誰かの為に生きることは

 どちらの方が、辛いのだろう――






 “あいつ” の気配に気付いたのは、ほんの偶然。他の従者のように夜間に行動する習性でないとはいえ、まさか住宅街をうろついているとは思わなかった。

 周りに視線を走らせれば、マンションと呼ぶにはいささか古風な二階建ての集合住宅が目に入る。

 

(確か、ここは “彼女” のアパート)


 日本へ帰国後、俺はTFCから再び司門たちの事務所を担当するよう言い渡された。正直うんざりしたものの、司門の報告書には少しばかり面白い記述があった。一ヵ月前、観月小夜という人物が事務所に入社したとのこと。


 報告書によれば、児童公園に現れた炎の従者を高神が始末し、それと同時期に観月が入社している。彼女に関しては必要最低限の情報だけで、入社の経緯は記載されていなかった。

 おそらくTFCに目を付けられるのを避けるため、あえて司門が詳細を省いたに違いなく、となれば連中にとって、観月は何かしら重要な存在ということになる。 


 事務所の担当者として、復帰の挨拶を兼ねて、新入社員とやらに会ってみたかった。

 あいつの側も、ここが観月のアパートだと知った上でやって来ているなら、なおさら興味深い。


 年季の入ったその建物は共用部に水道メーターが設置されており、あいつは止水栓の前にしゃがみ込んで水を操っている。傍まで近付いた俺に気づかない程、悪戯に夢中らしい。


「……久しぶりだな」


 背後から声を掛けると、虚を衝かれてびくりと肩を震わせた。が、口を開くことも後ろを振り返ることもしない。


「何を考えてる? TFCが動けば、厄介だと分かってるだろ」


 俺がどう言おうが無視を決め込み、頑なに背を向けている。詰め寄って手を伸ばした途端、その手を勢いよく払い、あいつはあっさり姿を消してしまった。半身とも言うべき身は、残念ながら俺の結界では封じることができない。


 諦め交じりの溜息を漏らした時、アパートから出て来る軽い足音が聞こえた。

 敷地内に部外者がいれば怪しまれ、警察に通報されかねない今のご時世。いかに弁明するか思案しながら、側に来た人影に目を移せば、それは報告書で見た事務所の新入社員だった。


 観月小夜、十九歳、マーシャルアーツの有段者。ざっと履歴書の情報を頭から引き出す。司門たちのいないところでお目に掛かれるとは都合が良い。


「ここで、何をされてるんですか?」


 言葉遣いは丁寧でも、彼女の表情から俺を不審者とみなしているのは確実。武術家の凛とした気を纏っているのはさすがだが、サンダル履きでは形なしだ。


「さっき、水のトラブルはなかった?」


 俺はできるだけ緩い調子で尋ね、水道メーターを示した。

 彼女の方は俺を知らない。もっとも後ほど事務所で顔を合わせるのだから、無理に今名乗る必要はあるまい。


「蛇口から、水が止まらなくなりましたけど」

「ああ。それで、止水栓を閉めていたのか」


 観月は警戒しつつ、素直に答える。思った通り、あいつは子供じみた悪ふざけに興じていたわけだ。


「パッキンを交換したので、とりあえず水を出してみようと思って」

「原因はそこじゃないが。まあ、直ってはいるはずだ」

「はあ……」


 邪気を放っていなかったため、彼女は従者の仕業だとは露ほども疑っていないだろう。とりあえず、危害を加えるつもりはなさそうだし、今はまだ様子見でいい。


 観月は訝し気に眉を寄せている。可笑しくなる程、考えが読み易い。

 俺が腕時計を確認する仕草をし、九時か、と呟くと、案の定観月ははっと顔色を変えた。


「じゃ、急いでるので」


 それだけ言って、慌ただしく部屋へ戻っていく。とうに始業時間を過ぎており、あいつのせいで彼女が出勤できなかったのは可哀相な気がする。


(詫び代わりに、あれを持って行くか)


 司門とのアポイントの時間は十一時。多少遅れるだろうけれど、こちらも遅れれば観月の遅刻は相殺される。俺は道路脇に止めたオートバイに跨り、ヘルメットをかぶった。

 あいつがどこへ消えたかは分からない。しかし、必ずまた彼女の近くに現れると確信していた。






『Task Force against Cthulhu(クトゥルフ対策部隊)』 、通称TFCは、政府の一機関であるが、表向きは社会秩序保護活動のNPOとなっている。

 数年前に訪れたTFCのオフィスビルは、増築もなく昔と同じで、入り口の指紋認証も簡単にパスできた。セキュリティは相変わらず甘い。


「……ソウさん!? いつ帰国したんです!」


 主任の執務室の前で、俺は後輩の同僚であるシンとばったり出くわした。

 なにせ、会うのは二年ぶり。シンは懐かしそうに挨拶してくる。


 きちんとネクタイを締めスーツを着込んだ真面目な後輩は、俺の変わり様に驚いたに違いない。

 ショートブーツ、ネックレス、レザーグローブなんて派手な格好は、当時からは想像がつかなかっただろう。だが、この白い髪色では、こういった服装の方がしっくりくる。


「五日前。連絡が遅くなって悪かった、シン」

「エイも一緒ですよね。どこです、あいつ?」


 俺の外見については触れず、シンは傍らにいるはずの相棒の姿を探した。そういうところは以前と少しも変わらない。


「あいつは復帰しない。他にやりたいことがあるそうだ」

「え、嘘でしょ?」


 信じられないと言わんばかりに、シンは目を見開く。シンは弟のエイと同い年で、同僚というだけでなく、エイの無二の親友でもあった。


「悪いが、ちょっと今日は急いでる。また後で」


 投げ掛けられそうな質問を先手を打ってかわし、俺は執務室のドアをノックした。

 律儀に頭を下げて歩き去る後輩を見送り、主任の声と共に部屋の中へ身を滑り込ませる。


「おや、遅かったね」


 TFC主任の加我(かが)はデスクに座って手招きし、のほほんと言う。アポもなくやって来た俺を見て、意外そうな様子は欠片もなかった。

 Web会議で顔は見ていたとはいえ、五十代の主任は俺が日本を発った頃より、若干老けた感じがする。


「連絡はしてなかったはずですが」

「勘だよ。今日あたり、きみが来るんじゃないかと思っていた」


 スーツを着用せず、オフィスカジュアルの範疇を越えた部下の服装を、一切気に留めないのは上司としてどうなのか。食えない男だと、俺は苦々しく笑った。


「クトゥルフの従者の件で頼みがあります」

「承知した」

「まだ、何も言ってない」


 つい敬語が抜け落ちてしまったが、加我は頓着しない。一見日和見主義の上司は、腹の底が読めないばかりか、時折こちらの思惑を見透かしてくる。

 頭の固いTFCのお歴々の中で、唯一この男だけは融通が利く。その分、油断がならないのは明らかなのだが。

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