第168話「肉の迷宮-1」
「……っつ!?」
『迷宮』の中に立ち行った瞬間に俺が感じたのは、ただひたすらに気色悪いと言う感覚だった。
視覚的な部分での気持ち悪さは『迷宮』の外からでも分かっていたから覚悟は出来ていたし、その見た目から、今俺が足の裏に感じている妙に柔らかくて、弾力と暖かさがあると言うのも予想がついていたからまだいい。
だがそれ以外の部分……例えば辺りを走っている血管が脈打つ音や、肉の向こう側で何か大きなものがうねっているような音と言う聴覚的な部分での気色悪さに、何かが腐っているような匂いや酸や便のようなとにかくキツイ匂いが入り混じる事による嗅覚的な部分での気色悪さと言うのは予想外だった。
「うっ……なにこれ……」
「想像以上ですね……」
『アキラよ……』
「分かってる……単純な五感的なものだけじゃないな」
トキさんたちが『迷宮』の中に入ってくるのと同時に、俺と同じように顔をしかめる。
けれど、この場に対して俺は、そんな五感に直接訴えてくるようなもの以上におぞましい何かを何処かからか感じ取っていた。
出所は分からないし、それが具体的にどういうものなのかと言うのも分からない。
むしろそれは健常な人間は、普通に生きている人間には理解してはいけない類の何かである気がしていた。
「気分が悪くなりそうです……」
「悪くなる方が普通だと思いますよ……」
「これは酷いですわね……」
「とりあえず、念のためにだけど全員の定義強化をしておくよ」
何をされているかは分からないし、もしかしたら何もされていないのかもしれないが、俺はこの『迷宮』からの干渉を防ぐための支援をトキさんたちにかけておく。
これで不意打ち一発で即死させられるなんてことは無い……と信じたい。
「少し気分が楽になった気もしますね……」
「そうですわね……体の中に溜まっていた物が無くなった気がします」
「なら良かった」
ただ、そうでなくとも俺の支援には一応の効果は有ったらしく、心なしかトキさんたちの顔色が良くなる。
と言うか、やっぱり僅かにではあっても干渉は有ったらしい。
危ない危ない。
「さてと、これからどうする?」
「そうですね。どちらに進めば『祈りの塔』に出られるかも分かりませんし……」
「恐らくは今までの『迷宮』より桁違いに大きいですよね」
で、とりあえず何時までも鏡石の前に居るのは見つかる危険性が高すぎると言う事で、少々離れた場所に俺たちは移動し、そこの安全性を確かめた所でどちらに向かうかを話し合い始める。
実際、少し通路を見ただけでも今までの『迷宮』とは桁違いに広そうな感じがしていたしなぁ……たぶん、やみくもに動いたら迷って出られなくなるんじゃないだろうか?
「ソラ。此処から外に繋がっている別の鏡石は見える?出来れば複数」
「んー、ちょっと待ってね?」
「何をいたしますの?」
トキさんの求めを受けてソラさんが周囲を探り始める。
そのことに穂乃さんが疑問符を浮かべるが、トキさんは「後で説明します」と言ってソラさんが調べ終わるのを待っているようだった。
「うん、見つかったよ。アタシたちが入って来たのを含めて四ヶ所ほど」
「じゃあ、その鏡石を抜けたら何処に出るかは分かる?」
「ん?んー……だいたいで良ければ分かる……かな?」
「じゃあ教えて」
トキさんはグレイシアンの地図と白紙の紙を広げると、ソラさんが言った光景が当てはまる場所……つまりはグレイシアンの何処に鏡石があり、その鏡石が『迷宮』内の何処に対応しているのかを書き記していく。
「これでだいたい分かりましたね」
やがてトキさんは白紙の方の地図の一点に印を付け、俺たちの方にそれを見せる。
そこは俺たちが今居る場所から多少離れた位置だった。
「これは……間違いありませんの?」
「ソラが調べられたのが四ヶ所だけなのでそこまでの確度は保証できませんが、だいたいの方向は間違っていないと思います」
「ふむふむ?」
穂乃さんたちは何かを理解しているようだが、俺としてはどうしてそこで間違いないのかいまいちよく分からない。
話の流れからしてそこに『祈りの塔』に繋がっているであろう鏡石があるのだろうけど。
「アタシとしても多分そこら辺じゃないかなと思うよ?その辺りだけ妙に遠視が難しいから」
「では、空気の繋がりから道を探ってみます」
「お願いします」
「えーと?」
で、俺が理解できない内に他の皆はそれがどういう事なのかを理解したようで、自分にやれる事を始めてしまう。
いや、俺が指示をしなくても動いてくれるのは有り難い事なんだけど……。
「(本当にどうなっているんだ?)」
『……。ここの『迷宮』はもはや固定化されていると言っても過言ではない。となれば、必然的にこの『迷宮』とグレイシアンはそれぞれの座標に対応性が見られることになる』
「?」
『要するに、他の鏡石がグレイシアンの何処に繋がっているのかを調べることによって、『祈りの塔』の中に出られる鏡石の位置を推測したんだ』
「(ああなるほど)」
『……はぁ』
溜め息を吐かれてしまったが、イースの説明によってようやく俺はトキさんたちが何をしていたのかを理解する。
まああれだ、目標とする場所が明確になったのなら、後はそこに向かって突き進むだけだし、俺の仕事はその状態になってからだから何の問題も無いな。うん。
そうと決まれば善は急げだ。
『はああぁぁ…………』
「心中お察ししますイース様」
そうして目標地点が定まったところで俺たちは移動を始めた。
何故かイースは更に大きな溜め息を吐き、トキさんもそれに応えていたが。
今までで一番視覚的効果が酷い『迷宮』です
12/10誤字訂正




