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プロローグ(2)

続きです。良かったら読んで下さい。

 案内されたのは、路地裏にある一軒の喫茶店だった。

 思わず「あ!」と、声が出た。

 彼女が耳聡くそれを聞きとめて

「来たことありますか?」

と、嬉しそうな笑顔で振り返った。

 私に怪我を負わせた間抜けなトイプードルは、既に歩くことをやめ、彼女の胸に抱きかかえられている。あまり歩きたがらない犬のようだ。それとも、さっきの猫との戦いで疲労困憊したものだろうか。

「ああ、以前に何度か」

 私は曖昧に答えた。

「そうなんですかー。どうでした?」 

「ああ…。確か、コーヒーとホットケーキが美味しかったよね…」

 数年前、高校時代の思い出が蘇ってきた。この店は、当時付き合ってた女性に何度か連れられて来られた喫茶店だ。

 今はもう会うことのかなわないその人との記憶が、ふっと昨日の出来事のように去来する。あれ以来、ここには来た事がない。妙な縁だ。

 彼女は店に入らず、その脇の路地を裏手に回って行った。途中潜り戸があり、彼女はその奥へと入って行った。私もそれに続く。

 潜り戸の向こうの店の裏部分は、店舗部分の瀟洒な佇まいに似合わず、こじんまりした和風の縁側になっていた。敷地には庭木がいくつも植えられていて、紅葉がちょうど鮮やかに赤く染まっている。四季ごとに、この縁側から季節の移ろいが見られるようになっているのかも知れない。

 彼女はその縁側の掃き出し窓を開け、私にそこへ座っておくように促して、アホ犬を抱えたまま廊下を奥へと走っていった。

 私がお言葉に甘えて、そこにぼんやりと座していると、程なく彼女がアホ犬を救急箱に抱き代えて戻ってきた。

 アホ犬は彼女の遥か後方で私の方を見て、「ワンワン」と泣き叫んでいる。

 愛する主人が自分を置いて、見たこともない人間の方へ行ったことに嫉妬しているのだろう。ちょっといい気味だ。

 そのアホ犬がどうしたものかと、その辺をウロウロしている間に、彼女の治療は終わった。

 久しぶりのオキシドールが随分しみたが、この刺激が効いてるなぁという気持になるのは、子供の頃から変わらぬ錯覚かもしれない。

 ひととおりの仕事が終わって、「そういえば」と彼女が口を開いた。

「もしかしたら、どこかへ行こうとなさってたんですか?」

「え、ああ…」

 私は一瞬言葉に詰まったが、何だか急に可笑しくなって、たまらず吹き出してしまった。

「どうしたんですか?」

と、怪訝な表情の彼女。

「いや、別に散歩中だっただけだよ」

 私は本当のことは言わず、笑いを何とかおさめた。

 さっき、私がバス停に行こうとするのを半ば強引に遮ったくせに、今頃そこに思いを廻らせた彼女の思考に、何とも言えない愉快な気分になった。

 彼女は僅かの間、私の笑いにちょっと不満げな顔をしていたが、

「あ、私、名前を言ってなかったですよね?」

と、話題を切り替えた。

「私、城崎明音(きのさきあかね)っていいます」

 突然の自己紹介である。ちょっと意表を突かれたが、すぐにその名を脳味噌の皺へと刻み込んだ。

「ああ、僕は真島蒼介(ましまそうすけ)。…あの…なんて呼べばいいのか分からないけど…明音ちゃんでいい?」

「はい、好きに呼んで下さい」

 屈託のない笑顔である。表情が豊かで、見ていて飽きが来ない。

「明音ちゃんはここの娘さんなの?」

「はい。この喫茶店は私のお母さんがやってるんです」

「へぇー」

「私、ここで手伝いしてるんですけど。真島さん…って、最近も来られましたぁ?」

「いや、来てたのは学生時代なんだ。もう2年くらいは来てないかなぁ…」

 私は思い出しながら言った。

「あ、そうなんですかー。さっき褒めてくださったホットケーキ、今は私が焼いてるんですよ。良かったらまた食べに来てくださいね」

「ああ、そうだね。是非食べに来るよ」

 そこまで言って、私はさっきから気にかかっていた事を言葉にしようと口を開いた。

「明音ちゃんって、何歳?お姉さんか、妹がいない?」

「私、19です。姉も妹もいますけど…」

 明音がそこまで言った時、庭先の方から

「あ、お客さん?」

と、別の声が聞こえてきた。

 声の方向を見ると、セミロングのストレートヘアの一人の女子高生が庭先に立っていた。目が大きくて頬が少しがふっくらとした童顔なのだが、体型はモデルのようにスリムで、完全なる美少女だ。

「おかえり、ゆりあ」

 明音が応えた。

「散歩中に、パンクがこの方に噛み付いちゃって、傷の消毒をさせてもらってたところ。真島蒼介さん」

 紹介されて、軽く会釈をする私。

 しかし、私の静かなる会釈は彼女の大声にかき消された。

「えー、パンクが噛み付いたのー?ほんとにー!?ヤバいんじゃないの??…あっ、どうも、すいませ~ん!」

 ゆりあと呼ばれた女子高生は一気に言って、私にペコリと頭を下げた。

「普段はそんなことするコじゃないんですけど…」

 尚も言い訳めいた事をぶつぶつと喋るゆりあ。

「いや、全然大したことはないんだけど…。あのワンちゃん、パンクっていう名前なんだね?」

 私は二人の会話で、やっとあのアホ犬の名が「パンク」だと知った。飼い主が二人の美少女ということもあり、さすがに「アホ犬」とは呼べない。嫌々ではあったが「ワンちゃん」と言ってみた。

「そうなんです、トイプードルっていう種類の犬なんですけど。…可愛いでしょう?」

 明音は当の可愛い犬が、私の足に噛み付いたことを既に忘れているのか、嬉しそうに言った。本当に悪意のまるでない、手放しの笑顔である。

「真島さんって…」

 ゆりあが私の傍らで、縁側から家に上がるべく、靴を脱ぎながら言った。

「…色男ですね」

 脈絡がない突然の発言に、ビックリした。

 明音が慌てふためいたように、怒声をあげる。

「もう、何言ってるのあんた!」

 私も何と言っていいものか、返事に詰まって、ただ笑ってみた。最近の女子高生って、こうなのだろうか?驚いたが、「色男」と言われて悪い気はしない。それともからかわれているものか…。

「すいません!あ、まだ言ってなかったですよね?これ、私の妹でゆりあっていいます」

 弱りきった表情で明音が言った。本当にこの表情の変化は面白い。

「いいじゃん、褒めてるんだから。ねぇ?」

 口元に含み笑いを浮かべて、ゆりあが私の方を見る。姉の判り易い反応と違い、こっちはどこまで本気なのか、ちょっと判断がつかない。

「えっと、ゆりあちゃんが妹って事は、お姉さんもいるんだね?」

 私はこの話題から離れようと思って、さっきの話を持ち返した。

「あ、いますよ。もうすぐ帰ってくると思うんですけど」

「名前は城崎愛李(あいり)さん?」

「えー、何で知ってるんですか!?」

 明音とゆりあが異口同音に、驚きの声を上げた。ゆりあは隣の部屋まで行きかけていたのだが、また戻ってきた。

「やっぱりそうか。高校時代の同級生なんだ。でも、同じクラスにはなったことがなかったから、愛李さんは僕のことを知らないと思うけどね」

 当時が思い出されてくる。

 私が以前付き合っていた女性は高校の同級生で片瀬真那(かたせまさな)といった。ここの長女の城崎愛李と真那は大親友で、真那がこの喫茶店に何度か私を誘って来たのもそのためだった。愛李は当時、自宅であるこの喫茶店でアルバイトしていて、私と真那が来ると必ずオーダーを取りに来てくれた。でも、仕事は真面目にこなすタイプのコのようで、喫茶店内では真那ともほんの少し言葉を交わす程度だったから、私が愛李と話をしたことはたぶん一度も無かったと思う。

 そして、ある日を境に私は真那と会えなくなり、むろん愛李のいるこの喫茶店にも通うことは無くなった。

「さてと、血も止まったみたいだし、もう帰るね。治療、ありがとう」

 私は思い出を振り払うように立ち上がった。

「あ!もう少し休んで行ったら、どうですか?」

「そうだよ、リンももうすぐ帰ってくるだろうし」

 どうやら、愛李は妹たちに「リン」と呼ばれているようだ。

「愛李さんは、今は喫茶店の仕事はしてないの?」

「はい、近所の会社で事務の仕事やってるんです」

「へぇー、そうか。じゃ、よろしく言っておいてね。たぶん彼女は僕のことを知らないと思うけど」

 私は冗談めかしてそう言って、さっき通ってきた往来へ出る潜り戸の方へ歩いていった。

 明音が慌てて、ついて来てくれた。ゆりあもさっき靴を脱いで縁側へ上がったばかりだいうのに、また靴を履いて降りてきた。

 余りのサービスの良さに恐縮しながら、最後にもう一回「じゃあ」と言って、潜り戸に手を掛けた時、不意に潜り戸が向こう側から何者かによって開けられた。

「わっ!」

 ビックリして、私が後ろへ飛び下がる。

 すると、向こうから潜り戸を開けた女性も、戸から半ば顔を出して、驚いたように動きを止めた。目を大きく見開いて、中を窺っている。

 見覚えのある漆黒のロングヘアだった。城崎愛李だ。

「あ…」

 先に愛李が声を出した。明らかに私のことを覚えているような表情だった。

「…ひさしぶり」

 本当に覚えているかどうかは分からないが、私は博打のつもりで言ってみた。

 果たして彼女は覚えていたようだった。

「どうしたの…?久しぶり…」

 もともと背が低くて童顔だった彼女だったが、それは当時と変わらないのに、今は綺麗な黒髪が複雑にカールしていて、チャコールのコートも相俟ってすごく大人びて見える。

 後ろから、明音が全てを説明してくれた。それで最初は訳が分からないというような表情だった愛李も、納得したようだった。

「傷、大丈夫?」

「うん、平気。また喫茶店の方にでも顔を出すよ」

「あ、うん。また来てください」

 何となくお互いにぎごちないやりとりになる。それで私は早々にそこから辞去した。

 また来るとは言ったものの、本当は来るつもりはなかった。

 それでも数日後には何度もここへ足を運ぶようになるのだから、人生というのは分からない。


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