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「ねぇ、どうして泣いているの?」

資料が散乱している仕事机に向かって大きくため息をついた。

今日こそ言わねばならない。

机の隅に立てかけてある小さなカレンダーは女が来てから6回程月を刻んでいる。

このままずるずると過ごしてしまうのはまずいだろう。

いつもの俺らしくもない。


だるい体を起こしてリビングまで足を動かした。

いつもの定位置であるソファでうとうとしている女の前に座り込むと、無防備な寝顔をしていた。


「おい」


声をかけると、閉じていた瞼がゆっくりと開いた。

眠そうに何度か瞬いている。


「話がある」

「……何?」


寝ぼけているのか、緩慢な動作で首を傾げる。

その様子に胸がくすぐったくなりながらも、手に持っていた資料を女に手渡す。


「これで家に帰れるだろう。明日にはここを出ろ」


言われるとは思ってなかったとでもいうように女は目を見開いた。

しばらく固まっていたが、やがてぎこちなく資料に目をやるとまた目を丸くした。

プライバシーという言葉などお構いなく書かれている資料に驚愕したのかもしれない。


「なんで?」

「……本来の形に戻るだけだ」


本音を言えばこのまま女がいる生活を続けていたかった。

俺が死んだとき、女は悲しんでくれるのだろう。

離れていくと分かると胸が締め付けられるように苦しく、辛い。

ここに縛り付けて、逃げていかないようにしたい。

殺せという俺の傲慢な叫びが聞こえるようだ。

けれど心の中では確かに女を縛り付けたくないとも思う気持ちもあった。


女から感情が消えるのが嫌だった。

俺のように何も感じず、何もあらわさず、淡々と日々を過ごしていくなど女には似合わない。

けれど俺は一人に戻れるのだろうか。

昔、どうやって一人で生きていたのだろうか。

記憶を掘り起こそうとしても、女がいつも隣にいた。

消えない焦燥感と失って出来た空洞を抱きながら人を殺め続けるのだろうか。

これでは絶望しか見えない。

なんて利己的で醜悪な感情なのだろう。

気持ちを落ち着けるために深く息を吐く。

これ以上馬鹿な思考にとらわれないうちにここから離れたほうがいいのかもしれない。

微かに頭を振って腰を浮かそうとした。


「待って」


俺を引き止める声が聞こえた。

もしかしたらこれは俺が作り出した都合のいい幻聴なのかもしれない。

歩みは止めたが振り向けずにいると、後ろから抱き着かれた。

腰に、女の白い腕が巻き付く。


「……離せ」

「嫌っ!!」

「婚約者がいるんだろう、いつまでも人殺しの傍にいることはない」

「す、好きなの」


背中越しにくぐもった声が聞こえる。

聞こえた言葉が信じられなくて思わず女と顔を合わせた。


「貴方が好き」

「……記憶がないからそんなことが言える。記憶が戻れば婚約者のとこへ帰るだろう」


今なら女を逃がせる。きっと俺はすぐに死ぬだろうが、女は人並みの幸せくらい掴める。


「馬鹿にしないで。私だって記憶が戻った後のことも考えたわ。けれどね、どれも貴方から離れる理由にならないの。強い貴方には私は必要ないのかもしれない。けどね、哀しくて、孤独な貴方から離れたくないって思うの。傍にいたいって心が叫ぶの」


だからお願いと呟いて女の腕に力がこもる。

女の前から姿を消さなければと思うのに体が硬直して、言うことを聞かない。


「ねぇ、どうして泣いているの……?」


女のその言葉で、これが涙なのだと気がついた。

初めて流したそれは暖かく、頬を伝う感覚がする。


俺は知らない。

命を惜しむことも。

人を愛おしく感じることも。

人を慈しむことも。

もう、どうしていい、かわからない。


「大丈夫、何も心配いらないわ。ずっとずっと傍にいるから」

「俺のために全てを捨てるのか?」

「貴方のためじゃないわ。私のためよ」


きっぱりとした意思をもつ言葉に不思議なほど気持ちが凪いだ。

包み込むような安堵感。

すっぽりと腕に抱き込んだ女の体温を感じながら、人生2回目の産声をあげた。


その日を境に"切り裂きジャック"と異名をとった殺人者は忽然と姿を消した。

完結しました!!

王道展開でしたが、王道が書きたかったので満足です。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

では、また機会がありましたら今後とも宜しくお願いします。



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