第7話:九つのエリア
ラフローグ地方は、九つの特色あるエリアによって構成されている。
広大な版図を持つこの地は、決して一朝一夕に語り尽くせる規模ではない。
地方の中心部には険峻な山岳地帯が鎮座し、全体として起伏の激しい地形が続く。整備された街道を一歩外れれば、深い緑と切り立った崖が視界を遮り、熟練の探索者でさえ方向感覚を狂わされる。一時の油断が遭難や滑落といった命に関わる事故に直結する、厳しくも美しい自然がそこにはあった。
しかし、そんな峻烈な外縁部とは対照的に、都市圏の平和は鉄壁の守りによって維持されている。行き届いた治安維持の仕組みは住民から絶大な信頼を寄せられ、温暖な気候と豊かな生活環境も相まって、ラフローグは理想郷に近い安寧を享受していた。
この地方を形作る九つのエリアは、以下の通りである。
1.ラフローグ城(都市中心部)
2.カノッサの森
3.女神の大地
4.翡翠の高地
5.コッコロの湖
6.イオル山地
7.風狼領
8.風の谷
9.アーカム海岸
各エリアには固有の伝承や名所があり、野心を抱く冒険者たちが遠征に訪れることも多い。だが一方で、ラフローグ城周辺の圧倒的な居心地の良さに魅了され、その城壁の内側だけで人生の大部分を過ごす定住民も少なくなかった。
エーデルワイスもまた、この広大な土地の隅々までを知悉する一人だ。
かつて隊長として最前線を駆けていた頃の彼女は、エリア2の深き森からエリア9の吹き抜ける海岸線まで、文字通りラフローグ全域を股にかけて転戦していた。
だが、守護騎士団の頂点に立つ現在、彼女の役割は「剣」から「盾」へと、そして「采配」へと変わった。実地へ赴く機会は減り、エリア1に留まって大局を見守る時間が、彼女の日常の大半を占めるようになっていた。
その結果として定着した彼女の日課が、城壁沿いの静かな湖畔で釣り糸を垂らすことだった。
それほどまでに城下の治安は安定しており、緊急出動を要する騒乱は影を潜めている。この日もエーデルワイスは、さざなみに揺れる浮きを眺めながら、穏やかな時の流れに身を任せていた。
そこへ、巡回パトロール中の下級騎士たちが通りかかる。彼らは遠目からでも、その凛とした後ろ姿が自分たちの主君であることを察した。
「見ろ、団長だ……。あのように休息の間も惜しんで城外へ出向き、我々の安全をその目で見守ってくださっている」
「ああ、あの背中がある限り、この街は安泰だな」
騎士たちは畏敬の念を込めて囁き合い、彼女の静寂を邪魔せぬよう、足音を忍ばせてその場を去っていった。エーデルワイスは部下たちの勘違いに気づくこともなく、ただ無心に湖面を見つめ続けていた。
城壁沿いの湖畔。
釣り糸を垂らしていたエーデルワイスは、心地よい水音と夕暮れの微風に誘われるまま、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
白を基調とした私服は、騎士団長としての峻厳さを脱ぎ捨てた、一人の女性としての柔らかな気品を際立たせている。無防備に閉じられた瞼と、等間隔に刻まれる穏やかな呼吸。それは、平和な街を守り続ける彼女が、唯一許された束の間の休息だった。
ふと、その肩にそっと確かな重みが加わった。
巡回を終えて主を捜しに来たシャルロットが、自分の上着を優しく彼女の肩にかけたのだ。
空は深い茜色に染まり、太陽が地平線の向こうへとゆっくりと沈んでいく。湖面が橙色の光を反射して煌めき、昼の活気と夜の静寂が溶け合う、幻想的な時間が流れていた。
「お疲れ様です、団長。ラフローグの街は、今日も平和でしたよ」
微睡む主君へ報告するように囁くと、シャルロットは隣に腰を下ろした。そして、大切に抱えていた竹皮の包みを静かに差し出す。
目を覚ましたエーデルワイスが包みを開くと、そこには丁寧に握られたおにぎりと、鮮やかなたくわんが並んでいた。
「……すまないな、シャルロット」
エーデルワイスは礼を言い、その素朴な握り飯を一口頬張る。
噛みしめるほどに広がる米の甘みと、慣れ親しんだ家庭の味。
彼女は、自分が守り抜いてきたこの街の平和を噛みしめるように、小さく、そして優しく表情を緩めた。
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