【異世界短編小説】時の書
この世界の悪は、暴力を嫌う。
完璧なまでの統治、無機質で機械的な統治。
血を流せば英雄が生まれる。
殉教者は思想になる。
だから悪は、正しさの顔をして人を殺す。
教育で選別し、
制度で囲い、
統計で未来を奪う。
反乱は「起きる前」に潰される。
誰が裏切るか、誰が疑問を抱くか、誰が希望を語るか――すべて確率で管理されている。
その頂点に立つ男。
世界統治評議会議長、ユリウス・カイン。
僕の父だ。
父は怪物ではない。
むしろ理想的な父親だった。
幼い頃、夜になると必ず僕の部屋に来て、毛布をかけ、物語を読んでくれた。
世界は残酷だが、賢くあれば生き延びられる。
愚か者ほど死に、賢者ほど世界を支える。
「おまえは賢い。だから守ってやる」
その言葉を、僕は信じて育った。
だが成長するにつれ、分かってしまった。
父が守っているのは「人」ではない。
世界の形そのものだ。
選択肢のない平和。
未来のない安定。
反乱しない人類。
レジスタンスに身を投じたのは、正義感からじゃない。
父を否定しなければ、自分が生きてきた意味が崩れるからだ。
彼女――リナは、僕の狂気を知っていた。
それでも隣にいた。
「あなたは世界を変えたいんじゃない。
お父さんに、“間違っている”って言いたいだけ」
否定できなかった。
息子が生まれたとき、僕は怖くなった。
父と同じ顔をしていたからじゃない。
守りたいと思ってしまったからだ。
この世界で、守るということは、縛るということだ。
だから僕は彼をレジスタンスの後継として登録した。
父親ではなく、象徴として。
逃げ道のない未来を、先に与えてしまった。
――タイムマシン計画は、絶望の延長線だった。
父を殺す。
悪になる前に。
それだけが、すべてを無効化する唯一の方法だと信じた。
完成間近の装置の前で、何度も手が震えた。
これは救済か、逃避か。
それでも起動した。
僕は父を殺すために生まれてきたのだと、自分に言い聞かせながら。
*
過去に到着した瞬間、違和感を覚えた。
空気が整いすぎている。
世界が、すでに“完成形”の匂いを放っていた。
父は、まだ議長ではなかった。
だが――悪になる前、という感じがしない。
その夜、僕は父の家に忍び込んだ。
寝室の前で足を止める。
中から、聞き覚えのある声がした。
幼い僕を寝かしつける声。
「大丈夫だ。おまえは守られている」
胸が軋んだ。
父が部屋を出た瞬間、僕は背後から銃を撃った。
音を殺し、確実に心臓を狙う。
弾丸は、確かに貫通した。
だが父は倒れなかった。
肉が蠢き、傷が塞がる。
まるで“そうなることを知っていた”かのように。
父は振り返り、微笑んだ。
「……やはり来たか」
その声に、迷いはなかった。
父は言った。
悪は途中からなるものじゃない。
最初から完成しているものだと。
未来から来る息子――
それが確認された瞬間から、計画は始動する。
親殺しのパラドックス。
今回は逆だ。
「おまえは、私を殺そうとする未来として確定している。
だから私は、殺されない父として存在できる」
僕が存在する限り、父は勝つ。
タイムマシンも、
レジスタンスも、
僕の憎しみも――
すべて、父の未来を固定する装置だった。
「おまえは、おれのセーブポイントだ」
世界が揺らぐたび、
必ず戻ってくる地点。
僕という存在が、
父の“やり直し不能”を保証している。
*
撃たれ、刺され、崩れ落ちながら、
僕は未来のことを思った。
無意味な反逆に身を投じる仲間たち。
希望だと信じて戦い、最初から負けていると知らない人々。
そして、息子。
守るつもりで縛り、
救うつもりで地獄を渡した。
「……ごめん」
誰にも届かない謝罪を、何度も繰り返す。
僕が行動したから、
彼らは抗う。
抗うから、父は勝ち続ける。
「安心しろ、今日から血は流れない。」
完璧な悪の、完璧な循環。
血が冷え、視界が暗くなる。
最後に思ったのは、
父を殺したかったのではない。
ただ、
父に勝ちたかった。
その願いすら、
最初から許されていなかったのだ。
鼓動が止まる。
世界は、何事もなかったかのように続いていく。




