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【短編小説】アギーレ社員食堂

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「さぁ、労働の時間だ」

 俺は破壊の限りを尽くされた社員食堂で、巨大な厨房にいる調理師たちの視線を一身に受け止めていた。


 辺りにはあらゆる定食とあらゆる社員が渾然一体となっており、鍋釜食器皿椀肉野菜屑怒涛の混乱シーナの糞壺三軒四方の断末魔と言った様相を呈したその真ん中で再び俺は叫んだ。

「さだ、労働の時間だ」

 床に転がるパイプ椅子とテーブルを退けて立ち上がり、最初に叫んだその一言こそが社歌であり、労働讃歌なのだ。



 始まりは些細なことだった。

 俺はいつも通り社食で蕎麦の券を買った。

「うむ、不味い」

 社食の春菊天蕎麦は香りもヘッタクレも無い単なる菜っ葉の揚げ物だ。

 しかし文句は無い。

 旨く無いのはわかっているし、労働中の昼メシなんてものは労働者のガソリンでしかない。

 その日の終業まで繋がれば良いし、それがハイオクか軽油かどうかなんてのは関係が無い。


 新人が隣に座った。

 トレーには煮魚の定食と小鉢がいくつか並んでいる。

「いつも社食なんですか?蕎麦って、定食とか飽きちゃった感じだったりします?」

 俺は味のしない春菊揚げを噛みちぎり飲み込んでから答えた。

「いちいち社外に出てレストランを選んだり、メニューを見て迷ったり悩んだりするのは愚の骨頂だ」

 俺たちは腰掛け一般職じゃあ無い。労働者だ。

 わかるか?小僧。

 俺たちに楽しい昼休みなんか要らない。


「でも昼休憩は労働者たちの権利ですよね?」

 新人は不思議そうな顔で赤だしの味噌汁を舐めた。

 俺は鼻で笑う。

「いいか?それが愚かしいと言うんだ。

 契約?権利?そんな事で俺たちの溜飲を下げる訳にはいかないんだ」

 俺は残りの春菊揚げを飲み込んだ。


 新人は小鉢に詰まったほうれん草の胡麻和えに箸を伸ばした。

「でも、人生で喰えるメシの回数なんてのは限られているじゃないですか。決め打ちしちゃっていいんですか?」

「確かに俺も色々と食いたい時期があった。

 しかし、食事の回数を稼ぐために店を梯子したって、腹が満たされている状況では旨さが激減する。

 やはり一食の重さを感じるよ」

 様々な小鉢に箸を伸ばす新人は、かつての俺だ。昼休みを楽しみに待っていた俺なのだ。


 その新人が驚いた様に目を見開く。

「え、その貴重な一食を、ガソリンだのなんだのと言って社食で済ませる事こそ愚かな行為って気がしますけど」

 その通りだ。

 ましてや俺がいま食ってるのは味も香りもヘッタクレも無い春菊天だ。

 蕎麦だって灰色の小麦麺だ。

 そこにやたらツンとする緑色の練り辛子を入れて、胃を荒れさせる為の七味を大量に振る。

 そしてそれを瞬く間に飲み込んで午後の労働に向かう。




 だが労働者だ。

 俺は労働者なのだ。

 俺たちは労働者としての生産性を如何に上げるかと言うことに尽きる。

 つまり如何にして楽をするかだ。

 労働者としての生産性とは、いかに働かずして多くの給与を得るかと言う事に尽きる。

 逆に経営者の生産性とは、いかに賃金を払わずに最大限まで働かせるかと言う事になる。



 だから俺たち労働者は隙をついてサボる。

 手を抜く。怠惰に働く。

 そして気づくのだ。怠惰を求めた先に行き着くのは勤勉さでしか無い事に。

 結局は勤労にたどり着く。

 働きたく無いから働くしか無い。手を抜きたいから手を抜かないで働く。

「お前もいつか分かるさ」

 だから昼メシとして社食を飲み込むのだ。

 俺たち労働者は社食に豪華さを求めたりしないのだ。

 そんな女々しいものは要らない。

 それは肉体でしか分かり得ない。



 新人は俺と言う労働者に興味を失った。

 そうだ、それでいい。

 俺の事も含めて誰ひとり信用するな。

 俺は裏切られたお前の姿かも知れないし、そうじゃないかも知れない。



 それはともかく。

 それはともかく、こんな蕎麦が許されるだろうか?

 こんな天麩羅が許されるだろうか?


 俺はこの社食蕎麦が許せなくなった。

 お前たちは怠惰なままだ。勤勉勤労に行きつかない怠惰な労働者のままだ。

「この味はなんだ?」

 膨れ上がる怒りは天を衝く髪となり俺は労働からアギーレとなった。

 震える椀の蕎麦つゆは波打ち、やがて麺がうねり、葱が弾け飛び、春菊天の残りのカスは天井を舞った。

 やがてその春菊天の残りカスが嵐を呼び、雷となり社食に降り注ぐ。

 蕎麦つゆの濁流は社食を洗い流し、九頭竜の様な麺は全てを薙ぎ倒した。



 そして、葱と俺だけが残った。

 俺は昼休みが終わるチャイムを聴きながら、額の葱を剥がして口に放り込んだ。

「俺はアギーレ、労働の怒りだ」

 厨房の調理師たちは勤労に行き着くだろうか?



 かくして、昼休みは終わった。

 また午後からは労働に勤しむのだ。

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