私の王子様 SS-ショートショート-
私は幼稚園児の頃から周りの男の子たちが好いていたヒーローや車、ロケットに興味がなかった。
むしろ自身が映るほどのキラキラした宝石や可愛い動物の絵本なんかに惹かれた。
王子様が助けに来るのを漠然と望んでいた。
そしてその感性を特段疑わなかった。
小学生のいつだかの土曜日の午後休。
大きな声で帰りを知らせた。
たまたま両親は家を留守にしていた。
玄関には赤いハイヒール。
私は意識を取り戻した。
駆けて母親の化粧台の前に座った。
汗のつたう首と焼けた顔とが鏡に映る。
ネックレスを掛ける。
ファンデーションにチークを重ね、アイライナーで線を引く。
仕上げに口紅を塗りたくる。
私はとても満足した。
しかしわずかな心の緩みが判断を遅らせた。
両親は帰宅し、すでに私の横に立っていた。
母親は顔を強張らせ、悲鳴を上げた。
父親は怒り、私に近づいてきた。
彼の大きな手のひらが私の頬を強くぶった。
私は床に叩きのめされた。
束の間、彼は私に馬乗りになり、何度も何度も拳を突き刺した。
肋骨が折れた。
唇から血が滲んだ。
心臓が、焼けた。
気持ちが悪い。出来損ない。腐ったことをするな。ボンクラ。
彼は私に目一杯の罵声を浴びせた。
意識が枯れるそのわずか、私がポケットに忍ばせた口紅に彼は気づかなかった。
歳を食った私は洗面台に立っていた。
青髭が生え、額がやや広くなった。
私はあの口紅を塗った。
ご高覧ありがとうございました。
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今作は「性」をテーマとしたフィクションです。しかし中には程度や状況は違えど悩み、傷ついた読者の方もいらっしゃるかも知れませんね。背景時代は1900年代終盤のつもりです。語り手の一人称は一般に女性が使う「私」ではなく、硬い表現である「私」です。幼稚園に通っていることから中流階級程度と推定できるかと思います。化粧用品を外来語や和製英語で呼んでいるのもそのためです。また語り手は化粧用品の名前を一通り知っている一方、ブランドや色味については触れていません。これは「興味はあるもののよく知らないし知る機会もなかった」からです。また意識を「取り戻した」り「枯れ」たりするのは美しくありたいという願望を改めて強く意識し、それが叶わないという事実に打ちひしがれているからです。語り手にとって美しくありたいのは当たり前。赤いハイヒールはそれを改めて煽ったということですね。肋骨が折れたのか唇から血が出たのかも定かではありません。まあそう感じたのでしょう。今作はほとんどを「過去」の意味を持つ助動詞「た」を用いて表現していますが語り手が小学生の頃に化粧をする場面では用言の終止形である「る」を用いています。これは語り手にとって場面が克明に思い出されあたかも今起こっているように感じているのを表現したつもりです。
ちなみに当時は土曜の午前に授業があり午後から休みの日のことを「半ドン」と言ったとか。一説によると「ドン」とはオランダ語で「Zondag」(休日)が訛ったことがきっかけらしいです(Wikipediaより)。
改めてここまでのご高覧ありがとうございました。