season 2-2 美亜
season 2--2美亜
2009年11月15日 日曜日
今日は午後からのバレエとフランス語のレッスンを休んで、パパとセリーヌの為に動物病院に行く。
なぜか意固地になってしまって、今更ながらママに申し訳なく思う。
「ごめんね、ママ、私の為を思って色々言ってくれてるの知っているよ…」
心の中で言ってみる。
でも、セリーヌのことはどうしても譲れなかった。
(ママも、きっとわかってくれるよね?)
直接言えたらいいのに。
でも、今はまだ…なんとなく言えない。
パパのジャガーに、セリーヌと一緒に乗り込む。深みのあるブリティッシュグリーンのボンネットに、午後の空を柔らかく反射している。
パパはイギリスに誇りを持っている。だから、車もイギリス車だ。
私も、この車が好き。特に、フロントに輝くエンブレムが可愛くて、見るたびに少し嬉しくなる。後部座席は少し狭いけれど、セリーヌはそんなことは気にしない。ドライブが大好きで、窓の外を楽しそうに眺めている。ただ、その先に待っている動物病院のことは、まだ気づいていないみたいだけど…。
パパのジャガーの後部座席の窓を開け、セリーヌは終始ご機嫌だった。窓の外を眺めながら、鼻をひくひく動かし、ゆったりと尻尾を揺らしている。こうして外の景色を眺める時間は、セリーヌにとって至福のひとときなのだろう。
でも、交差点を曲がった瞬間、セリーヌの動きがピタリと止まった。じっと前方を見つめている。
「……くぅん?」
小さく鼻を鳴らし、ちらりと私を見上げる。
何かがおかしい。そんな顔をして、もう一度窓の外を確認する。
しばらくして、セリーヌはそっと尻尾を振った。まるで、「きっと偶然だよね?」と自分に言い聞かせているみたいだった。
でも、車は減速し、駐車場に入る。
「……クゥゥゥゥゥン……!!」
セリーヌの目がまん丸になった。
尻尾はピタリと止まる。
もう、言い逃れはできない。ここは間違いなく、セリーヌの嫌いな動物病院だ。震えながら、後部座席の隅にじりじりと後ずさる。私はそんな彼女を優しく撫でた。
すると、セリーヌは私の腕に顔をうずめてきた。
車から下りると、セリーヌはゆっくりと顔を上げた。長い耳の毛が、ふわりと揺れた。
「……くぅん?」
まだ完全に気づいていないのか、上品な仕草で首をかしげる。だけど、病院のおおいドアが開く音が聞こえた瞬間しっぽの動きが止まった。目をまん丸に見開き、私をじっと見つめてくる。
「まさか…うそよね?」
そんな表情のまま、そろ〜りと後ずさる。
優雅な長毛が揺れるけれど、その動きはあきらかに挙動不審。
「セリーヌ、行くよ!」
そう声をかけると、ピクリとも動かなくなった。身体は大きく優雅なのに臆病なセリーヌが可愛くてしょうがない。いつまでも一緒にいたい。
だから今日ここにきたのだ。私が優しく抱きしめると、セリーヌも堪忍した様だ。
「ほら、行くよ!」
セリーヌはようやく立ち上がった。
病院の自動ドアが開くと、独特の消毒液の匂いが鼻をかすめた。セリーヌは、一歩足を踏み入れた途端、ピタリと動きを止める。つややかな長毛をふわりと揺らしながら、じっと周囲を見回した。
待合室には、キャリーケースに入った猫、飼い主の膝の上で震える小型犬、そして、どっしりと床に伏せている大きなラブラドールがいる。
「セリーヌ、座って」
そう言ってリードを引くと、セリーヌはおとなしく座った。でも、そのしっぽは丸め込むように縮こまっている。
受付のスタッフが笑顔で声をかける。
「セリーヌちゃんですね。今日はどうされました?」
「ちょっと最近、疲れやすいみたいで……。」
問診票を書いている間も、セリーヌはじっと動かない。まるで時間が止まったかのように、静かに丸まっている。
「診察室、どうぞ」
名前を呼ばれた瞬間…セリーヌのしっぽが、さらにギュッと縮こまる。
診察室に入ると、白衣を着た年配の男性の獣医さんが微笑んだ。
「セリーヌちゃん、こんにちは」
セリーヌは——無言。というか、診察台の上で石像のように固まっている。
「今日はどうしましたか?」
獣医さんが父に向かって話しかける。
ここは私が答える。私が騒いでここまで連れてきたのだ。
「こんにちは……最近、疲れやすくて、散歩の途中で座り込むことが増えました」
「他に気になることはありますか?」
「……食欲はあるんですけど、ちょっとずつ減ってる気がして。お腹も、なんか……少し硬いような……」
自分の言葉が正しいのか、不安になりながらも伝える。パパは、黙って横で聞いていた。
でも、ほんの一瞬、「補足しようか?」と迷ったような気配があった。それでも、私が最後まで話すのを待ってくれた。
「なるほど。しっかり観察していますね」
獣医さんが、私に向かって優しく頷いた。
少しだけ、胸が温かくなる。
「ええ、しっかりしてるでしょう?」
パパが、誇らしげに笑った。
獣医さんはセリーヌの腹部を優しく押しながら、少し考え込んだ。
「少し硬さがありますね……。念のため、血液検査をしましょう」
セリーヌは、診察台の上でじっとしている。
「ちょっとチクッとしますよ」
獣医さんがそう言うと、セリーヌがピクリと動いた。血液検査の結果が出るまで、しばらく待合室で待機することになった。
——30分後。
再び診察室に呼ばれ、獣医は検査結果を見ながらゆっくりと口を開いた。
「肝機能の数値が、だいぶ高めですね」
「……どういうことですか?」
私は思わず身を乗り出した。
「肝臓に何らかの炎症がある可能性があります」
私はセリーヌを撫でながら、獣医の言葉を待った。
「超音波検査もしてみましょう」
——エコー検査の結果。
「……やはり、肝臓の形が変わっていますね。慢性肝炎の可能性が極めて高いですが、確定診断のためには、もう少し詳しく調べる必要があります。」
「詳しく、って……」
「組織検査を行えば、より正確な診断ができます。ただ、慢性肝炎は早期に治療を始めることで、進行を遅らせることができます。治療を考えながら、追加検査を検討しましょう」
「はい、お願いします」
やはりおもわしくない様だ…。でも早期治療ができそうで、ひとまずほっとした。
「それにしてもよく気がつきましたね?発見が遅かったら命の危険がありました」
「はい、この子がどうしても病院に連れていくって、とても大騒ぎね」
パパが私の頭をポンポンと軽く叩く。
「へえ、君が気づいたのかい?」
「はい!」
獣医さんが、まじまじと私を見つめる。
「本当にすごいな」
「この子は将来、医者になりたい」
パパが、ちょっと得意げに言う。
……微妙に日本語が変な事がある。
「じゃあ君が医者になったら、僕も診てもらおうかな?ハハハ」
「はい!」
思わず、笑顔になる。
少し前までの不安が、ふわりと消えていくようだった。
慢性肝炎の可能性は高いですが、確定診断のためには組織検査を行う必要があります。」
「組織検査……?」
「肝臓の細胞を少し採取し、詳しく調べます。鎮静剤を使うので痛みはほぼありませんが、結果が出るまで数日かかります。」
セリーヌは何も知らず、穏やかな顔で私を見つめていた。
「お願いします」
30分後、処置を終えたセリーヌが戻ってきた。
少しぼんやりした表情で、しっぽの動きも鈍い。
「鎮静剤の影響ですね。今日1日は安静にさせてください」
私はセリーヌの頭をそっと撫でた。
「結果は数日後にお伝えします。その時に今後の治療方針を決めましょう」
「……はい」
病院を出ると、冷たい風が頬をかすめた。
結果を待つ時間が、やけに長く感じられそうだった。
数日後、検査結果の連絡が来た。
セリーヌはやはり 「慢性肝炎」だった。
詳細を聞くために再び病院へ行き、獣医さんから説明を受けた。
状態は良くはないが、適切な治療をすれば進行を抑えられるらしい。
「お薬を飲みながら、定期的に検査をしていきましょう」
そう言われて、少しだけほっとした。
病院を出ると、冷たい風が吹いた。
私はセリーヌの頭を撫でながら、小さく息をつく。
「もう、大丈夫だよ、一緒に頑張ろうね!」
セリーヌは、何もわかっていないような顔で、ふわりとしっぽを振った。
「これで家族全員がずっと一緒にいられるね…ありがとう…そう、セリーヌだけでなく私も…パパもママも…」
(……えっ⁉︎……今の……どう言う事?なんでそんな風に思ったのだろう?)
よくわからないけど、ほっとしたらまた泣いてしまった。