season 2-1 美亜
season 2--1美亜
2009年11月8日 日曜日
窓の外は、ふんわりと白い霧に包まれていた。
庭の木々はぼんやりと霞み、まるで夢の中の風景のようだった。窓から見える、プラタナスの並木道も、今朝は柔らかなベールに隠されている。霧の中から、小鳥のさえずりがかすかに聞こえる。空気はひんやりとして、どこか幻想的な気配が漂っていた。
「パパ、ママ、セリーヌ、おはよう!外は霧がすごいね!」
私は元気よく階段を駆け下り、リビングのドアを開けた。
パパが新聞をめくる音と、ママが淹れるコーヒーとトーストの香り。
アフガンハウンドのセリーヌがゆっくり近づいてくる。2歳のメスだ。
いつもの静かな日曜日の朝の光景。
「good morning」
パパが新聞から目を上げて私を見る。
「おはよう。美亜、手紙が来ているわよ」
「ママ、誰から?」
「誰からなんだろうね。封筒には送り先が書いてないのよ」
テーブルの上には、私宛ての白い封筒がそっと置かれていた。
封筒には切手は貼っておらず「美亜様へ」とだけ書いてある。
「誰だろう?」
セリーヌの頭を撫でながら考える。全く心当たりががないけど、とりあえず開けて読んでみる。白い紙にパソコンでタイピングされた文字がびっしり書かれている。
「何…この手紙…」
——————
親愛なる美亜へ
この手紙を読んでいるあなたは、おそらくまだ12歳の美亜だと思います。この手紙を書いているのは、少し未来の美亜です。驚くかもしれないけれど、今から伝えることを信じてほしいのです。
まず、セリーヌのことを話します。セリーヌは今、元気そうに見えるけれど、実は肝臓に問題を抱えています。セリーヌは家族で、あなたにとって大切な存在だから、このことを早く知って、彼女を救ってあげたいと思って手紙を書いています。
最近、少し疲れやすくなっていると感じたことはありませんか?以前より昼寝の時間が長くなっていたり、散歩の途中で座り込んでしまうことはないでしょうか?ごはんを食べる量が少し減ったり、毛並みがいつもより元気がないように見えたりすることはありませんか?
また、セリーヌを撫でたとき、お腹が少し硬いと感じることはありませんか?
肝臓の病気はすぐに目に見える形で症状が出るわけではありませんが、早めに気づくことができれば、治療できる可能性があります。
私しか知らないことを少し話しますね。セリーヌは散歩の時、いつも同じ道の電柱で必ず止まってにおいを嗅ぐのが好でしたよね。そして、夜寝る前には、必ずあなたのベッドの隣で静かに座っていましたね。あなたがピアノを弾いている時、セリーヌがそっとあなたの足元に寝そべっていますね?そんなセリーヌを、これからもずっとそばにいてあげたいなら、どうかこの手紙を信じて、パパとママに話してほしいと思っています。
肝臓の病気はすぐには目立たないけれど、早めに気づけば治療できる可能性があります。病院に連れて行って、きちんと診てもらって。きっとパパもママも理解してくれるはずです。
どうか、この手紙を信じてください。セリーヌのために、できることをしてあげてください。
未来の美亜より
——————
全て読み終わると現実が切り替わる。
未来が変わり、過去が変わった為だ。
しかし、今のところ変わった事といえば「手紙なんて最初からなかった」という事だけだ。
「美亜、大丈夫⁉︎」
ママが心配そうに尋ねる。
「えっえっ?」
「Mia?」
パパも少し心配そうに声をかける。
何か読んでいた様な気がしていたが、気のせいだった…。
呆然と立ち尽くしている私をパパとママが心配そうに見つめている。下を向くとセリーヌまでも心配そうな目で見つめてくる。
「大丈夫だよ…ごめん、ごめん、ちょっと考え事していただけ…」
「何、考え事って?」
ママが聞き返す。
「最近のセリーヌの事、最近お昼寝の時間が長いでしょ、食べる量も少し減っている気がするし、それに散歩の時も疲れて座り込んでしまう事があるし、毛並みも良くない気がするの…」
「そう?いつもと変わらない様に見えるけど…」
「お腹もちょっと硬い気がするの…」
セリーヌのお腹を撫でながら答える。
「どうしたの?いきなり。気のせいよ…セリーヌはまだ若いのよ。病気になんてなる歳じゃないでしょ?」
「病院で見てもらった方がいいと思うの?肝臓や腎臓だったら症状が中々現れないって言うでしょ…」
「美亜は医者になりたいからって…、医者みたいな事言うのね…。今日は午前中はピアノのレッスンした後、パパの仕事のお客さんがうちに来るのよ、動物病院に行っている時間なんてないわね…」
パパはそれを聞いて黙って新聞を読んでいる…。
パパはいつも仕事、仕事で私に無関心な事が多いし、ママは絶対に私の言うことを聞かない。
なんか急に腹ただしく思った。
「手遅れになったらどうするの?私が1人で行くからいいよ」
「美亜!あなた今日、おかしいわよ。急に何ですか?セリーヌはいつもと変わらないじゃない?ねえ、あなた?」
「Let’s wait and see.(様子を見よう)」
「あなた、本当にいつもそうね……」
「手遅れになったらどうするの?」
「だから…急に何⁉︎」
確かにママの言うこともわかる。
急にどうしたんだろう、私…。
でも急にすごい胸騒ぎがするの…。セリーヌに何かあるんじゃないかって…。何もなければ、ないでいい。ただそれをどうしても確認したいんだ。
気がついたらポロポロと涙が流れていた。
セリーヌは、静かに頭を動かしながら、私の顔をじっと見つめた。そして、小さく鼻を鳴らしながら、そっと手を舐める。
「優しいセリーヌ、私のこと心配してくれているのね…。でも、私があなたの事を心配しているのよ。お利口だからわかるよね?」
セリーヌは小さく「くぅん」と鼻を鳴らし、私の体をそっと前足でトントンと叩いた。
「美亜、あなた、来年中学生なのよ!!泣かないで!!」
泣きたい時に泣く。そんなに悪い事なのだろうか?
「Shall we go next week?(来週行こうか?)」
「あなた来週、美亜はフランス語とバレエのレッスンよ」
「……」
パパは黙ったままだ。パパは優しい。でも、ママには弱いのだ。ピアノのレッスンは大好きだけど、バレエとフランス語は正直苦痛だ。何の役に立つのかいまいちわからないからだ。
「来週は休むからね!」
「決まった予定を勝手に変えるなんて、そんなこと許されると思ってるの?」
母は静かに言った。その言い方が、逆に恐ろしい。
「でも、私はセリーヌを病院に連れて行きたいの!」
私はぎゅっと拳を握った。
「セリーヌのことは大事だけど、あなたの未来の方がもっと大事よ」
「私はピアノは大好き。でも、バレエもフランス語も、何の役に立つのかいまいちわからないよ…」
「役に立つかどうかじゃないの。そういうものなのよ」
「その『そういうもの』って何なの?」
私は一旦落ちつくために、セリーヌを連れて自分の部屋に戻る事にした。
「待ちなさい!まだ話は終わってないし、ご飯もまだでしょ!」
「バタン!」
ドアを思いっきり閉めた。
自室に入るとセリーヌを思いっきり抱きしめる。セリーヌは目を閉じて私に身をゆだねる。本当に可愛らしい。
窓の外を見るとまだ霧がかかっていた。
霧をずっと眺めていると、なぜかとても懐かしい気持ちになっていくのを感じた。
あの頃は良かったな…。えっ…あの頃?
ママの言う通り今日の私は少し変だ。
それが図星なのが余計に腹が立った。
「トントン」
「……」
トントン」
「……」
「Father’s here.」
私は無言でドアを開けた。
「I convinced your mother. Let’s take a break next week and go to the hospital.」 (お母さんを説得したよ。来週休んで病院に行こう)
「「Thanks… and I’m sorry… I haven’t been very honest lately.」(うん、ありがとう…ごめんね…最近、素直になれなくて…)
「never mind」