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season 1-6 黒野

season 1--6 黒野


2023年10月13日 金曜日


スマホのアラームで目覚めると、美亜ちゃんはすでに起きてソファに座っていた。


「おはよう!楽しみでよく眠れなかったよ」


元気いっぱいだ。


「おはよう!」


僕も眠たかったが、思い切って大きな声を出してみた。今日は気合を入れて一刻も早く帰るつもりだ。何せ、午後からは美亜ちゃんとの最後の時間をたっぷり楽しむための大切な一日だから…。


朝食を食べ終えると、いつもより少し早めに家を出ることにした。玄関先で靴を履いていると、振り返った僕の目に、美亜ちゃんが両手を振って見送っているのが見えた。


「いってらっしゃい、がんばってね!」


その声に少し笑みがこぼれる。


「いってきます!」


僕も元気よく答え、玄関を出た。


仕事は猛烈に捗り、気づけば11時前にすべてが片付いていた。周りを見渡すと、同僚の水谷がこちらを見て話しかけてきた。


「やけに張り切ってたじゃん。もしかしてデートかな?」


普段なら適当に笑ってはぐらかすところだが、今日はなぜか口が滑った。


「まあな」


「マジで?黒野がデート?」


いつもは女っ気のない僕がデートだと、水谷もびっくりだ。あまりの驚きに、彼の顔が少しこわばっていた。


「ちょっと意外すぎるんだけど?」


水谷はしつこく詮索してきたが、僕は適当に相手をして、早く切り上げようとした。

どうせ、後で女なんていなかったとか、フラれたとか言われるのがオチだろう。

でも、今日はそんなこと、どうでもよかった。何よりも、早く帰りたい。僕には、美亜ちゃんが待っているのだから…。


急いで家に帰ると、玄関で美亜ちゃんが笑顔で待っていた。


「おかえりなさい、早いじゃん!」


その「おかえり」の一言が、もしかしたら今日で最後になるかもしれない。僕はその言葉を心の中でゆっくり噛みしめながら聞いた。


「ただいま」


山は少し寒いだろうから、僕はコートを持っていくことにした。

ちなみに美亜ちゃんは、寒さも暑さも感じないらしい。幽霊だから、そんな感覚がないのだと改めて思いながら、大切な手紙もバッグに入れた。帰りに夜になって霧が出れば、そのまま洋館に向かうつもりだ。


車に乗り込むと、僕は美亜ちゃんにプレイリストを作ることを提案した。「せっかくだから、一緒に車内でカラオケでもしようか」と言うと、美亜はすぐに15曲を挙げてくれた


1 ザ・ローズ

2 レット・イット・ビー

3 マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン

4 マイウェイ

5 タイム・トゥ・セイ・グッバイ

6 青春の輝き

7 アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー

8 イングリッシュマン・イン・ニューヨーク

9 ユア・ソング

10 ヒール・ザ・ワールド

11 やさしさに包まれたなら

12 糸

13 春よ、来い

14 チェリー

15 卒業写真


洋楽も日本語の曲もバランスが取れていて、美亜ちゃんらしい選曲だ。どれも名曲揃いだし、一緒に歌えるのが楽しみだ。


「これ、全部カラオケで歌うの?」


僕は少し照れ笑いをしながら言った。

「そう!せっかくのドライブだから、たっぷり楽しもうよ!」


美亜ちゃんはニコニコしながら答えた。

その笑顔を見て、僕も心が弾んだ。楽しいドライブになりそうだ。

その美しい歌声が車内に響きわたる。


「黒野君も一緒に歌って!」


美亜ちゃんが楽しそうに促す。


「う、うん、頑張るよ」


得意ではないけど、僕もザ・ローズを一緒に歌い始めた。美亜ちゃんの完璧な発音に少しプレッシャーを感じながらも、楽しく一曲目を終えた。


「次はレット・イット・ビーね!」


と、彼女が嬉しそうに続けてリクエストする。その瞬間、少し照れくさくなりながらも、歌うことの楽しさを感じ始めていた。


山に差し掛かると、木々はすでに鮮やかな色彩をまとい、紅葉が秋の訪れを告げていた。青々と澄んだ空が広がり、窓から入り込む風は涼やかで心地よい。車内には美亜ちゃんの透き通るような歌声がBGMとして響き渡り、その歌声が自然の風景と溶け合っているかのようだった。


平日のため、すれ違う車もほとんどなく、空冷エンジンの音が軽快に響く。最高のドライブ日和だ。自然と僕の顔にも笑みが浮かぶ。


山をどんどん上るにつれて、紅葉がますます鮮やかになり、秋の美しさが一層引き立ってきた。美亜ちゃんも、しばらく歌うのをやめ、車窓からの景色にうっとりと見入っている。


僕はプレイリストを静かなクラシックに切り替えた。音楽が、車内の空気をさらに柔らかく包み込み、二人だけの穏やかな時間が流れる。


目的地である鏡湖(かがみこ)に到着すると、目の前には信じられないほどの絶景が広がっていた。湖面は名の通り鏡のように静かで、紅葉に染まった山々がそのまま美しく映し出されている。完全な無風で、水面は一点の揺らぎもない。まるで自然が作り出した完璧な絵画のようだ。

澄み切った青空と、赤や黄金色に染まった木々が、湖面にくっきりと映り込んでいるその光景は、言葉にできないほど美しかった。


美亜ちゃんもしばし言葉を失い、ただその光景をじっと見つめている。2人はその静寂の中で心が癒されていくのを感じた。今日ここに来て本当に良かった。明日は土曜日で人がいっぱいだろう。


僕らは色々な話をしながら、湖の周囲をのんびりと散歩することにした。湖の水面に映る紅葉が揺れるたびに、自然と会話も弾んでいく。


「美亜ちゃん、将来の夢とかあるの?」


思い切って禁断の質問をしてみた。ずっと気になっていたが、今なら聞いてもいいと思えたからだ。


「お医者さんになる!」


美亜ちゃんは即答した。少し意外だった。


「病気や怪我で苦しんでいる人を助けたいの。でも、その前に今日は自分を助けないと!」


彼女の声には強い意志が感じられた。


「もし今日手紙を出しに行ければ、今頃はその夢も叶っているかもしれないね。素晴らしいな。僕はてっきり、ピアニストだと思ってたよ」


「じゃあ、ドクター兼ピアニスト。今、決めたから!絶対になるよ!」


美亜ちゃんは最高の笑顔で宣言した。


「それ素敵だね!」


僕も笑顔になった。


もし、そうなれたら最高だな。


ピアノが大好きな僕は、やはり美亜ちゃんにはどんな形でもいいから、ピアニストになってほしいと思っていた。


話しているうちにボート乗り場に着いた。


「またボートでごめんね」


「いやいや、謝らないでよ。こんな絶景をボートから眺められるなんて最高の贅沢だよ」


「確かにそうかもね。また音楽かけようか」


「音楽かけるの好きだね」


「静かな方がいいかな。鳥もいっぱい鳴いているしね。」


「ううん、音楽があると、なんだか特別な感じがするんだよね。景色と一緒に、心にずっと残る気がするから。だから、かけてほしいな。クラシックがいいな。静かな中に音が溶け込んでいく感じが好きなんだ」


僕はバッハの管弦楽組曲を小さめにかけた。鳥の声と音楽が見事に調和して、静かな湖の上に漂っていた。ボートを漕ぎ出すと、自然の音と美しい旋律が心に染み込む。湖面はまるで鏡のように紅葉を映し出していた。「鏡湖」という名前にふさわしい、今だけの刹那的な美しさがそこにあった。紅葉が水面に揺れる様子を眺めながら、僕たちはただ静かに、その瞬間を味わった。


ボートから降りると、再び歩いて湖が見えるロッジ風のカフェへ向かった。


少し肌寒かったが、僕らはテラス席に腰掛けた。

誰もいない、テラス席では美亜ちゃんと気兼ねなく話す事ができる。

昼食兼夕食には、焼き野菜カレーセットを頼むことにした。カレーは野菜がたっぷりで見た目も華やかだ。美亜ちゃんの前には、香ばしい香りが漂うパクチーのスープを置いた。

彼女は、その香りに顔を近づけ、目を閉じて満足そうに息を吸い込む。

そして、いつものように飲む真似をしてみせた。


「カレー美味しそうだね…」


カレーは確かにボリュームたっぷりで美味しかったが、胃にもたれる感覚が残った。特に穏やかな時間も相まって、なんだか眠気がじわじわと襲ってくる。


車に戻ると時刻はすでに17時。日が傾き始め、あたりはかなり寒くなっていた。ふと、美亜ちゃんの方に目を向けると、少し疲れた表情をしていた。


「少し仮眠を取ってから帰ろうか?寝不足もあるし、このままだと危ないからね」


「うん、それがいいね。私も昨日はあまり眠れなかったから…」


美亜ちゃんは素直に頷いた。どうやら彼女も、期待と不安が入り混じる中で、しっかりとした睡眠は取れなかったらしい。


シートを倒すと、すぐに重たい瞼が落ちてきた。車内は静かで、時折、風に揺れる木々の葉擦れの音と小鳥達の鳴き声がする。


隣では美亜ちゃんが手を合わせて、小さく何か口ずさんでいる気配がする。自分達の生きている時代に行ける様に、祈っているのだろう。僕も一緒に祈っていると、知らぬ間に眠りに落ちていった。


——————


霧深い夜、僕と美亜ちゃんは車を降り、洋館の門の前に立っていた。


門の横には古びたポストが静かに佇んでいる。冷たい霧がゆっくりとまとわりつき、二人の視界をぼんやりと曇らせていた。その視界の先には、洋館の窓に淡い明かりが灯っている。手に握りしめた手紙が、湿った空気で少し重く感じられた。


その瞬間、はっと目を覚ました。夢だったようだ。


車内を見渡すと、霧が立ち込めていて、あたりは薄暗くなっていた。時計は18時45分を示している。思ったよりも長く眠ってしまったらしい。

隣を見ると、美亜ちゃんも深い眠りの中にいる。


「お客さん、終点ですよ!」


冗談めかして彼女を起こすと、美亜ちゃんは眠そうに目をこすりながら、ぼんやりとした声で答えた。


「…不思議な夢を見たの。霧の中で、私と黒野君が霧の中、私の家に手紙を出しに行く夢…。しかも今、本当に霧がかかっている…」


思わず美亜ちゃんの顔を見つめた。


「僕も同じ夢を見たよ。家には明かりが灯っていたよね。美亜ちゃんたちの家族もいるって事だ」


その言葉に、美亜ちゃんの瞳が一瞬だけ大きく見開かれ、次の瞬間、嬉しそうに微笑んだ。


「あの日の夜と同じだね!」


僕は確信を持ってそう言った。タイムスリップの予兆は、やはり魔法の鍵と霧と夢がキーなのだろう。再び過去に戻り、美亜ちゃんたち家族の運命を変える時が来たのだ。


「行くよ!美亜ちゃん達が生きている過去へ!」


「うん!なんかバックトゥーザフューチャーみたいだね。今頭の中であの音楽が流れてるよ!ハハハ」


「うん、映画の主人公みたいだね、僕達…」


霧の中の運転は本当に危険を伴う。僕は慎重にハンドルを握りしめ、視界の限界まで神経を研ぎ澄ませた。こういう時は音楽はかけない方がいい。


霧の濃さは想像以上で、視界は10メートル先が見えるかどうかという状況だった。美亜ちゃんはそんな僕の横顔を、時折真剣な表情で見つめている。


「もう少しだよ…」


僕は小さく呟く。美亜ちゃんはただ無言で頷き、目を閉じた。


かなりの時間をかけて山を降り、時計は21時を回っていた。まだ霧は濃く、街灯もぼんやりとしか見えない。この前と同じルートで再び山道に差し掛かると、霧はさらに深くなり、車内の空気が冷え込んだ。


しばらくすると、腕時計が何かを知らせるようにチカリと光った。


「ねえ、見て!!」


僕は美亜ちゃんに腕時計を見せる。


表示は「2009年11月7日 STA」


「うぉ〜!!やったね!!」


彼女も思わず声を上げ、喜びに満ちた笑顔を見せた。


「美亜ちゃん達家族がまだ生きている時代に戻れたよ!」


「うん!!信じられない…。こんな奇跡、本当に起こるんだね!!」


美亜ちゃんの瞳に、涙が浮かぶ。

しかし、僕はまだ気を抜けなかった。ここで事故でも起こせば、すべてが台無しになる。深呼吸を一つして、ハンドルをしっかりと握り直した。


最後の角を慎重に曲がり、ついに無事に美亜ちゃんの家の前に到着する。


霧に包まれた洋館は妖しくも美しく、窓には灯りが灯っている。僕の手のひらは汗でしっとりしていて、緊張感がピークに達していた。同時に、胸の中には安堵感が広がる。


「ついにここまで来たよ、ほら、見て窓に灯りが灯っているよ…」


エンジンを切り、静かに言った。美亜ちゃんはじっと家を見つめ、無言のまま涙を流している。


「見てきてもいいかな…?もし見たら…どうなるのかな?」


「見に行っても大丈夫だと思うよ。多分、家の中にいる人たちには美亜ちゃんの姿は見えないと思う。でも、美亜ちゃんからはきっと見えるはずだ」


「…ちょっとだけ行ってきていい?」


「もちろん。でも、少しだけね」


僕はそう言うと、軽く笑ってみせた。


「僕がこのまま立ってたら、さすがに不審者だと思われるからさ。車の中で待ってるよ」


「ごめんね、黒野君。ちょっとだけ行ってくるね。すぐに戻ってくるから」


美亜ちゃんは門や扉をすり抜け、家の中に消えていった。僕は車内でただ見守ることしかできなかった。


3分ほどが経つと、美亜ちゃんが戻ってきた。車に乗り込むなり、大粒の涙を流しながら泣き崩れた。


その姿に、僕はどういう涙なのかわからず、不安な気持ちになった。


「どうだった?」


恐る恐る尋ねた。

美亜ちゃんは涙声の中で懸命に答えた。


「みんないたよ!!!セリーヌも! パパもママも、みんな元気だったの!!」


その言葉に、安堵しながらも胸が詰まった。


「よかったね!自分はいた?」


「リビングにはいなかった。多分自分の部屋で勉強しているのだと思う。見て、私の部屋にも灯りが灯っているでしょう」


2階の1番端の部屋を指さして言った。


美亜ちゃんは涙をぬぐおうとするが、溢れる涙は止まらない。


「じゃあ、手紙を出そうか?」


僕は静かに提案した。


しかし、美亜ちゃんは戸惑いを隠せない表情で尋ねる。


「手紙を出したら、今の私たちどうなるんだっけ?」


僕は少し迷いながらも、できるだけ正確に答えた。


「おそらく、過去が書き換えられることで、美亜ちゃんは生きている美亜ちゃんに戻る。

その際、幽霊だったときの記憶はすべて消えるのだと思う。

僕も同じく、美亜ちゃんとの記憶は全て消えるし、2023年に戻ることになるはずだ。

つまり、これでお別れだね…」


美亜ちゃんは号泣しながら、しばらく声を出せずにいた。

しかし、ようやく震える声で言葉を絞り出した。


「記憶がなくなっても私たち、アルティス音楽院で繋がっているからね」


「うん、でもその時は、以前の様にお互いに関心がないからね」


小学生の頃、気があった事は結局言えなかった。


「…鍵出して…」


「はい」


ポケットから鍵を取り出す。


「念の為、最後にもう一度祈ってみるわ」


美亜ちゃんが目を閉じ、両手を合わす。


「2人がまた出会えた時に…少しでもいいから記憶が残っています様に…」


「そんなこと言ってくれて本当にありがとう…」


「黒野君、今まで本当にありがとう!大好き!」


「……」


突然の事に言葉が出ない。


「黒野君は?…私の…事好き?」


「ありがとう。でも…大人が12歳の子に『好き』なんて言うわけにはいかないんだ…わかるよね?」


「えっ?なにそれ⁉︎真面目なんだから!でもそう言うところが好きなんだ…」


「あまりここに長くいる訳にいかないからもう行くよ」


そう言い終わると、ポストに向かって歩きだした。


「これから手紙投函するからね」


胸が苦しい。これで本当の別れだ。


「うん、本当に…本当に…ありがとう!」


美亜ちゃんがまた泣き出した。


「こちらこそありがとう…6日間楽しかったよ」


「うん、最高に楽しかった。蘇ったら絶対に黒野君以外の人を好きにならないからね。例え私しか覚えていなくても…絶対に…」


その言葉に僕も涙が溢れてくる。


「…ありがとう…じゃあ今からポストに入れるよ…」


「うん…過去の私…手紙を読んでセリーヌを絶対に病院に連れていってね…上手くいきますように…」


「…上手くいきますように…」


祈りながらポストに手紙を投函すると、2人は静かに消えていった…。 

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