それも一つのデフォルメ要素
現実と創作は違う。
それは当然の事なのだが、人はしばしそれを忘れる事がある。
というか、己の都合の良いように解釈する事がある、というべきだろうか。
創作の中で、あまりにも現実離れした展開があったとして、それは創作なのだからとわかっていながらそれでも、でも現実的ではないしこんな事できるわけがない、などと言い出す。現実に似た世界観の話だとそれはよくある事だった。
そもそも現実の世界と異なる世界の話をしているのに、何故その世界ではない常識を持ち出すのか。
「結局のところ、その世界でしか生きてないからそれ以外の世界の常識など知らんって事なのかもしれないわー……」
そんな風に思うようになったのは、彼女がこことは違う世界で生きていた記憶を思い出したからだ。
異世界転生。
創作だけだと思ったのに、まさか自分がそれを体験する事になろうとは。
思い出したのがもう少し早ければ、色々と浮かれてやらかしたかもしれない。
けれども。
今世の彼女は人間に生まれなかった。人の形をしてはいるけれど、人間ではない別の種族に生まれていた。
おかげで前世の記憶を思い出した今、御年なんと三桁突入である。
とはいえ、この種族の中ではまだ若いほうだ。
前世の自分の名前はすっかりと忘れてしまったけれど、スフレは魔女として長い時間を生きてきたのだから、まぁ忘れててもそりゃ仕方ないかとあっさり自分を納得させたのである。
創作と現実は違う。
なんてどうして突然そんな思考から始まったのかと言えば話は簡単だ。
ここが、とある乙女ゲームと全く同じであろう世界だからだ。
同一、と言い切っていいかはわからない。
わからないけれど、ほぼ同じでいいだろうとスフレは思っている。
ゲームの中で語られていた出来事がほとんど起きていたのだから。
それならそれで同一、と言い切っていいような気もしたけれど言い切らなかったのは、ヒロインがスフレと同じく転生者であるらしかったからだ。
タイトルも最早覚えていないが、ゲームの中では好感度を上げるアイテムなんてものもあった。
例えばそれが、日常で使える道具だとか、自分で買うのはちょっと手を出しにくいけど、でも人からもらえるなら有難く使うだとか、そういう物であるのなら問題はないと思っている。
けれどもその中には明らかに問題のありそうなお薬とか使ってませんか? と言いたくなるような物もあったのだ。
食べ物以外の品ならまだギリセーフだと思うけど、食べ物に何らかのお薬混入はどうかと思う。
どうかと思う、と言いながらも、それをゲームで提供していたのは魔女である。
つまり、スフレはその立場、ヒロインに手を貸すポジションなのだ。
ゲームでは魔女の店の店主にグラフィックはなかった。
メッセージウインドウにだけの出番。
魔女「いらっしゃい。何をお求め?」
こんな感じで。
だからこそその店が魔女によるものだとわかっているのと、魔法のお薬みたいなのが使われててもおかしくないようなアイテムが平然と存在していたわけだ。
だがしかし、ゲームの中ならともかく現実で魔法のお薬とかどうなのかな……とスフレだって流石に思うわけで。
医者でも治せないような怪我や病気を治せるようなお薬ならまだしも、それ以外の悪事に使いまくれそうな物はアウトだと思っている。
実際国の法律をちょっと調べたらアウトっぽかった。
ただ、魔女の薬に関してはグレーゾーン。
魔女には魔女の理があるので率先して悪事を働く事はしない。
やらかすのは魔女を利用した人間である。
なので、魔女のお薬を悪事に使った場合その人間が罰をうける。
魔女は若干共犯扱いになるけれど、そもそもそういう話を魔女に持ち掛けるな、が人間の法であった。
人間以外の種族がいると法律って一つ作るだけでもとても大変なんだなぁ……とスフレは他人事のように思っていたが、しかしとうとうヒロインは現れてしまったのだ。
転生ヒロインはゲームにあったアイテムなら合法とでも思っていたのか、店に並べていない商品まであれこれ求め始めた。
好感度アップアイテムとしていくつか用意はしておいた。
ただそれは食べ物以外のアイテムだ。
大体ここは食料を売る店ではない。賞味期限とか前世と比べて大雑把だし、アイテムボックスとかがあるわけではない。ゲームではそういう認識だったけど、この世界が現実になっているここではそんなものはなかった。
スフレは魔女なので魔法で収納できなくもないけれど、ヒロインには無理。
ゲーム序盤で手に入れたお菓子を終盤で食べてもお腹を壊さないのはあくまでもゲームだからであって、ここでそれをやれば間違いなく腹を壊す。
それなのに、好感度アップのマジカルドラッグが混入したクッキーとかいつ売れるかもわからん代物を置くわけがない。
クッキーは焼き菓子だから多少日持ちするかもしれないけど、それでも前世の市販のクッキーみたいな長期保存ができるわけでもない。
素人が家でクッキーを作った際、多少の誤差はあってもせいぜい三日以内に食べきるのが無難だとスフレは思っている。ギリ頑張れば五日は……どうだろう?
一週間までいくとアウトな予感。流石にスフレも前世で手作りクッキーをそこまで放置した事がないのでよくわからない。
転生ヒロインちゃんは自分がヒロインであることを自覚し、この世界は自分のためにあるのだと信じて疑っていないようだった。
お店であれはないの、これはないの? と普通の人間なら知らないような品の名前まで出してどうしておいていないのかと難癖をつけ始める。
なんというクソ客。
お客様は神様?
は? 神様だっていうならその神様パワーで自分で解決しろ。
そんなこともできないで神を名乗るんじゃねぇ。
ヒロインちゃんの態度があまりにもムカついたので、スフレはすぐに用意できないけれど……と言葉を濁しつつ後日くれば用意すると伝えた。
この時点でスフレは決めたのだ。
ゲームのヒロインちゃんとガワが同じだけの中身が別人のこれはヒロインに非ず。じゃあ別に潰しても問題ないよね……? と。
そういうわけで翌日、のこのこと訪れたヒロインちゃんに彼女ご要望の品を用意してみせた。
「それで、支払いだけど。どう見てもお代をもってないみたいだけどまさかタダでもらえるとは思ってないよね?」
「えっ!?」
お金とるの!? みたいに驚くヒロインちゃんに「常識って知ってる?」と言えば彼女は馬鹿にされたと思ったようでわかりやすくムッとした。
「店で品物を手に入れるにはお代を払わないといけない。常識だろう」
前世でもね、とは声に出さない。
ゲームの中では特に支払いはしなかった。
ゲームでは店に行くととりあえずどれか一つ欲しいアイテムが手に入る。一度に全部は入手できない。
他のアイテムが欲しければ、次に店に行ける時に行くしかないのだ。
ヒロインは自由時間に行動回数を使用して店に来たり、攻略対象のところへ行ったりしていた。
ゲームには所持金というステータスがなかったので、行動回数が支払うお代と言ってしまえばそうだった。
だがそれはあくまでもゲームだからであって。
ただ店に来るだけで品物がもらえるのなら、誰だってこぞって店にやってくるに決まっている。
よくよく考えたら当たり前のそれを、ようやくヒロイン――メロニアは理解したのだろう。
おいくら? とつんと澄まして聞いてきた。
なので正直に値段を告げれば――
「たっっっっっっっか!!」
叫ばれた。
「何言ってるんだい適正価格だよ。材料調達だけでも大変なんだからね。希少な素材をこれでもかと使っているんだからまだ良心的な値段だわ」
支払うとすれば、金貨を山と積まなければならない値段であっても、材料調達、素材調合といった手間賃含めれば全然良心的な金額ですらある。
「で、でもそんな大金持ってるわけが」
「持ってないのに所望したのかい?
まさか今まで買い物をしたこともないのかい?
数字の数え方はわかってる?」
まぁ、相手がゲームと同じように考えて現実を見ていなかった事がはっきりしたとはいえ、ここでそんな簡単な事にも気づけなかった、いくら相手を落とそうとするにしても、薬物使用はダメよね……と反省してくれれば潰すのは勘弁しておこう、と思って最後の慈悲としてスフレはそんな風に声をかけた。
「な、なんとかならない……!? まけてくれるとか……」
「馬鹿言ってんじゃないよ」
あ、こいつにかける慈悲とか無駄だったわ。
一応同じ転生者のよしみとしてちょっとだけ優しさを出したけど、全然必要なかったわ。
こういう手合いは下手に優しくしたらつけあがる。
「まけはしないけど、分割払いならまぁ……」
「本当!? じゃあそれで!」
「本当に、いいんだね?」
「え? そりゃ勿論。やったわこれで……うふふふふ」
もしかしてこのヒロインちゃん、前世でリボ払いで人生終わらせたりしてないだろうか……?
そんな不安がよぎったけれど、この分割払いの提案は彼女のためを思ったわけではない。
地獄に落とすためである。
いそいそと好感度アップアイテムという名のマジカルドラッグを持って去っていったヒロインちゃんの背を、しら~っとした目で見送って、スフレはとりあえず準備をする事にした。
――早速メロリアは好感度アップのアイテムを攻略対象たちに使う事にしたらしい。
ゲームだったらそりゃ使う事に躊躇いはいらないかもしれないけれど、転生して現実になった今、相手に得体の知れない薬を盛るのはどうなんだろう……?
じゃあ作るなよって話かもしれないけれど、そもそもあれは人に懐かない魔獣あたりに与えて穏便に人里離れた場所まで誘導したりするために作ったものなので。
メロリアの用途とこちらの用途が異なるだけなのだ。
仮に正しい使い方をメロリアに言ったところで、ゲームでの使い方を諦めてはくれないだろう。
そもそも諦めてくれるなら最初から怪しい薬に手を出さない。
メロリアは攻略対象者たちに「クッキー作ってきたんです」とはにかみ、よければ食べてください、と相手が受け取ってくれるようなタイミングを見計らい、断りにくい表情と声でもってクッキーを差し出していた。
この頃には好感度マックスとまではいかずとも、そこそこ仲良くなっていた事もあってか彼らは警戒する事もなく、メロリアに差し出されたクッキーを受け取り軽率に食べてしまった。
そうして結果はお察しである。
彼らは一斉にメロリアの虜になってしまって、そうして今まではそれでも少し自分たちの婚約者に悪いという気持ちもあったはずなのに、それすらすっかりなくなってしまって一層メロリアと共にいるようになってしまった。
そうして日数が経過していって、ゲームの展開通りにエンディングを迎えた。
メロリアに侍っていた令息たちはいずれも自分たちの婚約者に婚約破棄を告げ、そうして王子もまた婚約者の令嬢に婚約破棄だ! と宣言した。
我らは真実の愛を貫くのだ、などとのたまってそうしてメロリアは王子と結ばれた。
それ以外の令息たちはそんな王子とメロリアを見守っている。
ゲームでいうところの、逆ハーエンドというやつだった。
そうはいってもここはゲームの中ではないので、ゲームでのエンディングを迎えたところでそこで終わりというわけではない。
王子の最愛の女性として周囲からちやほやされつつも、メロリアは素敵なお妃さまになるのだと自分磨きに精を出していた。王子妃教育に精を出すわけではないあたり、なんとも彼女らしい。
けれどもある日、王子――レックスに難しい顔をされながら切り出された。
「最近出費が多すぎるから、贅沢は少し控えてほしい」
そう言われても、メロリアにはまるで心当たりがなかった。
確かにドレスや宝石はあっても困らないとはいえ、それでもメロリアだって毎日動くだけでも大変なドレスを着て過ごすわけではない。大勢の人の前に出る時は見た目重視で着るのがちょっと大変なドレスであっても我慢するけれど、そうでない時まではしない。
そうでなくとも、既に色んなドレスや装飾品を用意されていたので、メロリア自身が商人を呼びつけて何かを買ったという事は最近とんとなかったのである。
だというのに、レックスはまるでメロリアが豪遊しているかのように言うものだから。
「贅沢も何も、最近は自分で何かを買ったりなんてしていないわ」
思わずそう反論してしまったのだ。
「最近の話じゃないよ。請求書が届いているんだ」
ほらこれ、とばかりにペラリと出されたのは確かに請求書だった。
そしてそこに書かれた文字を見て、メロリアは危うく「あっ!」と声を出すところだった。
品名までは書かれていないけれど、徴収した相手のところには魔女の名があった。
分割払いである事と、残りの支払金額も記載されている。
「何を買ったのかまでは記されていないけれど、分割での支払いに応じた旨と、残りの金額。
残りの金額を支払うとなると、とてもじゃないけど王子妃の予算は既になくなってしまったし、そうなると次は私の資産あたりから代わりに払う事になるかもしれない。
いや、それ以前に。
これだけの金額を払うとなると、国庫にまで手をつけられそうなんだ」
「なっ……な、これ……えっ」
「取引をしたのは魔女なのだろう?
気づけば定期的に徴収されているんだ。魔法で。
一度支払いを待ってもらうか、せめてもう少し支払い額を低くしてもらうかしないと、あっという間に国庫まで空になってしまうし、そうなった後、果たしてどこから徴収されるのか見当がつかない」
などとレックスが説明している間に、一枚の紙がひらりと落ちてきた。
新たな請求書である。
請求書というか、領収書でもあるのだけれど。
「このままだと、王家は素寒貧だ」
それどころか国が亡ぶかもしれない。
なんて言われて、メロリアは大至急魔女のところへ行くことにしたのである。
お忍びスタイルになって、護衛を連れて魔女の店へ。
護衛は店の前で待っててもらって、メロリア一人で店に入る。
「ちょっ、どういう事よあの請求書!」
そして店に入るなりそう叫んだ。
「どうも何も。分割払いでいいとは言ったけど、一向に払いに来る様子がなかったからこっちで勝手に徴収することにしただけよ」
そしてメロリアの叫びに、当然だがスフレが動じる事はない。
「踏み倒されても困るからね」
至極当然の事ですが何か? とばかりに言えば、メロリアも反論できなかった。
高価なアイテムを要求して今の今まで代金を支払いにもこなかったのだから、文句を言える立場などではない。
「でもこのままだと破産しかねないのよ。せめてもうちょっと金額低くして分割にならない?」
「生憎こちらも慈善事業やってるわけじゃないんで。そんな事をして、子々孫々まで支払いを引き継がせる気かい?
前にそういう事言って、子孫に受け継がせようとしたけどそいつは結婚せず子供も作らないまま自分が死んで踏み倒そうとしてたからね。一代限りで支払ってもらうよ」
「そんな……」
メロリアはどうするべきかと考えを巡らせる。
王子と結ばれて、ロイヤルファミリーの仲間入りを果たしたとはいえこのままでは王家は素寒貧。
貧乏一直線。
そうなってしまえば、メロリアが描いていた幸せな生活からは程遠くなってしまう。
他の攻略対象たちを頼ろうにも、彼らの財産をすべて合わせたところでまだ支払いは終わらない。
皆仲良く一文無しになった後、果たしてどうなるのか……
「お金が払えなくなったら、今度は何から徴収するの……?」
「何って、そりゃあ決まってるでしょ。あるところから、あるものを取り立てる。それだけだよ」
スフレの言葉をどう受け止めたのだろうか。
前世の記憶があるのなら、金がないなら身体で払え、という言葉でも思い浮かべているのかもしれない。
前世だと若い女性は風俗などの身売りが真っ先に思いつくかもしれないが、もうちょっとアンダーグラウンドなネタを思い浮かべるのなら、臓器、とかであろうか。
メロリアの顔色がさぁっと青くなっていく。
思いつく限りの最悪を想像したらしい。
「ど、どうしたら……絶対そんな大金払いきれない……
ね、ねぇ、なんとかならない……?」
「なんとかって言われてもねぇ……
使った事を無かったことにしたいっていうのならできなくもないけれど」
「本当!? なかったことになるのなら、この大金も払わなくてよくなる!?」
「でも、そうしたら使った道具の効果も消えるよ」
「あ、え……?」
言われた意味を、メロリアはすぐに理解できなかったようだった。
「効果が消えるとどうなるの……?」
「どうってそれは勿論。使う前まで、お相手のあんたへの感情が戻るね」
「え、じゃ、それって」
「使う前の、なんとなく好意的に見てた感情。でも、同時に現実を知る事になるから一気に嫌悪の対象になるね」
「嫌悪、って……」
「だって、本来の婚約者との婚約を破棄したわけだろう? そうしてあんたと結ばれた。
でもそれは、薬の効果あってのもの。
それがなかった事になって、使う前の状態に相手の気持ちが戻ったならどうなるかなんて、言うまでもないだろう。
ついでに徴収した代金を返すけど、その時も領収書は出すからそこに代金を返した理由も記載するよ。
そうなると、本来使う事を許されていないご禁制の品を王族や高位身分の令息たちに盛ったという事実と、結果として彼らの結婚を妨害した事で、あんたは晴れて犯罪者。
今までの法から見て、ま、極刑は免れないかな」
「そんなっ!?」
「それが嫌なら代金を支払いきるしかないよ」
「でも、あんな大金……」
「分割払いでもいいって言ったらあんたそれで、って納得して買っただろ。で、使った。
金は払わない。秘薬は使ったまま。そんなの通用するはずがないでしょう。
人間同士のやりとりなら踏み倒せたりしたかもしれないけど、魔女相手にそれができると思わない事ね」
「う、うぅううう……」
「誰か一人に絞って使ってたらまだこんな大金請求されずに済んだだろうに。欲をかくから……
で、どうするの? このまま支払いを続けて王家どころか国中を困窮させて国を滅ぼすか、無かったことにして犯罪者となって処刑されるか。
なかった事にした時点で逃げ出したところで、逃げおおせるとは思えないかな……
今までの愛情がひっくり返って憎悪になったっておかしくないからね。地の果てまでも追いかけて確実に仕留めるとか、そういう感じになるかも。
そうなる前に自分で自分の命を絶つにしても、上手くいかなかったら苦しいだけだからね……」
死ぬの慣れてるクチ? と聞けばそんなわけないでしょ!? とヒステリックにメロリアは叫ぶ。
人間一度死んだら終わりなのに、死ぬ事に慣れるとかあるわけないでしょ! と、とても真っ当な返しだった。
真っ当な考えがないわけじゃないのに、どうして相手にマジカルドラッグは盛ってしまったのか、という突っ込みをスフレはしなかった。
「ま、すぐ決めろって言われても考えなんてまとまらないか。
少し時間を上げよう。三日くらい。
とりあえず今日のところは帰ってゆっくり休みな」
とりあえず三日の間は勝手に国庫からお金を徴収したりしないから、と言えばメロリアはあからさまにホッとした。
たった三日とはいえ、それでも猶予ができたのは事実で。
メロリアはスフレに言われるままに店を出て、城へと帰っていったのである。
「――と、まぁ、こうなる感じなんだけど、どうします?」
スフレの言葉に、レックスを始めメロリアが言い寄っていた令息たちと、その他関係者――婚約者や親である――は皆一様に渋面を浮かべた。
メロリアという令嬢がレックスやその他の身分の高い令息たちに言い寄っていたのは記憶に新しい。
婚約者のいる相手だろうとお構いなしに近づいていくメロリアに、そっと注意や指摘をした令嬢たちもいたけれどメロリアは聞く耳をもっていなかった。
そろそろどうにかしなければ……と思っていた矢先、魔女が彼らに話があると呼び寄せたのだ。
夜だった。
令嬢たちならほとんどが眠ろうとベッドに入っている時間だったし、令息たちも同じようなもので。
彼らの親はまだ残る仕事を片付けるだとか、寝る前にワインを少々……だとか、妻と二人、寝室へ……なんてところもあったのだけれど。
そんなことは知ったこっちゃねぇ、とばかりに皆が皆、魔女に強制的に魔法で呼ばれたのである。
普段見る事のない夜着の令嬢を見てしまった令息たちは一瞬思考が停止したみたいになって、それから慌てて目をそらすなどしていた。令嬢たちもそもそも見せるつもりのなかったものだったが、彼らがそうやって見ないようにしてくれている事に、恥ずかしながらもそれでもまだ、あぁ、気を使われてしまったけれど。
でも、そうやって配慮しようという気持ちはあるのだなと内心で安堵していた。
メロリアが彼らに纏わりついて、彼らも彼らでそれを良しとしているようだったから。
てっきり自分たちへの気持ちなんてなくなってしまったのではないかと思っていたのだ。
魔女は割と気まぐれにやらかす事もあるけれど。
しかし今回に限って言えば、やらかすのはメロリアである。
魔女のところで扱っている所謂惚れ薬をよりにもよって複数購入し、そうしてそれを彼らに盛るつもりだった。
その後の未来とやらが、魔女によって見せられた一連の光景であった。
実際に魔女は惚れ薬入りのクッキーを確かに渡したけれど、それ以外にも魅力をアップさせるアイテムも渡していた。
自分に使えば魅力が大幅にアップする代物で、魅力が底上げされてより効果的に好感度を上昇させるアイテムであったのだが……実際それは別のアイテムだった。
食べた相手を眠らせて、そうしてその夢の中を現実と錯覚させるものである。
夢の世界はメロリアが思うままであった。少なくとも、途中までは。
他の者にもわかるようメロリアが見ている夢が視覚化されているのだ。
魔法で呼び寄せられたメロリアはネグリジェをまとってすぴょすぴょと健やかな寝息を立てているが、眠っているのはベッドではない。魔女の力で空中にふわふわ浮いている。そしてその上に更にメロリアが見ている夢の中身が広がっているのだ。
スクリーンに映し出されたように、鮮明に。
このままいけばメロリアは平然と彼らに惚れ薬を盛って――しかも一人に絞らず複数に――見目麗しい令息たちにちやほやされて、彼らの婚約者たちは見向きもされなくなって婚約を破棄される。
それを高みの見物しつつ、世界で一番いい女であるかのように振舞って、そうしてレックスと結婚し、彼女は城でも好き放題やらかすのだ。
ただ、先が見えたので途中からスフレが夢の中をちょっといじって破滅に至る展開に持ち込んだけれど。
メロリアが今見ている夢は、概ね彼女が惚れ薬を盛った後の未来そのものといってもいい。
本来なら複数の令息たちに傅かれちやほやされて何もかも思いのまま、なんてあるはずがないのにあまりにもとんとん拍子に事が進んだのは、言うまでもなく惚れ薬のせいで彼らの行動基準がメロリアが喜ぶかどうかが最優先となってしまったからだ。
だからこそ、本来なら彼らがあり得ないと思うような事であっても、薬のせいで彼らはおかしいとも思わなくなる。
薬を盛られていない彼らの親がおかしいと思うだろうけれど、それもきっといずれ、メロリアは魔女の薬を頼る可能性が高かった。
少なくとも彼女の夢の中ではそこまで思いついてもいなかったのだろう。どうせモブだと切り捨てて。
「王侯貴族に惚れ薬盛って平然としてるのもどうかと思うし、このお嬢さん商品はお金を払うものっていう当たり前が抜け落ちてるし、貴族として育てられてるはずなのに平民より色々酷いし。
彼女の夢見た未来どおりの展開になったら勿論お薬の代金は徴収するから国は素寒貧になるよ」
ちなみにスフレがそう言ってる間にも、メロリアの夢は進んでいく。
家に帰って三日間の間に結論を出さなければならない……が、しかし彼女は結局金を払いきれるはずもなければ、薬の効果を無かったことにしようという気もないらしく、どうにかしようと足掻いたものの結局まともな解決策も出さないままだった。
少しでも自分で金を稼いで借金返済の足しにしよう、とかそういう考えもなさそうである。
とにかく自分が困っているのだから、周囲がそれを察知して動いてくれるべきだと思っている。
見れば見るほどどうしようもなさ過ぎて、令嬢の一人が救いようがありませんわ……と呟いていた。
「あくまでも彼女だけのやらかしで、彼女の家族は加担していない。それだけは確かだよ」
王族や複数の高位身分の令息たちへ薬を盛るという時点で、国を内部から滅茶苦茶にしてやろうと思ってやりました、と言われても否定できない状況だ。
それがたった一人の令嬢によるものだとは、もし事が公になれば周囲は信じないだろう。令嬢をそそのかした黒幕の存在を疑う。
そうして疑った先、その疑惑が向けられるのは高確率で彼女の親か、彼女に近しい場所にいる大人。
彼らは無実だというのに、下手をすると連座で処刑確定である。流石にそれは可哀そう。
なのでスフレはそこだけはちゃんと弁明しておいた。
悪いのはあくまでもここをゲームの中と同一視している自称ヒロインである。
「事情はわかった。魔女よ、この件についてはこちらで対処しよう。情報提供、感謝する」
「やー、流石にこの国を滅ぼすような事はしたくないですからね。案外住みやすいし。
お薬入りのクッキーは渡してるから、明日とかうっかり差し出されても食べちゃダメですよ」
レックスの父――国王が重々しく言えば、スフレはとりあえずそれだけを返して彼らを魔法で元の場所に戻した。
あのお薬はあくまでも魔獣とかに使うものなので、人間に服用とかマジでやらない。人間に盛ろうと考えるメロリアが異端とみられるだけだ。
――翌日、見ていた夢の内容などすっかりと忘れたメロリアは、魔女のところで入手した好感度アップアイテムを手にウキウキで学園に向かった。
そうして愛らしく微笑みながらクッキーを差し出す。
ところが――
レックスを含め、誰もそれを食べる事はしなかった。
当然である。
その時点では今はそこまでお腹が空いていないから、あとで食べるよ、なんて言って大切な物をもらったみたいに恭しく受け取って、レックスはその場を回避した。
そして更に翌日、メロリアは捕縛された。
罪状は言うまでもない。
クッキーが動かぬ証拠となるのだから、言い逃れもできなかった。
結果としてメロリアは国家転覆を企んだとされて、絞首刑となった。斬首とどちらがマシだったのかはスフレにはわからない。
夢の事など覚えていなかったとしても。
それでもちょっとした残滓はあったはずなのだ。
それなのに綺麗さっぱり無視して夢と同じようにやらかそうとしていたのだから、メロリアに対しての慈悲など誰も持ち合わせなかった。
流石に現実であんな事をやらかされれば、後が大変なんてものではない。
レックスは王としての教育を受けているからどうにかなるとはいえ、王妃となって支えるはずだった令嬢は婚約を破棄されて、他の相手と結婚となればレックスの苦労は後になればなる程じわじわやってくるのだ。
レックスの側近となる令息たちだってそうだ。
メロリアに愛を誓ったとしても、レックスと結婚したメロリアに手を出せるはずがない。
だというのに彼らもまたメロリアへの愛のために婚約を破棄し独身のまま、となれば。
家だって傾く。
どの家にも都合よく兄や弟がいるわけでもないし、都合よく親戚筋から養子を迎えられるわけでもないのだから。
スフレが代金徴収として夢の中に介入するまで、どこまでもメロリアの都合だけで世界が回っていた。
支払いを王家に押し付け続けてもいずれ破産するのが目に見えていたし、薬の効果を無かったことにすればその時点でメロリアの立場は急落、その後の展開は言うまでもない。
ゲームと同じように代金なんて支払う必要がないと思い込んでいたメロリアは、スフレに商品を買う時はお金が必要なんだよと当たり前の事を言われてもなお、夢の中での事を見る限りゲームのようになると疑ってすらいなかった。
それがこの結果と言ってしまえばそれまでだ。
せめて夢の中で一回でも自分から代金を払いに来てくれていれば、もうちょっと慈悲はあったかもしれないのに。
あの夢はメロリアの願望がほとんどだった。であるのなら、支払いもあっさりと払おうと思えばできたはずなのだ。だってメロリアの夢なのだから。彼女が望めば逆ハーレムがあっさりできた時と同じくらいあっさり借金返済だってできたはずなのに。
そうしなかったから、夢の中にスフレの介入を許す形となったのだ。
結果として、彼女は現実でも破滅した。
言ってしまえば、ただそれだけではあるのだけれど。
「やっぱ自分が知ってる創作物の世界に転生したとしても、そこが既に自分の知る創作ではなく現実なんだって認識は大切なのよね……」
そう考えると前世の記憶ってやっぱクソ。
最終的にスフレが出した結論は、そんなものだった。
当社比自作品の中でかなり酷いタイプのヒロイン通称ヒドイン。
でも現実でもたまにお店で商品お金出さないでもらえると思ってるタイプが時々いるんですよ不思議ですね。
次回短編予告
ろくでもない王家ではあったけど、それでもまだ決定的な事はしていなかった。
だというのに、王子はとうとうやらかしたのである。
聖女を偽物だとして追放したのだ。そしてその処分を任されたのは辺境伯。
とはいえ王子の望むままの展開にはならなくて、王子は辺境伯の元へやってくる。
聖女を返してほしい、と。
次回 貴公子様はお茶目でいらっしゃる
ちょっとしたジョークだったんだけどな。
そんな気持ちでやらかした結果、彼の未来もまた変わるのであった。
投稿は近々。