第一種特定危険呪物『かわりびな』
三月のはじめ。老朽化で取り壊しが決まった実家の、ずっと放ったからしてある自室を整理するべく、僕は東北の田舎町に帰省した。
両親はとうに引っ越しを済ませ、家は無人。生まれ育った我が家には見慣れた家具も生活感もなく、別世界に迷い込んだような居心地の悪さに襲われる。
さっさとやることを済ませてしまおう。そう思いながら自室の押し入れに頭を突っ込んで、手足の欠落したガンプラやら何やらを雑にダンボールに詰め込んでいった。
そうして、いちばん奥から最後に現れたのは、くたびれた子供サイズの青いリュックサック。
小学校にあがりたてのころ、これが妙にお気に入りで、遊びに出かけるときはいつも背負っていたことを思い出す。
だけどいつからか押し入れの奥にしまい込んで、存在をすっかり忘れてしまっていた。
中には、何やら硬いものが入っている。両手に収まるぐらいのサイズ感。外側から形状を確かめつつ、ざわりと胸騒ぎをおぼえた。
あれも三月のはじめごろ、ひな祭りの時期だった。近所の旧家に、同い年の女の子がいた。いわゆる幼馴染というやつだ。彼女の家の広い庭で、他の同年代の子供たちと一緒によく遊んでいた。
「ね、いいものみせてあげる」
かくれんぼの最中のこと。耳もとで囁いた彼女に手を引かれ、上がりこんだ玄関の突き当りの薄暗い部屋、鮮やかな赤い雛段に飾られた立派な雛人形が鎮座していた。
きっと代々受け継がれてきたものなのだろう、古風なデザインから醸し出される風格と、今にも動きだしそうな生き生きとした表情に、僕はぽかんと口を開け見惚れた。
「すごいでしょう。お内裏様、めっちゃイケメンなの」
満足げな彼女に、僕はただうなずくことしか出来なかった。何よりも段のいちばん上、彼女が熱い視線を送る男雛の隣の、紅い着物姿の女雛に僕の目は釘付けだった。
つややかな黒髪は結い上げずに長く背と胸元に垂らされ、真っ白い肌も紅く微笑む唇も、本物の柔らかさを備えていそうに見える。そして切れ長の目からのぞく潤んだ黒い瞳が、艶めかしくこちらを見下ろしていた。
「もう、しらない!」
すっかり魅入られてしまった僕が生返事を繰り返したせいだろう、彼女はいつの間にか不機嫌になっていた。やがてかくれんぼの鬼の「もういいかい」が聞こえると、僕だけをその場に残して行ってしまった。
あのとき、なぜ自分がそんなことをしたのか、いまだ理解できない。
我に返ると、僕の両手の中にひんやりした感触とともに女雛があった。それをリュックサックに夢中で押し込んで、走って家に帰った僕は、自室の押し入れに放り込み、そのまま何ごともなかったように過ごした。
彼女の家から電話連絡があったのは、夕飯の時間帯だった。
どうしても僕の話を聞きたいそうで、両親に連れられ彼女の家に行った。観念した僕は、とにかく謝るしかないと思っていた。
──しかし、話はまったく違った。
かくれんぼの途中から、彼女の行方が知れないというのだ。
最後に一緒にいたのが僕らしい。何か変わった様子はなかったか、どんな小さいことでも気付いたことはないかと、彼女の両親は必死に僕に問いかけた。
僕は正直に、彼女に連れられ雛人形を見せてもらったことを話した。
蔵の奥から数十年ぶりに日の目を見たというあの雛人形を、彼女はそうとう気に入っていたという。それもあって、あの部屋も隅々まで探したらしい。しかしなぜか一向に、女雛が無くなったという話にはならない。誰も、気付いていないのだろうか?
帰り際、あの部屋を横目に見て僕は愕然とした。
男雛の隣に、何ごともなかったように女雛が座っていた。その目は、僕を睨んでいるようにも見えた。
家に帰って、押し入れの中のリュックサックを確かめる。間違いなく中には女雛が入っている感触がして──そして少し、動いた気がした。恐怖にかられた僕は口紐をきつく縛って、押し入れのいちばん奥に押し込んだ。
結局、そのまま彼女の行方は知れなかった。
そして僕は二度とリュックサックを開けることなく、存在を忘れていった。自ら忘れようとして、忘れたのだ。
それがいま、記憶の奥から僕の前に現れた。
あの出来事は何だったのだろう。僕は本当に女雛を持ち帰ったのか。よくよく考えてみると、当時の身長では雛段の一番上には届かなかったのでは? という疑問も浮かぶ。
ごくり、生唾を飲み込んだ。答えは目の前にあるのだから、確かめるしかない。床にあぐらをかいて、ぎちぎちに縛られたリュックの紐を苦心しながら緩める。
ようやくほどけて、リュックの口が少しだけ開いた瞬間──中から、ぬうっと白い手がのびて僕の手首をきつく掴んでいた。
驚きで放り出したリュックはしかし、手首をつかんでその場に留まり、さらに口をこじあけもう一本の腕がのびて、僕の腕にすがりつく。
見るとその細腕には、つややかに黒い髪が絡みついている。
呆然とする僕の眼前で、リュックのサイズを完全に無視し、そこからずるりと這い出したのは、ぞっとするほどに白くて美しい、裸の女の上半身だった。
──ああ、そうだ。その白い肌、紅い唇、切れ長の目。ぜんぶ、あの女雛のそれだ。
女は下半身をリュックの中に残したまま、両腕を首にまわして抱きつくと、血みたいに紅い唇を僕の半開きの口に押し付ける。
甘い匂いと、柔らかな感触。受け入れてはだめだと警告する理性はドロリと溶け落ち、僕は劣情に飲み込まれていった。
◇ ◇ ◇
「──対象を視認。これより確保します」
遠くからくぐもった声が聞こえ、我に返る。視界がぼやけてよく見えない。声も出ない。体もまったく動かない。
「そんなに緊張すんなって。男雛と女雛を引き離さない限り、呪いは発動しないって話だ。それに防詛服もちゃんと着込んでるだろ」
「そうなんですが、俺、第一種の封印は今日がはじめてなんで……」
声が続く。どうやら二人いるようだ。家には誰もいないはずなのに、何者だろう。そもそも呪いとか封印とか、いったい何の話をしているんだ。
「畏れすぎず、軽んじすぎず。それがこの仕事を長く続けるコツさ」
「はい。心がけます」
ようやく視界が晴れてきて、目の前に巨大な銀色の柱が二本、そびえているのが見えた。それが滑るように動き迫ってきたところで、僕は気付く。
──足だ。とてつもなく巨大な、人間の両脚。
銀色の防護服を着込んだ巨人が、屈み込んで僕を持ち上げる。視界の端ではもう一人の巨人が、僕と同じように女雛を持ち上げていた。
そこで、僕は理解した。彼らが巨人なのではなく、僕が雛人形サイズになってしまったのだと。同時に、あの日の幼馴染みの彼女がどこに消えたのかも、察しがついた。
持ち上げられた僕たちは、彼らの後方に準備されていた巨大な──と言っても彼らの背丈と比較すればクーラーボックスほどのサイズ感の、黒い容器に並んで収納された。
箱の内側は鏡張りになっていて、そこに映った姿に改めて自分が、あの日に見た男雛そのものになっていることを思い知る。
頭上で機械音を響かせながら蓋が閉じると、視界は闇に包まれた。
「第一種特定危険呪物『替わり雛』……黒葛籠への封印を完了しました」
「はいおつかれさん。な、どうってことなかったろ」
「いやいや、メンタルめっちゃ削れましたよ」
「はは。このへんは米どころで酒も飯もうまいぞ。道の駅でも寄ってみるか」
「あ、なんか名物のラーメンありますよね!」
箱の外から微かに、緊張感の緩んだやりとりが聞こえる。
しかし、僕には分かっていた。
さきほどから先輩風を吹かせている方の彼が、女雛を持ち上げたときのバイザー越しの視線。あれは、彼女に魅入られた男のそれだった。
闇のなか、隣からクスクスと笑いが漏れ聞こえた……
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