18 少女と花
白竜の力の真実を知ってから、両国の最前線は戦意を喪失していた。
リーデン王国に蔓延る厄災の原因は、黒竜ではなく、シュヴェール王国の神官によるものだった。それを打ち払う神聖な力だったはずの白竜の力も、まがいものだった。
あれから、サイラスはザウリークの街に仮設されたテントから出てこようとしない。力は失われても、王族に違いはない。けれど、人前に出られるはずもなかった。人目につけば、何を言われるか分からない。
「どうするの、この状況。」
瓦礫を片付けながら、シュヴェール竜騎士団ネージュが呟く。
両国王は黙したままで、前線への指示はない。
シュヴェール王国は、リーデン王国を厄災から保護するため、支配下に置こうとしていた。それがなくなった今、侵攻を続ける大義はない。
リーデン王国にしても、シュヴェールが戦わないなら、争いを続ける理由はない。
両国の竜騎士団長は、とりあえずの間は休戦とし、ザウリークの街を片付けていた。竜騎士団がするのなら、と、他の部隊からも応援に来る者もいた。
「すまないな。あんたらにやらせる道理はないんだが。」
シュヴェール竜騎士団長のエトワールが、ルカたちに言う。いえ、とルカが返した。
「僕たちも、自分の力を戦争に使うより、誰かのために使う方が嬉しいです。」
ルカは、人力で運べない瓦礫を壊しながら、力の加減を教えてもらっていた。
隣では、エリックが怪我人を手当てしている。
少しずつ、人の役に立てていることを喜びながら、ルカはずっと考えていた。
黒竜の厄災と言われていたものが作られたものだったのなら、黒竜の厄災伝説はなんだったのだろう。過去にも、黒竜のせいにした何かがあったのだろうか。
そして、紛れもなく黒竜の力を持つ自分は、本当は何ができるのだろう。団長のノアは炎を使う。副長のローガンは水を使う。隣にいるエリックは、治癒ができる。
今のところ、ルカにできることと言えば、黒竜に変化して重たいものを持ったり、よく分からない黒い刃のようなものを生み出したり、というだけだ。
これについては、両国の騎士団に聞いてみても分からなかった。なにしろ、黒竜自体が伝説の存在だ。今まで見たことがある者などいない。
その数日後のことだ。ルカたちは、相変わらずザウリークにいた。なにしろ街一つを破壊されたのだ。簡単に終わる作業ではない。
そんな中、駐屯地から補給が来た。
「ルカ!何してるの?」
懐かしい声。リリーだった。
兵站の補給で駐屯地を訪れたら、物資を持ってザウリークへ行くように指示されたのだという。敵地に補給なんておかしいと思ったが、駐屯地も忙しそうで、尋ねる暇を与えなかったらしい。
「竜騎士団に入ったとは聞いてたけど、うまくやってるのね。良かった。」
リリーが微笑む。ルカが照れくさそうに笑った。
「君のおかげだよ。」
絶望してうずくまっていたとき、リリーが手を差し伸べてくれた。薄暗い牢にいたとき、リリーがくれた花に希望を見出した。
彼女がいなければ、今こうして立っていられないだろう。
ありがとう、とルカは声をかけた。
ふとリリーが目をやった先には、サイラスがいるテントがあった。護衛はいない。白竜の力が失われた今、もはや用はないというのだろうか。
耳を澄ませば、消え入りそうな小さな声で、何かを呟く声がする。目を見合わせ、ルカとリリーはそちらへ歩いて行った。
テントの前で立ち止まり、こっそりと中を覗くと、声の主はサイラスだった。薄暗いテントの中、彼はぼさぼさの頭を抱えて座っている。
その時、二人の脇を子供が一人、すり抜けた。止める間もなくテントへ入っていく。
「王子様!」
薄汚れた服を着た、小さな女の子だ。手には白い花束を持っている。
まっすぐサイラスのもとへ駆け寄った。
「王子様、これあげます!」
サイラスの顔の前へ、白い花束を突き出した。
「王子様が学校を作ってくれたから、私、友達とお勉強できるようになりました。王子様がお医者様を連れてきてくださったから、私の弟は外に出られるようになりました。ありがとうございます。」
黙ったままのサイラスの眼前に、さらにぐいっと花束を差し出した。
サイラスはずっと何かを呟いている。
王子様、と少女がもう一言声をかけた瞬間、サイラスが片手で花を振り払った。つられて少女も尻もちをついた。
咄嗟にルカは体が動いていた。大丈夫、と少女に声をかける。彼女はきょとんとしていた。足元に白い花弁が散る。
「うるさい!僕に構うな!」
サイラスが声を荒げた。少女が肩を震わせる。
「サイラス、君は……。」
ルカが口を開いたのも、サイラスはうるさいの一言で黙らせた。
「お前に何が分かる!僕の何が分かるんだ!どうせ皆、僕のことを見下してる。能無しの僕のことなんか……。」
目をぎらつかせ、サイラスはルカを睨んだ。息を荒げ、触れればすぐにも殴りかかる気迫を見せた。何を言っても、今は聞き入れないだろう。
出ましょう、とリリーがルカの腕を引っ張った。
言葉が喉に引っかかったみたいに、ルカは何も言えなかった。見下してなんかない、そう言いたかった。けれど、今のサイラスには何も届かないと分かっていた。
呆然としている少女を抱えて、ルカはテントの外に出た。
怒号を聞いて、人々が集まっていた。王子の様子は、とエトワールが尋ねた。ルカは首を横に振った。そうか、とだけエトワールが返す。
白竜に神がかった力を見出し、崇めていただけに、シュヴェールの民の落胆は大きい。誰もが疲れた顔をしていた。
そしてその翌日、シュヴェール王国の隣にある小さな国が陥落したとの報せが入った。
厄災の黒竜が国を滅ぼしたーー急使はそう伝えた。