17 白竜の真実
ノアが負傷した翌日のことだ。騎士団の皆が止めるのも聞かず、ノアは再び戦線に立った。今日は中央から派遣されてきた、お目付役のブランドン大佐も一緒だ。
雪の森を少しずつ行くと、次第に遠くから何か聞こえてきた。どうやらシュヴェールの拠点、ザウリークから聞こえる。
味方の急襲かもしれないと判断し、彼らは急いだ。
「これ……!」
ルカの隣にいたエリックが息を飲む。
あれだけ賑やかだったザウリークの街で、白竜が一頭、暴れていたのだ。
「サイラス!」
ルカが驚いて叫ぶ。
白竜の様子がおかしい。まるで、もがき苦しんで暴れているようだ。
すると、瓦礫とともにシュヴェール竜騎士団の白髪の女性、ネージュが吹き飛んできた。
「どうなってるんだよ、これ!」
エリックがネージュを抱え起こし、尋ねる。ネージュは切り傷だらけだった。慌ててエリックが治癒を使う。
「分からないんだ。サイラス王子が急に……急に白竜の姿になって、暴れてるんだ!」
仲間に向かって、突然牙を剥き、襲いかかってきたのだという。今も竜騎士団や、猛獣の力を持つ兵たちが止めようとしているが、白竜の力の前にはどうしようもないのだという。
「悪いけど今、お前らに構ってる暇はない!」
ネージュが怒鳴る。そして、ルカたちには目もくれず、白竜へ向かって駆け出した。
「これは好機だ!畳み掛けて、ザウリークを占拠しろ!」
ブランドン大佐が喚く。それを無視して、ノアは進み出た。どこへ行く、と大佐の声がする。
そのノアの足元に、シュヴェール竜騎士団長であるエトワールが吹き飛ばされてきた。頬に擦り傷を作っている。赤毛の髭にも、雪がついていた。情けないな、と彼はノアたちを見て呟いた。
「サイラス王子の異変は、お前たちの仕業だと思ってはいない。だが、この隙に乗じるつもりか。」
騎士団の視線がノアに集まる。
「このままでは全滅だ。一時休戦としよう。」
ノアはエトワールを見て微笑んだ。エトワールがぽかんとした後、豪快に笑った。
「いいだろう、一時休戦だ。だが、どうする気だ。サイラス王子はもはや、我々の手にも負えそうにない。」
数日前から、サイラスはこのザウリークの街に来ていた。前線に出るわけでもなく、怪我の一つもしていない。今朝まではなんともなかったのに、今からほんの少し前、突如体調が悪そうになり、暴れ始めたのだという。
エトワールは、そこにいたシュヴェール軍に対し、一時休戦とすると伝えた。
どういうことだ、と唯一声を荒げた者がいた。ルカたちのお目付役、ブランドン大佐だ。ノアは無視して前に進んだ。
あれはいいのか、とエトワールが笑いながらノアに尋ねる。ええ、とノアはエトワールに微笑み返した。
「団長は私ですから。」
両国の竜騎士団がまとめてかかっても、白竜サイラスは強靭だった。
その間にも、街はどんどん崩れている。
逃げ遅れたのだろう、瓦礫の隙間に子供が立っていた。白竜の尾が、その子を目掛けて振り下ろされた。
「やめろ、サイラス!」
ルカが叫ぶ。
同時に、自分では抑えきれない力を感じた。
突如吹き荒れた暴風に、そこにいた人々が目を閉じた。そして、再び目を開けたとき、そこには黒竜がいた。
白竜の尾から子供を守るように、黒い翼を広げている。
一瞬の間があり、白と黒の竜はお互いを睨んだ。
「ルカ!」
ノアが名前を呼ぶ。声が届いているのかすら分からない。黒竜からは、怒りのような気迫を感じた。
二頭の竜はもつれ合い、互いに噛みつきながら、空高くを舞った。皆、疲れた表情でそれを眺めていた。
その中を、黒い神官服姿の男が杖をつきながら、慌ただしく駆けてきた。顔や年齢は、ベールのせいで分からない。
「サイラス様!私がちょっと街を出ていた間に、なんということです!」
あれは?と、ノアがエトワールに尋ねた。バザールという名の神官長だとエトワールは答えた。
見ていると、バザールは何やらひとりごとを呟いている。そして、持っていた杖を高々と掲げた。絡まり合う二頭の竜を見ながら、何やら唱えている。バザールの手元には小瓶が握られており、その中に黒い煙が墨のように溜まっていた。
次の瞬間、白竜が大きく姿勢を崩した。そして、ふっと姿が掻き消えた。皆の目にはそう見えた。しかし、よく見れば点のような人影が見える。それは地面へ向かって落ちていた。段々と人影が大きくなる。
「サイラス王子だ!」
誰かが叫ぶ。シュヴェールの竜騎士たちは、落下地点へ急いだ。けれど、あの高さから人が地面に叩きつけられれば、無事では済まない。
空中で静観していた黒竜が、おもむろに動いた。サイラスめがけて急降下する。人々は今度は、落下地点から逃げ始めた。
もう少しで地面だという時、黒竜は両手でサイラスを包むと、自ら地面に落ちた。天高く砂埃が舞う。誰もが無言だった。
砂埃が晴れた時、そこには地面に倒れ伏すルカとサイラスがいた。ルカは傷だらけになっていた。サイラスの白金の髪も、土に汚れている。
両国の竜騎士たちが、それぞれ二人の名を呼びながら近寄った。
二人は目を覚ました。ルカがサイラスを見つめ、口を開いた。
「サイラス……どうして君は、あの子を傷つけようとしたんだ。」
怒り口調でルカが問う。一方でサイラスは、己の手を見つめてわなわなと震えていた。そこでルカは、周りの竜騎士たちが一様にサイラスを見ていることに気がついた。
サイラスからは、あれほど強く感じられた竜種の気配がしなかったのだ。
皆の背後で、瓦礫を踏み分ける音がした。
「バザール!」
震える声でサイラスが叫ぶ。黒い神官服の男は、背を向けてそこから立ち去ろうとしていた。
「どういうことだ……。」
サイラスが問いただす。バザールは振り返り、しばらくサイラスを見ていた。そして、ベール越しでも分かるくらいに微笑んだ。
「あなた様は良き器でした。」
そして、手に持っていた小瓶を見せた。中には黒い煙がなみなみと入っている。
「あなた様は王族でありながら、何の力も持たずに生まれてきた……能無しだったのです。そこに、私が白竜の力に似せた種を植え込んだのですよ。教団が研究した、至高の種です!なんとよく馴染んでくれたことか!」
サイラスは白竜の力を得て、年月をかけて育つにつれて、力も大きくなった。サイラスを焚きつけるため、黒竜の厄災だとしてリーデン王国に病を流行らせ、草木を枯らし、水を汚した。バザールは、今、サイラスからその力だけを取り出したのだ。まるで、畑に種を蒔き、作物を収穫するかのように。
バザールたちは、シュヴェール王国が信仰する神のため、その力をもって世界を平定し、その神に捧げようというのだ。
彼らにとっては、国はどうでもよかった。全ては神のため。それが遂行できるのなら、国も王も道具にすぎない。
「サイラス様。今までお世話になりました。」
そう言うと、バザールは霧のように隠れた。あとに残された人々は、皆呆気にとられていた。
サイラスは地面を見つめ、蒼白な顔で震えていた。冬の冷気の中、彼は大粒の汗を額に浮かべていた。
「僕が……能無し……?」
信じられないという顔で、目を見開いている。しかし、それが本当であることは、他の誰よりもサイラス自身が分かった。先ほどまで込み上げてきた力が感じられない。竜に姿を変えようと思えば、自在にできた。神々しい光の刃を生み出すこともできた。今は、何もできない。
顔をあげると、目の前にルカがいた。かつて、能無しだと自分が蔑んでいたルカだ。
心配そうな顔でサイラスを見ていた。その心配までも、憐憫と嘲笑に思えた。
「僕を見るな!」
そう叫ぶと、サイラスはその場にうずくまってしまった。
周りの者はかける言葉もない。
空から、また雪が舞い降りはじめた。