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それぞれの思いがすれ違う

記憶が消えていく現実が迫ってきます。

ゴロゴロ・・・

スーツケースを引きずる音が若葉の店に近づいてくる。そして勢いよく店の戸が開いた。

「オーマイガー、暑い」

そう言って入って来たのは花子の姉、美子(よしこ)だった。

「あら、お帰りなさい!今日帰国?」

若葉は仕事をしながら驚いて手を止める。施術中のチワワが美子の声で驚きワンワン吠えた。

「早く帰ろうと思ってんだけどなかなか時間が出来なくて、ごめんね若葉ちゃん!花子どう?」

シドニーに住む美子は花子の様子を気にしつつすぐに帰れなかったことを詫びながら荷物をドタバタ部屋へ運んで行った。相変わらずマイペースで若葉の返事を聞く様子ではなかった。

呆気にとられながら若葉は「花ちゃんはリビングにいるはずよ」と声をかけた。

「オ~ケ~イ」と軽快に返事はしたものの、美子も若くはないのでもたつきながらリビングへ向かった。


リビングでは花子がこの日も剣太朗の出演ドラマを見返していた。

「花子~」

美子がその花子の背中に抱き着く。

「ひゃぁ」と驚いて花子は顔を隠した。そしてそうっと覆っていた手を離し振り返る。

「お姉ちゃん?」

「ごめんごめん、びっくりさせた?」

花子は美子の顔を見るなり泣き出した。「おねえちゃん・・・」

認知症が分かって花子が人前で初めて泣いた日だった。

姉との思い出、自由奔放の姉を見ながら羨ましくもあり憧れでもあったそんな姉妹の日々もいつか忘れてしまうのか。

「お姉ちゃん、私、自由気ままなお姉ちゃんのことも・・・何でも好き勝手始める・・・よく言えば行動力があるけど周りのこと考えないとか自己中とか・・・振り回されてホント困ってたこととか、もうすぐ全部全部忘れてしまうかもしれないの~」

花子は泣きながらヒクヒック息継ぎしながら一気に美子に言葉を投げつけた。

「花子・・・」美子も泣きながら花子の投げつける言葉に耳を傾ける。

「オーマイガー、花子ぉ、あんた結構なこと言ってくれるわね」プププッとついには吹き出しながら美子は花子を抱きしめた。

「ほら色んな事忘れてもこの温もりを覚えていてくれたらそれでいいから」

美子はぎゅっと抱きしめながら「花子、あなたの愛しい剣太朗君はこのこと知ってるの?」と問う。

「ううん」花子はただ首を振った。

「話した方がいいんじゃない?自分から言えなかったらお姉ちゃん伝えようか?」

「・・・」

花子は何も言わず泣き続けていた。



美子が花子の元を訪ねた後東京へ向かった。丁度、息子、朝陽(あさひ)が仕事で東京に来ていたので落ち合いまたシドニーへ戻る予定だった。しかしその前に美子は剣太朗に会いに行った。



剣太朗の事務所の近く。小さな喫茶店で待ち合わせた。カフェというよりも昔からある昭和の喫茶店といったところ。古い木のテーブルにソファーの椅子が置いてあり、少し暗い室内もオレンジの灯が灯っているシックな感じだった。

先に着いた剣太朗は奥の四人掛けのテーブルで待っている。そこへアイスコーヒーが運ばれた時、入り口の扉が開いて年の割に派手な服装の女性が入って来た。

「オーマイガー剣太朗君!」目が合った瞬間そう言ってこちらにやって来たのは美子だった。

「お久しぶりです」

剣太朗はなぜ美子に呼び出されたのか理由を知らない。若葉に美子が会いたがっていると言われ今ここに居た。

挨拶を交わした後、美子は店に入って来た時とは違い、珍しく神妙な顔をしている。

「何かありましたか?」

「うん、花子のことで、その、会う時間作って貰えないかな?」

「え?」

美子は花子の様子を順に話し始めた。



「ごめんね、結婚したばかりにこんなお願いして」

「いや、そんな・・・」

花子の若年性認知症を理解した、いや理解できなくて、剣太朗は困惑していた。会いたいとか会いたくないとかそういう感情よりも、どうして?どうして話してくれなかったんだろう、と。

「あ、花子が話せなかったの気になるよね、どうして?て思ってる?」

美子に見抜かれていた。

「花子、自分の記憶がなくなることより剣太朗君を悲しませたくないのが一番大事だったのよ。それくらい剣太朗君を大事に思っているの。それだけは分かってやって」

「いや、だけど」

「それに、どんなに老いても花子は剣太朗君には女の子の気持ちでいるのよ、大好きなのよ、もうおばあちゃんなのにね」

そう言って美子は瞳を潤ませ、笑った。




剣太朗が花子の病気を知ってから、どうやって会えばいいのか分からず、剣太朗はなかなか会いに行けなくなっていた。




若葉がふたばを保育園へ迎えに行った帰り、通りがかった少し小高い広場で車を停めた。

「ふたば、ちょっと遊んで帰る?」

「うん!」

長い階段が伸びる小高い広場。花子が施設に入る前、若葉と来た場所。

ヨイショ、ヨイショとふたばが若葉の手を握り階段を上って行く。


あの時もう車いすで、この階段は上がれず遠回りして坂道を車いすを押して上がったんだったな・・・と若葉は思い出していた。



車いすを押しながら若葉は坂道を歩いていた。歩くのがままならなくなって花子は車いすを使うことが多くなっていた。もう施設に入る準備もしていて、その春からの入所予定だった。

その前に花子はどうしても行きたいと言ったのがここ、神社を抜けた小高い広場だった。

「昔、剣太朗君と月を見た場所」

花子はそう言っていた。

昼間は小高い広場から田舎の町が見渡せ、空が広くとても気持ちがいい場所。夜は灯が灯った家と道を行き交う車のヘッドライトくらいしかなく、月が良く見えた。

「その時停電があって真っ暗になったのよ」

花子は昔の思い出を若葉に話し続けていた。記憶が残っている、まだ覚えている、と確かめながら話し続けていた。話し続けながら、涙を流した。

「もうこの記憶も、この景色も、無くなっちゃうんだね、私の中から・・・会いたいな、剣太朗君にもう一度・・・」

花子が人前で泣いたのはこれが二度目で、最後だった。

桜が咲いて春のはじまりが感じられるこの季節。花子にとってはこの場所との別れのはじまりに感じていた。



わ~いわ~いと走ってはしゃぐふたばを見ながら昔の記憶を辿る。

「あの後二人が会ったのが最後だったな」



花子の涙を見て居たたまれなくなった若葉は剣太朗にすぐ連絡をした。結局、施設に入る前、剣太朗は会いに来てくれたのだけど、その日は花子の体調が良くなく記憶が曖昧で、剣太朗を晴治と錯覚して会話がかみ合わなかった。

「花子さん、また会いに行くからね」

剣太朗はそう言って手を握った。

「暖かい大きな手ね」

花子はそう言ってその手を擦り微笑んでいた。

剣太朗は現実を目の当たりにしてその後少々落ち込んでしまった。花子が施設に入ってからも仕事の忙しさとまた現実を目にする怖さで会いに行くことが出来ずにいた。



施設に入ってからは一度も花子は剣太朗に会いたいと言わなくなった。忘れてしまったわけではない。毎日昔のドラマを見返しているし、今でもファンだと言っている。

「もう一度会わせてあげたいんだけど・・・」


お読みいただきありがとうございます。

キャラの強い美子が久々に登場しました。マイペースな姉も花子との姉妹愛は変わらず。かき回すようでいて、ひと押しする頼もしい姉です。記憶は消えても温もりの記憶はもしかしたら消えないのかもしれませんね。

もう少しお付き合いよろしくお願いします。

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