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老いていく時間

老いについて、そして剣太朗のその後に触れてみたいと思います。

「おはようございます」

剣太郎はスタジオのメイク室へ足を運んだ。

もうすぐ撮影が始まる次回作の衣装合わせの日。

「おはようございます」とニコッと微笑んだ長年剣太郎についているヘアメイク担当の蒲田泉(かまたいずみ)は剣太朗の様子に気付いて顔を覗き込んだ。

「あれ?何か元気ないですね、寝不足ですか?」

「え?」

髪を梳かされながら鏡越しで泉の顔を見る。剣太郎は泉と目が合ってため息をついた。

「やだ、人の顔見て溜め息とか失礼~」と言いながら泉は眉毛を動かした。

「あぁ、ごめんごめん、そんなつもりじゃ」

慌てて弁解する剣太郎は「何かね、失恋したような気分なんだよ、って失恋したわけでもないんだけど」とボソボソ独り言のように言う。

鎌田泉はドラマや映画で特殊メイクがうまく活躍していて、老けメイクなんかも定評があった。何度も剣太朗の作品で一緒になっていて、年も近いので友達のような間柄ではある。今回も次の映画で年齢幅のある役を演じる剣太朗の老けメイクの打ち合わせで、まず今は髪を梳かしている。

「今回ちょっと白髪作りましょうか」

泉の後方に監督やフプロデューサーがいて、あれこれ話を進めていた。

剣太朗は頭の中で色々と花子に言われたことを考えてモヤモヤが止まらずにいる中、されるがままに鏡の中の自分は老けて行った。

「これだと50代くらいには見えますね」

監督たちもすごいすごいと感心している。

鏡の中の白髪交じりの自分をまじまじと見て、剣太郎は思った。

この先10年、20年経てば自分もこうして初老になる。

「そういうことか」

口からそんな言葉がつい出てしまった。

泉はそんな様子を遠巻きに見ていた。


一通り打ち合わせが終わって、メイクを落として剣太郎は部屋を出ようとしていた所、泉が声をかけた。

「何か悩んでるよね、大丈夫?」

え?と思った剣太郎が見た泉の顔はいつものニコッと微笑んだ顔だった。それに何となく気が抜けたというか、ふっと息が漏れた。「あ、今のは溜め息じゃないから、安堵の吐息、だから」と慌てて言う剣太郎をクスクス笑いながら泉はヨシヨシと背中を撫でた。



三か月ほど撮影に没頭していた剣太朗は蒲田泉との距離を縮めていった。

花子の存在を泉は剣太朗の大切なファンであり母のような叔母のような心の恋人のような、その言葉では言い表せない花子という存在だと理解している。嫉妬心はないとも言えないがあるとも言えない、曖昧な感覚とそれでも剣太朗には結婚してほしいと言っていた愛情を自分なりに消化していた。だから撮影が終わって半年後には剣太朗と結婚していた。

ワイドショーなどでは電撃結婚と大騒ぎにはなり、勿論花子の耳にも入る。


「花ちゃん、これどういうこと!」若葉は大騒ぎで大変だった。

花子はニコニコして「これで母の役目も終わったわ」とあっけらかんとしている。

「推しが結婚するって大丈夫なの?」

「推しの幸せを願っているから私は嬉しいだけ」

そのころ既に認知症の診断はおりていたが、症状としては物忘れ程度だったので剣太朗の結婚を認識できていない訳ではなかった。なのに落ち着いている姿に若葉は信じられないでいた。

「花ちゃんは知ってたの?」

「え?まあね。結婚しなさいねって言ってたらすんなりでびっくりしたけど、この前のお誕生日にフィナンシェと手紙が届いたでしょ。ちゃんとその時報告してくれたの。ファン1号へって」

「へぇ」

あまりにもすんなり受け入れている花子に若葉はちょっとっ心配でもあった。確かに推しの幸せを願うファンはいるしめでたいと喜んぶことこそファンの鏡だけど・・・実は先月、花子の愛犬サクが亡くなったばかりだった。一気に愛するものを失くす感覚に花子は耐えられるのだろうか。サクは高齢までよく頑張ったけれど。

「そんなことより、若葉ちゃんの赤ちゃんこんなに可愛いなんてね。想像もしてなかったわ」

愛犬の死はふたばの誕生で確かに寂しさは紛らわされたかもしれない。毎日ドタバタ大変で、母の菖蒲の助けと花子の助けでどうにかやっている。命の誕生は失うことの寂しさも消してしまうくらいなのかもしれない。

「剣太朗君にはお祝い何贈ろうかしら」

そう言って腰かけていたソファーに横になって「ちょっと眠いからお昼寝するわ」と目を閉じた。


最近、よく横になることがある花子。

若葉の旦那の風太が介護士をしているので花子に週に2日ほどデイサービスを利用するように勧めてくれ、火曜と木曜に行っている。周りはもっと高齢の利用者なので少し退屈しているようだけど、少しでも認知症の進行が遅れるようにと本人も頑張っていた。それで疲れるのかもしれない。



剣太朗の老けメイクをした作品の配信が始まり、花子は若葉と風太と一緒に見ていた。

ビジネスの成功者の30代の男が生きた50代までの一生を描く作品で、男性受けもよく大ヒットした。老けメイクも絶妙な仕上がりで評判が良く、幅広い演技が出来ると剣太朗の評価は結婚しても尚上がる一方でファンの激減も免れた。アイドルからスタートして今や信頼のある俳優として誰もが認めている。

「ねぇ若葉ちゃん、剣太朗君はどこに出てる?」

花子は老けメイクの剣太朗が認識できない。最近は物語を途中で追えなくなってしまうこともあったので、容姿が変わるような演出は余計に理解が追い付かなかったようだ。

「ほら、この中年から初老になったこの人」

「へぇ白髪になったの、剣太朗君」

この頃から新しいことがなかなか覚えられなくなっていった。


ある日、ふたばを菖蒲に預けて仕事をしていたらリビングから泣き声が聞こえてきた。急いで覗きに行くと花子が昔の剣太朗のドラマを見ていた。

「なんだ」と苦笑いして仕事を続けていたのだが、しばらく泣き止む様子がない。

「あれ?あのドラマ泣くとこあったっけ・・・」不安になりながら仕事を終えるまでそのままにし片付けの後リビングに戻ると泣き疲れた花子がソファーで寝ている。

DVDのパッケージはやはりラブコメだし何を泣いていたのか不思議で仕方がない。

そこへ菖蒲がふたばを連れて来た。

「お疲れ様~」

「そっちこそお疲れ様、ありがとう」

リビングに入って来た菖蒲は寝ているふたばを抱きながらソファーで寝ている花子を見て、あらあらと眉をハの字にした。

「何かラブコメのDVD見て泣いててそのうち寝たみたい」

「昔のことでも思い出したのかな」

そう言いながらふたばを若葉は貰いベビーベッドへ寝かしに行く。菖蒲は眠る花子の傍に腰かけ見守りながら「忘れちゃうのかな、私のことも・・・」と呟いた。

年の離れた友人として長い付き合いだ。色んな思い出もあるし、同じトリマーとして店の切り盛りを互いに助け合っても来た。認知症は全部忘れてしまうのだろうか、そんな不安が周りの人間でもあるのだから本人はもっと不安だろう。

「ねぇ若葉、病気のことは剣太朗君には言ってないの?」

「うん、言うなって口留めされてるから、言ってない」

「でも本当に忘れて行くなら、その前に話しておいた方がいいと思うんだけどな、私は」

「うん、そうだね」

幼児と老人の寝顔は大して変わりなくすやすや眠る優しい愛らしい寝顔だった。

お読みいただきありがとうございます。

剣太朗もついに結婚してしまったのですが、花子は喜んでいる。きっと本当に喜んでいると思っています。

皆さんはどう感じたでしょう。推しの結婚て本来結構ショックなんですけどね。

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