4年の時間
一番傍に居た若葉が振り返る4年を書きました。
施設の玄関で若葉は施設長に挨拶をして、その場を後にした。
駐車場で自分の車に乗り、ふぅ~と深いため息をつく。
◇
花子の還暦のお祝いで剣太朗が会いに来てくれた以降、花子は直接会うことはしなくなった。
「花ちゃん、仕事は私に任せてたまには東京遊びに行ったらいいのに」
若葉が時折そう言ったのだが「ううん」といつも首を振っていた。まだ病気が発覚していなかったのにも関わらず「私はファン1号でいるから、これからもこれまでも」と笑って言うだけだった。
ある日、剣太朗から若葉に連絡が入った。
「こんばんは。夜分にごめんね。花子さん元気?」
「元気よ、ていうか直接聞けばいいのに」若葉は笑って答えた。
「いや~なんか、電話してもメールで返信が来たり、なんか避けられてる?感じがして」
「うっそ~、花ちゃんが剣君を避けるはずないよ~毎日雑誌眺めて動画見て、相変わらず応援してるから」
「そっか、ありがと、でも個人的に話してくれない感じ、なんか・・・」
剣太朗は少し不安そうに話した。
「一回花ちゃんに確かめてみるよ」
若葉は相変わらず二人の間を取り持つことになる。
◇
あの時から花ちゃんは自覚してたのかな・・・
ふと若葉の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。エンジンをかけ車を走らせそのまま娘のふたばを迎えに保育園へ向かった。
◇
◇
若葉が花子に剣太朗と連絡しているのか様子を聞いたのが、剣太朗から連絡が来て二日後のことだった。
「花ちゃん、最近剣君と連絡してる?元気そう?」
「ん?どうかな、テレビでもよく見るから元気なんじゃない?特に連絡しなくても分かるから」
「どうしたの?前はメールが来たら大騒ぎで返信に時間かけて、電話が鳴ったら心臓飛び出る~って顔真っ赤にしてたの」
「ふふ、そんな頃もあったっけ」
「いやいや、ついこの前、還暦のお祝いも大喜びだったでしょ?」
若葉は目をパチクリさせ花子に聞いた。
「・・・」花子は黙って剣の表紙の雑誌をペラペラめくっている。ヨタヨタして花子に寄り添う愛犬のサクが花子の顔を見上げた。
「サク、すっかりおじいちゃんだね。あ、私もだけど」そう言ってクスっと笑って続けた
「若葉ちゃん、ね、お年寄りの私があまり剣太朗君の近くにいたら、剣太朗君のこれからに邪魔になるでしょ」
「え?」
花子はサクの背中を撫でながら「剣太朗君には剣太朗君の幸せをって思って、推しの幸せを願うファンでいたいの、今は」花子は優しい微笑みでサクを見つめながら撫でる手を止めなかった。
花子は自分の記憶が曖昧になってきた自覚以前に、剣太朗が30代後半になってからずっと考えていた。私が近くでウロウロしていたら邪魔になる、と。
「ねぇ、花ちゃんそれ本人にちゃんと言ったら?」
若葉は花子の言っていることも分かるしでもなんかもやもやして少し腹が立ってきつめの口調で言ってしまった。
「それもそうね」花子は笑いながらサクの顔をクシャっと両手で包み、何か決めたように深く息をついた。
それから暫くして花子は東京へ向かった。剣太朗の祖父、晴治が亡くなったからだ。生前愛犬を花子の店に連れて来てくれ、剣太朗との縁にもつながった恩人。晴治の愛犬が亡くなって東京の娘、桃枝の所で生活し90代まで人生を謳歌した。
「花ちゃんわざわざありがとう」桃枝が迎えてくれた。
「いえ、すぐに来れなくてごめんなさい」
花子は葬儀には来れず四十九日に合わせて上京した。
「若葉ちゃんもはるじ~にはお世話になったんだけどって、来れなくて申し訳ないって言ってたわ」
「いいのよ、若葉ちゃんおめでたなんでしょ?」
「うん、授かり婚ていうの?最近は」
「いいじゃないの、おめでたいに変わりはないから」
若葉は丁度その頃妊娠が分かったところで、かねてから付き合っていた同級生の安土風太とバタバタと結婚することになっていた。
「お店を閉めることは出来ないから、菖蒲ちゃんとてんやわんやでやってるところ」花子は笑ってそう言い嬉しそうだった。
「忙しいところありがとうね~」
そんな近況報告をして、晴治の遺影に手を合わせ、お茶を飲んで一息ついていたところ、剣太朗がやって来た。
「ただいま、花子さん今日来るんだよね」
そう言いながらリビングに入って来た剣太朗は、あ!と花子の顔を見て止まる。
「ふふ、花子さんもう居ます」と花子は笑いながら「こんにちは、お久しぶり」挨拶をした。
剣太朗は凄く嬉しそうに「ほんと、久しぶりだよ」と花子と桃枝のいるソファーへ寄って床に腰を下ろした。
なんだろう、このドキドキ感、高揚感。花子は初めて一緒に月を見たあの日の気持ちを思い出した。また剣太朗も照れ臭いような、恥ずかしいような、だけど久しぶりに目の前に居る花子を見つめる。
「ねぇ、年取ったでしょ?やだわ~」花子は何故か居たたまれなくお道化てそう言う。
桃枝がお茶を剣太朗に出し、二人の微妙な空気を感じていた。昔剣太朗には花子の気持ちをもてあそぶなと念を押していたので、少々二人の関係を心配はしている。
「あのね、」と花子が会話を続ける。
「ほら、剣太朗君、若葉ちゃんのこと聞いた?もう結婚して子供生まれるし順調なのよ」
「あ、うん聞いた」
「で、剣太朗君は結婚しないの?」
「?」
桃枝も思わぬ話題に驚く。二人が結婚の話をするのははちょっとどうなんだろう、そういう意味のふり?え?どういうこと?と桃枝はちょっと頭の中で右往左往した。
「いや、結婚て、いやぁ彼女は居ないし」
困惑しているのは剣太朗だ。まさか花子と結婚とは思ってはいなかった、けど、だからと言って彼女がいて結婚するのはなんか違う、花子の存在があったから、好いてくれている花子がなぜ聞くのか、困惑していた。
「彼女作りなさいよ~私は叔母さんとして心配なのよ」
と花子は笑って話を続ける。
「若葉ちゃんもそうだけど、私の大事な人たちが結婚して家族が出来るのは私も見届けたいの。私だってそのうちもっと年取るんだから、出来るだけ早く!ね、推しの幸せを願わせて」
微笑みそう言う花子の顔は本当に母のように暖かい笑みだった。
桃枝は花子の気持ちが何となくわかった気がしている。老いが近づく現実を避けることが出来なくなってきている年頃。人の幸せを願いながら生きることが生きがいになってきている年頃だからこその思いなのだと。
剣太朗は少し寂しかった。いつかの未来に結ばれる夢を見ていたとしても、現実的な話ではない。それを突き付けられた気分だった。
「わかった、考えておく」
そう言って剣太朗は仕事があるからと家を出て行った。
その日花子は泊まって行けばという桃枝の言葉を断って夕方早くに東京駅にいた。新年度が始まった春。花子の好きな新緑の葉が緑々しく、清々しい風が吹く。そんな中を新しいスーツを着る若者、旅客、新しい友達と肩を組む学生、多くの人が駅構内を行き交い、住んでいる田舎とは違い路線も多く佇む花子は時空の穴にいるような感覚になる。自分の周りをグルグル人が動き回りなんだか目が回りそうになっていた。
「あれ?私どっちへ行けば」
花子はふと不安になった。昔は都会に来たらワクワクしていたのに、急に怖くなる。
「何でここにいるんだっけ・・・」
頭が真っ白になって深く深呼吸する。
♪
♪
♪
スマホが鳴ってふと我に返る。「若葉」の文字に急いで通話ボタンを押す。
「花ちゃん?どう?もう新幹線乗る?東京バナナ買う時間ある?ねぇ?聞いてる?」
「あ、うん、これから買うね、買って帰るね」
若葉の声で落ち着きを取り戻し答える。
「花ちゃん大丈夫?何か声上ずってるけど」
「ちょっと走ったから」そう誤魔化したけど、走っても居ないのにちょっと息が上がっていた。
「気をつけてよ~はるじ~みたいこけたら大変だから」
「うんうん、そうね、はるじ~腰打った時大変だったもんね」
そんな昔の話を思い出し、そうだった晴治の法要で来たんだったと花子の頭の中が整理されてきた。
「じゃぁね、東京バナナ買って帰るね」
花子はそう言って電話を切った。
ふぅ~、なんか気負っていたのかな・・・と苦笑いして新幹線の切符を手に改札へ向かった。
◇
◇
◇
若葉はふたばの保育園に着き、門を開けて入った。
「ママ~」ふたばがその姿を見つけて教室から走って来る。教室のドアに駆け寄った若葉にふたばが飛びつく。4歳のふたばは元気いっぱいだ。先生が荷物を若葉に渡して挨拶をする。
「ママ、今日はお土産もらった」そう言って手にしていたのは『東京バナナ』ひとつ。
「私帰省していたのでそのお土産で」先生がニコニコして話す。
「あら、よかったね、ありがとうございます」
若葉はふたばを抱き上げ、先生にお礼を言う。
あの日、花ちゃんは東京バナナを買って帰らなかったなぁ。もうあの日から忘れ始めてたのかな。そんなことをぼんやり考えて、ふたばを車に乗せた。
お読みいただきありがとうございます。
誰もが年を取ることを止めることが出来ない中で、花子が決断していく様子を書きました。
自分が思うようにうまく年を取れるかは誰にもわからず、それでも花子はきっと前を向いて行くと信じてお付き合い頂ければと思います。