いつまでも
剣太朗と再会して花子は大好きな人の幸せを確信しました。
さて、ラストです。どうぞご覧ください。
あれから少し時間が経ち、若葉の娘、ふたばは小学校へ入学した。
「ふたば!忘れ物ない?体操服、ほらここに置いてある〜」
「あはは、忘れてた〜」
玄関を出てまたすぐ舞い戻るふたばのオレンジ色のランドセルをポンポンと叩いて「しっかりしてよ」と眉をハの字にしながら若葉は送り出した。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
ふたばを送り出して、台所を片付ける若葉。洗濯物を干し終え「じゃ俺も行ってきます」と風太が玄関へ向かう。家事も互いに助け合い、若葉は今もトリミング店花屋を続けている。
「ありがとう、気をつけてね、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます!」
◇
50代の恰幅の良い介護士は20代のポニーテールをした新人介護士の指導役を担っていた。
「花子さんもうほとんど寝たきりだから時々向き変えてあげるようにね」
「はい」そう言って小さなノートにメモを取る。
「それと花子さんの好きな曲、これね」
いつも聴いているCDを説明する。
「はい、あ、これかなり古いやつですよね」
「うん、花子さんのとても大切な思い出の曲なんですって」CDのジャケットを眺めながら2人で話す。
その声ももう花子に届いているのかは、わからない。
「この曲が一番好きなんだけど、他のこれね、午前中の曲、午後の曲、就寝までの曲、順番にかけて」
「一日中音楽かけておくんですか?」
「意識がある時からの習慣だから、時間の経過が分かるかもしれないし、続けてるわ」
「なるほど」新人はずっとメモを取る。
夕方、新人介護士が花子の部屋にやって来た。
「花子さん音楽変えますね」
そう言って就寝までの曲に交換する。
「何か聞いたことあるかも」そう呟いて新人介護士は部屋を出て行った。
入れ違いに若葉が1人やってきた。
「あら、これから面会?」
恰幅の良い50代の介護士が若葉を見かけて声をかける。
「はい、今日ストロベリームーンだっていうから、花ちゃんに教えてあげたくなって」えへっと肩をすくめて若葉が答えた。
花子の部屋に入るとスヤスヤとベッドで寝ている姿が目に入る。KNIGHTの曲がしずかに流れている。
「花ちゃん、若葉だよ、今日ね、ストロベリームーンだって」
そう言って顔を覗き込む。気持ち花子が笑顔になった気がした。
◇
キラキラ光るステージに立つ3人。
剣、駿、慎、3人のKNIGHTの歌声、ダンス、ライティング、移動するステージ、声援、うちわ、ペンライト…
花子の頭の中にそんな風景が広がっていた。
あの日見た夢の世界、眩しい剣太朗の姿に夢中になったあの時間、身体中が熱く、興奮したあの時間、感動のあまり涙したあの記憶…
あれ?さっくん?
茶色の長い耳に白いフサフサの尻尾、愛犬のサク。
ステージから宙を駆けて花子に向かってきた。口角を上げて笑っているかのようだ。
え?どうして?
花子は周りを見回すと、隣に若葉、美子、朝陽、百枝、反対隣には風太、菖蒲…
目をぱちくり瞬きをしても寝ぼけているわけではなく、はっきり見える。皆楽しそうにステージを見つめ音楽に体を揺らしたり手拍子したり、KNIGHTのメンバーに手を振ったり。そうこうしているうちに、さっき宙を駆けてたサクが膝の上にいた。
え?さっくん!久しく撫でてないフサフサの体をモフモフして、サクは体ごと揺らして尻尾を振った。
ステージの華やかで賑やかな中、色んな記憶が蘇る。
大きな手の小指を握って歩いた父との散歩、学校から帰っておかえり!と笑顔で迎えてくれた母、ランドセルが暑くて背中が汗だくになった夏、姉と取り合いした扇風機、初めてのセーラー服、受験、初めての通学定期、初めの憧れの先輩へのチョコレート、大学のキャンパスでお喋りした友達、振袖で玄関先で家族揃って撮った写真、袴の卒業式、スーツにパンプスに靴擦れ、トリミング学校に行って、菖蒲に出会って、トリミング店花屋の看板上げて…
私の記憶、全部全部忘れてない…
あの日剣太朗くんが店に来たこと、小さな軽自動車にギュッて乗って近くて鼓動が早まったこと、おばさんが何やってるって戸惑いながら、こうしてステージを見つめていたこと…
瞳を閉じ、蘇る記憶を仕舞い込んだ花子はゆっくり瞼を開けると、ステージに剣太朗がマイクを握って歌いだした。
♪僕らはひとりじゃなかった
忘れた記憶の中にずっと生きている
離れていても 時が経っても 必ずまたいつか
月夜に舞う桜 その花弁ひとつひとつに思い出がのる
忘れた記憶を紐解いて もしも過ちを見つけても
それも大切な記憶 なぜなら君に会えたから
僕らはひとりじゃなかった
もう会えなくなってもずっと覚えている
君が忘れても 見えなくなっても きっといつか
水面で涼む月 揺れて形が分からなくても僕ならきっと
その姿を見つける 君なら見つけるにきまってる
明日の未来 刻む時は進むだけ その先にまた会おう
君の温もりを 僕の温もりを 覚えているから
♪
♪
◇
「花ちゃん、空にお月様上がってるよ」
そう言って若葉がカーテンを開けた。
CDからは花子の好きなKNIGHTのデビュー2枚目のバラードが流れる。
♪
♪
♪
甘く切ない剣太朗の声が花子の耳に流れ込む。
「私の大好きな声…」
「ほら、花ちゃん」
振り返った若葉の目には花子の閉じた瞳から一筋の涙が見えた。
室内に響く剣太朗の声に導かれるように、花子はステージで歌う大好きな人のいる世界に向かっていった。
「ずっと好きでいられて幸せだった、ありがとう」
◇
剣太朗はマンションのベランダにいた。空を見上げながら口ずさむ。
♪僕らはひとりじゃなかった
忘れた記憶の中にずっと生きている
離れていても 時が経っても 必ずまたいつか…♪
見上げた空にはストロベリームーンが浮かぶ。
「好きでいてくれてありがとう」
出会いは奇跡、小さな奇跡が積み重なり、私達は生きている。
そして次の世界でいつか、また奇跡を積み重ねるのだろう。
「またね」
花子と剣太朗の声が重なり聞こえた気がする。
思い出や記憶は見えないから、忘れているかもしれないけれど、どこか体の中に残っているものかもしれない。
そして、友達や家族、関わった人達が代わりに覚えていてくれたら、それでその記憶は生き続けているのかもしれませんね。
推しはそんな思い出を花子に残してくれました。そして、周りの人達もCDを聞き、知らなかった世代でも花子が得た感動や興奮を知る事があるかもしれません。
たかが推しされど推し。花子の人生に推しがいたことは人生が短くも充分豊かにしてくれたと思います。
そんな推しを私も大切に生きていきたい、そんな思いで書きました。
人は自分の人生の長さは分かりません。日々好きな人、好きなものを見つけて推して推しまくって生きたいなって思います、笑。
最後までお読みいただきありがとうございました。




