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破滅の旅路を征く者よ  作者: 霜月ひでり
第二章《聖アミュガット編》
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42.罪深き者たち

「――この程度の小細工では、接戦を演じるのも難しい」


  不敵な笑みを携えて、ミゲルドは大胆に言い放った。

 聖堂騎士の眉尻がぴくりと動く。

 しかし圧倒的優位を保つする奴は平静を崩さない。

 どれ程の技量を有していようと、使い慣れぬ弓……それもあのような粗末な出来では勝機など見出だせぬ。

 大方、そういったことを考えている表情だった。


「無駄な足掻きをするな。恥を上塗る前に辞退しろ。安い矜持など捨ててしまえ」哀れんだ聖堂騎士が溢した。

「すまないが、黙っていてくれ。少し集中したい」


 ミゲルドは一瞥もせず、ただ戯れ言と切り捨てる。

 再びしなる弓。強力な負荷が弦に掛かる。腕全体に血管が隆起した。息苦しくなる程に深い呼吸。


 その所作に、ただ見惚れてしまう。

 一挙手一投足に彼の生涯が透けて見えていた。

 己の人生と才覚、人が産まれながらに持ち得る殆どをあの一矢を求めて費やしたのだろう。

 父にしごかれ剣技を磨いた幼き日々を追憶する。薪一つ持ち上げられなくなるまで、毎日剣を振るった。

 ミゲルドもまた、そのように研鑽を積んできたのだ。


 解放の刹那。

 必然性すら孕む、疑いようもない必中の予感が過ぎる。

 狙いは一点。

 風を切ったそれは標的に向けて弧を描く。

 不可思議な軌道ながら、その矢は確かに与えられた目的を達する。


 放たれた矢が深々と突き刺さる。

 見当外れな一矢目から一転、完璧に捉えて見せた。

 一瞬のどよめき、そして沈黙。息を呑むとは正にこのことか。

 驚きを隠せない聖堂騎士に、今度こそ振り返ったミゲルドが宣言した。


「————さあ、反撃開始といこう」


 


 ※◇第42話 罪深き者たち ◇※



 彼の腕前はよく解っているつもりでいた。

 アミュガット城塞に入る橋で寸分違わずに矢を射た彼を見た時、思わず感嘆してしまった。

 あれがクシェルに対して放たれた物でなければ、その場で称賛していたと思うほど卓越した技量。恐らくは自分が生涯を費やしたとしても、届き得ない領域だ。

 だからこそ此度の御前試合、彼を選抜することに迷いは無かった。

 余程の使い手、弓の名手など詳しくは無いが……それでも拮抗する相手などそう現れぬだろうと。


「そう思ってはいたけど」


 ————八十九点。

 それが的当てにてミゲルドの獲得した点数だ。

 開幕で減点が一点。以降は全て最高点の的に収めてみせた。


「こんなことが……」声を震わせるのは、弓を手にしたまま崩れ落ちた聖堂騎士であった。先程までの振る舞いは何処へやら、青ざめた表情で呻いている。

 聖堂騎士は四十四点、小細工をしたくせに大した点数ではない。

 ミゲルドの後、奴は完全に吞まれてしまっていた。先攻であればもう少し高得点を狙えただろうが、恐らくはミゲルドを貶める為に敢えて後攻を選んでいたのだろう。が、却って自分の首を絞める結果となった訳だ。

 まあ、どのみち勝敗は変わらなかっただろう……。


 熱狂冷めやらぬ客席を見ると、顔に深い皴を刻ませたキャスタリン司教が噛み締めた唇を震わしていた。

 護衛の聖堂騎士が耳打ちをする。

 また何かを企んでいるのだろう。

 キャスタリンは数名の聖堂騎士に何かを指図していた。

 聖堂騎士は頷くとゆっくりとその場を去る。

 糞に塗れた狸が。

 直ぐに引き摺り落としてやる。


「どうしたヴォルフ。厳しい顔をしているぞ」控室に戻ったミゲルドが顔をしかめた。

「別に。ミゲルドこそもう少し喜んだらどうだよ」

「ふん」


 誰もが認める圧倒的な勝利であった。

 もしここにウァルウィリスが居たなら、迷わず自軍に引き込もうとするだろう。

 だがミゲルドは大した感情も動かさず「特別なことは無い。決まっていたことだ。精霊の加護あるこの土地で負ける道理はない」と答えた。


「だが溜飲は下がったな」

「それは何より」


 精霊、か。

 当然だが領主であるバルガスもまた精霊の存在を信じていた。

 それ故、どんな試練を前にしても揺るがないのだと。

 存在など微塵も感じたことはないが、信仰心がここまで個の存在を高めるのならば成る程、信じたくもなる。

 想像を越える出来事は全てそれらの所業。

 となれば神も精霊も本質は同じところにある気がしている。

 口に出せばきっと要らぬ争いを生むのだろう。


「ところでヴォルフ、気が付いているか」


 ミゲルドが不意に問う。

 緊張を解いた彼は脱力感をあらわに腰を下ろしたが、その目付きは鋭いまま。


「あぁ」ミゲルドの言葉に頷き、答える「聖堂騎士の姿が減ってるな」


 観客席に居たはずの騎士の半数が姿を消していた。

 はっきりと認識したのはミゲルドの的当てが終わる頃……意識はしていたが少しずつ数を減らしたのだ、把握しきれなかった。

 はてさて何を画策しているのか。

 あれだけ目立つ聖堂騎士だ、人前で派手な動きはしない筈。だが安全が保障された訳ではない。

 クシェルには有事の際はすぐに避難するように話してある。

 従わない場合は護衛の兵士がクシェルを連れ、このアミュガットを去るようにも。

 彼女自身が狙われる可能性は低く、寧ろ俺やアセルシアの傍に居ることこそが危険を招くのだ。

 もっともクシェルは反発するだろうが。

 よく観察していれば、また一人聖堂騎士が観客席から立ち去った。人ごみに紛れそうな影を視線で追う。守るべき主を残し、一体何処へ行こうという。

 ……確かめてみるか。


「おい、何処へ行く」


 その場を離れようとした俺をミゲルドがすかさず制止した。


「様子を見てくる。まだ少し時間がある筈」

「様子……?」怪訝なミゲルドは目を細めたがすぐに意図を察する「ああ、成程」

「だが、あまり無茶はするなよ」

「意外だな、案じてくれるのか」

「お前に何かあると、後が色々と怖い」ミゲルドは怖れを孕んだ視線を奔らせた。その先にはクシェルの姿。

 つまらなそうな彼女は大きな欠伸をして目尻に涙を溜めていた。試合といえ争いごとが嫌いなのは昔からだ。

 ミゲルドからの忠告を胸に刻み控室を出る。

 探るのは観客席の真下。

 より多くの人を呼び込むために何階にも作られた観客席の下は入り組んだ迷宮のようになっている。大工の知識など欠片も持ち合わせないが、単純な外観にしては複雑な構造に思えた。

 このように死角の多い場所なら、誘い込めば不意打ちは容易だろう。


 しばらく歩き回り調査するが、特に不審なものは見つからない。

 喧騒は兎も角、頭上から土や埃が落ちてくるのが結構煩わしい。かなり盛り上がっているが、もう組手が始まったのだろうか。

 通路は所によってかなり狭く、身体をやや横にせねば通れなかった。

 感性を頼って危険な匂いがする方へ向かう。

 行き着いたのは積まれた煉瓦の外壁。手で押してみるが微動だにしない、この会場の外周を囲う壁か。


「————いい加減に出てこいよ」


 鬱屈とした溜め息を一つ。

 壁から手を離し、後方へ身を返す。

 無論、視界には何者の姿もない。だが研ぎ澄まされた感覚は潜む害意を正しく察知する。


 足運びからして相応の手合。

 いくら喧騒の中に紛れてようが、あの独特な音を聞き漏らすことはない。

 しばし虚空を睨むと、その先の角から淀んだ白金の騎士が三人姿を現した。更にその背後からも幾人かが参上する。


「不意打ちには向かないな、その恰好」


 目立つ上に着込んだ鎧が鳴ってしまう。

 独特なその姿は、一目で存在と立場を証明してしまう。

 完全武装の聖堂騎士が計八人。物騒にも皆武器を構えている、既に臨戦態勢というわけだ。


「どういう事情かは知らないけれど、目的は訊かなくてもいいみたいだ……キャスタリンの差し金か」

「……掛かれ!」


 応じようとこちらも剣を抜く寸前。

 問答無用とばかりに斬りかかってきた。

 抵抗の隙は与えない気か。

 上体のみで避け、相手の手首を掴んで投げる。

 鎧の構造上、間接の可動域はどうあっても制限される。体勢を支えられず転がった聖堂騎士の剣を奪い、喉元の僅かな隙間に突き立てた。


「ッッ」


 掠れた吐息と赤黒い血が口から溢れる。

 聖堂騎士は一瞬目を見開いて反撃の意を窺わせたが、すぐにその瞳から光が失われた。


「思ったり大した事はないな」亡者の喉元から剣を抜くと粘ついた血が糸を引いた。

 濃密な死と鉄の匂いが肺から全身へ巡る。

 神経が過敏となり、身体は闘争へ向けて高揚する。

 奪った剣を左手で構える。

 自前の物よりも少し短く、その分だけ軽い。造りは精巧で頑丈そうだった。


「我らの神聖な剣を!」激高した聖堂騎士が突撃した。

「油断するな! 奴はあの《血濡れの渡鴉》だ!」


 仲間が諫めるが止まる気配は無い。

 感情に任せた剣は読み易く、振るわれた切っ先を鼻先一寸で空振りさせる。

 体格差から腕は相手の方が長いが、剣界は自分の方が遥かに広く深い。足りない距離は踏み込みで埋める。圧倒的な初動の差……意識したのは剣聖の一手。あの神速を体現する。


 相手の態勢が整う前に剣を見舞った。

 先攻が弾け、刀身が欠けて散る。鎧に弾かれたのだ。

 剣も決して鈍らでは無かったが、聖堂騎士の鎧の頑強さに舌を巻く。

 しかし、どうという事も無い。続く二撃目は持ち前の武器を振り抜いた。

 父が振るった最強の一振りは鎧を今度こそ切り裂いた。青白い刀身は血油すらその身に寄せ付けない。


「な、何だあの剣、鎧を羊皮紙のように……」

「あれでは迂闊に盾も使えんぞ」

「化け物か」


 聖堂騎士が動揺する。


「殺されたい奴から前に出ろよ。天国とやらに連れてってやる」

「忌々しい悪魔憑きが!!」


 挑発すると聖堂騎士らは一斉に向かってきた。

 よく統制された動き、闇雲な突撃は無意味と知ったか、陣形を組んでいる。

 正面から向かってきた聖堂騎士の脇がちらりと光る。槍の矛先が凄まじい勢いで頬を抉った。

 間隙を縫って打破を試みるが矢が放たれる。これも容易く躱すが、その瞬間に二人の聖堂騎士が同時に剣を振るった。


「くく、どうした! 動きが鈍いぞ!! その程度か!!」


 何を偉そうに。

 しかし流石に多勢に無勢だ。

 此処の実力は確かだが……手間取る相手ではない。

 それよりも聖堂騎士たちの連携が巧みだった。

 前衛は俺の剣を捌くことに徹する。そして中衛の役を担う者が長槍で牽制し、後衛の一人がちまちまと弓を放ってくる。

 騎士と言えば一対一の決闘、一騎討ちが頭に浮かぶが、こいつらは普段から数人一組での状況を想定しているのだろう。卑怯な真似もするし数人掛かりだし、騎士という名も飾りみたいだな。


 狭い通路では十分に戦えない。

 かといってあの全身鎧……拳で殴れば骨が砕けてしまう。何よりも相当な重量だ、単純に物量任せでこられたら押し返せるだけの膂力は無い。

 今のところ《征服されざる者(アダマス)》の切れ味を警戒して容易には近づいてこないが、空間を上手く利用せねばあっという間に窮地に追い込まれてしまうな。

 背後には石壁、退路は無い。


「手荒くなる。楽には殺してやれないぞ」


 大勢の観客席の下。

 何が起ころうが感知されまい。

 障害物は多く、足場の悪い状況。

 いつかの森での戦いを思い返す。互いに同じ条件下であるのなら、劣る道理は何もない。

 闘争に血を入れ替えろ。一切合切の躊躇を捨て、阻む全てを殺せ。

 両手で剣をしっかりと握り、殺意を全身に巡らせた。槍だろうが矢だろうが、放たれる前に終わらせてやる。


 ————直後、視線の先で鮮血が飛沫いた。

 弓を構えていた聖堂騎士、否、聖堂騎士だった物の首が地面に転がった。

 鈍い落下音に次いで全身鎧は崩れ落ち、煌びやかな鎧に影が覆う。

 僅かな沈黙を破り、その男は飄々と、その容貌を露わにする。


「《血濡れ》の兄ちゃん、手ぇ貸そうか?」


 黒漆の男は、不敵にそう微笑んだ。


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