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破滅の旅路を征く者よ  作者: 霜月ひでり
第二章《聖アミュガット編》
40/43

39.夜を注いで

「————バルガスめが、とんだ暴れ馬を呼び込みおったな」


 謁見を済ませ、屋敷を後にする最中で司教キャスタリンが呟いた。


「暴れ馬、ヴォルフ殿の事ですか」

「ふんっ」


 ランスロットが訊ねると「他に誰がいる」とばかりに司教は鼻を鳴らす。彼はヴォルフに受けた無礼の怒りが収まらぬのか、顔に一層深い皴を刻んでいた。


「バルガスがかの地……クウェンと同盟を結んだ時点で嫌な予感はしておったが、よもやあのような野蛮な獣を送ってくるとは」

「獣として扱うには強大な男ですよ」

「あの男の眼を見たか、私に向けたあの眼。虚仮にしおって、絶対に許さぬ」


 わなわなと身を震わせる司教にはヴォルフ達との顔合わせの際、初めに見せていた柔和な態度の面影は欠片も無く、大袖を振り身に着けた金銀をひけらかすような歩き方は権力者特有の支配的な振る舞いであった。


「奴に勝てるか」

「どうでしょう」

「お前を呼ぶのに大枚をはたいたのだぞ」

「さて、銀を受け取ったのは私ではありませんので。それに何が起こるか分からないのが勝負事ですよ」

「王国騎士団の団長ともあろう者が何を情けない台詞を」

「……見抜かれました。絶望的としか呼べぬ刹那で」

「なに?」


 ランスロットが思い返すのは先のやり取り。

 ヴォルフを諌めるべく放った最速の抜剣に、ヴォルフは難なく合わせてきた。


「あの太刀筋、確かに王国騎士の流派を由来とするもの。だがそれだけではない、実戦にて研ぎ澄まされた、死地にて最適化された人殺しの剣技です。踏んできた場数は私の比ではないでしょう」


 己の喉元に切っ先が迫る感覚。

 見えていても止められない。攻勢の動作に入った手前、防御には回れない。

 剣を抜こうと判断した瞬間にはヴォルフは剣を抜いていた、彼はランスロットの技の起こりを完全に読んで見せた。

 今まで立ち合いで先手を取られたことは無い。


 惚れ惚れする、美しい剣閃だった。寸止めで終わらせるのが勿体ないと惜しむ程に。


「いいか、分かっておるのだろうな。アセルシアにはまだ守護者もついておる、バルガスは言わずもがな、奴の側近も屈強だ。クウェンから来た兵士も数こそ少ないがあの《血濡れの渡鴉》が選んだ兵どもだ。油断は出来ん」

「そのための聖堂騎士でしょう? まあ、何人集まっても彼は止められないと思いますがね」

「全員を相手取るならまだしも、たかだか小僧一人に我らが遅れを取ると?」


 ランスロットは一瞬間考えた後、小さく息を吐いた。


「聖堂騎士たちは確かに強いですが、それ以上に強大な存在を相手……制圧は容易ではありませんよ。もう少し慎重に進める必要があるかと」


「慎重に? 今更慎重にとは……」キャスタリンは歩みを止め苛立ちを露わにしたが、すぐにその表情を引き締めた。「分かった。とにかく、お前には結果を求める。準備を怠るな」


「承知しました」ランスロットは一礼し、そのままキャスタリンを後にした。


 ◇


 ランスロットとキャスタリンが去ってから、俺たちは改めてバルガスの政務室に移動をした。

 目的は御前試合の仔細について話し合うこと。

 誰と戦うかは然程関心がないが、共に出場する面子くらいは覚えておきたい。


 種目は騎馬による槍試合、的当て、組手、剣による試合の計四人……一枠は俺で確定しているが残り三枠か。彼はどんな人物を用意する気なのだろう。


「そうさなぁ、どうしたものか」


 バルガスがほとほと困り果てた様子で頭を掻いた。

 何も考えていなかったらしい。まあ予想通りだ。ウァルウィリスと繋がったり教会といざこざしたり策略家っぽい側面があるかと思ったが、勘違いだった。


「お主、心当たりはないか」

「うーん。的当てに関してはミゲルドで決まりでしょうね」


 城塞に訪れた時の挨拶代わりの一矢は今も色濃く残っていた。

 あの緻密さ、誰が来ようと太刀打ちできまい。

 槍試合に関しては適当な人選が浮かばなかった。クウェンの兵士は皆馬術を心得ているが槍を使った経験は不足してる。複数人で生け捕る時、攻城戦で防衛に徹する際などは槍の出番もあるが、混戦必至の戦場ではやはり剣と盾が主流だ。


「数合わせでよければ俺の部下をあてがいますが……どうしましょうか」

「いや、待て。その心配は無い。思えば我に心当たりがあった。槍試合は騎士の伝統でもある、慣れぬ者には荷が重かろう」

「じゃあ後は組手ですね。最悪、それは俺が出てもいいですよ。ランスロットと戦う前のいい準備運動だ」


 徒手空拳は十八番の内。

 大抵の奴には負ける気はしない、熊とか連れてこられたら流石にお手上げだけど。


「いやいや、その必要はないぞ」

「誰か候補が?」

「くく、聞きたいか」バルガスの巨躯が覆い被さるように耳打ちする。

「……それは面白いですね」

「で、あろう? キャスタリンの間抜けな顔が浮かぶ」笑いを堪える彼は悪戯を仕掛けた少年みたいだ。


「さて、出場者の手筈は進めるとして、他に何か留意する事はあるか?」


 最後にバルガスが問いかける。


「心配なのはやはり、キャスタリンの動向ですね。彼がどのような策略を仕掛けてくるかを予測する必要があります」

「確かに。奴は狡猾な男だ。我々も万全を期す必要がある。御前試合などただの目眩ましに過ぎん、この城塞内に手勢を送り込む為のな」

「単刀直入に訊ねます、アセルシアは狙われますか」

「直接手に掛ける真似はせんだろうな、教会の連中も巫女の価値を知っている」

「《奇跡》ですね」

「然り」バルガスが頷づいた。「まぁ、彼女の命を脅かす事は起きぬよ。でなければ御前試合には出ない……そうであろう?」


 バルガスの視線がアセルシアへと移る。彼女は薄く微笑み、静かに首肯する。


「巫女よ、何を視た?」

「私を守る騎士の姿、それと」アセルシアと俺の視線が不意に交わる。彼女がこちらへ振り返ったが故だった「いえ、こちらは言わずともいいですね」


 含みを持たせ、アセルシアは言葉を途切れさせる。

 二人の会話には色々と不明瞭な点、引っ掛かる部分も多いがこの場での言及は避けた。


「皆、当日は頼んだぞ」


 会話に一段落がつき、バルガスがそう締め括った。

 さて、この後はどうしたものか。すっかり夜も深まっている。


「一先ず、俺は下がらせてもらいます」

「うむ。呼び立てて済まなかったな」

「ヴォルフ、何処か行くのですか?」

「ああ。俺は飲……飯でも食べに行こうと思うけれど、アセルシアはどうする?」


 念のためアセルシアに確認する。実際はそういう体を取っただけの誘いであった。


「うーん」彼女は少し考える素振りをしたが、はっきりとした口調で断る。「私、今日はここに残ります」

「え」

「バルガス様と話したいことがあるの」


 断りを受け少なからず動揺する自分に驚いた。

 今日、この後も共に過ごすのだと勝手に思い込んでいたから。

 気恥ずかしくなり逃げるように俯く。


「ふふ、ヴォルフは寂しがり屋ね!」


 距離を詰めたアセルシアが屈むように覗き込む。彼女から漂う甘い香りがヴォルフの鼻を擽った。

 彼女の瞳に映る自分はこうも間抜けな面をしていたのか。


「そんな表情をしないで、また会いに行きます」


 彼女の言葉に、小さな息が漏れる。

 アセルシアの真意を掴みかねながらも、その捉え所の無さに安らぎすら感じていた。


 部屋を出る際にバルガスが申し出た。「ヴォルフ、そこまで送ろう」


「ありがたいですが、遠慮させていただきます」領主にそのような真似をさせる訳にいかず丁重に断った。


 しかしバルガスは笑顔を浮かべながら「構わん、歩きながら少し話でもしよう」と、軽く肩を叩く。


「お主は、恋多き男だな」

「止めてくださいよ、ほんとに」言いつつも少し照れくさを感じていた。指摘は図星だったが、その言われように戸惑いを覚える。


「英雄色を好むとも言う、手に入れたいものは臆せず取りに行けばよい」

「はぁ」


 以前に言われたのは真逆、ただひとつを選ぶことだった。

 廊下を歩く音が静かに響く。

 外は夜の静けさが広がり、月の光が窓から差し込んでいる。

 バルガスはふと、懐かしむような声で言う「いつ以来かな、あの娘があのような表情を見せるのは」


 一瞬間言葉を失ったが、黙って頷いた。

 バルガスの言葉の意味を考えながら、彼女、アセルシアの微笑みを思い出した。その美しさと儚さに、息が詰まる。


「……」

「案外、人たらしの才能があるやもしれんな」バルガスがどこか愉快そうに言う。


 二人の間に短い沈黙が訪れた。静寂の中、考え事に耽る。これからの試練と、待ち受ける戦い。そして、アセルシアの事。

 何かが少しづつ変化する。好転か、もしくは……。



 ◇



「――――ってことがあったんだよ」


 司教や剣聖を交えた謁見の一部始終を説明すれば目の前で呆れ返るのは弓を背負った小柄な兵士。

 彼はそれは大袈裟な溜め息をつき、「聞くだけで疲れるな、やはりお前は馬鹿だ」と嘆いた。


「お前が説明しろって言ったんだろうが」


 空腹の中、人が懇切丁寧に話してやったというのに礼どころか侮辱を受けるとは。深々とした溜め息を何度も溢す男、ミゲルドを睨み付ける。


「荒事にならず済んだのは運が良かったからだ。領主様の身まで危険に晒すところだったぞ」わざわざ俺の部屋の前で待ち伏せていたかと思えば小言ばかり。心配してくれるのが伝わるせいで邪険にも出来ない。


「あいつがその気ならとっくに事が起きてるさ。姑息な真似はしない奴だろうし」

「何故言い切れる」

「うーん。勘、かな」

「……はあ、訊ねた俺が馬鹿だった」絶句した様子のミゲルドはそう言って、捨て台詞を一つ。「妹が苦労するわけだ」


 ついさっきにもバルガスから同じ事を言われたと考えつつ、彼が口にしたことで思考はクシェルたちの安否へと移行する。


「ちょっと待て、そいや二人はどうしてる?」

「今頃は外にでもいっているだろう」

「だろうって、お前ついていなかったのか」

「密かに見守っていた。我ら精霊の民は約束を違えん。が、追い返されてな」

「追い返されたって」そんなことで引き下がるなよ、と突っ込みたくなったが報告をしたミゲルドの表情がやけに沈んでいることに今更気付く。この落ち込みようからして……


「ミゲルド、見つかったのか」

「ああ。目線があった瞬間、ひやりとした。深い翡翠の眼差し、恐ろしかった」


 恐ろしいとは大袈裟な。

 だが、ミゲルドにとってはそれだけの衝撃だったろう。

 ミゲルドは俺に「密かに見守っていた」と言った。確かに彼とクシェルは互いの印象が良くない、正面から護衛を申し出ても拒絶されるだろう。そう考えて彼は身を隠した。

 彼の潜伏力はよく理解している。

 クシェルが居た場所は書庫だったらしい。身を隠すには十分だった筈。

 それでもクシェルは看破した、敵意すら無い男の、透明にも思えるミゲルドの存在を。

 ……多分、俺には到底出来ぬ芸当。


「あの鋭さは異常だ。戦士の素養がある」それは驚愕寄りの称賛だった。素養、確かに在るのだろうな。しかし才を引き出すには相応の代償が伴う。


「俺はクシェルに剣を振るわせる気はないよ。この先、一生。誰の血にも染めさせない」

「そう出来ればいいな」

「そうしてみせるさ、その為の力だ」


 血の滲む鍛錬、そして数多の死を切り抜ける運。

 重たい鎖帷子も、鉄臭い戦場もクシェルには似合わない。彼女の世界にはそんなもの必要ない。

 けれどミゲルドは、俺の言葉を受けて意味深に口元を歪めていた。その様子が頭の片隅にこびりつく。真意をただそうにも、踏み込めない領域だと感じた。

 そんな事よりも今はクシェルの居場所だ。

 部下たちを護衛に回しているし、彼女自身が狙われる理由も無いのであまり心配ないと思うが……いや、何処に手練れがいるかなど分かった物でもないからな。


「聞いておくけど、行先に心当たりはあるのか」

「ああ、商業区にある酒場に出向いたはず」

「酒場? どうしてそんなところに」クシェルと酒場、珍しい組み合わせだった。眉をひそめた俺にミゲルドが「行けば解る」と先行する。


 俺とミゲルドは商業区の酒場に向かって歩き始めた。

 夜は更け、月の光が静かに街を照らしている。通りを抜けると、酒場の喧騒が次第に近づいてきた。


「さて、ここか」酒場の扉を押す。中に入ると戸惑うほどの賑やかさが飛び込んできた。酒と料理の匂い、騒がしい笑い声、様々な人々の喋り声——その全てが混じり合っている。


「結構混んでいるな」

「ああ————ヴォルフ、探し物だ」

「流石、目が良いな」


 ミゲルドの手柄で探す手間も無く、クシェルはすぐに見つかった。彼女は連れてきた部下たちに囲まれ楽しげに笑っていた。開放的なそれは、ここしばらくで一番の笑顔だった。すぐに俺の視線に気づいた部下たちは気まずそうに視線をそらす。


「ヴォルフ隊長……!」部下の一人が困惑気味に名を呼んだが、クシェルはそれにも気づかず、相変わらず笑顔のままだ。こっそり近づいて行き、彼女の肩に手を置いた。


「クシェル、何をしているんだ?」

「ぁれ? 兄さん、どうしたんですか」呂律の回らないクシェルの頬は赤熱し瞳は潤んでいた。


「どうしたって心配で……お前、酔ってるのか」

「飲んでませんよ、兄さん、父上に怒られるって言っていつも飲ませてくれないもん」


 いつの話だよと内心で突っ込みを入れる。

 クシェルは頬を膨らませ、それが何とも愛らしい。取扱いに困り少し苦笑いを浮かべた。


「クシェルももう大人ですからね、お酒位へっちゃらです」

「ああ、立派な淑女だな」


 本当の事を言えば彼女は大人と言うほど大人ではないし、酒は少し早い気もする。

 が、子ども扱いをすれば顰蹙を買うのは見えているので適当におだてておく。


「兄さん構ってくれないから、悪い子になっちゃいました」そう言って、クシェルはヴォルフをじっと見つめる。その視線には少し嫉妬と不満が見え隠れしていた。「分かってます、兄さんは忙しいですから。でも、ちょっとぐらい時間を取ってくれたっていいじゃないですか」


 クシェルは言葉を詰まらせず自分の気持ちを吐露する。もぞもぞと落ち着かない、いじらしい指先が本音だと伝えている。こうも直接訴えられると弱ってしまいそうだった。


「……にいさん、いっちゃうの」


 一瞬、その言葉に息を飲んだ。

 彼女の真剣な眼差しに、様々な情緒を感じ取る。


「分かった。じゃあ、少し付き合うか」

「本当?」クシェルの顔がぱっと明るくなる。ヴォルフはうなずき、彼女の隣に座る。

「実を言うと、俺も腹が空いていたんだ」


 部下たちは雰囲気を察し、少し離れた場所に移動しようとする。「おい、ちょっと待て」呼び止めると、彼らは肩を震わせて恐る恐る振り返った。


「へ、へい」

「お前ら、後で話を聞かせてもらうからな」

「……」


 クシェルの顔に再び楽しげな表情が浮かぶ。彼女は追加で葡萄酒を頼むと俺に差し出した。酔っていてもこうした気遣いは忘れないのか。


「こうして一緒に飲むのは初めてだな」杯を受け取り、乾杯の合図をするとクシェルも杯を傾ける。「はい、兄さんとお酒は初めてです」


 ミゲルドは気付けば姿を消していた。

 二人で杯を傾けながら穏やかな時間を過ごす。酒場の喧騒が周りを取り囲んでいるが、その中で二人だけの静かな空間が広がっているような気がした。


「兄さん、これからの戦い、大変そうですか」

「どうかな、でもまあ、何とかなるさ」


 憂うクシェルの髪をそっと撫でる。

 手のひらから伝わる熱は彼女の紅潮を現わしていて。

 クシェルは少し顔を赤らめながらも、真剣な表情で見つめてくる。その瞳の奥に潜む感情を読み取ろうと注意深く意識を傾けた。


「兄さん、大好きです」


 唐突な言葉に一瞬、心臓が止まったように感じた。

 何度も言葉を飲み込みながら、クシェルの真剣な眼差しに釘付けになる。深い呼吸をしながら、クシェルの手をそっと握った。その手の温もりは、彼女の気持ちの強さと純粋さを物語っていた。


「クシェルの事は、嫌いですか?」憶病な声音でクシェルが訊ねる。たった一言が出せず、どうにか「お前が大事だよ」と形にした。


 クシェルが薄く笑う。

 卑怯とは知っていたが他にどう繕えというのか。

 彼女の言わせたい台詞、聞きたい言葉も。多分、俺は分かっている。なのに答えは、ずっと分からないまま。

 大した会話も無く葡萄酒を注ぎ合う。

 深まっていく夜を絡めて二人、身を寄せ合うだけで。

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