38.神無き獣
お久し振りです!
本日よりちょこちょこあげてきますんで暇があれば是非!
日没後、屋敷前に戻るとなにやら一部の衛兵たちは慌ただしい様子であった。「何かあったのでしょうか」隣を歩くアセルシアも異変に気付いたのか首を傾げたが、その声音と表情は特に関心の無さを示している。
侵入者か、事件でも起きたのか……一見は平静を装っているが尋常ではない様子だ。
衛兵とすれ違う際に訊ねる。
「なぁ、なにか問題でもあったのか」
衛兵は一瞥するだけで立ち止まりもしない。
どうにも嫌な雰囲気がする、こういう時の予感って結構当たるんだよ……。
「気になるのなら、確認してみましょう」いたずらに頭を悩ませる最中でのアセルシアからの提案だった。取り敢えず彼女の言葉に従って衛兵の後を追うことにする。
「てっきり君は興味がないものと思っていたよ」
「ええ、でもヴォルフはそうではないのでしょう?」
「まあね」
屋敷の中に踏み入った途端、異様な緊張が身を襲う。
全身に切っ先を当てられているような感覚、死地のそれだった。アセルシアはその気配には気付いていないのか、表情に変わりはない。彼女が鈍感であるとは思えないが、これは戦いに身を置くものにしか感じ取れまい。いわゆる強者の圧力というもの。
はたして気配の主は何者だろうか……?
これだけの緊張感はあのヴァルリスとの血戦以来か。なるほど通りで衛兵に落ち着きがないわけだった。敵か味方か知らないが、相当な傑物が来訪しているらしい。
「————ヴォルフ!!」
血相を変えたミゲルドが駆け寄ってくる。庭園に続く廊下の角を曲がって視界が開けるや否や、互いの存在を認めたのはほぼ同時だった。
「どこでなにをしていた!」しっ責するかの剣幕で詰めるミゲルドは息を切らしている。「どこでって、ちょっと街の方に」状況も掴めずそのまま答えてみたが、彼は目を目いっぱいに見開くと唇を震わせて俺の腕を捉えた。
「おいおい強引だな」
「黙れ! さっさとこっちにこい!」
「へいへい」
何を慌てているのか、抵抗の隙もなく引きずられるように適当な倉庫へ連れ込まれた。
憤慨した様子のミゲルドはやっと手を離してくれたかと思えば、俺の両肩を掴んで壁際に追い詰める。
「俺、なにもしてないよな?」
「ミゲルド、あまりヴォルフを困らせてはだめです」訳が分からず困惑する俺に助け舟を出したのは特に動揺せず倉庫まで着いてきたアセルシアだ。彼女は慣れ親しんだ者にのみ発する声音でミゲルドを諭す。
「……貴方様もですよ、あまり勝手をされては困ります。それもそのような野蛮な男と……何かあったらどうするのですか」
口調こそ丁寧だが、彼の怒りはどうやらアセルシアにも向いていたらしい。
しかしやはりミゲルドはアセルシアと面識があるのか。
「ミゲルド、撤回しなさい。ヴォルフはそのように軽薄な人ではありません」
聞き流すつもりでいた侮辱にも至らぬ言葉をアセルシアは許さなかった。ミゲルドはまさか食い付かれると思わなかっただろう、目を見開いてたじろいだ。
「いや、しかし。ですが」
「ですがではありません、撤回を」
「う……」
ミゲルドはアセルシアの圧に負け、拘束を解くと渋々頭を下げる。彼女は満足げにはにかみ「素直な子」と言って彼の頭を撫でた。なんというか、ミゲルドは弟みたいな扱いをされている。
「それで、何だっていうんだ」ミゲルドの様子は尋常では無かった。怒気を前面に降り翳す姿は緊張や不安の裏返しとも取れる。おおよその想定は付いているが。
「客が来ているのだ。二人、領主様と謁見している」
「客、刺客の間違いじゃなくて?」
「……何か聞いてるいるのか」
「いや、ただちょっと。嫌な気配だとは思っているよ」
「お前もそう感じるのか……血筋だな」
「も?」
「いや、こちらの話だ。とにかく、どちらも厄介な人物だ。本来は領主様に任せておけば構わないのだが……少し面倒なことになっていてな。奴ら巫女様、アセルシア様を出せと要求してきた」
慌てていたのはアセルシアを探していたからか。まさか無関心でいた彼女が騒動の原因だったとは。隣で話を聞いている彼女はそれでもなお特に関心を寄せていない。何を考えているのか、彼女の視線は退屈そうに中空を往き来する。
「その客とやら、何者だ?」
「一人は司教だ、お前も聞いているだろう。キャスタリン司教、このアミュガットで信仰を束ねる男だ」
キャスタリン司教、確か宴で一度目にした以来か。
教会では会わなかったが、ここでまた会う機会が得られるとは。一度言葉を交わしてみたいと考えていた。
しかし腑に落ちない。
教会とバルガスとの力はおよそ拮抗している。
ましてアセルシアはバルガスの切り札のような存在だが、司教の申し出とて簡単に敵前に晒すだろうか……。
「ヴォルフにとってはもう一人の素性の方が興味があるかもしれないぞ」
「へえ」
そういえば、やってきたのは二人という話だった。この気配……聖職者には到底醸し出せまい。問題の核心はおそらくこっちか。
「かなりの使い手なんだろう」
「かなり、どころではないぞ。何せ奴はかの王国騎士団の団長を務める傑物」
「騎士団?」
「ああ、剣聖ランスロット。王国誕生以来の怪物と呼ばれる男だ」
大物も大物だな。
剣聖そして騎士団長。
どちらも父ラグナルが冠した王国最強の称号である。
護衛として同行してきたのか、司教とは別の目的あってのものか。
所縁のある単語ばかりだが陰謀の気配を感じてしまう。なにせ因縁の敵が属していた国だ。
「――――ヴォルフ、お前をご所望だ」
◆※◇第38話-神無き獣-◇※◆
剣聖ランスロットの逸話は数知れず。
最年少にて王国騎士団の団長にまで上り詰めた剣の申し子。
敵対する貴族の派閥争いにて差し向けられた暗殺集団を返り討ちにし、地方を荒らす盗賊団を単身で壊滅させ、大陸中のあらゆる流派、武術に通ずる戦闘術は剣のみならず全ての武具を使いこなすという。
噂では王が妾に産ませた子だとか、逆に出自は奴隷であるとか、没落した名家の末裔だとか、先代剣聖の子供であるとか(これははっきりとしたガセだが)、色々な憶測と噂が飛び交っているらしいが……どんな男なのだろう。
「————まあ、会ってみりゃ解るか」
「何の話ですか」つい溢した独り言に首を傾げるアセルシア。先導するミゲルドとは対照的に緊張感の無い彼女はやたら近い距離で隣を歩いている。目が合うと吸い込まれそうな瞳が遠慮なくこちらの顔を覗き込んだが、「こっちの話だ」と適当に返して意識を逃がした。
「この先に居る。俺はここまでだ、ここからは入れない」
謁見の間に通じる手前の通路でミゲルドが立ち止まった。
何故かと理由を訊く前に、来訪者の一人が司教であると思い出して納得した。
「巫女様もお気を付けて、何かあればヴォルフが盾となるでしょう」
「おい」
「冗談だ。だが、頼んだぞ」
「わあってるよ……ミゲルドも、二人のことは任せるよ」
「心配するな、妹の方はお前に似て鼻が利く。とにかく、剣聖相手に噛み付くんじゃないぞ」
「はいはい」
こいつ途端に口煩くなったな。
最初は口数の少ない男だったのに……いや、そんなことも無いか。最初からクシェルと口論をしていたな。とはいえ余程アセルシアの事が心配なのだろう。屋敷で俺たちを見つけた時の反応と言い、挙動が何やらおかしくなっている。
「ヴォルフはミゲルドと親しいのですね」二人で通路を進む中、喜色を宿してアセルシアが呟いた。
「そうか? あいつ、俺を野犬か何かかと勘違いしているんだよ」
「ヴォルフは野犬というよりは狼のようですよ」
「それ、褒めてる?」
俺からすれば野犬も狼もそう変わらない気がする。
というか狼ってそんないい印象が無いんだよな、ずる賢くて、執念深い。
「褒めていますよ、凛々しくて素敵です」
「ふうん」
歯痒い台詞もアセルシアに掛かればお手の物。
屈託のない笑顔と裏表のない感情に眩暈がしそうだった。彼女が大切にされる理由が解る気がする。巫女という存在、肩書は勿論だが、こう、助けたくなるというか。惹かれるのだ。アセルシアがその気になればどんな男でも好きに出来そうだった。
謁見の間に到着した。
いつの間にか繋いでいた指を解いて扉を押し開く。
無骨な椅子に腰かけるバルガスの前には派手な装飾で飾った男と白金の鎧を覆う青年。
険しい表情の三人はすぐに俺の存在を認め視線が集まった。
「お待たせして申し訳ない、閣下。何やら御用があるとか」
「おお、ヴォルフ。折角の余暇に呼び立ててすまんな。然り、だが用が在るのは我ではない、お二人は————」
「閣下、挨拶は此方から。……こんにちは。私の名はキャスタリン。司教として王よりこのアミュガット全土の教会を任されています」
先に名乗ったのは司教であるキャスタリンだ。
一見はバルガスを閣下と呼び、敬意を払っているようにも思えたが、バルガスの言葉を遮り、尊大な口調は己こそが権力者であると誇示するかである。
「お初にお目にかかります、キャスタリン司教」
「いえ、こうして同じ場に集うのは二度目ですよ。一方的にですが、意識をしていた。ウァルウィリスの懐刀、《血濡れの渡鴉》のヴォルフ殿」
「名を覚えてくださるとは光栄です」
「貴方ほどの力、知らぬ顔は出来ませんよ。それも閣下の友人ともあれば尚更に」
「友人などと畏れ多い。それで、そちらの御仁は」
「これは失礼、この者はランスロット。ランスロット=フランベージュ。太陽の担い手にして極光の騎士、炎の先導者、王国最強の剣であり今代の剣聖であらせられます」
申し訳ないが半分くらい聞き取れなかった。
炎の、何だって? 大層な称号を持っているのだということだけ判ればいいか。
青年は司教からの紹介の最中、片時も俺から目を離さないでいる。
視線が交錯した刹那、量られていると認識した。相手もそう感じたのか不敵な笑みを浮かべる。闘争に生きる男の気配……幼さの残る爽やかな笑みから漂う、濃密な死の芳香。
「ランスロットです、以後お見知りおきを」
「ヴォルフです」差し出される両の手に応え、こちらも頭を下げる「かの剣聖に会えるとは光栄だ」
この男には一度会っておきたかった。
おそらくは敵対者となる中で最強の男。憧憬の的である父の位地した到達点、当代の剣聖。
「剣聖などと呼ぶのは止してください。未だ未熟な身の上ゆえ。貴方も素晴らしい武勇をお持ちと聞いています」
「運が良かっただけです、いつも心強い味方がいました」
「天運を引き寄せるのもまた資質。クウェンにいるのはアルガス殿でしたね、剣は彼に?」
「ええ、俺の師です」
アルガスの名が出るのは意外、という訳でもない。
二人共王国の騎士団出身で、アルガスは父の従士として仕えた時期があったはず。
しかし師か……咄嗟に出た言葉だったが、自称するのは初めての事だ。基礎を叩き込んだのは父だが戦場で生き残る力を与えたのは間違いなくアルガスだった。そういう表現はしてこなかったがまさしく師弟と呼ぶべき間柄か。
「貴方は先代剣聖に所縁があるとか」
「何処から流れたのやら、ただの噂ですよ。私と剣聖ラグナルには何の繋がりもありません。なにせ私が騎士団に入る頃には彼は王国を去っていました。もしや先代剣聖に興味が?」
「俺も剣士の端くれですから。会えるのなら一度会ってみたい」
「残念ですが、彼の所在は誰も知らぬのです。一説では病に冒され、療養の為に辺境で暮らしていると聞きますが」
「そうですか、それは残念」
ランスロットの受け答えには淀みがない。
注意深く観察したが嘘を吐いているようには見えなかった。つまり父の死を知らないでいるのか。王国の騎士団に属する男が、本当に?
しかし何が療養の為だ。
母を辱しめ、父の利き腕を奪ったくせしてそんな出鱈目を吹聴しているのか。
心や無意識のもっと深くから顔を出す渦巻くような感情。
悟られまいと呼吸を止める。
「————ヴォルフ、私をおざなりにしては困ります」
感情の揺らぎを知ってか知らずか、一歩引いていたアセルシアが前に出る。
「ご挨拶が遅れました。私はアセルシアと申します。司教様も、お久しぶりですね」
「アセルシア、見違えましたよ。よもやここまで美しく育つとは」
「土地の恵みに生かされています」
「ええ、そのようです。神の、恵みですな。主は我々の想像をいつも超える」
司教の声音が微かに硬くなり、訂正を求めるかの台詞で被せた。
お互い親し気な笑みを交わしているのに緊張感は増している。
「貴女が巫女ですか。司教から伺っていたが噂以上の美しさだ、王国から遥々出向いた甲斐がありました」
緊張を解くのはランスロットだった。
彼はいたく興奮した具合でアセルシアに詰め寄り、彼女の手の甲に口づける。
反応を示さないアセルシアは手を体の後ろに引っ込めると、ランスロットの視線を正面から受け止める。近づいて並ぶとランスロットよりもアセルシアの方が背が高く、彼女の肉体が際立った。
「ランスロット様は私に会いに来たの?」
「正直、司教の護衛など面倒だと思っていたのですが、風に聞いた《奇跡》を宿す巫女……貴女に会えると知り引き受けたのです。成る程、確かに高貴な雰囲気をお持ちだ」
「ふふ、高貴だなんて、お上手ね! 貴方も聡明な顔立ちをしていますよ」
「そ、そうですかね」
この人誑しめ。
ランスロットの鼻がだらしなく伸び切っていた。
ただの社交辞令も何故か彼女が言うと嘘に聞こえない。
不用心に接近するアセルシアの腕を引いて後ろに退かせれば、ランスロットの視線が俺に不服を申し立てた。現時点ではランスロットの挙動に怪しいところはなく敵意も感じないが、あまり近づかれると守れない。少なくともランスロットより自分の傍に置いてなければ。
「失礼だが、ヴォルフ殿は巫女様とどのような関係で?」アセルシアに容易く触れた俺の行動に司教が訊ねる。
「彼は私の騎士です」
「騎士……?」
「はい、私を脅威から守る為に在ります」
騎士……彼女を守ると誓った時も俺を騎士と呼んだ。
正確には俺はクウェンの兵士で騎士ではないが、便宜上そう呼ぶのが都合がいいのか。
アセルシアの台詞をなぞって司教が問う。
「我々は脅威ですか?」
「いいえ、現時点では。それとも、貴方たちはそうなり得ますか」
面白い返しだ。
強きで賢さの窺える、好感の持てる一手に司教が押し黙る。
人懐っこいと感じていたアセルシアがこのような対応をするとは思わなかった。
「騎士ですか。それで彼はあのような行動を取った訳だ。些か無粋と感じましたが」
ランスロットはアセルシアとの会話に水を差されたことを根に持っているのだろう、棘のある言い方をする。
「そうね、ごめんなさい。でもさっきのはヴォルフのやきもちですので!」
「違う」
反射的に否定した。
一体何を言い出すんだこの女は。
ランスロットが呆けた面で固まり、その後口に手を当てて「なるほど」などと呟いた。何に納得したのだろうか。
「はは、やきもちとは。契りまで結びながら信用が無いのですな」
「司教様、ヴォルフは心配症なのです。ね、ヴォルフ」
……契りとは何の事か。
不意にアセルシアが俺の手を握った。
重なりをもう少し変えれば、細い指まで絡んできそうで。
鼓動が奔る。
彼女の柔い肌を、惜しくもそっと振り解いた。
「バルガス閣下、どうにも話が進みそうにない。進行をお願いしたいのですが」
「なんだ、もうじゃれ合いは終わりか。存外に見ものであったがな」
俺の戸惑いを見抜いてか愉快そうに目を細めるバルガスがゆったりと立ち上がる。
「ヴォルフよ、御前試合に出てくれまいか」
「御前試合、俺がですか?」
「うむ、そこなキャスタリン殿からの提案でな。腕利きのお主が出ればよい催しとなると」
この生臭坊主め。
御前試合については先日バルガスより話が出されていた。教会の刺客を炙り出す、だったか。
生憎と暗躍するのは性分でないし上手くやる自信もないが、剣を振るうだけならそれなりに上手だ。
しかし試合に出るということはバルガスと、なによりアセルシアから離れる必要がある。
バルガスの予想では狙いは信仰を阻む巫女と領主……俺を二人から引き剥がすのが目的だろうか。それか直接俺を排除する気か。
「無論、使用するのは訓練の為に刃を潰したものだ。余程の危険は無い、所謂見せ物だからな。双方峰打ちまでの一試合を任せたい」
「許可など要りませんよ、閣下より一言命令があれば何処でも戦います」
「くく、仔細に興味無しか、頼もしい限りだ」
小難しく考える必要は無い。
阻む障害に全霊を以て臨むだけ。バルガスの策略でも司教の謀りでも関係無く、あてがわれた敵を切り伏せるのみ。
峰打ち前提の見せ物といっても事故は起こり得る。
相手は未だ見ぬ刺客か話に聞いた教会御抱えの聖堂騎士とやらだろうか。
「相手は私ですよ。《血濡れの渡鴉》の剣技、是非とも堪能したく」
思考を遮り求める答えを寄越したのは不敵な笑みを浮かべた剣聖。
柔和に思えた雰囲気は一転し、闘争の眼差しがこちらを貫いた。
「私では不服ですか?」
「まさか」
こんなに早く剣を交えることになるとは思いもしなかった。しかし有事の際この男を抑えておけるのは好都合と考える。
何より現時点で自身が何処までの力を持つのか……確かめる好機だ。
父ラグナルに始まり師であるバルガス、仇敵であったヴァルリス。皆卓越した戦闘能力、技術を有する剣士。そして現れたのは現段階では最高峰の存在……どうしようもなく高鳴る鼓動を誤魔化せない。
「一試合をと仰いましたが、いくつかの試合が組まれているのですか」そう質問したのはアセルシアだった。問いを投げられたバルガスはやや面持ちを緩めて答える。
「うむ、騎馬による槍試合や弓兵の的当て、徒手空拳による組手を予定しておる。それぞれ腕利きを用意した。のう、キャスタリン殿」
「はい、聖堂騎士より数名を。神に仕える精鋭、猛者たちを各地召集しておりますよ」
聖堂騎士、やはり現れるか。
教会では見掛けなかった。アリアの調べが正しいのなら不足する兵力を補ってアミュガット領の各地で治安維持に努めているのだったな。
信仰と金を集め、教会の権威を知らしめる力の集団。
「此度の御前試合、是非とも巫女であるアセルシアにも立ち合って頂きたい」
「もとよりそのつもりでいました。地鎮を目的とする祭事でもありますから、私が出るのは必然というものです。微力ながら、皆無事に終えることを願っています」
「そう気負わずとも大丈夫ですよ。我々が神へ祈りましょう。紛い物の《奇跡》に頼ることは無い」
司教はアセルシアを嘲笑する態度を取る。先程の挨拶といい、言葉尻に棘があった。
金銀で飾られた両手を合わせ、祈りの姿勢を見せる司教……この行為にはどれだけの意味があるか。
「ヴォルフ殿、何か可笑しな所が?」
表情に出したつもりはなかったが司教が不快感を露わに問い質してきた。
「いえ、失礼。その祈りの効き目はアミュガットではあまり無いようなので」
「その発言、一度だけ聞き流すとしましょう。残念ですよ、神に愛されていながら、神を敬えないとは」
神に愛されていると来たか、実に身に覚えのない話だ。
そのような存在に祈ったことなど一度もない。
「会ったこともない人に敬意は払えませんよ」宴の席でバルガスに似たようなことを語った。彼は快活に笑ったが、司教は怒髪天といった様子で青筋を立てる。
「人……? 貴方もどこまで愚かなのか。双方、私の祈りでは救えぬやもしれん」
双方、俺は勿論としてバルガスかアセルシアの事どちらのことだろう。
「そうですか、それでは信仰が足りないのでは? それか……これも神のご意志とか」
空気が変わるのが解った。
緊張感の高まりを危惧したバルガスが諌めようと試みる。
「許せよ司教、彼は無神論者でな、物事を知らぬのだ」
「……構いませんよ。このような場で彼に信仰も、礼節すら説くつもりはありません。生まれ持った素養、格というものもありますので。どうにも資格がないらしい」
「資格ですか。それは金? それとも我が身を肥やす私欲? もしくは両方ですかね」
「貴様……私を誰だと思っているのだ」
司教が肩を震わせた。
ちらりとバルガスを覗き見る。
一旦は諫めようとしたが、これ以上止める気もないのか。
「ヴォルフ殿、それ以上の無礼は見過ごせない」ランスロットが俺の肩を掴む。丁寧な口調に込められた身が竦む程の圧力、そのくせ当人は凪の如き佇まいだ。
「止めるなよ」
「司教とて心を痛めている。だから教会に助けを求めた民には等しく救いを与えているよ」
「どうかな、金の無い物乞いは救わないだろ。例えばそう、貧民区の子供とか。彼らはあの場所から出れやしない、救いには銀が幾らいる? 彼らの値打ちは幾らだ。少なくとも司教、あんたが身を飾る為の財宝よりは安……」
……肩に置かれた指から不自然な力み。
台詞を阻むべく閃光が喉元へ駆け上がった。
圧倒的な初動が残像を残して突風が舞い込む。
「————如何なる理由があろうともこの場で剣を抜くことは許しておらんはずだが」
バルガスが厳しい声でその場を制した。
冷ややかな視線がランスロットと俺の間を行き交い、場の緊張を一層高める。
「バルガス閣下、お許しを。しかしヴォルフ殿は達人です、無手であしらえる手合いではない」
ランスロットが肩越しに俺を見て冷静な声で言った。
その目には一切の恐れも迷いもない。彼の忠告が重みを持つのは、その静かなる威厳と確かな実力からか。
「仕掛けたのはお前だろ」
「先に抜いたのは貴方ですよ」剣聖は冷ややかに答えた。次ぐ言葉の裏に込められた自信は揺るぎないもの「だから、貴方の首が先に落ちる」
「そうかもな」
お互いの首はそれぞれの刃先が捉えていた。
ランスロットの言う通り、剣を抜いたのは俺の方が速かった。
だが実際に剣が届いたのは全くの同時であった……剣速にて上手を取られた経験はあまり多く無い。
認めたくないがこの男は俺よりも速いらしい。
「ヴォルフ落ち着いて」
アセルシアが相変わらず緊張感のない、どこか抜けた声音で制止を掛けてきたが振り返れない。微かでも気を緩めれば死を招く直感があった。
「ヴォルフ」彼女は再度呼び掛ける。今度はやや真面目な口調に思えた。ランスロットとは膠着したまま牽制が続く。
「ヴォルフ!!!」
突如、怒号が響いた。
一瞬誰のものか疑うほど力強いもの。
間違いなく、怒気を含めた呼び掛けだった。
思わず肩が跳ねそうになる。
向かい合うランスロットが目を丸めているのが解った。凄まじい剣速を披露した男がまるで萎縮しているようであった。
「私を守ることと、自らの怒りに従うこと、どちらが大事ですか」
幼子を諭すが如く、しかし冷淡に吐かれた台詞には確固たる意志が込められていた。
「……お前を、守るよ。そう誓った」
否応なく剣を鞘に収める。
拮抗した状況を自ら不利に持ち込む、正気ではない。
ランスロットの剣は当然、まだ俺の首元に添えられている。
本当に不思議な女性だ。
昨日今日会った人物に放ったとは思えない言葉なのに彼女の望む答えを選ばされる。選んでしまう自分が確かに在った。
彼女には、アセルシアには俺の回答が視えている。
理屈抜きに、そう確信した。
◇
以降の会話についてはあまり憶えていない。
剣を収めた時ランスロットに落胆らしき色を垣間見たことや、彼が同様に剣を収める際「残念です」と溢したこと、司教が時折に睨んできていたこと、アセルシアが懲りずに手を繋いでいたこと。精々がそれくらいか。
肝心の御前試合についての話はバルガスと司教が中心となって進めていた。
「それでは御前試合でまたお会いしましょう。私としては、もう顔も見たくはありませんがね」
去り際に司教が捨て台詞を残した。散々な言い草だが、当然の対応と耐える。随分と司教を怒らせてしまった。ミゲルドからあれだけ釘を刺されていながら情けない。
「ヴォルフ殿、今日は無礼を働きました。それと、合間見える機会を心待ちにしています」
対するランスロットは最後まで一定の敬意を払っていた。王国の人間ということで警戒したが何も読み取れず終いだ。話をしたところ嘘を吐ける男には思えなかったが……。
「バルガス閣下、ご迷惑をお掛けしました」
「くはは、構わん。しかしお主は実に短絡的で浅慮だな。連れの二人は苦労が絶えんだろう」
「……」
いつまで経っても感情で動く人間。
理性が勝ったことなど記憶には一度も無かった。
クシェルやアリアであったなら、もっと上手くいなせたろうか。この歳にもなって本能に従うことしか出来ぬ愚か者。司教が嗤うのも無理はないが、結局俺はこういう人間だった。
「しかし、我は嫌いではない」
苦言を呈しつつ、バルガスは微笑む。
厳格な風貌には似つかわしくない、優しさに溢れた笑みだった。




