29.征服されざる者
――――クウェン出立前夜。
自室にて準備を済ませていた俺の元をアルガスが訪ねてきた。
「……何の用だよ?」
この男がこのように直接訪問しにくるのは滅多なことではない。
用があれば遣いが代理でやってくるか、食事の際に纏めて話してくる。
個人的な付き合いで酒場の供をすることはあるが、逆に言えばそれくらいだった。
普段なら酒を飲んでいる時間帯だが、見たところまだ素面に感じる。酒瓶の代わりに手に握られているのは麻布に包まれた横長の物体。
「ちとお前が出る前に渡しときたい物があってな」
「おいおい、変なもんじゃないだろうな」
アルガスから手渡される物など、ろくなものではないだろう。
記憶に在るのは地方の珍しい地酒(それも廃村から拾ってきた)や街の娼館での招待状。
しかもタイミングの悪いことにいつもクシェルがいる時に持ってきやがる。
何度彼女に折檻されたことか……。
「失礼な奴だな、要らなかったら返してもいい。そらよ」
麻布を捲って出てきたのは一本の剣だ。
アルガスから押し付けるように手渡されたその剣は、どうした事か目方よりもずぅっと重たい。
「これは」
何とも質素な造りの鞘だろうか。
だがそれだけに素直で丁寧な仕上がりだ。
優しげに、しかし力強く、何かを包容するかに拡がった年輪には作った者の想いが現れている。
対して、柄の造形は意匠に富んでいた。
柄全体は黒く染められている。
手に取った質感からして材質は木、だろうか。
触感は骨のように堅固であるが。
鍔と呼べる部分は無く、柄頭には宝玉が埋め込まれている。
翡翠に染まった、誰かを彷彿とさせる色彩だ。
その宝玉を食むように、握りに掘られた捩じれ交わった二匹の蛇。
「それは王国騎士時代、お前の父が振るった剣だ」
「……!」
「正確には歴代の騎士団長が、だな」
抜いてみろ、とアルガスが提案する前に鞘に収まった剣身を引き抜いた。
剣身には従来の剣では在り得ない輝きが灯る。
青白く、まるで剣そのものが光を放っているかに錯覚する。
月光を宿した海を閉じ込めているようだ……。
刃先には錆や血、脂の汚れの痕跡すら残らない。
見た目だけならある種の芸術品としての価値を求めただけの剣に思えたが、実際は当時最高峰の使い手のもと歴戦を潜り抜けた名剣であった。
磨かれた刃は鏡面の如く、覗く己の相貌を写し出している。
握っただけで理解する。
これが持つ、武器としての途方もない殺傷能力を。
「凄いな、これ」
「数多の鍛冶職人がその剣を目指したが、誰も再現することは叶わなかった。王国建国時より残る《至上の宝剣》が一振。世界に二つとない名剣だ、大切に使えよ」
「へえ、そりゃあ希少だ」
「ああ、場所を選んで売れば末代まで遊んで暮らせるだろう」
「うえっ」
父上はそんなものを振るって戦ってたのか。万が一にも刃毀れ、いや、最悪は叩き折れる可能性だってあるだろうに。
「くはは、杞憂だな、その剣は絶対に破壊出来ねえよ。というより剣身だな、刃毀れなんざありえねえ」
「まじか……ところで。これ、なんて書いてあるんだ?」
中央に設けられた溝には文字らしき何かが刻まれていた。文字には詳しくないが、少なくともこの土地の物ではない。
「あー、なんつったかね、古代か異国かの文字らしく俺にも読めん。まあ、書いてある言葉は解らんが、王国で持つ意味なら知ってるぞ」
「へえ、どんな?」
出自はおろか、どのような細工、技術を以て鍛造された物なのかも分からぬ代物。
その刀身に刻まれし文字はかつて滅びた王国か、はたまた未だ見ぬ大陸に在るやも知れぬ異国の物か。
謎に包まれた剣は、しかし絶えず代々の王国騎士の手に受け継がれてきた。
剣は常にたった一人の担い手を選び、その者の道を切り開く。
知りえるのはその剣身は現存する数多の武器で最も鋭く、また頑強であるということ。
そしてもう一つ、剣が次代に継がれる際……その剣に込められし宿命は銘として口伝される。
『そうだな、確か――――――』
◇◆◇※ ‐ 第29話 ‐ ※◇◆◇
「――――やれ」
黒衣の男が手を降り翳したのを皮切りに、俺たちを囲んでいた敵が一斉に襲いかかってきた。
大した防具を着けていない代わり、敵の動きは非常に俊敏だ。
後方からはちくちくと弓の援護射撃。
命中精度はすこぶる悪い、統率の無い動きといいとても訓練を積んだそれではない。
アミュガット領主関連かと勘ぐっていたが、もしかしたらただの賊なのだろうか。
「お前ら!荷馬車には指一本触れさせるんじゃないぞ、死ぬ気で守れ!!」
「隊長は!?」
「先ずは厄介な弓兵から潰す!」
一旦は荷馬車を部下に任せ、鎧もなければ盾も無しに単身で切り込む。
「なんだ、自棄になったか!」
味方から離れると待っていたと言わんばかりに敵が群がってくる。
まあ、端から見れば多勢に無勢。
敵が勢づくのも無理はないけれど……。
「邪魔だよ」
「ぁあっ……!?」
比べるまでもない彼我の戦力差。
とはいえ個人に焦点を当てた場合の印象は違っている。
無謀にも正面から突っ込んできた敵を殴り倒す。
籠手に覆われた拳は鉄拳さながら、相手の顔面を粉砕した。
鉄塊を柔い地面に落としたのに近い音と感触。
拳を受け派手に転がった男はぴくりとも動かない。
ほとんど即死だった。
――――さっさと減らさないとな。
負ける気は毛頭ないが、とにかくクシェルに危害が加わらないように立ち回らねば。
そのまま敵勢力へ突貫する。
相手は再び矢をつがえていた。
味方もろとも巻き込む算段か、乱戦ではこちらも被害がでるだろう。
が、却って好都合。両手が塞がった相手など木偶も同然だ。
矢を穿つ前に全員屠れば済む話。
流石に俺の意図に気付いた数人が先を阻んだが、攻め方が粗い。
同時に接近するせいでお互いの間合いが重なっている。あれではまともに武器を振るえまい。
だが武器を持った相手というのは簡単にはその得物を手放せないもの。
一人は状況の不利を悟ったのか、格闘戦を挑んできた。
素早い体捌きで拳をちらしてくる。
身を翻してそれらを避け、左腹部に膝をぶちこんだ。男は悶えたが、すぐに立て直して返礼の蹴りを放ってくる。拳と比べ些かお粗末な一撃だった。
隙を捉え、男の膝の関節に強烈な蹴りを叩き込む。靭帯を損壊する感触。敵が今度こそ地面に崩れ落ちた。
無防備になった顔面を踏み抜いて完全に破壊する。
敢えて暴力的な止めにしたのには脅しの意図が含まれていた。
正常な人間なら誰しも危険を避けようと本能が働くもの。狙い通り、粉砕された味方の顔面を見て敵が怯えを覗かせる。
一呼吸分の僅かな隙だが、戦いでは生死を決定づけるに十分な猶予だった。
間隙を逃さず一気に肉薄する。
「ちょ、まっっ……」
「――――つかよ。殺し合いの最中だぞ」
どういうつもりか相手は抵抗も無く両手を挙げた。
とはいえ手心を加える程に日酔ってはいない。相手の目を潰した後、髪と顎を掴んで頸椎を捻り壊す。
次いで背後から掴みかかってきた敵に頭突きを見舞い、仰け反った拍子に脱出して膝を思い切り股間にぶち込んだ。相手は悶絶し、吐瀉物と共に転げ回る。
「なんだ、雑魚ばかりか?」耐え難い苦痛に横たわる男を足蹴に、挑発的な言葉を吐き棄てる。相手方はその侮辱に呆然としたが、次の瞬間には表情を怒りで満たしていた。
敵の激昂を誘うにはこうした侮辱が効果的。
演技の甲斐あってこちらを注視していなかった連中の関心を引いた。
怒髪天といった形相で十数人が四方を囲む。仲間を殺された怒りより、ちんけな自尊心が大切らしい。これ程に扱いやすい敵も居ないが、まだ息のある味方を助ける素振りすらないのはそれはそれで不快だった。
ともあれ、これで大体半数近くを引き受けた状況になったか。
「さて、やろうか」
「馬鹿が! すぐに黙らせてやる!」
少々数が多い、手傷の一つくらいは貰うかもしれないな。
そんなことを考えながら背負った剣の柄に手を掛ける。出発前にアルガスより譲られた《至上の宝剣》だ。
……この程度の相手になら得物を使うまでもないかと思うが、《《試し切り》》には丁度いい。
感触、使用感も何処かで確かめておきたかった。
引き抜くや否や光の粒が漏れ、辺りが蒼く淀んだように感じた。
「そんな細い剣、ぶち折ってやらあ!」
一番に向かってきたのは図体と威勢だけはいい無精面の男。
見た目通りに怪力が自慢か、身の丈を越える大槌を振るってくる。
当然、初動を攫うなど造作もないのだが……。
「なんだっ! 避けねえのか!?」
「あんたも避けることを進めるけれど」
「このままぐちゃみそになりやがれっ!!!!」
「そうかよ」
力任せの一撃が風圧を伴って振り下ろされた。
脳天目掛け墜ちる大槌を鼻先一寸で躱し、そのまま大槌ごと横薙ぎに一閃する。
直後、剣圧が大気に逆巻いた。
宙に剣閃が駆ける。
奥行や障害物を関係なく引かれた青い線は剣身を追従して赤に移ろった。
「あえ?」
大男が間抜けな声を漏らせば、鳩尾当たりを境に肉体が二つに《《ずれ》》た。
大槌の存在など一切感じさせない切れ味で、勢い余りある斬撃は軌跡上の敵を数人纏めてその武器ごと両断する。
聞いていたがとんでもない武器だ。
念の為確認すると、やはり刃毀れは見当たらない。
「なんだあの剣、鉄を襤褸布みてぇに……っ」
「やべぇのがいるぞ! もっとこっちに人数回せ!!!」
「そんな余裕ねえぞっ……! 話が違うじゃねえか!」
舞い散る蒼の残滓は猛火より這い出し火花より激しく、水面を照らす蛍火よりも柔らかい。
異様に滑らかな刃先とその重量が絶望的なまでの切れ味を生み出していた。
冠されし名は――――――《征服されざる者》。
父を最後に後継が途切れていた剣の、それが銘だった。
征服されざる者、か。
まるで何か特別な、途方もなく大きな流れに導かれているように思える。
人の企みや思惑からは外れた、言うなれば運命的な何か、きっとそれらがこの剣を俺のもとに運んだのだ。
しっくりくる。
これまで扱ってきたどんな武具よりも。
己の腕の延長だとすら思える一体感、重みがあるが、思いのままに操れる。
幾つもの命を散らす最中、俺は戦いなど他所にこの身体に残る父との繋がりと感じていた。
どう振るうべきか、どう扱ってきたのかが文字通り手に取るように解る。頭の中に流れ込んでくる。
初めて実戦に挑んだ時よりも遥かに明瞭な感覚。
あまりの切れ味に、その気になれば天すらも裂けるのではと高揚した。
「くそ! おい《鷹》の旦那! 助けてくれよ!!」
両腕を失った敵の一人が助けを求める。
何故か指示を出したはずの黒衣の男は静観に徹していた。
攻撃の素振りどころか危害そのものを感じない。無関係とばかりに一歩引いて戦闘を眺めている。
かといって指示を出すわけでもなく、行動の目的が読めない。
「ちくしょう、ちくしょう……」
腕を失った男は多量の出血からか、立つこともままならなかった。
跪いてどうにか慈悲を乞う姿勢を見せる。差し出されるかに伸びた首筋に刃先をあてがえば、枯れた花の花弁の如く簡単に零れ落ちた。
「……で、結局あんたは来なかったな」剣を振るってから一分も経たずに俺を囲んでいた敵は一掃された。残るは未だ動かずにいる黒衣の男がただ一人。切っ先を差し向ければ、厄介そうな面持ちでため息をついた。
「どうにもなぁ。やばそうだ」
「あの混戦だ、いつでも好機はあったろ」
「まさか。付け入る隙なんざ一瞬も無かったぜ? でも、まあ、今、やっと貰った」
「ぁあ?」
右手に武器を構えた。
男の武器は棍棒の全周に棘を加え、さらに先端には槍の矛先が取り付けられた物。
実戦向きかはともかく見るからに禍々しい造形だ。
大袈裟な見た目。まるで、注意されることが目的とされるような……。
「っっっ」
得物を取り出した際、彼の重心が不自然に偏るのを見逃さなかった。
闘争にて尖れた感性が、気付くはずの無い危機を予見する。
無意識に己の右足元に視線を落とすと、いつの間に仕込んだのか地面には鎖が這っていた。
発見の途端、鎖が張力を得て引き締まる。
後方から何かが這い出る音。確認する余裕を与えず男は右手の武器を投擲してきた。
下手な回避では無駄な傷を得る可能性がある。
だが、狙うのなら上半身、首か頭部だ。
剣の腹で投擲物の軌道を支配して、同時に背後へと滑らせる。
直後、弾ける金属音。
着地してようやく背後を確認すると、たった今防いだらしい鎖鎌が転がっていた。
派手な武器で注意を引いてから背後の奇襲。
どうにか凌いだが狡猾な手口にひやりとする。
「正しく神業だな、これを凌ぐかよ」
「いいや」
男はよもや生き残ると考えていなかったらしく、感嘆に舌を巻いた。
事実危なかった。対応を間違えれば致命傷に至る一撃だったろう。
加えて、流石に無傷ともいかなかった。棘が掠めたのか右腕の肉が抉られている。少なくはない量の出血を負ってしまった。
「ヴォルフ隊長、無事ですか!」どうやら向こうの戦闘に目途がついたのか、部下の数人が援護に回ってきた。俺の手傷が余程珍しいのか目を見開いている。
「ヴォルフ……あぁ成る程、お前さんがかの有名な《血濡れ》の小僧か」
「ああ?」
「噂に違わぬ剣才とそれを支える死地の経験。連れも粗方やらちまってるし……こうも開けた場所じゃあちと分が悪ぃか?」
「お喋りな奴だ」
距離を詰めて閃光の如き三連突きを男に放つが、皮一枚で見切られる。
かなりの早業だったが、難無く躱してきた。
「かかっ、惜しいねぇ」
「どうかね」
相手は無手だが、それでいて大袈裟に距離を取らないのは動体視力と読みに絶対の自信がある証拠。
下半身の脱力によって無動作で重心を下げる。
男の意思を肉体が追従するより速く、さらに左右へ重心を逃がして側面に回った。
そのまま流れるように剣を振るう。
「うぉっ、いってえ」
狙ったのは頸動脈だが、実際には剣は顎の関節当たりを切り裂いた。
男の顎先から流血が滴る。
が、これも浅いな。
決定打には程遠い。首筋を断てれば簡単に決着できたが。
そう易々と命までは獲らせてくれない。
「まあでも、時間の問題か」
「想像以上だな……あのアルガスと並ぶってのは本当らしい」
「大袈裟だよ、あんたが弱いんじゃないか」
「言ってくれるねぇ」
実際今のやり取りが俺では無くアルガスとの間で起こったならば、男の首は地面に転がっていただろう。
彼の剣技は化け物じみている。
あらゆる防御を意に介さない力に寸分狂わぬ剣線の精緻さ。
そして淀みの無い恐ろしく冴えた太刀筋。
たった一回だけ、俺はアルガスの本気の一振を眼にしたことがある。
敵が切られたことにも気付かぬ、途方もなく鋭い一振だった。
切断されたはずの首は少しの間を置いてからやっと胴を離れ転がった。
あれこそが正に達人の域。
残念ながら、俺には未だその力は無い。
「うぉっ! あっぶねぇ!」
「ちぃっ」
堪らず舌打ちを溢した。
この男、遅くはないが速くもない。だが捉え所のない動きをしてくる。
宙を揺蕩う羽毛の如く攻撃をすかされる。当てている筈が外されている。
読み合いが上手いというよりはまるで、認識や感覚をズラされているように錯覚した。
身体的な能力でみれば怖れる水準には達していないが、珍しい格闘術か何か体得しているようだ。
その動きは舞踊にも近いが、舞いと呼ぶには些か物騒が過ぎる技術だ。
休む暇も与えない猛攻を繰り出すがあの手この手でやり過ごされている。
だが正面からの対決ならば、こちらに軍配が上がるとも確信していた。寧ろこの先、このように奇襲や搦め手で来られる方が厄介だ。
どうにかしてここで仕留めておきたい。
「姑息だな、逃げてばかりか」
「そりゃ逃げるさ、正面切ってお前さんに勝てる気がしねぇ。だから、今宵はお暇させて貰うぜ」
「俺が逃がすと思うのか」
「いやぁ、簡単じゃなさそうだなぁ」
相手の動きにも慣れてきた。
意図を隠す気など微塵もない、姿勢を十分に落とした突きの構え。
どのような小細工も、その真価が発揮される前に潰してしまえばいい。
最大最速の一閃にて奴の命を拐ってみせる。
駆け引きの肝は相対する敵に主導権を握らせないこと。
これまでのやり取り、全てこちらからの攻勢が始まり。
攻めているつもりが誘われていた。
ならば今度は奴の動きと同時、その喉元へと切っ先を走らせてやる。
この数回のやり取りで男がどんな策を練ろうが初動を叩く自信があった、が――――――。
「っっ!?」
油断していたつもりはなかった。
呼吸を整える直前、男は全力で突撃してくる。こちらの機を盗んだ完璧な強襲。
これまでと段違いに速い――――!
逃げの一手から反転、迷わず踏み込んできた。
男の左手に鈍光がちらつく。暗器、短剣か。未だ武器を隠し持っていた。
だがしかし、合わせられない速度ではない。急いで迎撃の構えを取る。奴の攻撃が届くより先に手首を払い落とし、心臓を刺し穿つ。
「若いな、兄ちゃん。透けて見えるぜ」
直前で急制動を掛けると、左足を軸に上体を反転させた。
迎撃に転じた筈のこちらの剣が空を切る。
正面に来た右手から不穏な影が飛び出す。ここで飛び道具か、だが得物ではない、礫だ。石か鉄か判別は出来ないが……払おうと試みた刹那、礫が火花と共に炸裂した。
「――――――~~~っっっ!!!」
脳を揺さぶるとてつもない轟音。弾けた光に視界が白く染まる。
火薬か何かを爆発させたのか想定外の攻撃に怯んだ。僅かでも聴覚と視覚を鎖され致命的な隙を与えてしまう。
男の攻勢は止まらない。
さらに回転する敵の死角から新たな影が飛び出した。
何処に隠していたのか、用意されたのは鉤状に加工された特殊な剣。
得物は男の風貌に合わせて黒く塗り潰してある為に抜く瞬間が解らなかった。
これが奴の本当の得物。
不味い、この姿勢からは捌けない。全てはこの一撃への布石だった。
「能ある鷹は……ってやつさ。獲るぜ?」
凝縮された感覚の最中、確かに聞こえた台詞。どこか気の抜けた印象だった男からは濃密な殺意が放たれていた。
さらに一段階の速力が剣に加わる。
瞬間的にだが《《それ》》は、自分の最速にも匹敵する。
驚愕する間もない。背筋に悪寒が走った。完全に敵を侮っていた。
おそらくは奴の持ち得る必殺の連撃。
どうする、どう凌ぐ、どう捌く。
撒き餌に釣られた対象の命を刈り取るべく、凶刃が疾走した。
直後、視界で赤い花弁が散った。




