28.退屈な旅
ウァルウィリスから与えられた任をこなすべく、夜も開けきらぬ早朝にクウェンを出立する。
以前、一度アミュガット領手前まで馬を走らせたことがあった。
あの時は丸二日で無主地まで到達できたが、今回の進行は非常に緩やか。
秘書アリアの計算ならアミュガット領内に入るまで五日は掛かる見込みらしい。
荷馬車を囲うように隊列を組んでの行軍。
前列の荷台にはクシェルとアリアが同乗している。
その先頭は俺と二人の兵士。
両翼には十人ずつ、残りは背後に列を成している。いずれも騎乗している為に機動力に優れ、半数には弓、また半数には槍を装備させてある。
戦えない彼女らを守る為の布陣だ。
クシェルとアリアはそれなりに馬が合うのか、絶えず会話が続いているようだ。
それとなしに聞き耳を立ててみるも、話の内容が難しく理解が追い付かない。
生産性だの産業だの、歴史と宗教の結び付きがどうだの、頭が痛くなるような単語が飛び交っている。
「――だから、兄さんは素敵なんです!」
「……はぁ」
節々で俺の話が突然割り込まれたりもしているが……まあ気にしないでおこう。
アリアは秘書、すなわち文官という立場もあって相当な知恵者。そうした人間と対等に言葉を交わすクシェルはやはりいい意味で異常だ。
その知識量、網羅する学問の深さにはウァルウィリスすら舌を巻く程。
普段、自分と並ぶ頭脳の持ち主と語ることが無いからだろう、傍目からクシェルはアリアにかなり好意的に見えた。
クシェルは性別問わず見知った殆どの人間から好意を持たれている反面、本当に気を許せる友人は滅多にいない。
叶うのならば、アリアがそういった相手になってくれれば兄として喜ばしい限りだ。
ヴァルリスの企みによって壊滅した村落を横断する際、幾人かの領民を見掛けた。
すでに人の暮らせる状態には無いが、やはり生まれた土地や村というのは簡単に捨てられるものでは無いのか。
どれだけ凄惨な現実に見舞われたとて、土地への執着は失われない。
俺たちも故郷にいつか帰れるだろうか……深く考えてはいないが、そのうちにクシェルを連れて戻ってみるのもいいかもしれない。
「そろそろ休憩にしよう。馬を止めるように号令を掛けてくれ」
地形や気候の違いかこの地域は初夏から気温が高い。
時折吹く風こそは春の匂いを残していたが、照り付ける陽射しを阻むものがない中で長時間の行軍は厳しかった。
出発から三時間あまり。合間合間に小休止を挟み、なるべく疲れを溜めないように努める。
「皆、水分補給だけはしっかりとな」
「ヴォルフ隊長、麦酒でもええんですかね!」
「馬鹿か、そもそもそんな物積んでないだろ」軽口をたたく部下に水筒を投げつけてやると、何故か都合の悪そうな面持ちを見せた。
「まさか、あるのか?」
「……へ、へえ、その、ちっとだけですが」
何処の馬鹿が酒なんて積んできやがったんだ。
確認したところ麦酒に加えて葡萄酒が樽ごとぶち込まれていた。
一番奥に積まれているあたり、食料やその他備品を差し置いて積み込まれたのか。
酒など積み荷の項目には無い、が、わざわざ吊し上げる事まではしない。
実際のところ酒があるとないでは士気が大きく変わってくる。人間単純なもので、楽しみの一つでもあれば過酷な任務でも乗り越えられるのだ。
それに当然、夜になったら自分もあやからせて頂く算段。むしろ勝手に積み込んだ奴らに感謝せねば。
しかしまあ、軽口が言えるならまだまだ余裕がありそうだ。
「兄さん、お疲れ様です」
自分も喉を潤そうかと思った矢先、クシェルが水筒を手渡しに来た。兵士に与えられる形状と比べて小さく、やや異なった造り。彼女が個人的に持ち込んだのか。
水筒の革の表面には藍色の塗料を用いた花が描かれていて、何とも可愛らしい。
「ありがとう、助かるよ」
受け取って早速口を付け、生温い水を腹の中に流し込む。
実はそう渇きがあるわけでは無かったが、水分はこまめに取った方がいい。
「美味しいですか?」何がおもしろいのか、水分補給を様を観察していたクシェルが訊ねた。
水など何処で飲んでもさしたる変わりもないが、どうにも適当にあしらうにもいかない。機嫌を取る訳でも無く「美味しいよ」と応じれば彼女はいたく喜んだ。
「えへへ、特別に想いを込めておきましたから」
「そいつはいいな、また何度でも飲ませてくれ」
飲み終わった水筒を返すとクシェルは駆けるように荷馬車に戻っていった。普段は大人びてきたのに、こうしていればまだまだ子供らしさがある。
振り返り様に覗いた、吊り上がった口角。
このまま彼女の表情が曇らずに事が終わればいいが。
「仲がよろしいのですね」
クシェルが去ったかと思えば今度は入れ替わるように別の人物が寄ってきた。
実はクシェルがやってきたタイミングで物陰から隠れた見ていたことに気付いていた。俺が一人になる機を窺っていたようだ。
「アリア、さんか」
「敬称など要りませんよ、さっきは呼び捨てでした」
「そうだったかな。緊張していて、よく覚えていないんだ」
そのように答えるとアリアは意外そうな顔をした。
「あら、戦では無類の強さを誇る剣士でも人前はなれませんか?」
口元に手を当て、揶揄う仕草で距離を詰めるアリア。
甘いようで酸っぱいような、清涼感のある変わった芳香があった。
「……どうにもね。あまり多くの人とは関わってこなかったからかな」
「出身は確か、森林地帯を越えた峡谷の先に在るという北の村でしたか」
「よく知ってる」
「領主様よりある程度の事情は聞かされておりますので……イリス様との関係も」
不意な名前に思わず咳き込んだ。
なんだかさっきから揶揄われている気分だ。
「関係って。変に聞こえるからやめてくれよ、皆勘違いしてるけれど何もない」
「ふふ、《《誰か》》に聞かれては問題がありますか? それに勘違いなどしていませんよ。何も無いことくらい解っていますから、アルガス殿も仰っていました」
「へえ、何だって?」
「『あいつの粗末なものじゃ相手を傷つけるだけだ』と」
「阿呆か」
稚拙な侮辱。
いや、最早侮辱にも及ばない。呆れて溜め息すら出なかった。
というかあいつ、アリアにまでそんな下らない話をしているのか。
品の無いアルガスらしい下卑た台詞が、こうも品の良さそうな女性から飛び出したのも驚きだった。
そもそも、そもそもだ。
何を根拠にそのような単語が選ばれるのか……別に自信があるわけじゃないけれどよ。
男としてはこう、どうも退けない話題でもあるわけで。
「まだ幾つかありますがお聞きになられますか?」
反応を面白がったアリアが未だ隠し持つ手札をちらつかせたが、今日のところは勘弁して貰おう。
「もう十分だ。行ってくれ」
「はい、そうします。長く語っていては怒られてしまいますから」
「はあ?」
「私も折角出来た友人と喧嘩になるのは嫌なので」
意味はよく分からなかったが、一先ずアリアは去っていった。
去り行く後ろ姿は信じられないくらい官能的で、豊満な要所が揺れ踊っている。
……そういや、最近ご無沙汰だよなあ。
などと下世話なことを考える最中、なんだか荷馬車の方向から強烈な視線を感じる。
ピリピリと刺すような気配。
不味い予感があった為に名残惜しさも噛み殺し、以降はアリアから目を逸らすのだった。
視線の主が誰であったかは、最早口にする必要もないだろう。
◇
「よし、そろそろ移動するぞー」
足の疲れが回復次第、気が緩んでしまう前に再出発をする。
こまめな休息を挟みつつ行軍、これを繰り返す。
太陽が頭上に昇る頃に昼食を兼ねて本格的な休息を取る。
ここではまだ酒は出さない。
一部から多大な非難があったが、そんなものを与えたらまともな行軍など出来なくなる。
「適当な野営場所を見つけたら、日暮前でもそこで陣を張ろう。そうしたらいくらでも飲ませてやる」
士気を保つ為にそれっぽく条件を出せば、単純な兵士たちはたちまちにやる気を漲らせた。
まあ、この辺の地理はウァルウィリスから大まかに聞いている。
まだまだ野営箇所など当分無い、進みがよくて丁度日没に着けるかどうかくらいだ。
ちなみに野営の準備が済んだのは日没からかなり後で、兵士たちは皆気を落とすことになった。
なんやかんやで出立から三日。
かなり順調に歩を進めている。アリアからは予想よりもずっと早くアミュガット領に入れるだろうと言われた。
といってもアミュガット領の関所から領主の住む屋敷まではかなりの距離となるので、結局はまだまだ歩く羽目になる。
目下の問題は食糧の備蓄だ。
途中途中の集落で食糧を分けて(接収と呼ぶのは聞こえが悪い)貰ってはいたが、備蓄の底が見え始めていた。
大の男が揃っているので、とかくよく食う上によく飲む。水も酒も食糧も、保つか保たないかギリギリの線。
実はこうして部下を連れて遠方に赴くのは初めての経験。
いつもはアルガスの供だったため、仔細は彼に任せていた。
そろそろ節制も考えないと……。
そうした細かな問題を抱えつつ旅は概ね順調だった。
特筆する事もなく退屈な行軍が続く。
順調な旅路に異変が起きたのは四日目の昼頃。
アミュガット領目前の岩石地帯を抜ける一本道に足を踏み入れた所だった。
辺り一面は岩石によって遮られている。
従って行軍にはその道を通る他無いが、仮に敵が潜むのならこれほど都合のよい環境もなかった。
「兄さん」
「あぁ、居るな」
異変を感度ったのはまたもやクシェルが最初だ。
理屈は知らないが彼女の危機察知能力は熟達した兵をも凌ぐらしい。
というか俺も警戒はしていたんだけどな。
生来の素質ではないはずだが、だとすれば過去の経験にて養われた能力か。
「全体止まれ!」
一度足を止め、安全確保のため周囲を警戒する。
細部の感覚を研ぎ澄まし、気配や物音を可能な限り収集する。
微かに捉えたのは弦を弾いたような不意な風切り音。
攻撃だと先天の直感が報せた。
「――――盾!!」
悠長な説明の暇は無い。
あらゆる意図を込めて最速の指示を放った。
号令の直後、何十もの矢が岩陰より飛来する。
最低限、且つ咄嗟の事態にも兵士たちは素早い対応をみせる。
各々が背や馬に着けていた盾を構えると、間一髪で強襲した矢が防がれる。
盾は差程大きさがないので、盾に被弾しなかった一部は騎乗する馬に命中した。
僅かな混乱が走る。
現時点では荷馬車に被弾はない。
容易く貫通した盾を放り捨て、被害状況の把握に移った。
「お前ら!無事か?」
「馬は三割程度削られて、野郎は一人喰らった!!だが掠り傷だ!!」
「上々だな、このまま荷馬車を守って陣形を組むぞ!」
「「おう!」」
次なる攻勢に備えるべく、戦闘態勢を取る。
するとその隙に鳴りを潜めていたらしき敵が岩陰から一気に姿を現した。
やはり潜んでいたのか、あっという間に包囲されてしまった。
地形を十全に活用した配置。
地理的にはまだアミュガット領手前であるが、すでに地の利は敵のもの。
「全員、構えろ!!!!」
突然の襲撃にあっても気圧される軟弱者は一人もいない。
数多の死地を生き抜いた経験を基とする屈強な精神は多少の不祥事に怯みはしないのだ。
やはり皆相応の使い手だ、ウァルウィリスが揃えただけはある。
「隊長、これはどうなってるんで?」
「さあな、偶然か狙われていたか……どちらにせよ数が多い」
ざっと見ただけで百人近い。武装の統一感のなさにアミュガットの正規兵で無いことは確実だ。
兵士たちも流石に混乱はしているようだった。
無差別に矢を射るところ、特定の人物が狙いでもないだろう。
目的が何であれ、障害は切り伏せるのみ。
「おいおいおい、こいつぁ随分な手練れじゃねえかよ」
何者かが不用意にも一本道の陰から姿を見せた。
立ちはだかるはこの辺りの土地に馴染みの無い風貌の男。
濁りの無い黒漆の瞳と髪に、幼くも思える顔立ち。
羽織りまでもが黒く、全身が黒づくめだ。
声音とその顔に刻まれた皺からそれなりに歳を重ねていると判断出来る。
やや不気味な人物であった。
「何者だ?」
「名乗る程のもんでもねぇさ。兄ちゃん、悪いがここから先を通すわけにはいかねぇんだわ。全員、ここでお亡くなりになって頂くぜ」
まるで知人に語るかの如く、男が言い放った。
軽いもの言いと飄々とした雰囲気にアルガスに近しい気配を覚える。
「構わないさ――――――押し通るだけだ」
「くく、気概があるなぁ」
……どうやら、退屈な旅にはならなさそうだ。




