夕来の夢 1
夕来を助けるために来たミスト。メリーさんはそれを見て攻撃するが、彼女の攻撃は既に見切られてしまっていた。これまで攻撃しても敵にダメージを与えることが出来なかったが、ミストが来れば状況は変わる。彼女はより強い魔気を込めて魔法を使うことが出来るのだ。
「ミスト。水の槍を使います」
ミストは頷いて、彼女の前に水の球を作り出す。先ほどよりも一回りや二回り以上の大きさの球だ。それが槍を形成する。それも先ほどよりも大きいものだ。長さもあり、その先端はメリーさんを超えてしまっている。水の槍はその大きさには関係なく、素早く動いて先端をメリーさんに向けた。メリーさんは汗なんてかくはずもないのに、額と背中に冷たい汗が伝うのを感じた。自身の死が急に近く感じる。しかし、彼女はそれを拒もうとは思っていない。そもそも、ここで死んでしまうなら、それでいいと思っているのだ。
(元からこの世界には《《私》》はいない。あの本のせいで生まれただけなのよ。ここまで、彼の為に戦えたのだから、それでいいわ)
水の槍がメリーさんに向けて発射された。メリーさんは逃げるでもなく、その場でじっとしている。夕来は彼女が死を受け入れていることに気が付いた。メリーさんは死ぬために戦っていたのかもしれない。だが、敵対した以上、メリーさん自身が戦いを諦める以外でこの戦闘を止めることは出来るはずもないし、彼女がここで戦いを止めると言っても、一度発動してしまった魔法は途中で取り消すことは出来ない。
水の槍がメリーさんの人形の体を貫こうとしていた、その寸前で魔法が止まった。何に止められているのか、そして、水の槍は塵となってどこかに消えてしまった。そこにいる誰もがその状況を理解できていない。夕来とミストはメリーさんがやったことだと思っていたが、メリーさんはそもそも防御は捨てていた。そもそも、彼女がその魔法を防ぐ方法はなかった。
メリーさんは水の槍が塵になって消えた状況をようやく理解して、そうしたのが彼だとわかった。
(まだ、死ぬのは許さないってことかしら。それは、少し嬉しいわね)
全員の動きが止まったままだった。そして、メリーさんはいきなり目の前から消えた。どこかにワープしたのだろう。夕来にもミストにもメリーさんの移動先はわからない。
夕来の体から緊張感が消えて、その場に座り込んだ。
(今までで、一番死が近かった気がする)
彼女は胸の辺りの横に入った切れ込みを触る。これがもう少し深い位置にナイフがあれば、胸を斬り裂かれていただろう。彼女の胸は豊かであるから、多少深い位置にナイフがあっても、心臓には届かなかっただろうが、それでも胸に傷がつくのは嫌だった。
「ふぅ……」
死ぬための覚悟はしていなかったが、自身の死が目の前にあった戦闘。もし、スマホに着信せずにワープしていれば、一突き目で確実に負けていただろう。メリーさんがメリーさんであるがために勝てた戦闘。ミストが来てくれていなければ、体力切れで死んでいた可能性の方が高い。
彼女がこの戦闘を振り返っている間にミストが胸のポケットから出てきた。夕来の視界にミストが入ってくる。彼女がミストに手を出した。
「ミスト、ありがとう。おかげで勝てたよ」
その言い方はシラキと被る部分はあるが、ユキはユキ。ミストは伸ばされた手の指先を握った。
「ありがとうはボクの言葉。こんなお願いは、きっと、迷惑だと思うけど、ボクはユキと一緒にいたい」
ミストの言葉はこれ以上ないくらい嬉しかったが、彼女と共にいるということは王子様、今江君と一緒にいることになる。
(王子様とも一緒って、私の心臓、持つかな……)
これだけ強い女子でも、憧れの人のことを思えば、ただの乙女となってしまう。それでも、彼女は覚悟を持って、ミストに言った。
「……わ、分かった。私も、一緒にいたい、かな」
ミストは彼女の言葉に喜んだ。親愛の証と言わけではないが、夕来の肩に座って、彼女の頬にキスをした。ミストからのキスだというのに、彼女の心臓が跳ね上がった。ドキドキしたまま、彼女は屋上を出ていった。
「もしもし、私、今あなたの後ろにいるの。……ごめんなさい、負けてしまったわ」
「ああ、大丈夫。ただ、私は死ぬというのなら、誰かが先に消滅するというのは止めてほしい」
「それも、合わせて、謝るわ。ごめんなさい」
初老の男の後ろにメリーさんがいた。彼の近くには熊のぬいぐるみもいて、それは二人を見て、首を傾けていた。初老の男は、熊に顔を向ける。
「大丈夫。私たちは、ずっと一緒だ。……だが、そろそろ、彼に幕引きをしてもらうことにするよ」
初老の男は空を見上げる。森の中の木々の隙間から、自身の最後を視る。この力で待漏れた物は少ない。最低限しか守ることが出来なかった。そして、守れたもの以上に傷つけたものの方が多い。
(そんな私は、地獄に落ちるだろうな)
そう思うと、少し救われた気がした。