アカクロ連理
タイトル考えるのって、凄く難しい
1963年。
北南ベトナムの勢力争いの境目地点、そのいずこかにて。
「——ねぇ、隊長。あの話についてどうおもいます?」
「話って……なんのだ?」
「ほら、あれですよ。東っ側にある戦線拠点がひとつ、一晩で全滅したっていう……」
二十代ほどの若者で編成されたその隊。
部下である副隊長の言葉を聞いて、隊長であるクオンはため息をついた。
男にしては少し長い黒髪が、ゆらりと前へ垂れる。
「……確かにそういう話はあるが、全滅云々というのはただのお前の想像だろう、タイン副隊長」
「いや、でも、実際に連絡が取れなくなっているみたいですし……隊長なら詳しい話を聞いているかなぁ、と」
「お前達に説明した以上のことは俺も知らない。昨夜、急に連絡の絶ったアメリカ友軍の拠点あるという報告は受けた。が、お生憎様、アメ公どもがどうなろうと俺には知ったことではない。あくまでも調査するだけだ」
「あっ、アメ公のとこの拠点でしたか。やっぱり言ってない事あるじゃないですか」
タインにうっかり口を滑らせてしまい、しまったといった表情を浮かべるクオン。だが、すぐにいつものむすっとした顔に戻る。
「そんな顔しないでくださいよ隊長。なんだってこれから赴く調査地についてのことです。詳しい事を知りたいというのは当然でしょう。
……にしても、アメ公に対しては結構辛辣ですよね、隊長。一緒に戦う仲間なのに……まあ、冗談ですけど」
「そうか……お前が本気でそれを言っていたなら、俺はお前に対する態度を改めなければいけないところだったぞ」
「……具体的には?」
「お前ひとりに敵の殲滅任務を言い渡したり、とか?」
「いやいやいや、無表情でそんな怖い事言わないでくださいよっ!」
そう言って首を振るタインに構わず、クオンは話を続ける。
「そもそもの話、本当にベトナムの事を考えているっていうなら、静観していろという話だ。
大国連中のせいで、俺達は内戦する羽目になっちまった」
「その割には隊長、戦に参加してますよね?」
「しょうがないことだ。俺達には金が必要なんだ。
確かに、ベトナム人として奴らは憎い……だが、それの為に俺——ひいては俺の家族という個人を蔑ろにするくらいなら、そんな感情は犬に食わせた方がいい」
「それはいいのですが……。
その連絡が途絶えた拠点の件について隊長はどう考えてるんですか。ただの通信機器の故障だと思います?」
「なわけがないだろう」
即答だった。
「一個部隊の通信が途絶えるのとはわけが違う。やつら(アメリカ)の拠点には技術官だっているし、予備の連絡機器だってあったはずだ。
……なら、それは外的要因によって引き起こされたと考えるべきだ」
「ん~~。でもそれなら、拠点が機能しなくなるほどの打撃を受けたというのに、それがどこにも伝わっていないというのはおかしいですよ。普通、『し、至急増援を頼む……ぐあぁ!』ってなってからブチ、て回線が切れるんじゃないですか?」
「なんだその例えは、映画の見過ぎか?
まあいい、それに対する答えとしては幾つか考えられる。一つは、単に連絡係がサボっていた場合。もう一つは、襲撃の際に連絡機器を真っ先に破壊された場合だ」
「いやいや、もう一つありますって。単身で敵地に乗り込んでこれを全滅させる……これなら大した脅威ではない、とわざわざ他の拠点に救援を要請されることもありませんからね、それで自陣が危機に陥った時にはもう遅いというやつです」
「……そんな想定をするくらいなら、技術士官がどうにもできないほどの故障が予備含めた通信機器に起こったと考える方がましだぞ……」
「えっ、でも、隊長なら出来ますよね? ていうか、実際にやりましたよね?
つまり、他にそういう出鱈目な事が出来る奴がいてもおかしくないってことじゃないですか」
「それは——」
口に出しかけた言葉を飲み込む。
それが可能であるという事をクオンは知っている。
研ぎ澄まされた勘と、一定以上の射撃・身体能力。それらがあれば一人で基地を落とすことは可能であるという事を知っている。
「——いや、そんな奴がそうそういてたまるかよ」
しかし、クオンはかぶりを振ってその可能性を否定した。
それが出来るからこそ、それがどれほど異常な事かを彼は知っている。
だから、それは違うはずだと。
「ま、俺もそこまで本気で言った訳じゃありませんし。九割九分冗談です」
「一割は本気なのか……そろそろ目標地点だ。私語はこれで終わり、気を引き締めていけ」
クオンの部隊はそのまま十分ほど無言のまま進む。
そして——
「見えた……」
そう声を漏らしたのはタイン。
血の跡も何もない、綺麗なテントが目に映る。
だが——
「なんか静かですね……」
タインが言うように、見た限りでは無人のようにしか見えない。
といっても、拠点が無人という状況そのものは異常ではある。それに、全く荒らされた痕跡もない。
「慎重に進むぞ……」
周囲への警戒を優先して、ゆっくりと歩を進めるクオン達。
そこで一同は、驚愕の光景を目にした。
木々を抜けた先にある広場に出ると、そこには大量の米兵たちが地面へと倒れ伏していた。
先ほどまで基地が無人に見えていたのは、草本などによって地面への視界が遮られていただけだったのだ。
「これは……」
信じられない光景に思考を放棄しそうになるが、なんとかそれをこらえて状況を分析しようとする。
間近に倒れている米兵の一人に近づいてその様子を調べる。
「死んでいるな……」
その米兵の青年は首の骨を折られて死んでいた。
他に倒れている米兵たちを部下と手分けして検分する。
だが、誰も米兵たちの死亡の報告しかしてこない。
死因だっておかしい。
誰一人として銃弾を受けた痕跡は見受けられず、大抵が顔や首、胸といった急所部分に拳程の陥没が見られるか、あるいはクオンが見つけたように首の骨が折られるといった有様であった。
「隊長、一体だれがこんなことを……」
部隊員の一人がそう漏らす。
このあり得ざる状況を前にしても部下たちが皆冷静に行動できているのは、クオンという規格外を知っているからだ。
逆に言えば、敵方にクオンのような人間がいて、そいつが一人でこの惨状を生み出したという可能性が彼等の頭の中には浮かんでいた。
「隊長、ここは一度引き上げた方がいいと思います。上に信じてもらえるかは分かりませんが、見たままに報告するしかないでしょう」
「そうだな……だが、念のため通信機器が生きているかの確認はした方がいいだろう。」
「——いや、その必要はない」
拠点表層に留まっていたクオンの部隊に——あるいは、クオン本人に対して奥から声をかけられる。
歳若いその声に反応して、部隊員たちがジャ、と銃を構える。
「争うつもりはないんだ。銃は勘弁かな」
ザッ、ザッ、とわざとらしく足音を立ててテントの陰から現れた“彼”。
その見た目は、グエンと同じ二十代前半の東洋人あった。
ただ、その髪だけは東洋人特有の黒髪ではなく、まるで血が染まったかのような紅色であった。
「自己紹介しようか、俺は鹿峰翔太。少々個人的な都合によって、この拠点を制圧させてもらった」
争う気はないと言いながら、この惨状を作り出したのは自分であると暴露する青年。
クオンは下へ向けていた銃口を前へと向け、照準を目の前の男に合わせると、その引き金を引いた。
パァン、と乾いた銃声が一発。
だが——
(こいつ……躱しやがった)
正確に言えば、撃たれる直前に弾道から身を外したのだ。
「確かに銃は脅威だな……だが、鉄筒の向いた先にしか弾は飛ばないのが道理。なら、後は撃つ機が読めれば避けられないものじゃない……」
「くっ」
走って距離を詰めて来る翔太に、連続して発砲。
パンパン、と二連続で火薬の音が響く。
だが、これも悉く射線を外されてしまう。
彼我の距離は既に五メートルをきっている。
クオンはアーミーナイフを抜いて構えた。
(動転するな。確かに銃弾を避けられたのは驚いたが……それは俺にも出来る)
精神を落ち着けて、すぐ前までやって来た敵手を冷静に観察する。
見た限りでは、火器の類は持ち合わせていない。それどころか、ナイフすら持っていないのではないだろうか。つまり、無手である。
(素手で基地を制圧したってことか……)
基地にあった死体は確かに銃創は見られず、大体が首の骨を折られていた。
となると、やはり目の前の男が基地制圧を行った張本人なのだろうな、とクオンは頭の片隅で思考した。
彼我の距離が二メートルを切る。
「しっ」
相手の足運びを見て、躱しにくいだろうと思われるタイミングと位置にナイフを突き出す。
だが、これも首を僅かに振って躱される。
更には、クオンの突き出した右腕の肘を外側から左手で押さえると、肩を支点にして逆関節を折ろうとしてくる。
(それは囮だっ!)
クオンは左手に持ち替えていた銃を翔太の顔に向けて引き金を引く。
銃弾は放たれた。
しかし、翔太には当たらない。
翔太の右足が蹴り上げられている。
これによって銃の向きがずらされたのだ。
「ふっ!」
——ゴキン
クオンの右腕の関節が逆方向に曲がる。
「隊長⁉」
「ぐっ……お前等下がってろ……って、うん?」
……いや、当たり前のように右腕を折られた思ったクオンであったが、腕は折れてはおらず軽く逆関節を極められるに留まっていた。
翔太はクオンの腕から手を離して一歩二歩後ろに下がる。
「どういうつもりだ……」
手加減されたという怒り半分、困惑半分にクオンがそう口にする。
「言っただろう、銃は勘弁だと……まあ、これは冗談だが……。あ、いや、あながち間違いでもないか、そんなものを使われても興ざめなだけだしな」
「よく分からないことをっ……‼」
白兵戦に置いて銃は足手まとい。
そう判断を下したクオンは、一瞬で銃を放棄する決断をする。
銃から手を離して左手を自由にする。
「そう、それでいい」
笑いながら構えなおす翔太。
一方、クオンの方はナイフを握った右腕を前にして翔太の様子を窺う。
その時、
「えっ?」
ゾッとした感触がクオンの背筋を走る。
——ゴッ
クオンが反射的に交差した両腕に、翔太の右拳が突き刺さっていた。
(なんだ……この迅さは……)
愕くクオン、それでも肉体は彼の意思とは裏腹に動く。
翔太の右腕を捉えようと左腕が動く。
が、その左手が右腕を掴む前に、翔太の左ハイキックがクオンの横頭部、こめかみ付近に刺さる。
(入っ……た)
脳へのダメージにクオンの動きが一瞬止まり、するりと左手からナイフが滑り落ちる。
そして、翔太の左拳が振り上げ——
——フォッ
風を切る音。
クオンの右蹴り上げを、翔太が仰け反って躱していた。
翔太はそのまま後ろへ飛び去って一度距離を取る。
「あの状態からこれを躱すのか……」
驚き、しかし、慌てずに呟くクオン。
冷静に彼我の分析をする。
(迅さは俺より上だな……だが、他はどうだ。例えば——)
翔太が前へ出る。
そして、右ミドル。
(迅いことには迅いが、掴めないわけじゃ……ない)
ガードも兼ねて、左手で翔太の右足を掴む。
同時に、前に出て右拳を翔太の胸部へと叩きつける。
だが、右拳は翔太の左腕によってガードされる。
(問題ない。このまま地面に倒す)
クオンが右拳をグッ、と押し込む。
右足を捕らわれ、軸足一本しか体を支えるものがない翔太。
その身体が傾き、ドォ、と落ちる。
クオンは飛び上がると、翔太の顔目掛けて右膝を落とす。
ドォ、と鈍い音。
翔太は首を捻ってそれを躱していた。
「甘いな」
クオンの膝落としを避けると同時に、翔太はクオンの襟を右手で掴んでいた。
その左足はクオンの腰に押し付けられ、巴投げの要領でクオンを後ろに蹴り投げる。
更に、そのまま翔太も後ろに一回転。
先に仰向けに倒れたクオンに馬乗りになる。
「力はともかく、技比べは俺の方が上みたいだな」
迅さで叶わないなら力で、そう思い組み合いに持ち込もうとしたクオン。
その考えを見透かしたかのように翔太が告げた。
翔太の両腕が伸び、交差するようにしてクオンの両襟を掴んで十字絞めを極める。
ギチ、とクオンの首の辺りから万力の込められる音が響く。
「ぐぅ」
地味な見た目の技ではあるが、かけられているクオン当人からすればかなりの苦痛だ。
両手で翔太の手首を掴んで離そうとするが、翔太は襟から手を離さず、かえって自身の首を文字通りに絞めることとなってしまう。
同時に、血の流れが滞って身体から急速に力が抜けていくのをクオンは感じる。
(まず、い……早く、なん、とか……)
クオンは右手の人差し指と中指で翔太の両目を突きに行く。
だが、それよりも早く翔太はクオンに頭突きをかました。
「がっ」
ゴッ、と音が響く。
(ああ……これはいい気付けだ)
瞬間、クオンの身体が大きく反らされる。
そして、そのあまりの勢いに翔太の身体がぶわっ、と宙に浮いた。
(こいつ、まだこんな力を残していたのか……。
このまま受け身を取らなければ着地の衝撃をもろに受ける……が、離さん)
前に放り出されながらも十字絞めを解かない翔太。
ドォ、と鈍い音を出し、頭から落ちる。
「ぐぅ」
うめき声を上げても尚、襟から手を離さない。
クオンが再び翔太の両手首を掴んだ。
しかし今、翔太は万全の態勢で技をかけている訳ではない。
襟から翔太の両手を引き剥し、距離を取る。
同時に、翔太の方も立ち上がってクオンの方へ振り返る。
(打撃戦では迅さに劣り、組み合いでも相当に練達している。
こいつ、思ったより隙がない……)
それでも、クオンは決して焦りを見せない。
今度は、クオンの方から前へ出る。
左拳でのジャブ。
翔太はこれを上体を傾けて躱す。
続けて右回し蹴り。
翔太は今度は避けずに右腕でブロックする。
だが、クオンの右脚はそのまま上に跳ね上がると踵落としに変化する。
首を傾け、右肩でそれを受ける翔太。
(やはり力……そして耐久力も俺よりはない。
俺なら攻撃を受けながらでも突っ込む)
クオンは、翔太の肩にかけた自身の右足を支点にして跳んだ。
そして、自身の腰が翔太の胸の高さにくるほどに跳躍したところで、右脚で翔太の首の後ろを抱え……その頭に左の膝蹴りをぶちかました。
両脚で挟むようにして頭を攻撃したクオン。
そのまま仰け反った翔太の上を飛び越える。
そして、地面にして距離を取りながら翔太へと振り返った。
果たして、クオンの瞳に映った翔太の姿は。
彼は後ろに仰け反り、しかし自身の頭の前を両腕を交差した状態でいた。
(やはり防がれていたか……)
だが、成果はあった。
翔太が前の方に出していた右腕、その上腕部があらぬ方向に折れ曲がっている。
翔太がググ、と体を前に起こし、クオンへと振り返る。
左腕は前に構えられているが、右腕はだらりと肩からぶら下がっている。
「あの時——俺の銃を蹴り飛ばした時、俺の右腕をきちっと折っておけばこんなことにはならなかったのにな」
皮肉を込めてそうクオンは告げる。
だが、翔太は折られた右腕を愛おしそうに擦りながら笑みを浮かべている。
「いいな、よく練られた身体をしている」
まるで、うわ言のように呟く翔太。
その口端がニヤッ、と歪む。
(もっと、見せろ……)
翔太が前に出る。
——ゴッ、ガッ
一瞬にして、左拳、右回し蹴りの二つを放つ。
一息に放たれたそれは、一つの衝撃となってガードしているクオンの腕に突き刺さる。
ミキッ、とクオンの右腕の骨が軋む音が響く。
(こいつの迅さ……まだ上があるのか⁉)
腕一本使えなくなって尚反撃を許さなかったその連撃に、クオンが舌を巻く。
翔太の攻撃は止まらない。
回し蹴りを放った右足を振り抜き、その勢いのまま今度は右足を軸に後ろ回し蹴りを放つ。
(それでも、俺に出来てお前に出来ないことは——ある)
クオンは今度はガードしなかった。
ゴッ、とクオンの首に翔太の左の踵が叩きつけられる。
だが、クオンは構わず前に出てその右拳を翔太の顔へと叩きつけた。
「がぁっ」
後ろに大きく仰け反る翔太。
その頬には裂傷ができ、派手に血が飛び散る。
そして、ズサァ、と地面に若干滑りつつ倒れる。
クオンは追撃するべく、更に前に足を運ぶ。
横から回り込んで、既に立ち上がりつつあった翔太の頭を右足で蹴とばす。
翔太の身体が蹴られた勢いでごろりと仰向けになる。
その顔に右手を突き下ろす。
「っ⁉」
だが、クオンの右拳は翔太の左手によって逸らされ、そして掴まれる。
翔太の両足が跳ね上がって、クオンの首を抱えるよう挟む。
三角締めだ。
しかし、クオンの右腕を捉えているのは左腕一本のみ。
クオンは強引に右腕を、そして自身の頭を翔太の両脚から引き抜いて距離を取る。
一方で、翔太もクオンの引く力を使って既に立ち上がっている。
(最初からこれが狙いだったか)
お互いの目が合う。
だらりと翔太の額からは血が流れている。
しかし、その顔には未だ笑みが張り付いている。
「不気味なやつだ……」
「その言葉は自分の顔を見てから言ったらどうだ?」
翔太の言葉に、クオンは思わず自身の手を顔に当てる。
戦いに集中していて気が付かなかったが、確かにその口端は吊り曲がっていた。
「……なるほど」
クオンはただ一言そう言って構えを取る。
どうやら、自身の心情分析は後回しにするつもりらしい。
一時の間ではあるが、二人の間が静寂で満ちる。
クオンは自身の右腕をコキ、と鳴らして調子を確かめる。
翔太の連撃を受けた時のダメージが残っており、動かすと骨に響くような痛みが走る。
一方で、翔太は折れた右腕をだらんと揺らしている。
先に前に出たのは、クオン。
(これで終わりにする)
翔太の腕の使えない側から、左フックを放つ。
だが、翔太は右腕を上げてそれをガードした。
「なにっ!」
(下手したら右腕の骨が粉砕骨折して治らなくなるぞっ⁉)
翔太のまさかの行動に、クオンの動きが一瞬硬直する。
そしてそれは、戦いに置いて致命的な間となる。
翔太はそのまま前進して、クオンに頭突きを喰らわす。
二人の髪色である、赤と黒が入り混じった。
クオンが怯んだ僅かの時間に、左手でその襟を掴む。
そして即座にクオンの身体の下に背中を滑り込ませ、片手一本で、投げる。
——ドォ
高速の投げ。
クオンは頭から地面へと落ちる。
そして仰向けに倒れて……動かなくなった。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
息を切らしながらもクオンを見下ろす翔太。
何を考えているのか、その顔には戦っていた時に浮かべていた笑みはもうない。
だが、ここで終わりではない。
ガチャリ、と事の顛末を見守っていた隊員たちが翔太に銃を向けた。
「……」
じろり、と周囲を見渡す翔太。
その視線に、隊員たちが思わず後ずさった。
だが、一触即発の状態はなんら変わったわけではない。
このままでは、何かの拍子に危うい均衡が崩れてしまうというのは明白である。
しかし幸運な事に、ここにはそれを取り成す者の存在があった。
「お、い……やめろ、お前、ら……」
「隊長⁉」
もう意識を取り戻していたのか、絶え絶えの声でクオンがそう告げる。
「俺は、死んじゃあ……いない。もとより、そいつは俺に、止めを刺す、気はない」
クオンの視線が翔太へと向けられる。
それに対して翔太は肩を竦めた。
「確かに、俺は業をぶつけ合いたかっただけだが……それが結果として殺し合いになっても構わなかった。お前が生きているのは、ただ、殺す前に勝敗をつける事が出来ただけだ」
「ふっ、そうかよ……でも、それなら……もう、戦う、意味も、ないん、だろう?」
「……まあな」
「なら、問題、ない……俺達の、任務、は……偵察、調査……だ。原因、排除は……求め、られて……ない」
翔太がクオンに背中を向ける。
どうやら、もう立ち去るつもりみたいだ。
「待て……一つだけ、いいか?」
「なんだ?」
「どこに行けば……もう一度、戦える?」
それを聞いた翔太は一時思案する。
そして、近くにいた隊員に声をかける。
「そこの君、何か書く道具を持っていないか?」
「え? あ、ああ……」
声をかけられた隊員が、慌てて懐からメモとペンを取り出す。
それを受け取り、しゃがんで太ももの上にメモを置いて何やら書き込む。
左腕での作業なので、少々やりにくそうだったが、しばらくしてメモを手に立ち上がった。
「俺の生家は日本の、このメモに書かれた地名にある。必ずそこにいるとは限らないが、まあ、訪ねてみるといい」
そう言ってメモとペンを隊員に返す。
そして、再び踵を返して歩き出した。
今度は誰もその背中に声をかける事はしない。
やがて翔太の姿は森の中へと消えていった。
その姿を見送っていたクオンはふふっ、と笑みを漏らす。
「隊長?」
翔太にメモとペンを貸した隊員——副隊長のタインがそう問いかける。
「いや、な。まさか、俺の中にこんな感情があるなんて、知らなかった」
呼吸が整ってきたのか、先ほどよりは幾分か流暢に言葉を紡ぐクオン。
「こんな感情、とは?」
「俺が、強くなろうと思ったのは……家族の為だ。それに偽りはない。だから、今まで戦いに愉悦という感情を持ち込むことは忌避していたし、そもそもないと思っていた。
だがな……あいつと戦って、そういう戦いもあるんだと、知った。
純粋に、お互いの強さを図る為だけの戦い。そこには、利益も、名誉も、何もない。ただ、『こいつと戦り合いたい』と、それだけの戦い。
……初めて、戦いを楽しいと思った」
「隊長……」
「俺はもう一度、あいつと戦いたい。だが、それは今の話じゃない。鍛えなおす……そして、奴……翔太という男に、勝つ。
——差し当っては、このクソったれな内戦をさっさと終らせないとな。タイン、肩を貸せ」
そう言って、上半身を起き上がらせようとするクオン。
タインは、それを嬉々として手伝うのであった。