捕縛紐の使い方
「とにかく、話を戻すぞ……」
澄真が唸る。
このままでは、準備が整う前に、日がくれてしまう。
宴の日取りはまだまだ先だが、早めに準備をしておいて正解だった。この調子だと、前日などに誘った日には、狐の姿で御前に上ることになっただろう……。
澄真は人知れず、変な汗をかく。
気を取り直し、澄真はみんなに向き直る。
狐丸だけが、心なしか元気がないが、この際仕方がない。
「ひとまず、まとめると……」
言って、瑠璃姫とタマを見る。
「下げ美豆良が、なんなのか分からない……で、良かったか?」
うんうん。と二人は頷く。
「……」
狐丸の方は、相変わらず下を向いて、黙っている。
(……やりづらい)
謝りはしたものの、そんなことで許させる訳もなく、狐丸はけして澄真と目を合わせようとはしなかった。
澄真は、わざとらしくゴホンゴホンと咳払いをすると、言葉を続ける。
「……まあ、美豆良は、幸いにも私が結べるからいいが……」
「ニャに!? 結べるのか?」
「普通、貴族の子どもは侍従にやらせ、自分は何も出来ないものと思うておった……」
驚きの声が上がる。
澄真は、その声に若干たじろいだが、再び咳払いをし、体勢を整える。
「わ、私は触られるのが嫌いだったからな……。そ、そんなことはいい!」
ちらりと狐丸を見る。
相変わらずの無反応。
「……」
ここまで来ると、澄真の顔色もだんだん悪くなる。はぁ、と息を吐き言葉を続ける。
「とにかく、私が狐丸の髪を結うが、ここには飾り紐などあるのか?」
「「……」」
無言で見つめ合う瑠璃姫とタマ。
「……」
嫌な感じを受け、澄真が頭を抱える。
「わ、分かった。もう、何も言うな……」
状況を悟り、澄真は、諦めの表情を見せる。
先ほどの半裾といい、飾り紐といい、事前に準備をしてくれば良かった。よく考えてみれば、寺にそのような俗物があるわけはない。
そのまま取りに帰ったとして、再びここに戻ったとき、狐丸がいるとは限らない。今度こそ逃げるかもしれない。
(何か言い方法はないか……何か……)
「!」
澄真はポンと手を打つ。
「瑠璃姫! 先ほど狐丸は鬼火で半裾を作っただろう? それと同じ要領で作れないか?」
言われて瑠璃姫は肩をすくめる。
「出来はするが、使えぬぞ?」
その言葉に、澄真は首をかしげる。
「使えない?」
瑠璃姫は静かに頷く。
「吾の鬼火だと、寺の外では消えてしまう。しかも、寺の中であったとしても、狐丸に直接触れれば、こやつに吸いとられてしまう」
「えっ? 吸いとられる?」
瑠璃姫は頷く。
「そうだ。こいつは、吾の鬼火を食うたことがあってな。その日から、こやつに触れられた吾の鬼火が吸いとられるようになった……」
哀しげに狐丸を見る。
「こやつの成長が早すぎるのも、吾とおるがゆえ。……本当なら、離れて暮らすべきなのだろうが……」
言いながら、顔に暗い影を落とす。
そうか……と呟きながら、澄真はハッとする。またしても、解決の糸口が見つからないまま、時間が過ぎていく。
「そ、そうだ……狐丸!」
直接本人に頼んだ方が早いと考え、澄真は狐丸の傍へ座る。
「……っ」
近づくだけで、血液が逆流するような感覚に陥り、澄真は慌てた。
触れたいのに、近づけば胸が張り裂けそうになる。これでは触れられない。
こんな状態で、どうやったら下げ美豆良など、結えるというのだろうか……。
しかし、澄真が結わなければ、誰が結えると言うのか。
「……狐丸。鬼火で飾り紐を出して欲しいのだが」
意を決して言葉をかけたのだが、狐丸は澄真を一瞥すると、素っ気なく答えた。
「……飾り紐なんて知らない……っ」
それだけ言うと、ぷいっと横を向いてしまった。
「……っ」
(か……可愛い……っ!)
不覚にも澄真は思う。
そっぽを向かれたのに、怒れない自分が忌々しくなり、思わず床に手をつき項垂れた。
(……先に進めない)
狐丸の言うことを聞いてばかりではダメだと、自分を叱責する。このままだと、威厳すら地の底である。
床についた手をぐっと握りしめ、澄真は低く唸った。
「……いつまでも、下手に出てると思うなよ……」
どす黒い気を感じて、狐丸がビクッと身を強張らせる。
「す……すみ……」
不安にかられ、狐丸が澄真の名を呼ぼうとする。
しかし、その名を呼び終える前に、澄真が呪を唱えた。
「『捕縛』!」
「!」
言い終えると同時に、狐丸の左手の捕縛紐が長く伸び、体に巻き付いた!
──しゅるしゅるしゅる……!
縛られた反動で、床にごろんと寝そべる。
「ぐぁ……っ!」
捕縛紐の威力が強い!
引きちぎろうとしても、切れない。
それどころか、暴れるほどに、じわじわと締まってくるようだ。
「……ぐぅ」
苦しさに、顔を歪める。
「こ、こらっ! 澄真! 手荒な真似をするから嫌われると、あれほど言っておろうがっ」
瑠璃姫が牙を剥く。
それに対し、澄真は、静かな黒い気を発し、瑠璃姫を睨めつける。
「!」
あまりの威圧に、瑠璃姫もたじろいだ。
(……っ。こいつ……)
澄真は、瑠璃姫を一瞥すると、縛られた狐丸を肩に担ぎ上げる。
その姿は、まさに悪鬼。
こいつはただの妖怪より質が悪い……と、瑠璃姫とタマが言葉を失う。
「……既に嫌われてるのに、今さら怖いものなどあるものか……」
呟きながら、苦しさに顔を歪める狐丸を担ぎ、すたすたと歩き始めた。
「ま、待て! どこへ連れていく気だ!」
瑠璃姫の言葉に、澄真がピタリと止まる。
振り返ると澄真は、ゆっくり答えた。
「どこ? 分かってるだろ? 私の家だ……!」
言いながら、再び歩を進める。
「しばらく借りる。宴が無事に終わったら、返しに来る」
「……」
狐丸は思ってもみなかった展開に、澄真の肩の上で目を白黒させていて、使い物にならない。
かといって、タマが本気の澄真に勝てるわけもなく、瑠璃姫はどうしたものかと思案する。
「瑠璃姫さまぁ……」
タマのすがるような声が近くで上がる。
助けるのならば、山を降りきる前に手を下さねば、結界に阻まれ、その後は手が出せない。
(……しかし)
と、瑠璃姫は思う。
少なくとも、澄真は狐丸に好意を寄せている。
今は誘拐紛いの行動に出てはいるが、その行動の理由が、分からない訳でもない。
「……」
狐丸は九尾になりたいと言って、瑠璃姫の傍を離れないが、九尾になることは、狐丸の不幸への道でもあることを、瑠璃姫は知っている。
「瑠璃姫さま?」
タマが不安げに、瑠璃姫を仰ぎ見る。
瑠璃姫は、少し哀しげに笑って、タマの頭を撫でる。
「大丈夫。狐丸は大丈夫だから……」
撫でていると、タマがゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
その様子に、くすりと笑う瑠璃姫。
(……そうだ。結局のところ、一番安全なのは澄真の傍なのだから……)
瑠璃姫は、黙って見送ることにした。