悪者
「今のは、澄真が悪い!」
瑠璃姫がキッパリと言いきる。
「な……っ!」
「私も、そう思うニャ!」
うんうん。と、タマが同意する。
「そもそも、狐丸は『白い』のだ。それを止めろとは、どうゆう了見か……?」
瑠璃姫が澄真を睨む。
「うぐ……」
澄真が言葉に詰まる。
「どういう了見かと言われても……」
返答に困る。
瑠璃姫の腕の中で、狐丸が様子を伺っている。
「……」
瑠璃姫は、黙り込む澄真に畳み掛ける。
「おまえだって、自分の容姿には、さんざん悩まされただろう?」
眉間にシワを寄せる。
「……う」
澄真は、言い返せずに唸る。
澄真は、狐丸程ではないが、生まれつき色素が薄い。
色素が薄ければ、見鬼の才があると言われ、陰陽の家系であれば喜ばれるところだが、残念なことに、澄真の家系は陰陽にはかすりもしない、武道派の家系だった。
色素の薄い澄真は、その見た目だけで判断され、軟弱者とよく言われたものだ。
しかも、色素が薄いだけならば良かったのだが、澄真のそれは灰色。薄茶であれば、少ないながらも他にもいるのだが、灰色となると、老人しかいない。
おまえは燃えカスだと詰られた。
子ども心に、深い傷をその身に刻まれた。
「……」
自分の幼い頃と、目の前で涙を溜めて、こちらを見つめている狐丸とが重なった。
「すまなかった……」
澄真は、素直に頭を下げる。
しかし結局、なんの解決にもなっていない。振り出しに戻ったわけだ。無駄な時間を過ごしてしまった。
澄真は頭を抱えた。
「……。ううん。いいんだ……」
しょんぼりして、狐丸は呟く。ふわふわの耳が、力なく垂れている。
「……」
「確かに、白くて色がないのは物足りない……。僕だって、いつも瑠璃姫さまやタマが羨ましくて仕方がない……」
その呟きに、タマが驚く。
「そんニャに綺麗ニャのに!?」
タマの驚きに、狐丸は自虐的に笑う。
「タマは可愛いから羨ましい。みんなから好かれているし。……僕は少なくとも澄真には嫌われているし……」
狐丸の言葉に、瑠璃姫とタマがそれはない……とばかりに、頭を振る。
「僕、生まれたときから、みんなに嫌われてて……。遊ぼうとすると、みんな逃げちゃうんだ……」
狐丸の言葉に、瑠璃姫とタマは納得する。
それはそうだ。妖怪だから。
「……だから、ここに来て嬉しかったんだ。瑠璃姫さまもタマも和尚さまも、僕を怖がらない」
にこりと、本当に嬉しそうに笑う。
その笑顔を見た誰もがほわんと、幸せな気持ちになる。
「僕は例え澄真に嫌われていても姫さまとタマがいるから平気! だから、いいんだ」
吹っ切れたように笑うと、目をつぶって意識を集中させる。
「!」
みるみる白かった髪の毛が黒く染まる。
髪の色だけでなく、狐耳と尻尾も跡形もなく消え、着ていた水干にも淡く沈香茶色に染まる。
沈香茶は灰色がかった青緑色で、殿茶とも書く。
目上の人に合う時に使っても問題のない色……という思いも含まれているのだろう。
また、沈香は香木の一種で、特に質のよいものは伽羅と呼ばれる。香木で染め物をすることもあるが、値が張るので、一般には出回らない。
狐丸がそこまで考えて、色を選んだとは思えないので、ここは単に、落ち込んだ今の気持ちを表した色なのだろう。
「……」
瑠璃姫は、横目で澄真を見て、肘でつつく。
「おい。おまえは何も言わなくていいのか……?」
狐丸が目を開ける。
夜の海のように、深い黒。
「……」
見慣れた色がついたからか、澄真の心は幾分落ち着くが、反対に胸が痛い。
瑠璃姫の言葉も、突き刺さる。
「……すまない」
項垂れ、再び謝る澄真に、瑠璃姫はため息をつく。
「そうじゃなくて……」
澄真が、素直になる日は来るのだろうか……?
瑠璃姫は頭をかかえた。
◆◇◆◇◆
鉄鼠と玉兎、姮娥が屋敷に忍び入る話し合いをするずっと前、三人は山の奥深く、幻月童女の祠に入り浸っていた。
「童女さまは、今日もいらせられぬのか?」
言いながら姮娥は、残念そうな顔をする。
「そう急くな。童女さまは、この前来られたばかりではないか」
鉄鼠が呆れた声を出す。
幻月童女はまだ幼い五歳くらいの童女に見えるが、実際のところ、この三人の監視役である。実際に幼い訳はなく、ずいぶんと長い年月を、この三人と共に過ごしている。
普段は月の影に隠れており、姿を見ることは出来ないのだが、時々この祠で、三人に会うのが慣例となっていた。
「童女さまは、お体が弱いのですから、そう何度もお会いできるはずもないでしょう」
そうは言うが、玉兎も残念そうだ。
途中から仲間に加わった鉄鼠には、そのような感情はないのだが、二人からしてみれば、長い時を過ごした家族のようなものかも知れない。
少し、羨ましくも思う。
幻月童女の祠は森の奥深く、人であれば到底たどり着くことの出来ない谷底の、洞窟の奥にある。
洞窟の前は滝になっており、ただ見ただけでは、洞窟の存在は分からない。
たとえ、分かったとしても、内部にある無数の横穴のお陰で、祠まで到達するのはまず無理である。
祠のある場所には大きな縦穴が開いており、どういう仕組みになっているのか、月の光を満遍なく取り入れ、いつも煌々と輝いている。
祠は象牙色の石で造られていて、意外に大きい。
牛と同じ大きさの鉄鼠五匹分が、楽々と寝そべることの出来る広さ、と言えばその大きさが知れよう。
雨が降った日などは、用もないのに、わざわざここへ来て、雨風をしのいだものだ。
祠の中央には、大人の背丈程の台座があり、そこには『月の手毬』と言うものが鎮座している。
──ここへ来たら、必ずこの手毬で遊べ……。
幻月童女は、微笑みながら三人にそう言った。
中央にあるのだから、御神体ではないだろうかとも思ったが、童女がいいと言うのだからいいのだろう。三人は、始めこそおずおずと触っていたが、今は祠へ来た途端に、手毬の争奪戦が始まる。
「きょ、今日は私が一番にここへ来たのです! 私が……」
「いいや、私……」
「オレだ! オレが先だ!!」
ドタバタドタバタと取り合いが始まる。
『月の手毬』は不思議な色で、その名の通り、月のような輝きをしている。
自ら光を出しているのか、それとも月の光を反射しているのか、三人が遊ぶと、いつも得も言えぬ白銀の光をその身に宿す。
しばらく投げて遊んでいると、その光は大きくなって、最後は月へ吸い込まれて消えていく。始めの頃は、童女さまからの預かりものをなくしてしまったと慌てたが、童女はカラカラと笑った。いづれ、また現れると……。
その言葉通り、手毬はいつの間にかその台座に現れ、遊んでもらえるのを待っていた。遊ぶと消えるが遊ばなければ、消えていくことはなく、その場にただただ鎮座する。
置かれているときの手毬は、銀糸で縫った見事な、ただの毬……。
ポーンポーンと投げながら、玉兎が呟く。
「……童女さまと、一緒に遊べたらいいのに」
言いながら、白く長い耳を下に垂らす。
ボールを受け止める度に、その耳が揺れ、愛らしい。牛の化け物のような鉄鼠には、少し羨ましい容姿だ。
「……仕方ありませんわ。手毬には触れられないと言うのだから」
姮娥はその細く白い指先で手毬をつかみ、投げ返す。
ポーンと飛んできたその手毬を、鉄鼠が自分の鼻面で、ぷひっと投げ返す。
「……」
どうも自分には、可愛さに欠けているような気がする……鉄鼠は複雑な表情を見せた。
「一度でいいから、遊んでみたいものだ……」
大きな巨体を揺らし、鉄鼠が呟く。
手毬が一番似合うのは、やはり幻月童女であろう。玉兎がいくら可愛いと言っても、ウサギの妖怪。人の幼子の姿には負けるだろうと、鉄鼠は思う。
「おお! あなたもそう思いますか……っ!」
玉兎が嬉しそうに声をあげる。
「きっと、可愛らしいことでしょうね……」
姮娥がうっとりと、目を細める。
「あの柔らかそうな小さい手が、毬を握っているところなど、想像するだけで、震えが止まりませんわ」
ぶるるっと震えながら、言葉を続ける。
(いや……それは危ないな……)
鉄鼠が見ないふりを決め込む。
黒くたおやかな黒髪に白い肌。黙っていれば、相当な美女なのだが、姮娥はどこか残念な存在だ。
その残念な思考のお陰で、天帝からガマガエルにされてしまったのだが……。
「あ……」
不意に、玉兎が悲しげな声をあげた。
「!」
手毬が月へ吸い込まれ始めたのだ。
姮娥が、手毬をつかもうと手を伸ばすが、毬はそれをすり抜け、光の粒子となって薄く細く消えていく。
「……」
いつも三人は、黙って毬を見送る。
明るく楽しかった幻月童女の祠は、急に暗く寂しく、心なしか寒く冷えてくる。
「次は、童女さまも来るだろうか……」
暗闇で、誰かが呟いた。
「あの手毬のように、消えはしまいか……」
不吉な呟きだった。