支度
ひとまず、洞窟の中では宴へ行くための『支度』はできない。
一行は本堂の方へ移動することにした。
しかし移動するには、今の狐丸だと大きすぎて、洞窟の通路が進めない。
『……』
不愉快そうに狐丸は目を細め、澄真を睨む。
何でこんなやつの前で変化しなくちゃいけないんだ、と言わんばかりである。
「……怪だと、もう分かっているから、隠す必要はない。変化しても構わないぞ……?」
澄真の言葉に、グルルと鼻にしわを寄せる狐丸。
人形をとるのに、どれだけ大変な思いをしたと思っているのだろう?
今までの苦労は、いったい何だったのか……。
《あんなに一生懸命、練習したのに……》
ギリギリと歯ぎしりをする。
よほど不快なのであろうが、仕方がない。狐丸は諦めたように、その場でピョンと跳び跳ねた。
──ぽんっ!
軽い音を立てながら、人形をとる。
『っ! ……狐丸。おまえは……』
人形をとった狐丸に、瑠璃姫が呆れた声を投げ掛けた。
どうにも澄真が、気にくわないのだろう。
あんなにも頑張って、髪と瞳の色が漆黒の人間に、変化出来るようになったというのに、今の狐丸は全てが真っ白である。
『……』
それだけではない。
普段は隠すはずの妖怪紋まで、狐丸の左頬に赤く現れている。
明らかに澄真をバカにしている。
《……澄真に妖怪の常識が通用するものか……》
妖怪紋とは、妖怪ならば誰もが顔に持っている。個々を特定する紋。
それは傷のような紋様であるうえに、自分の弱点ともなりうるので、普通は見せない。
怪の世界では、その紋を見せることは、『弱点を見せてもおまえには勝てる』という意味になり、相手を侮辱することと同じなのである。
しかし憶測を見誤り、返り討ちにあった者も多くいるのも、また事実。
実は暗黙の了解で、『妖怪紋を見せるのは、ただの阿呆』とも言われている。
《……狐丸は、ただの阿呆だ。……間違いない》
瑠璃姫はそっぽを向き、見なかったことにする。
しかし、妖怪の常識が通用しない澄真にとっては、特殊な化粧にしか見えない。白い肌に刻まれた紅色の妖怪紋は、怪しく浮かび、目を見張るものがあった。
白銀の長い髪に、夜明けの太陽のような金の瞳。
頭にはちょこんと白い狐の耳。後ろには、二つに割れた大きな狐の尻尾が揺れている。
捨て鉢になっているのだろう。
着ている水干ですらも、真っ白。
髪すら結んでおらず、白銀に輝くたおやかなその髪は、座っているためか床に流れ落ちるままにしている。
ぷいっと横を向いたその仕草に、むかつきを感じるどころか、むしろ愛らしさが募る。
「……」
澄真は、初めて見る『白い』狐丸に驚いて目を見張る。
《……逆効果だ。あほ……》
瑠璃姫が呆れたように、狐丸を見た。
「……茶色の髪ではなかったのだな」
澄真の驚いた声が響く。
嫌な響きなど微塵もない。むしろ、好感を持っているのが分かる声色だ。
『……』
澄真が嬉しそうに目を細める。
狐丸は、そんな澄真の反応に、少し面食らう。
(……嫌がられると思ったのに……)
「前に見たときは、薄茶の髪に琥珀色の目をしていたが……?」
首をかしげ、優しく問う。
優しく問われ、狐丸は大人しくなる。妖怪紋も、波が引くように消えていった。
澄真の言葉に、狐丸は思い出す。
そういえば、耳も尻尾も必死になって隠そうとした。髪や目の色も、黒色になるようにたくさん頑張ったけれど、なかなか黒く染まらず、薄茶色が精一杯だった。
「……僕は白狐だから」
むすっと拗ねたように言う姿が、澄真にとっては、逆に興味をそそる。
(拗ねているのに、律儀に説明するとか……っ)
先ほどのバカでかい白狐と、同じ生き物だというのが信じられない。
(どうにかして、連れて帰れないものか……)
澄真は真剣に考える。
しかし、ここは慎重に進めるべきだ。
急ぎすぎると、ろくなことがない。
現に澄真は、狐丸に嫌われている……。
「……はぁ」
気持ちを切り替える必要がある。
澄真は大きくため息をつくと、言葉をかけた。
「……ひとまず、ここを出よう」
『……』
瑠璃姫が哀れむように、狐丸を見た。
◆◇◆◇◆
洞窟から出て、本堂に移った一向に、澄真が狐丸に言葉をかける。
「狐丸。まず、着ているものを変化させてもらう。気楽な宴だと言われてはいるが、さすがに水干では気楽過ぎるからな」
「着物を変化……?」
狐丸が訝かしげに訊ねる。
それに頷く澄真。
「……」
しかし狐丸は、今着ている服装しか知らない。
これは困った。
困惑の色を浮かべる狐丸をよそに、澄真は話を進める。
「今着ている水干から、半裾に変えて、……色はそうだな……」
「ま、待って! 待って!!」
狐丸が慌てて澄真を呼び止める。
トントンと話を進める澄真に、狐丸が呻く。
話が見えない。半裾が何なのか分からない。
「……ん?」
澄真が首をかしげながら、狐丸を見る。
「どうした?」
不安げに澄真を見上げる。
「……『半裾』って何?」
耳を伏せながら訊ねる狐丸。
くりくりと大きな金色の目が、澄真を捕らえる。
目を合わせたことなど、ほとんどない。
しばし、その目に見入る。
「……」
澄真は、少し考える素振りを見せつつ、狐丸の仕草を堪能する。
(見事に真っ白だな……)
髪が白いだけではない。
その長い睫毛も白く、儚げな印象を受ける。
見ているだけで、胸が高鳴る。
(あぁ、……なんでこんなに、可愛いのだろう……?)
澄真は、灰色がかった自分の目を細めた。
出来ることなら、ずっと見ていたい。
「……そう、だな。どう説明したものか」
などと嘯いて、時間を稼ぐ。
(私は、何を言っているのだ……)
半裾の説明など簡単なことだ。
それを引き伸ばすとは……。
じーっと見とれていると、痺れを切らした狐丸が、声をかける。
「澄真……?」
「!」
不意に名を呼ばれ、澄真の肩が揺らぐ。
ことりと小首をかしげて覗き込む。
白銀の髪が、さらりと溢れる。
(『澄真』!?)
顔が熱くなるのが分かる。
自分の名を、狐丸が口にする日が来るとは、思いも寄らないことだった。
あぁ、やっぱり連れて帰りたい。
どこで間違ってしまったのだろう。そもそも、狐丸に嫌われるような言動をしたわけでも、酷いことをしたつもりもない。
敢えて言うなら、捕縛紐を投げ掛けた事くらいだが、それなりのフォローはしたつもりだ。
「……」
しかし、いくら考えても後の祭り。狐丸は既に、自分の事を嫌っている……。
そう思いながら、また溜め息をつく。
「あ、あぁ……半裾だったな。……半裾は、今私が着ている狩衣を、子どもが着れる大きさにしたものだ」
言いながら、顔をあげる。
狐丸が、なるほどと声をあげる。
「……ただ、袖括りの紐が、複雑になる。半裾は二色の紐を使い、網目をつけながら織り込んでいくから……。こればかりは見本がいるな……」
澄真は唸る。
自分が子どもの頃に使った半裾がまだあるはずだ。それを持ってくればよかった。
……しかし身内に、この状況を知らせるのも面倒だ。
澄真の脳裏に、絢子の顔が浮かぶ。
「……」
絢子は澄真の乳母である。
幼い頃から使えている絢子に知られれば、狐丸の支度もすぐに終わる。しかし、この状況を見たら絢子になんと言われるか……。
澄真は軽く頭を振る。
(絢子に知られるのは、もっての他だ……)
嫌な予感しかしない。
そんな澄真を見ながら、狐丸は頷く。
「ん……。ひとまず、やってみる」
言いながら口から青い鬼火を細く吐きながら、今着ている水干に吹き付けた。
するとみるみる狐丸の衣装が、半裾へと変化する。
その様子に、澄真が感心する。
「鬼火か……。なかなか便利だな」
言われて、狐丸の機嫌がよくなる。
「でしょ?」
ふわりと微笑む。
細められた目から、金色の光が溢れる。
「!」
どくりと心臓が鳴る。
思わず狩衣の胸元を掴んだ。
(……心臓に悪い……)
こんなにも近くにいるのに、触れようとすれば逃げてしまう。
(いったい、私は何をしているのか……)
落ち込みながら、灰色がかった目を伏せた。出来るだけ、見ないようにする。
「……次は髪型だ。下げ美豆良にする」
「……下げ……下げ……。なに?」
狐丸の言葉に、顔をあげる。
「下げ美豆良だ……。瑠璃姫」
言いながら瑠璃姫を見る。
自分が狐丸に関わりすぎると、精神衛生上よくないと理解し、瑠璃姫に助けを求める。が。
「……すまぬが、吾も、その下げ美豆良とやらは知らぬ……」
「……」
そのまま、いない振りを決め込んでいたタマに目をやる。
タマは澄真に見つめられ、ビクッと身を強ばらせる。
「ニャっ! タ、タマもそんニャの、知らニャいニャ……!」
言われて眉間にシワを寄せる。
(……この役立たずどもめ)
澄真が心の中で悪態をついた。
こうなっては仕方がない。澄真は決心して、狐丸を見る。
このままでは、心の冷静さが保てない。
(もう、いっそ、本当の事を言ってしまおう……)
話を進めるに従って、狐丸の心もほぐれて来たようにも思う。
今なら少しは、自分の気持ちを受け入れてくれるかもしれない……。
澄真はそう決心して、狐丸の名を呼ぶ。
「……狐丸」
低く呼び掛け、狐丸の目を覗き込む。
「……ん?」
「……」
「? ……何?」
無邪気な目が痛い。澄真は少しだけ怯みながらも、言葉を続ける。
「……伝えたいことがあるんだ」
呻くように呟く。
「うん……?」
首をかしげる狐丸。
真剣な澄真の様子に、瑠璃姫とタマが沸き立つ。
これは、ついに……っ!
ワクワクと澄真の次の言葉を待つ。
澄真は、軽く目を閉じると、息を吐いた。
(言うぞ……っ)
キッと顔をあげると、遠慮がちに……しかしはっきりと、狐丸に告げる。
──……色を……黒くしてくれ……!
「……」
ガクッとその場に崩れる、瑠璃姫とタマ。
そじゃない。そーじゃないだろ!? とぼやく二人。
一方、狐丸は真っ青になって澄真を見た。
「……? 狐丸……?」
青ざめている狐丸に、澄真が心配して声を掛ける。
狐丸はふるふると震えている。
(……やはり、無理な注文だったか?)
内心焦りながら、澄真は狐丸を覗き込む。
妖怪の事情はよく分からないが、おそらく自分の色にない色を、作り出すのには骨が折れるのだろう。以前も、完全な黒い髪を再現できなかったために、薄茶の髪と目の色だったのだろう。
(酷なことを言ったか……?)
澄真は、自分の言葉を後悔する。狐丸の表情は、既に顔面蒼白と言っていい。
狐丸は声を震わせながら、どうにか声を振り絞った。
「ぼ、僕の色が、気にくわないって言うの……?」
眉間にシワを寄せながら、呟く。
その言葉に、澄真の頭の中が白くなる。
「え? ……いや、そ、そうじゃなくて……」
慌てて否定するが、狐丸は聞いていない。
「僕が、僕が、白いから今まで意地悪してたんだね……!?」
目に溢れんばかりに涙を溜める。
(どうしてそうなる……?)
澄真は狐丸の涙を見て、おろおろと手を伸ばす。
「ち、違う。そうじゃなくて……っ」
「あ~あ。ニャかせたー。……澄真がニャかせたー」
タマまでもが、冷たい目線を寄越す。
言葉が棒読みである。
タマは、先程の裏切りの仕返しとばかりに、助け船どころか、泣き出す狐丸を煽る。
(告白するかと思ったニャ……)
ムスッとタマが膨れる。
(余計なことを……っ)
そんなタマに、澄真は唇を噛んだ。
「僕が……、瑠璃姫さまみたいな黒孤だった方がよかったんだ……」
ポロポロと静かに涙を流す。
泣きながら、瑠璃姫にすがりつく。
「……狐丸」
悲しげな澄真の声が響いた。
(何故そこでまた、瑠璃姫なんだ。こっちで泣けばいいのに……)
残念そうな澄真を横目で見て、瑠璃姫がため息をつく。
「澄真……おまえも、難儀だな」
狐丸の頭を撫で撫でしながら、瑠璃姫が呆れた声を出した。