幸せの赤7
吸血鬼との遭遇から月日がたち、卵から孵った3匹の幼いドラゴンがじゃれ合い、遊ぶようになった頃、ジークフリードは本人にとっては初めてではないが20歳の誕生日が訪れた。
魔王の配偶者であり、人間の王家の者の生誕を祝うべく、多くの客が訪れた。
ジークフリードが初めてアンブロシアーナに出会ったバルコニーから、自分のために集まってくれた人々に手を振る。ぽかぽかと温かくなった胸の鼓動が少し早いことを自覚して、つい指先で頬をかいて視線を落としたが、名前を呼ぶ声に再び民衆へ笑顔を向けた。
故郷であれば、この後は恐らく位の高い神官のありがたい祝辞を受け、挨拶に来る貴族らの話を聞き、祝の品を受け取るという儀式的なものが始まるが、相変わらず魔人らは主役を忘れて踊ったり歌ったりとお祭り騒ぎだった。
ジークフリードはその空気もたまらなく愛おしく、魔人の国、国民らの永遠の幸福を望まずにはいられない。
ダンスホールでしばらくもみくちゃにされ、性別も身分も関係なく疲れるまで花を渡されて踊らされたが、ジークフリードと話したり踊りたい客人たちに気を遣って、どうにも禍々しく思えてならないデザインの大きな玉座に黙って座っていたアンブロシアーナの足音で、優しい沈黙が訪れる。
笑顔の人々が道を開けていき、その先から頬を赤くした可愛らしい魔王が歩いてくるのに、ジークフリードは跪いた。
それから、事前に用意していた花冠を、ワゴンでタイミング良く持ってきてくれる使用人に小さく礼を告げる。
互いの花冠を交換し、頬を真っ赤に染めて時々目を合わせてはにかむアンブロシアーナと最後のダンスをする時間、ジークフリードはこの時が永遠に続いて欲しいと思う。
「あのね、この後、崖のところまで一緒に来てくれる?」
「ああ。もちろん」
本音では、もうこのまま部屋に戻って彼女にベタベタと触り続けて過ごしたかったが、アンブロシアーナが行く場所ならどこへでも付いて行く。だから即答した。
何かに期待しているような、わくわくと目を輝かしているアンブロシアーナの額に思わず唇をかすめる。
人目を憚らずにこのような事ができてしまうのは、いつもジークフリードとアンブロシアーナよりも前魔王とその后がもっと目立つような事をしているからだ。
額や頬にキスなんて挨拶のようなもので、あの二人は妙なごっこ遊びのようなこともするし、近くにいるだけでジークフリードまで目を逸らしてしまうようなことを平気でしてしまう。
夕暮れ、ジークフリードはアンブロシアーナと、それからギュゲスルと共に崖へ向かった。
そこには何人か人間と魔人が集まって、ジークフリードを見るなりにこにこと愛想笑いを浮かべる。
「なんだ?」
「えへへ、ジギピッピのお誕生日プレゼントを、アン様と一緒に考えたんだよ」
「な、なんだと……お、俺のために……二人がかりでか……」
自分に隠れてこそこそ二人で話していたと思うと、いつもなら妬いてしまうだろうに、自分のためにしていたのだという事実が嬉しくて、緩く解けた頬が少し熱くなる。
崖の上からこちらへ運び込むということは、魔人の国には無いものなのだろう。しかしジークフリードは特に二人に欲しいものをねだったような覚えもなく、大掛かりな様子に頭を傾げた。
ジークフリードには高音すぎて聞き取れない笛を、誰かが崖の上で吹いたのだろう。
徐々に近付いてくる羽音が、ドラゴンのものと気付いて振り返ると、そこには赤色の番のドラゴンが機嫌の良さそうな顔で羽ばたいていた。「ギイギイ」やら「ギャン」と挨拶のような声を出してから、上空へと舞い上がる2体に、思わずぽかんと口を開けてしまう。
それから、すぐに息をピッタリと合わせた番のドラゴンは、布を被った、大きな家具のようなものをゆっくりと運んできた。
他のドラゴン2体ならば斜めに持ちそうだが、番の中でも特に仲の良い赤色同士の2体はしっかり水平にしたままお互いの顔と地面を交互に見ながら、その大きなプレゼントを地面に下ろした。
「随分でかいな」
「触ってみてよ」
ギュゲスルの言葉にちらりと視線をアンブロシアーナに向ける。にこりと笑ったアンブロシアーナに、ジークフリードは布の上からその大きな箱のような物に触れてみる。
触っているうちに、それが何なのか少しずつわかってきたような気がして、素早く再び二人に顔を向けた。
「こ、これって、もしかして、あれか? 音が鳴ったりするか?」
「部屋に運んでからのお楽しみ」
「あははっ、ジギピッピ嬉しそうだね。良かったね、アン様」
「嬉しいに決まっているだろ! ああ、もう、二人共どうしてそんなに俺をこんな!」
「ジギ、幸せ?」
「ありえんくらい幸せだ!」
***
魔人の国に初めて持ち込まれたピアノの美しく繊細な音。それを奏でる男は、この国で最も高貴な黒髪を持っている。
朝に奏でる明るいワルツの音に目を覚ましたドラゴンが歌を歌い、巣立った子のドラゴンが時々里帰りをする。
その若い紅色のドラゴンが、どこかで見つけたパートナーと共に子供を連れて来た事に気が付いた魔王は、燦々と煌めく太陽のように眩しい髪をふわりと揺らして、窓の外へと視線を移した。
「ジギが連れ帰ったあのこもお母さんになってる! 良かった、とっても元気そう」
魔王である妻の言葉に口元を緩め、ジークフリードは優しく目を細めてペダルを踏み込み、少し長めにその音楽の余韻を残した。
「そのこも、全部アンタが守ってくれたものだ。さて、俺の可愛い魔王様、一緒に朝食に行こうか」
「……うん」
窓辺まで行き、妻に手を差し出したジークフリードの視線は窓の外のドラゴンをとらえるが、すぐに笑みを浮かべたままアンブロシアーナの瞳を見つめ、また降下して腹部を見つめる。
握った手をそっと引きながら、あまりにも幸せすぎて思わず笑ってしまう。
「ジギ、いっぱい笑うね」
「そう言うアンもよく笑ってるな」
二人はまだ体験したことのない先の時間を共に生き始めていた。
そして、まだ会ったことのない出会いが待っているという実感に、見つめ合っては笑い合う。
一人では幸せになれなかった二人が、出会い、導き合って得た幸せをこの世界には祝福する者がたくさん、数え切れないほどにいる。
不幸な二人を知っているのは二人だけ。
そしてこの先もずっと、不幸な二人を知る者はいない。
(おわり)




