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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
フェルマータ
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幸せの赤6

 アンブロシアーナが寝室へ戻ってきたのは、あの後すぐにピピラが迎えに行ったにしてはかなり遅い時間だった。


 一人で眠りに就けることもなく、ジークフリードは寝台には入らずゆっくりと二度目の入浴をし、薄いシャツの上にガウンを羽織り、窓辺でランプと月明かりを頼りに本を読んで過ごしていた。


 静かに部屋の扉を開けて戻って来たアンブロシアーナは、まだジークフリードが起きている事に驚いて「あっ」などと小さく声をあげる。


 背に扉を閉めたきり、その場で動かなくなってしまったアンブロシアーナに、ジークフリードは本を閉じて立ち上がった。


「アン、どうした? やけに遅いから心配した」


「……その、えっと……残党がいないかなと思って、見て回ってきたの」


「そうか。一人で大丈夫だったのか?」


 目の前であれほどの強さを見せつけられ、自分などいても足手まといになってしまうとわかっている。わかっているはずなのに、どうしてかジークフリードの口から出るのは心配ばかりだ。


「誰もいなかったから……大丈夫だったよ」


 アンブロシアーナが『大丈夫だった』のは魔王であり、力を持っているからだろうに、誰もいなかったからとわざわざ言う彼女から気遣いのようなものを感じ、「そうか」と返したものの、ジークフリードは無力な自分に思わずため息が溢れた。


 そのため息に、アンブロシアーナは俯いていた顔を上げる。


 月明かりに照らされた顔は、ここへ戻ってくる前に泣きそうになっていた時と同じ表情だ。



 ジークフリードは城に戻る途中、楽しげにニコッと目を細めて「ギャーン」と声を出すドラゴンの背中の上で、ギュゲスルに言われた事を思い出した。


『さっきのはだめだよ、ジギピッピ。帰ったら、一番にアン様にお礼を言うんだよ。助けてくれてありがとうって』


 何がどうだめなのかは結局わからなかったが、ギュゲスルがジークフリードに何か助言などをする時、だいたいそれは自身にとって有益だ。


 確かに、もしも逆の立場だったらと思うと、アンブロシアーナに謝られるよりも笑顔で礼を言われた方が良い。


 しかし、今にも泣きそうになっているアンブロシアーナにどう切り出せば良いのかわからず、ゆっくりと一歩ずつ無言のまま近付いて行くことしかできなかった。



 触れても良いのかもわからず、そんな気分ではなさそうなアンブロシアーナを抱きしめもしない。


 いつもならば、ここまで近いと素直に手を出すか、わざと意地悪をしたりちょっかいを出す。


 アンブロシアーナは以前の世界線で、王女や人間らに嫌がらせをされて泣いてしまった時、兄や庭師の格好をしたジークフリードに何が悲しいのかをすぐ言って縋り付いてきたはずだ。やはり見れば見るほど様子がおかしく思えてならない。


 悲しい理由を言えないのは、どう考ても原因が自分にあるということではないか。


「アン、その、俺、だよな? 俺の何が嫌か教えてくれないか?」


 ようやく声に出すと、ぽろ、と雫がアンブロシアーナの目尻から溢れ落ちた。


「ど、どうした? 悪い、鈍感で……本当にすまん。頼むからもう泣くな。俺はどうしたら良い?」


「……ジギは、わたしの言う事を聞くの?」


「当たり前だろ。アンタの言う事なら何でも聞いてやりたい。アンタが望むこと、何でも」


「言う事を、きかなくていいの……わたし、ジギに言う事聞いて欲しいわけじゃない」


 また一つ、それに続けてもう一つと溢れる涙に息を呑む。


 どこで、何を間違えてしまったのだろう。


 ジークフリードはもう魔導書を持っていない。だからもう二度とやり直すことはできない。


「アン、俺は……もういらないのか?」


 足手まといな人間が、魔王に相応しくないと、脆弱な自分が一番わかっている。受け止めたくない現実に、柄にもなく恐怖を抱いて体が震え始めた。


 もともと誰にも必要とされなかったはずの自分を、たった一人求めてくれたアンブロシアーナ。彼女がいてくれたおかけで、ジークフリードには新しい数々の繋がりができ、存在意義ができた。生きている喜びを知った。


 今ある彼の存在理由全てがアンブロシアーナのおかげで、アンブロシアーナを失ったら何もかも失ってしまう。


「ジギ、震えてる……ごめんね、わたしのせいだよね……ごめんなさい……わたしには気を遣わないで、これからはもっと好きなことをして……」


「……好きなことなんて、アンタ以外何も無い。アンタの婿に相応しくないのはわかっているが、それでもずっと離れたくない。アン、頼む。邪魔はしないよう気を付ける……人間は人間らしく雑務でもやるから、俺を捨てるな、アン」


 湧き上がる激しい感情の波に捕らわれ、そのまま身を任せてアンブロシアーナの手首を強く引き寄せた。


 腕に抱いたアンブロシアーナの小さな体を、掻きむしるようにまさぐって求める。片手が小さな後頭部へ到達すると、そのまま激情に任せて強引に唇を奪う。


 何度も激しく、噛み付くようなキスを繰り返しし、舌を柔らかい唇の隙間に捩じ込んだ。


「んっ……ふ、うっ……」


 初めは逃げようとしていたくせに、ねっとりと舌と舌を絡ませるうちに脱力した華奢な体を抱き上げ、ギュッと強く抱きしめるようにして動きを封じる。


「や、ジギ、待って」


「好きなことをしろと言ったのはアンタだ」


「す、好きなの? 本当に? わたしの事、まだ好き?」


「ああ、好きだ」


 逃げようとしていたアンブロシアーナが急に大人しくなり、寝台に下ろして座らせると、もじもじと恥ずかしそうに俯いた。


「本当?」


「本当だ」


「わたし、あんな、簡単に人を殺しちゃったんだよ……怖くないの?」


「ん? ああ、そうか、そういうことか」


 ジークフリードはアンブロシアーナの隣に、わざとぴったりとくっつくように座る。


 少し体をよじり、口元を花びらのような耳たぶに近付け、片手をアンブロシアーナの背中に滑らせて肩を抱いた。


「怖くない。むしろ、アンがあの吸血変態野郎より、俺の命を優先してくれたことが何より嬉しい。助けてくれて、ありがとう」


「ジギ……あのね、わたし、ジギの事を怖がらせて、言う事を聞かせてるんじゃないかって思ったの。ジギの事、いらなくなったりしないよ。大好き。ずっとずっと一緒が良い。これから、もっと危ない目に合わせちゃうかもしれないけど、それでも、一緒にいて欲しいの。一人でいると、やっぱり怖くて不安だよ……これからも、今までみたいにずっと一緒にいて欲しい……」


「良いのか? もしかしたら今日みたいに、足手まといになる事もあるかもしれない。その時はまた助けてくれるか?」


「うんっ! わたしジギの事助けたい! いつもいつも助けて貰ってばかりだから、ジギに頼って貰えるの嬉しいな……えへへ、良かった」


 何が『えへへ』だと、思わず呆れてしまう。呆れるほど可愛いアンブロシアーナが、本当に魔王で大丈夫なのかと、また心配になり、ランプに照らされてぼんやり見える翡翠色の瞳を見つめる。


 恥ずかしそうに笑っているその顔に、またしつこく唇を何度も押し当てて、毛布の下に誘い込む。


 笑い声と悲鳴の間のような声を聞きながら、勿体ぶって、同意を求めるように少しずつ夜着をはだけさせていくと、もう、さっきまでの悲しそうな涙は消え、恥じらいを含んだ幸せそうな笑みに表情は変わっていた。

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