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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
フェルマータ
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幸せの赤2

 魔人の国は大地に空いた大きな穴のような、あまりにも深い崖の下にある。


 近年の学者の研究によれば、もともとその崖から無事に降りることができた魔人だけが住み着いたという説が有力だ。魔人らはそびえ立つ壁のような崖を、特に不便と思ったことはなく、むしろ他の種族からの侵略を拒むにはうってつけの場所のように考えている。


 人間や獣人といった、魔力の無い彼らが魔人の国を無事に訪れるには、当然崖の上にいくつかある関所で身分を証明し、運賃を払って魔人やドラゴンに門まで運んでもらう他ない。



 ジークフリードらが捕縛した獣人は、国籍も不明で通行許可証も貴族の紹介状も所持していなかった。


 獣人の多く住む東の国では籍の管理が徹底され、スラム街の赤子一人にまでそれが及んでいる。


 術印どころか焼印すら刻まれていない、国籍不明で帰る場所もない野盗の二人は、仕事を紹介すると言われ、関所とは別の場所からドラゴンに運ばれて入ってきたという。


 その後、当然自力で崖の上には戻れず、魔人の国に住める当てもない二人は、そのドラゴンを使役する者の指示で盗みを働く他なかった。


 移住者の受け入れを積極的に行っている諸外国で、まともな職につけるように計らうことを約束した前魔王ケラウノストの元に、彼らは一旦預けられることになった。



 ジークフリードはアンブロシアーナと共に、盗品を引き渡す相手のいるらしい白煙の森へ向かった。


 白煙の森はその名のとおり白い煙のような霧がうっすらと広がる森だ。


 魔人の国の領地として塀で囲んである外側にある森で、そこには野生の魔獣やドラゴンなどが生息している。


 ジークフリードには少し寒いだろうと、城を出る前にアンブロシアーナの愛らしい小さな手で外套を着せてもらったことで機嫌が良かったが、進む度多くなる獣の気配にみるみると苛立ちのようなものが募っていく。



 二人の盗人が言っていた通り、森に入ってから崖の側面に沿うように暫く歩いて行くと、松明で灯された洞窟があった。


 アンブロシアーナの髪がふわりと舞い上がったのを見たジークフリードは、ふところから使い慣れたダガーを取り出す。


 その刹那、弓の軋む微かな音の方へ身を翻す。ジークフリードの視界にある矢はその役目を果たすことなく燃え、灰へと代わり朽ち果てた。


「な、なんで!」


 弓は音が小さく遠距離から攻撃ができるが、隠密にはあまり向いていない。矢の方向から射られた場所がある程度特定されてしまうからだ。



 敵が複数いるというのに、一撃で始末する自信がどこから湧いて出るのか?


 魔術も使わず古典的な攻撃を仕掛けてきた相手を、ジークフリードはあまり体術に秀でていない上に魔人でもない素人だと確信した。


 弓が囮であったとするならば、アンブロシアーナに矢を焼かれた事にいちいち声をあげて驚くものか。ジークフリードが同じ立場から罠へ誘い込む囮を使うなら、わざわざ荷物になる弓など使わない。小さなナイフで充分だ。



 視野を狭める霧の中、無様に足裏か尻かを引きずる音に、相手が萎縮している事に気が付きつつも、ジークフリードは止まることはない。


 しかし怯える相手を斬り裂くことをアンブロシアーナは望まないし、何よりそういう事をする自分を見せるのは嫌だった。


 茂みに飛び込み、足蹴にした体に追い打ちをかけるように、その後頭部の毛髪を鷲掴みにして地面に伏せさせまではしたが、ダガーはあてがうだけで刺しはしなかった。



 熱風と言うには優しい暖かい風が霧を散らす。


 さらさらと揺らされる自分の髪の隙間から届いた芳香は、昨晩肌を重ねた愛おしいものと同じだ。


 視線だけをアンブロシアーナに向けて指示を仰ぐと、いつも罪人にすら哀れみを浮かべる優しい双眸が凍てついていた。



 静かすぎる足音は、ジークフリードにすら僅かに緊張を与える。


 氷柱のような瞳孔が突き刺す先にいる男はガクガクと震えて哀れなものだが、アンブロシアーナは放してやれとは口にしない。


「アン?」


 珍しいその様子に声をかけると、アンブロシアーナの瞼が震えた。


「ドラゴンに何をしているの。あなたからは、ドラゴンの血のにおいがする」


 魔人にとってドラゴンは愛玩動物だ。人間は人間以外の生き物と意思疎通はできないため分かりづらいものではあるが、魔人たちは人間の家畜への感情よりもっと大きな愛情をドラゴンに抱いている。


 物心がついた頃から城でドラゴンと遊んでいたアンブロシアーナが、血の匂いを感じて怒りに体を震わすのは至極当然だ。


 ジークフリードも、犬やトカゲなどが無闇に傷付けられるのは好まない。


「す、少し躾をしただけだ」


 恐怖からか、やや上ずった声。これ以上アンブロシアーナに不快な思いをさせたくないジークフリードは、ロープを取り出すために一旦ダガーの柄を口に咥える。


「怪我をさせることを、躾とは言わない……」


 アンブロシアーナの声は憤りながらも冷静だった。彼女と目を合わせたジークフリードは頷いて、捕らえた獣人の男を縛り上げた。


「……ありがとう、ジギ」


 アンブロシアーナがよく彼に言う感謝の言葉は、いつもならばもっと柔らかくて甘い声だ。まだ怒りの収まりきらないアンブロシアーナが急いで洞窟の方へ駆けていくのを見届けて、ジークフリードは獣人の顔を見据えた。


 縛り上げた獣人を足で踏み付けるように押さえつけたまま、ダガーを鞘へ返す。


 怪我をしたドラゴンを探しに一人で洞窟へ向かったアンブロシアーナを、ジークフリードは本当は追いかけたかった。


 それでもそうしないのは、獣人を見張っていなければならないこと、洞窟の入り口を警戒していたいこと、そして怪我をしてパニックになっているかもしれないドラゴンに、人間である自分が己の身すらも守りきれないということを、よくわかっているからだ。



 歯がゆさに苛立つ。双子の下の子が本当に魔に近いものであれば良かったのに、いくらこうして非力な獣人を捕まえようが、ジークフリードは魔人にはなれない。


 古い本には、人間や獣人に魔力を付与させ魔人と変える方法も記されていた。


 吸血鬼族など一部の魔人の体液は、一定量摂取することで眷属となることができると記述があった。だが、その種族は魔王に従わず独立した国家を築いているようで、その消息が判明しないまま数百年の時間が経っている。



 もしも自分が魔人であったなら、アンブロシアーナより早くに老いてしまうこともない。怪我や病気で心配させず、こういう時に彼女の助けとなれたはずだ。


 時々、ジークフリードはこういった幽暗な心を抱いてしまうことがあった。


 蘇りの魔導書によって得た特別な生き方故に、人間がどれだけ脆く弱いかを知っている。



 洞窟の中から、ドラゴンの咆哮が響いた。厩舎でのんびりと食事をするドラゴンばかり見ているジークフリードは、初めてドラゴンの威嚇の声を聞いて唾を飲み込む。


 暫く耳を刺すような咆哮が響いた後、それは地響きのような低い唸り声に変わった。


 やがて洞窟から再び姿を表したアンブロシアーナの、静かな怒りに満ちた顔を見て獣人が慌てたような声を出した。


「わかった、わかったよ! 雄の方はここからもう少し北で働かせているっ! 頼む、殺さないでくれ! 俺はあの魔人の言うとおりにしていただけなんだ、最初に雌の方に矢を射ったのもあの魔人だ!」


 命乞いをする無様な男の方をアンブロシアーナは、もう見ないようにしていた。


「その、もう少し北とやらに連れて行きなさい」


 雄やら雌やらという二人の話に、ジークフリードは薄っすら状況を理解する。


 ドラゴンには番で子育てをする種が多く、雌が抱卵している間に雄が巣を整えたり食事を運んだりする。


 魔人と同様に、食事か睡眠のどちらかを取っていれば生きながらえることのできるドラゴンだが、抱卵中の雌は一切睡眠を取らないため、雄が雌のために食事を運び身の回りの世話をするらしい。


 その雄が、怪我をしている雌の側に付き添っていないことをアンブロシアーナは訝しんでいるのだろう。



 強い恐怖やストレスにより正常な判断力や記憶に影響を与えないよう、ジークフリードは足元のおぼつかない獣人を乱暴に急かしたりはしない。


 やがていくつか切り株が並んだ先に、呑気に食事を並べた獣人が数人と、ぐったりとドラゴンが横たわった様が見えてくる。


 紅色の鱗を持ったドラゴンだ。


 ジークフリードが見たことのあるドラゴンは黒っぽい灰色や黄色味の強い茶色で、それらに比べてぐったりと明らかに具合の悪そうなそのドラゴンは鮮やかで更に美しくすら見える。



 アンブロシアーナは穏便に事を運ぼうとしていたが、やはり獣人たちは抵抗した。制圧されるまでの時間はほんのわずかで、ジークフリードが出る間もなかった。


 地面に円を書くようにして舞い上がる炎に囲まれた獣人たちをそのままに、アンブロシアーナは横たわっているドラゴンの頭を撫でていた。


 抵抗する気力すら無さそうなドラゴンを横目に、ジークフリードは道案内をさせた獣人を引きずって、アンブロシアーナのもとへ寄った。


「疲れてるだけなら良いんだけど」


 アンブロシアーナは囁いて、首飾りのようにして持っていた笛を吹く。


 ジークフリードにその音は認識できないが、少しすると彼女が城で飼っているドラゴンのピピラが大きな翼をはためかせ飛んで来て、名前の由来通りに鷹のような声で鳴いて挨拶をした。


 聡いピピラは炎に囲まれて身動きが取れない獣人と、ぐったりと倒れている同族、それからジークフリードの握ったロープの先を順番に見て確認する。


 一度地面に降りたピピラは、ジークフリードに会うと必ず長い舌先で顔をベロベロと舐めてくる。今日もジークフリードの顔面をよだれまみれにして、それから握っていたロープを口先で受け取った。


 うっかり獣人を直接咥えて食べてしまわぬようにか、ピピラはわざと紐の端を咥えてブラブラと振り子のように獣人をぶら下げて飛び上がる。


 一度城の方へ飛んでいったピピラが、倒れているドラゴンや捕まえた獣人らも持ち帰れるだけの数の仲間を連れて戻って来るまでの間、ジークフリードは忙しなく縄で罪人を縛る作業に没頭した。


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