幸せの赤1
魔人の国は表向きには魔王という君主が絶対の権力を持つ国家体制だが、実際に政治を執り行っているのは宰相や大臣を排出する貴族だ。もちろん魔王の承認を無しにしてそれらは行われないが、生まれを問われない平等と強さの象徴である魔王が全てを担う事は困難だ。
魔王の職務はその強さから国民の信頼を得ることだった。
人間からすればそれは獣の群れに近いかもしれないが、魔人は己より強い者に従う傾向にある。
自分よりも強い者に庇護されることを好まず、流れに逆らってきた魔人は自然に淘汰され数を減らしてきた。その結果が現在の魔人の国だ。
魔王は強ければ強いほど良い。そしてその強さは民を守るために行使されるべきだと魔人たちは考える。
ジークフリードは魔王の婿となってから時々憂鬱な気分になる。
これまで彼が過ごしてきた時間ではほとんど、アンブロシアーナはか弱い存在で、自分を含め誰かに守られて生きていた。
本音を言うならば今でも彼女にはジークフリードが母国から持ってきた花々の咲き乱れる温室で穏やかな日々を過ごして欲しい。
しかし絶対的な力を得てしまったアンブロシアーナに、もうその選択肢は無い。
ここ数日、城下のいくつかの店で窃盗事件が相次いでいた。
ジークフリードとアンブロシアーナは灯りの少ない小さな通りの、こじんまりとした宝飾品店の影に息を潜めて犯人が訪れる時を待っていた。
わざわざ数日間、客を装わせた使用人らを何人も並ばせて売上が好調だとアピールをした甲斐もあり、3日目にしてあっさりと怪しげな者が現れた。
深夜、男が石でガラスを割って店に侵入した所を確認し、夜盗であると確信したアンブロシアーナが店に乗り込む。
夜目のきかないジークフリードは来なくてもいいと言われていたが、無理を言って付いて来ていた。
全ての災いから、か弱い少女守りたいという願いは形を変えて叶えられ、アンブロシアーナは自らを自身で守れるほどの力を得ている。
彼にとって今の自分は、足手まといにすぎない、脆弱な人間だ。
店の中から男の悲鳴が聞こえた。
アンブロシアーナが夜盗を確保したのだと確信したが、ジークフリードはそのままその場で息を潜める。
単独とも限らない。何者かがまだ潜んでいるかもしれない。
無理を言って付いてきたからには、決して足を引っ張ってはならない。役に立たない事をするくらいならば来ない方が良いのだ。
この日は明るい時間からずっと風はないのに、かすかに空気が揺れた。
その小さな足音に気付いたジークフリードは夜の静寂の中から敵の位置を探る。
ジークフリードよりもよっぽど耳がよく敏感なアンブロシアーナがそれに気付いていないわけがない。だが余計な真似をしないのと、異変に気付きながらも放っておくことは同じことでもある。
ダガーを手にジークフリードは音も立てず対象に近付いた。
人間の強みは唯一、魔力が無いことで魔人や魔獣に居場所をはっきりと探知されないことだ。魔人は聴覚なども優れているものの、魔力に頼りすぎており、かすかな音や臭いに意識が向かないことが度々ある。
夜盗の注意はすっかり店内のアンブロシアーナに行っていたのだろう。背後に詰め寄るジークフリードに全く気づいていなかった。
体付きはもちろん魔力を持つという性質から、どれほど人間が体を鍛えても敵わない種族もいる。だからジークフリードは慎重にならざるを得ない。
数日前相談して決めた、アンブロシアーナが2回手を叩く音を合図にジークフリードは腕で目を覆う。直後、3回目の音と同時にアンブロシアーナが眩しく光を放った。
目が眩んで小さく呻きながらよろめいた夜盗の足を強く蹴り、ジークフリードは地面に転がった体にのしかかって髪の毛を引っ掴み、ダガーの切っ先をそのこめかみに向けた。
「魔人でも、頭をやったら死ぬんだろう?」
「ひいっ! ど、どうかお許しくださいっ!」
眩しくない、優しい色が灯って辺りを照らす。その温かい色の光もアンブロシアーナのものだ。
何度、目にしても美しい。アンブロシアーナの緩やかに波打つ細い髪の一本一本が燦然と輝き揺らめく様は、人々が想像し憧憬する天使の住む楽園の絵画のようだ。
ジークフリードは夜闇の中、月よりも愛おしいぬくもりのある光を放つその姿が好きだ。
「ジギ、この人たちからは魔力が感じられない」
アンブロシアーナの言葉に、彼女が照らしてくれた男を見てみると、耳の形状が人間であるジークフリードとは違う形でたくさんの毛に覆われていた。
「獣人か?」
夜目がきき、聴覚や嗅覚だけは魔人と同等のものを持つはずの獣人だろう。しかしそれがいとも簡単に捕まったことに、ジークフリードは嘲笑した。魔力だけでなく、戦闘の面で最も弱いだろう人間に組み敷かれるなんて、なんとも惨めだと思った。
「多分……続きは帰って聞こう。ジギのおかげで二人とも捕まえられて良かった」
ドアノブだった鉄を溶かしたもので即席の簡素な手枷を作ったアンブロシアーナに拘束され、二人の獣人の男が項垂れ、渋々歩き出す。
アンブロシアーナに捕まった方の男は悔しげに表情を歪め、ジークフリードに捕まった男は怯えてガタガタと震えていた。
「どうしてこんな小娘に」
「や、やめろ、こ、こ、この方は、魔王様と黒い悪魔様だ」
アンブロシアーナに捕まった方の男が、同胞の言葉にようやく自らがこの場でいかに非力かを理解して俯いた。
アンブロシアーナに付いて回っているうちに、黒い悪魔という呼び名をつけられてしまったことをジークフリードも不本意ながら知っている。
始まりは子供たちがふざけてそう呼んでいた事だったと思うが、今では崖の上のその先にある故郷にすら届いているのか、母親から何をしたらそういう呼び名が付いてしまうのだと手紙にまで書かれる始末だ。
先代の魔王ケラウノストもそうだが、アンブロシアーナも甘い。
捕まえた二人の獣人を牢に入れるまでは良いが、可哀想だからと温かい食事や程よい温度の湯を張った手桶、そして拭うものまで渡し、今夜はもう遅いからと尋問は明日となった。
苦痛を伴う拷問のようなもので得られる自白は必ずしも真実ではなく、必ず冤罪を招くという話は人間の国でも聞いたが、それにしても現行犯で捕まえた者にまで、魔王らは扱いが優しすぎるようにジークフリードは思っていた。
その分ジークフリードは、魔導の力で触れられないように出来ている鉄格子の向こう側で怯えている罪人を睨めつけ、低い声で罪を犯した理由を問う。時にはケラウノストの妻であり自分の姑にあたるネクタリアまでやって来て、優しい声音で身も凍るような話をして脅かしたり、可愛らしい靴の踵で床を叩いて怯えさせた。
これも全てアンブロシアーナやケラウノストの意図なのかはわからないが、数日がたつと罪人らは自分に親切に接してくれたアンブロシアーナかケラウノストのどちらかに事の発端を話し出す。
今回も二人がそれぞれアンブロシアーナとケラウノストに自らの生い立ちと、どうやって魔人の国へ入ったのかを話し始めた。




