ある夜の話
セーニョという言葉をネタばらしになってしまうとわかっていても無理矢理タイトルに入れたのは、おまけをフェルマータという名前で入れたかったからです。
今回は本編終了後、アンブロシアーナが16歳、誰かさんが19歳で婚姻を結んだ最初の夜の話です。が、コメディーです。
初めてだが初めてではない婚約。挙式、成婚パレードなどのイベントが一通り終わり、ようやくアンブロシアーナとジークフリードが寝室へ戻ってきたのは夜中のことだった。
人間の国のようなスケジュールの決まった厳格な儀式ではなく、あくまで祝いの行事である魔人の国の挙式はまさに大盛り上がりのお祭り騒ぎだ。酒を片手に魔王と花婿に親しげに話しかけてくる魔人の貴族や騎士、使用人。彼らの醸し出すその愉快な空気に便乗して、人間も獣人も新婚夫婦に直々に祝福と祈りの言葉を述べようと列を成していた。
これから徹夜で踊り明かすのだと高らかに笑う客人からようやく解放され、アンブロシアーナは王族用の浴場で、ジークフリードはいつも通りに大浴場で体を清めた。
とっくに太陽は沈んでいて、月の光も遠くなる分厚い雲のような霧が城の周りに妖しく立ち込めていた。
アンブロシアーナが湯浴みを終えて薄い夜着にガウンを羽織って部屋に戻ると、ジークフリードは一番最初の世界線と同様にわざとなのかシャツのボタンを何個も開けた状態で寝台に座っている。
時間を遡ったことで何度も婚約し、そして何年も恋人として過ごしているが、一見意地悪で不真面目そうなジークフリードは未だアンブロシアーナに手を出した事がない。だからこれまで何も危機感など感じず、ただ一緒にいると幸せで落ち着くからという理由で一つの寝台で共寝をしてきた。その当たり前の穏やかな夜にとうとう終止符が打たれ、まさに今これから一線を超えてしまうというのだ。
覚悟を決めたアンブロシアーナは両手で、つい蕩けて笑ってしまいそうな赤い顔を隠しながらいそいそと歩いて、じっと見つめてくるジークフリードの横にちょこんと座る。
いつもなら幸せなだけの優しい沈黙だが、エレアノーラが今日のためにとプレゼントしてくれた、用途が不明なほどに透ける夜着に袖を通してしまったことを思い出すと急に悲鳴を上げたくなった。
つい数秒前まで決めていた覚悟がすでに揺らいで、どうやって逃げ出すかを考え始めると、ジークフリードがアンブロシアーナの背中に手を滑らせゆっくりと肩を抱いた。
「何をそんなに恥ずかしがってるんだ?」
両手で顔を隠したままブンブンかぶりを振ると、ジークフリードが少し身を屈めて顔を近付けてくる。その気配に目元を覆っていた指の隙間から様子を伺うと、彼はそんなアンブロシアーナの瞳を見るなり意地悪く目を細めてクツクツと笑った。
「魔王様は何を想像しているんだか」
「何も、想像なんてしてないよ」
「俺はもうかれこれ何年もしているが」
いつもよりもなぜか大きく聞こえる衣擦れの音に身構えると、ジークフリードの唇がアンブロシアーナの耳朶に軽く触れて強く息を吹きかけた。
「ひゃあっ!」
驚いて逃げ出そうとするが、ガッシリとジークフリードに肩を抱かれていて動けない。そのまま彼の腕の中に引きずり込まれて向かい合うように膝に座らされる。
「もう顔は隠さないのか?」
笑っているジークフリードに弱々しく眉を寄せる。今、わざと意地悪をされているのだと気付いてそっぽを向こうとすると、それも許さないと言うようにジークフリードの少しひんやりした手のひらが頬を覆った。
正面を向かされて、楽しそうな笑みを浮かべているジークフリードに「もう」と声をあげるも、布越しに腰やら背中のあたりを強めに、まるで揉まれるように撫でられると、言おうとした文句が引っ込んで襲い来る恥ずかしさに肩を竦めた。
「なんで今日はガウンを着っぱなしなんだ?」
「それは……その……」
口籠るアンブロシアーナにジークフリードがそれはそれは楽しそうに鼻で笑う。
「まさかとは思うが、下ちゃんと着てるのか?」
「き、着てるっ、着てるよ」
思わず焦って答えたアンブロシアーナに、冗談のつもりだったのかジークフリードがぴくっと眉を震わせた。上がっていた口角が元の位置に戻って、いつもの少し不機嫌そうにも見える顔で目を見つめてきて真実を探ろうとする。こういう時、アンブロシアーナは隠し事や後ろめたいことがあるとどうしても視線を泳がせてしまった。
「待て、嘘だろ。まさか本当に何も着てないのか?」
「着てる……」
「なら見せてみろ」
「嫌!」
再び逃げようともがくアンブロシアーナの体を無遠慮にガウンの上から触って確かめるジークフリードの眉間にみるみるとしわが寄っていく。
「……着てないだろ」
「これでも、ちゃんと着てるの!」
「いや、恥ずかしがらなくて良い。そうだな、まずは灯りを消そうか」
そう遠くないとはいえ、浴場から裸にガウンだけ羽織って歩いてきたという誤解を受けたまま流れに身を任せることが、どうにも正解と思えないアンブロシアーナは部屋の照明用の魔導石に自らの魔力を流し入れて、自分以外に消せないよう発動条件の内容を塗り替えた。
「待って、あのね、ちゃんと見てほしいの」
なんとか説明をしようと自分のガウンの襟元を少しずらして透ける素材のそれを見せようと思ったが、ジークフリードが一瞬目を見開いて、先程の自分のように利き手で顔を覆ってしまったのに頭を傾げる。
「待て、待とう、少し落ち着かせてほしい。アンタは初めてなんだから、その、そういうのは慣れてから」
「ジギは何の話をしてるの?」
「ナニの話に決まってるだろ!」
「えええ」
話が通じない。話の先が全く見えてこない。
そのままじっとジークフリードが落ち着くのを待つ。長く息を吐き出してから、瞑っていた目を開けた彼がゆっくりとした手付きでアンブロシアーナのガウンの胸元に親指を引っ掛けた。少しずれたガウンの下から、簡単に千切れてしまいそうな薄い布が顔を出す。
「ほら、ね、着てるでしょう」
「……ああ? そうか、着ていたんだな。なんだ、さっきはこれを見せようとしたのか」
「うん、そうだよ。ちゃんと裸じゃないってわかってほしくて」
「俺はてっきりアンが……いや、とりあえず本当にもう今回は灯りは消そう。これはいくら着ててもやばいだろ、どうなってるんだよ」
ジークフリードのぼやきに耳を傾けながら、アンブロシアーナは言われたとおりに灯りを消そうと照明器具に視線を向けるが、消す前に肩を両手で掴まれて「アン!」と強く名前を呼ばれた。
「へっ……なに?」
「灯りを消す前にやっぱりそれを見せてくれないか」
「え? 何を?」
「そのヤバそうな服を、だ」
「いや! 恥ずかしいからだめ!」
「だめじゃない、見せろ、見ないと確実に悔いが残る!」
「やああっ!」
ガウンをこじ開けようと乱暴に触れてくるジークフリードの手を何度も何度も受け止め振り払う。
ガウンを脱がされないように両手で胸元を押さえながら身をよじると、今度は下からたくし上げようと太腿のあたりをジークフリードの手が這った。
「やっ、だめ!」
「一瞬でいい、ちょっと見るだけだ」
胸元から片手を離してジークフリードのいやらしい手をペチペチ叩くと、その手首を素早く捕らわれてしまった。
握られてしまうと、どうやっても力負けして抗えない。もちろんアンブロシアーナは彼に魔力を使って攻撃をすることもできない。
もう片方の手でガウンが脱がされないように押さえるアンブロシアーナを見つめる深い夜の色の目が獲物を追う獣のようにギラリと光った。
片手の動きは封じられ、もう片手でどれだけ一生懸命押さえていても既に足元は肌けて太ももは露わになっている。
それだけだも恥ずかしいというのに、ジークフリードの手は邪魔をしている方の手首も掴んで引き剥がし、両方の腕をまとめて頭の上へと持っていった。
そのまま半ば強引に寝台に倒されて、両手首を頭上に片手で縫い留められ動きを封じ込められると、もう後は覆いかぶさってきたジークフリードにガウンの紐を解かれるだけになってしまった。
「やっ」
シュル、ともったいぶるように遅い動きでガウンの紐を解かれて少しずつめくられていったその時、誰かが部屋の外を歩く音がアンブロシアーナの耳に届いた。近付いてくるその軽快な気配に、それまで少し抵抗しつつも流れに身を任せていたアンブロシアーナは、一瞬の硬直を経て、かぶりを横に振って彼にやめるよう頼んだ。
「わ、悪い……怖かったよな」
戯れなどではなく必死な顔をしたアンブロシアーナを見て、慌てて開放したジークフリードがしょんぼりと子犬のように落ち込んで、情けなく睫毛を震わせる。
彼には恐らく廊下の先から感じる気配がまだ届いていないのだろう。自分が拒否されたのだと感じていそうなその静かな瞳に、アンブロシアーナはいても立ってもいられず慌てて起き上がった。
「違うの、そうじゃなくて」
「すまない、もう二度とアンタが嫌がる事はしない」
「ジギ待って、あのね」
「今日は外で寝る。一晩でもニ晩でも頭を冷やす」
「行かないで、ジギ、待ってぇ」
寝台から立ち上がったジークフリードにしがみついて止めようとするが、ズルズルと引きずられてしまって止められない。
「アン、頼むから放してくれ」
「放したら外行っちゃうんでしょう?」
ズルズル、ズリズリと部屋の中央まで引きずられたアンブロシアーナは、肌寒さを感じながらよじ登るようにジークフリードのズボンを掴み、やがて腰の辺りに手をかけた。
「待て! アン、頼むから放してくれ、脱げる……」
「えっ!」
顔を上げるとジークフリードは自分のズボンを押さえているが、お尻の方にアンブロシアーナがぶら下がっているせいで少し下着が見えている。
「ごめんなさいっ!」
しかし放したらジークフリードがどこかに行ってしまうんじゃないか、そのうえ重心が不安定な体勢の自分は床に転んでしまうんじゃないかと硬直する。
高いところから飛ぶ時は落ちるにつれて徐々に減速させて着地ができるが、上半身だけジークフリードの腰にぶら下がっているアンブロシアーナはそのまま地べたに這いつくばる未来しか見えない。
「アン……その……なかなか似合ってるな、可愛い……というか、扇情的というべきか」
「え?」
一度振り返ってからこちらを見ないようにしているジークフリードの様子に、アンブロシアーナはさっきから感じている肌寒さの正体を察して顔をできるだけ下に向けた。
引きずられているうちにガウンが脱げて、着ている意味があるのかもよくわからない薄い夜着一枚になっている自分に赤面する。
「そんな格好で脱がそうとしてくるなんて、俺は試されているのか」
「ジギどうしよう、シギぃ」
「ワーオいけいけそのまま脱がしちゃえ!」
突然自分とジークフリード以外の声が聞こえてきたのに、ついさっき廊下を軽快な足音で誰かが歩いていた事を思い出す。
ジークフリードとほぼ同時に声のした方を見れば、部屋のドアを開けて満面の笑みを浮かべているエレアノーラが楽しげに手を振った。挙式に招いたエレアノーラとフリードリヒを城に泊めていた事を思い出す。
「大丈夫よ! アンと私は女の子同士だしソイツのお尻はフリッツと瓜二つだわ!」
驚いた拍子にジークフリードのズボンを放してしまったアンブロシアーナはそのまま透けた夜着で床に倒れ、彼は尻の方の下着を半分出したまま呆然と義姉であるエレアノーラを見つめている。
「脱衣相撲ってとっても楽しいわね! 今度フリッツも呼んで4人でやりましょ! 全員まとめてお尻丸出しにしてあげるわ! オホホホ!」
ルンルンとスキップしてエレアノーラが立ち去った後、結局仲良くいつものように何をするでもなく共寝するアンブロシアーナとジークフリードの元に、ズボンを千切られ、シャツのボタンもむしり取られたフリードリヒが助けを求めて来た。
疲れ切っていた二人は彼を見て見ぬふりをして、朝まで眠ることにした。
(おわり)