つけ角の話2
アンブロシアーナはせっかくのデートで他の女性に囲まれてもみくちゃにされたジークフリードの疲れきった顔に罪悪感や不安を覚えながらも、城に戻ってからもつけ角をしたままの彼になんと言うべきか悩んでいた。
普段から彼をとても格好良いと思っているが、角があるとまた別の格好良さ、力強さのようなものを感じる。その気持ちを伝えたいが、半ば強引に角をつけさせたことと、たくさんの女性に囲まれて頭や髪を弄くり回された彼を助けてやれなかったことをまず詫びなければならない。
「ジギ、今日はごめんなさい」
騎士団や貴族たちも招くことができるほど広い部屋に長い食卓。夕食をジークフリードも共にするようになってから、前魔王と后である両親と3人で使っていた小さな食卓では手狭になるため最近ではほとんどこの食堂を使っている。
「どうして謝るんだ?」
「お買い物付き合わせて……それに、みんなに触られてびっくりしたでしょう?」
アンブロシアーナの弱々しい声にジークフリードが顔を顰める。
「アンと街に行きたかったのは俺だ。付き合わされたわけじゃない。びっくりというのは否定しないが、アンが謝ることでもない。また二人でどこか行こう」
言葉の最後の方で柔らかく口元を綻ばせたジークフリードの優しさに、いつもアンブロシアーナは救われている。しかしいつか彼の我慢の限界が来て、かつての自分のように母国に帰りたいと思う日が来るのではないかという深憂もあった。
二人に少し遅れて前魔王のケラウノストがなぜか妻のネクタリアを横抱きにして食堂に入ってくる。彼らはアンブロシアーナが物心ついてからいつもどの世界線でも仲が良いのだが、もうジークフリードを客人とすら思っていないその振る舞いに思わずため息が出てしまう。
「お父様、お母様、今日はその……どうしたのですか?」
アンブロシアーナと背丈が変わらないネクタリアは、他の魔人同様に老いるまでの時間が長い。魔人のアンブロシアーナからすれば特に違和感はないが、人間たちは姉かと問うことも度々ある。
ネクタリアはアンブロシアーナとよく似た顔でふふんと得意気に笑った。
「時には抱っこをされたい日もあるでしょう」
妻を横抱きにしているケラウノストも同調するように「うむ」と頷いた。
「我は抱いて欲しいと言われ抱かぬような小さき器ではない」
「お父様もお母様も、ジギはお客様なんですよ。お客様の前でそんなこと」
「アンよ、何をつまらぬことを言う。ジギはお前の伴侶になる者であろう」
「それならばもう家族同然ですものね。そうだわ、ジギもアンを抱っこすれば良いではないですか」
「だめです!」
初めこそ人間の国の王族がいるからと品良く過ごしていたが、一週間過ぎた頃からケラウノストは平気で膝にネクタリアを座らせて食事をとる生活に戻ってしまった。そして今日もケラウノストは妻を抱いたまま椅子に腰掛けてしまう。
アンブロシアーナは合算すれば何年も人間の国に住んだことがあるので、はしたないとされる事がどういった事かを知っている。食事中にパートナーを膝に乗せて食べさせ合ったりするというその行為は、人間の国で育った彼にとっては下品で軽蔑の対象かもしれない。
恐る恐るジークフリードの様子を伺い見ると、少し椅子を引いた彼が疲れが吹っ飛んだとでも言うように目をキラキラと輝かせ、いつになく嬉しそうに笑って自らの腿をとんとん叩く。
「どうぞ」
「ジギ、でもっ今はその……だめ、ご飯中はだめなの!」
「ふふ、素直にお願いすれば良いというのに。ところでジギ、そのつけ角はどうされたの?」
ネクタリアの言葉にジークフリードは礼儀正しく「はい」と返事をしてから言葉を続ける。
「アンブロシアーナ様と街へ行き購入致しました。一目で、大変にご立派で他のどれよりも美しい角だと思いまして」
「ええ、本当に素敵」
「当然よ、それは我のこの角の型をとった一点物ぞ……誰も買わぬ故に増産はされぬと聞いたが」
「義父上は皆にとっての憧れ。とても恐れ多いのですよ。私も自分などが購入して良いものなのか悩みました。しかし他の方に買われてしまうくらいならば、と」
ジークフリードはやけに両親に気に入られている。ケラウノストは褒められるとすぐに調子に乗り、ネクタリアはその様子を見る事を好むのでジークフリードにとってはかなり扱いやすいのだろう。
うっかり外すのを忘れて来たものと思っていたが、これを会話の種にしたかったのだと気付いてその計算高いジークフリードに舌を巻く。
「一点物なのですね」
しゅんと肩を落とすネクタリアの切なそうな顔に、ジークフリードがぱちりと瞬きをした。
明らかに欲しがっているネクタリアの様子にアンブロシアーナも、そして彼女の夫であるケラウノストも困ってしまう。一番困るのはジークフリードだろうが。
「ネクタリア、あれはジギが買った模造品ぞ。我の角はここに」
「いいえ、義母上、この角の出来は大変に素晴らしいものです。この大きさにして軽量、義母上にも容易く扱えましょう。それに何よりも巷では愛し合う二人が揃いの角を付けるのが流行していると」
「まあ、愛し合う二人に!」
「よってこの角は義母上にこそ相応しい。私が一度使ってしまったものではありますが、もしも義母上がお望みになるのならば献上いたします」
「素敵です! 息子よ、嗚呼可愛い息子。孫に会えるのが今から楽しみです。人間である貴方の血が混じれば弟や妹だって夢ではありません。さあさあ、それのつけ方をわたくしに教えて」
ネクタリアはケラウノストの膝から飛び降りてピョンピョンと跳ねるようにスキップでジークフリードの元に進む。立ち上がったジークフリードが大きな角の付いたカチューシャを外した。
「こちらは髪を結う方であればこのように部品を外して……」
「あら、本当に軽いのですね」
「お似合いですよ、義母上」
「ありがとう! こんなに嬉しい献上品は初めてです!」
夕食を運び込む使用人たちに角を自慢しだすネクタリアに、使用人たちもキャッキャと楽しげに話しだす。
ケラウノストが冷める前に食べろと言うのでアンブロシアーナとジークフリードが食事を始めてもネクタリアはうろちょろ歩きまわってはしゃぎ続けた。ケラウノストは冷めてしまったネクタリアのスープを彼女が食べ始めるまで魔術で温めていた。
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「本当に何から何までごめんなさい……まさかお母様があんなふうに人のものを欲しがるなんて」
アンブロシアーナは部屋に戻るなり、すぐに頭を下げた。
先刻、ジークフリードは自分が行きたかったからと優しく笑ってくれていたが、せっかく買い物に付き合ってもらい買わせてしまったというのにそれを取り上げてしまったことを謝らずにはいられない。
「義母上があれほど喜ぶとは思ってなかったな。俺こそ、一緒に買ったものをアンの許可なく渡してしまってすまない」
「それは良いの、お母様に角をくれてありがとう。あんなにはしゃぐお母様は久しぶり」
アンブロシアーナの言葉にジークフリードはその様子を思い出したのかくすくすと笑いだした。以前ジークフリードが魔人の国に婿として来ていた時は共に食事などは滅多にとらず、ネクタリアが彼に話しかけたりする機会もあまり無かった。
「ああやって素直に喜んで笑ってくれる人には好感が持てる。アンは何か欲しいものとか無いのか?」
「欲しいもの……」
捻り出そうとするが、もともと物欲が強いわけでもなく今は何の不自由もない。魔人の国で魔王として暮らすと当然仕事の見返りに献上品がある。それだけでも持て余してしまうので金に変えたり貧しい者に寄付をするくらいだ。
うーんと唸りながら、長椅子に腰を掛けたジークフリードの顔を見つめると、物ではないが一つ叶えたい事があった事を思い出した。
「えっと……物ではないんだけど……」
「なんだ?」
ついさっき、自分から一度断ってしまったことを頼んでも良いのだろうか。アンブロシアーナは母が父にして貰っていたように横抱きにしてもらったり、膝に座らせてもらいたいという気持ちがある。しかし怯懦な心からなかなかそれを言葉にできず、結局何も言えないままジークフリードの横に座った。
「やっぱり、なんでもない……かも」
「しがない留学生には叶えられなさそうか」
「ち、違うの、そういうわけじゃないけど」
見上げたジークフリードの顔が切なげに睫毛を伏せている。口元は笑っているが、それはひどく悲しげな微笑だ。
「俺じゃあ魔王様には釣り合わないか」
決して大きな声ではない。むしろ囁きに近い、今にも消えてしまいそうな声だというのに、鼓膜を一突きにするようなその言葉にアンブロシアーナはよりいっそう眉を顰めて、ジークフリードが座面についている手に自分の手を乗せた。
「違うよ、ジギは強くて格好良くて頭も良いし、優しいし、人間とか魔人とか魔王とかそういうのどうでもいいの。わたしはジギじゃないとだめなの、他の誰かじゃ嫌だよ」
「じゃあ聞かせてくれないか? アンタの願いならいつか必ず叶えるから」
「わたしもジギに抱っこしてもらいたいの!」
ジークフリードを傷付けたくないと夢中で言葉にすると、それまで切なげに笑っていたはずの彼の表情が一変してにやりと口角を上げ、眉尻も同じようにキリリと上がる。
ずい、とジークフリードの顔がアンブロシアーナに近付けられ、細められた愉快そうな目は意地悪な捕食者の顔だ。
「俺に、何だって?」
「だ、抱っこして、ほしいです」
勝ち誇って笑うジークフリードの姿は、いつか毒の入った小瓶をちらつかせた時と少しだけ似ている。あの頃はそれが恐ろしくてたまらなかったが、今はフリードリヒと全く違うその顔にゾクゾクさせられるのも好きと思ってしまう。
「おいで、アン」
アンブロシアーナはネクタリアがいつも夫にするように両手を広げて、ジークフリードの肩の上から頚椎にかけて腕を巻きつける。
それから軽々と抱き上げる彼の力強さと、がっちりと体を固定されている感触に胸が高鳴ってすりすりとジークフリードに頬ずりをする。それにくすぐったさを感じたのかジークフリードも笑った。
「これで満足なのか?」
「うん、わたし、今すごく幸せ」
ふにゃ、と顔が溶けてしまいそうなアンブロシアーナをジークフリードは離さないまま、再び長椅子に腰を下ろす。膝の上に乗せられて肩を強く抱かれ、ジークフリードの鋭く秀美な顔につい見惚れていると、指先で顎をそっと持ち上げられた。
ジークフリードはいつもアンブロシアーナが目を瞑ったり頷くまで、少し時間を与えてくれる。それは彼が一度時間を巻き戻した時に、口付けの記憶を持たない自分が突然の行為に驚き、数日間逃げ回ったからだろう。
ジークフリードに庭師のジギが好きだと告げ、その後再会してから彼はいつも意地悪な顔をするが同時に誰よりもアンブロシアーナに優しく甘い。
触れるだけというよりも、少し押し付けるような長い口付けの後に、うっとりと細められた熱っぽい眼で見つめてくるジークフリードの少し掠れたような声が耳に届いた。
「もっとしたい」
アンブロシアーナは声にならない声を漏らして頷いた。それからすぐにまた何度も角度を変えて啄むような口付けが与えられる。
吐息にぼんやりと目眩のようなものを感じながら、その先に何があるのかと期待と小さな恐怖、緊張で瞼が震える。
ジークフリードは、まだ婚姻を結んでいない15歳のアンブロシアーナにそれ以上のことはしない。
理想の王子様をやめた意地悪そうな青年の、誰よりも優しく真面目なところをアンブロシアーナは愛している。
(おわり)




